たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

ダイヤモンド・オンラインへの寄稿です。今朝掲載されました。
https://diamond.jp/articles/-/248567

冒頭部分から引用:「新型コロナ不況を乗り越えるために未曽有の超金融緩和による信用膨張と財政支出の急拡大が起こっている。これは米国のみならず、日本や欧州でもほぼ同様だ。
 このことが近い将来にインフレ率の高騰、あるいは資産バブルなどの副作用を起こすことはないだろうか。米国のマネー急増でドルの通貨価値の下落、インフレ高進、ドル相場の急落が起こると予想する論者もいる。今回はこれを考えてみよう。
 結論から言うと、金融緩和と財政支出の拡大は戦後空前の規模ではあるが、制御不能になるような高インフレになる可能性は極めて低い。財政赤字の膨張もいずれ調整すべき局面が到来するだろうが、中期的な持続性にはほとんど問題がなさそうだ。
 むろん、何十年も先のことは分からないが、近い将来の唯一の現実的なリスクは、極端な信用の膨張に支えられた株価や不動産の資産バブルが起こり、それが破裂する可能性だろう。


202009 図表1
202009 図表2

ダイヤモンドオンライへの寄稿、今朝掲載されました。
https://diamond.jp/articles/-/244370

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一部抜粋引用:「そうした意見の対立を背景に、陽性者数の再急増にもかかわらず、人工呼吸器を装着する重症患者数や死亡者数が低位で推移している事実の解釈も大きく分かれている。経済優先論者は「ウイルスの変異による弱毒化の可能性」「日本人の自然免疫対応強化の可能性」「PCR検査対象者拡大による軽症・無症状の陽性者の増加(若手・中堅年齢層の陽性者増加)」などをあげ、感染者数の増加のみに目を奪われるべきではないと主張している。

 

 反対に、感染対策優先論者は、弱毒化説や自然免疫強化説などは科学的に検証できる根拠がなく(特に感染症の専門家の多くはそのように指摘している)、重症者数や死亡者数はこれから増えるのだと(重症化・死亡の遅延説)危機感を強めている。

 

 果たしてどちらが正しいのだろうか。筆者は金融系のエコノミストであり、もとより感染症は専門外であるが、この点について一般に公表されている限られたデータに基づいて、粗いながらも検証した結果を紹介しよう。

 

結論から言うと、6月以降PCR検査の陽性者数の再急増にもかかわらず、重症者数、死亡者数とも極めて低位に推移している最大の要因は、検査対象者拡大の結果生じた陽性者の年齢分布の若年化、つまり年齢要因だ。

 

 弱毒化説も免疫対応の強化説も多くの感染症の専門家が言う通り、現段階では根拠がない。おそらく重症化・死亡の遅延説も主要因ではない。従って、求められる政策対応は、この点を考慮した年齢層別の対応と経済活動回復とのバランスである。
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202007 図表1
202007 図表2

ダイヤモンドオンラインへの寄稿論考です。今朝掲載されました。
https://diamond.jp/articles/-/239690

引用:「そもそも、このようなかつてない実体経済と株価動向の乖(かい)離は何によってもたらされたのだろうか。アナリストなどの一般的な見方は、危機対応として発動された量的金融緩和再開による超低金利で、債券市場からあぶりだされた投資資金が株式市場に回っているというものだ。しかし大規模な量的金融緩和は2008年のリーマンショック時にも実行されたが、その時はこのような株価の急速な底打ち反転は起こらなかった。何が違うのだろうか・・・」

図表1

202006 竹中先生2020年6月図解1
図表2
202006 竹中先生2020年6月図解2

(公益財団法人)国際通貨研究所に寄稿した最新論考です。

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 「新型コロナ不況下での米国株価反騰の要因を探る~FRBによる『リスク・プレミアム抑制策』の株価押し上げ効果~」2020年5月29日脱稿 (急いで書いた草稿なので、幾つかタイプミスがあるのはご容赦ください。最終掲載時までに直します<(_ _)>)

冒頭引用:「筆者自身は昨年来、信用循環の観点から米国が2020年に景気後退に移行することを予想しており、それが新型コロナの感染爆発を契機に劇的な形で現れたことに違和感は全くなかったのだが、その後の株価の急激な回復は予想外であった。

本論の目的は、実体経済のかつてない急速な落ち込みの一方で、株価が急速な底打ち・回復を起こした要因を検証可能な方法で特定することである。結論を先に言うと、FRBによる社債の大規模購入、しかも非投資適格の社債までその対象にするというかつてない大胆な市場介入が、流動性の供給という域を超えて、社債のリスク・プレミアムの抑え込みに成功し、投資家層全体の危険回避行動の抑制・反転に大きく寄与したと考えられる。それが急速な株価の底打ち・回復効果をもたらしたのだ。」

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本論の内容や図表を対外的に利用される場合は、著者名と本論文名を引用してください。

なお、本論で株価変動の重要な要因として強調した米国BBB格付けの社債のリスク・スプレッド(=BBB格付け社債利回り-10年物米国債利回り)は、以下のサイトでも見ることができます。
https://ycharts.com/indicators/us_corporate_bbb_bond_risk_premium

自分でデータをダウンロードしてグラフ化や分析をされたい方は、以下のセントルイス連銀のサイトからデータを取るのが便利でしょう。
ICE BofA BBB US Corporate Index Effective Yield 
  10年物米国債利回り 

6月4日、日経新聞「市場点描」に本論考が紹介されました。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO59927840T00C20A6EN2000/?fbclid=IwAR3HnbrRBHPGtkVNYI5CBq32BACfur8j-C0aYI-qri2cHmN7LU_V9j589sQ   

  

 


この本はとても示唆的で面白かった。コメントしておこう。

社会はどう進化するのか?」(Completing the Darwinian Revolution by David Wilson

著者は米国の進化生物学者、ダーウィンの進化論の手法を社会科学分野にも発展的に適用することを唱えている。

 

そういうと歴史的な悪名が確定している19世紀後半に様々な形で流布した「社会進化論(Social Darwinism)」を想起する人がいるだろうが、その思想的な系譜とは全く異なる。

 

まず私達の社会は成員相互間の競争の原理と協調・協力の原理の双方が縦糸、横糸のように織り込まれて出来上がっている。競争原理だけでも、協力原理だけでもない。

 

共産主義的な思想は、市場を通じた競争原理を徹底的に排除しようとしたが、それでは軍事経済的な運営はできても、多様で高度な消費社会には適合できなかった。その対極として例えば米国のミルトン・フリードマンに代表されるような「市場(競争)原理的」な思想もある。

 

しかし、現実の私達はそんな極端に利己的に合理的なホモエコノミクスではなく、さりとて協力や公平さのみで動く完全な善人でもない。私達の現実では双方の衝動が拮抗し合っている。これはわりと常識的な認識だと思う。

 

この2つの拮抗する原理(競争と協力)が、ある時は競争の要素がより強く働き、また別の時は協力の要素がより強く働く、その基本的な仕組みをどう考えれば良いのか、私自身わからないでいた。

 

今年邦訳が発刊された「仏教経済学」(クレアブラウン著)を以前facebookで紹介した。私は推薦の言葉で次の様に書いた。「競争と自己利益の極大化を前提とする経済学から、共存共栄と自然万物との相互依存を基調にした経済学へのパラダイム転換の書だ。環境破壊と格差拡大の呪縛から私達を解き放つ鍵は、仏教的世界観の再評価にあった」(竹中正治 龍谷大学経済学部教授)

 

しかしながら、読まれた方は感じただろが、この書「仏教経済学」には社会成員が協調、協力し合うための仏教に触発された理念はかかれているが、それがどういう状況下でどのように働くのか、それが利己的な合理性による競争原理をどのような条件下で上回ることができるのか、その点のサイエンスになると、行動経済学による知見が多少散りばめられているだけで全然サイエンスになっていない。これが最大の弱点だった。

 

その欠落を埋める視点を本書は提示している。つまり私達の社会に利己心を抑制し、協力し合う行動特性や道徳・倫理がどのように進化してきたかを考えれば良いわけだ。そうした協力の倫理は自然的、また社会的な環境による淘汰圧の中で優位性を発揮したからこそ進化して来た。

 

ある人間の集団は複数の他集団との競争、競合関係の中で営まれてきたわけで、集団内部では利己的な競争原理が働いても、集団間の競争関係を生き延びるために利己性を抑制して自分の集団に貢献するという協力原理が進化して来た。例えば特定の神を信奉する宗教は、集団の成員を結束させ、利己的な衝動を抑制し、戒律を守り、集団へ貢献する情念を生み出す観念体系として発展したわけだ。

 

著者が提唱している進化論のロジックは、「マルチレベル選択説(multilevel selection theory)」と呼ばれるもので、私が理解した限りで大雑把に言うと、社会を構成する家族のような小数団から国家のような大集団まで各層の集団において、集団内の競争環境では成員の個体としての利己的な衝動と個体単位の淘汰が働くと当時に、グループ間の競争環境からは自分の所属集団に貢献する協力的衝動と淘汰が働くと考える。この方がホモエコノミクスの人間観よりずっと現実の私達の感覚に適合する。

 

こうした認識に基づいて、さらに著者らは協力関係が優位に働く集団の形態、あり方を具体的に分析、提示する実践活動もしている。

 

ただし協力関係が、より上位のレベルでの他のグループとの競争環境から生じるとすると、地球規模の問題に対する国家や民族を越えた地球人としての協力関係や意識は、「宇宙人の襲来」でもなければ生じないのだろうか?

 

この点は、そうでもないようだ。地球は「大海原を行くひとつの船」であると考えれば、地球環境の持続的な保全の必要から生じると淘汰圧が人類に働いていると言えるからだ。

 

ただし環境に適応するように淘汰圧が働いていることは、全ての種が適応に成功することを保証しているわけではない。適応に失敗して滅びる種も沢山あるわけだ・・・・。

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