たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

映画 “Resident Evil”シリーズPart4 “Afterlife”が封切られたので早速見て来ました。
日本では「バイオハザード・シリーズ」と言う方が一般的でしょうか。
 
要するに近未来を舞台にしたバイオ&ゾンビ物なんですが、プレーステーションでバイオハザード・ゲームをやったためか、映画も第1作からはまり、全部見ています。
 
女房に言わせれば、「ゾンビ映画なんて気持ち悪いものは、お金をもらっても見たくない。お金を払って見る人の気がしれない」とのことですが、何事についても、なぜそれにはまるのか?を他人に対して説得力のある説明をするのは至難です。
ほとんど無理。
 
地下研究所という密室空間で展開したパート1に比べると、パート3、パート4は荒廃した近未来世界で展開する再現のないバトルということで、昔の映画“Mad Max”の世界に似てきましたね。ちなみにMad Maxの主役メル・ギブソンは大好きな役者です。
 
しかし、欧米人、特にアメリカ人は、なんでこんなにゾンビ映画が好きなんでしょうか? 連中、昔から数限りないゾンビ映画をつくってきました。
 
ゾンビというのは、人間としての意思、魂を失った生き物で、ほとんど食物(人間)を求めての条件反射的な攻撃衝動だけで動いている。日本にはこういう類例がないですね。幽霊も妖怪も、固有の意思とか感情は持っている。
 
ソンビというものがこれほど溢れ出てくる連中の文化的な土壌って、一体なんなんだろう・・・・とずうっと考え続けているのですが、まだ納得のいく仮説ができません。
ご意見のある方は、どうぞ。
 
映画の前宣伝に「大江戸りびんぐでっど」というものが紹介されました。
宮藤官九郎のいたずらのような作品ですね。
歌舞伎界にもけっこうゾンビ映画好きがいるってことでしょうか。
 
追記:「ゾンビ映画を見るときの心得」だそうです。
 

この週末、引き受けた書きものに追われているのだが、困ったことにこういう時に限って気晴らしにブログをいじりたくなる。
以下のgonchanさんのコメントに反応して、仮想対話が脳裏に浮かんだ。
「長年の住宅と株式の上昇という資産効果(および担保価値増大から来た借金)の恩恵から所得(9.5%の失業率)というフローへの対応変化はあとどれぐらいかかるのでしょうかね」
要するにアメリカの家計のバランス・シート調整が終わって、経済成長が巡航速度に戻るのに、あとどのくらいかかるか、という問題であろう。
 
仮想対話:船上のコロンブスと副官の対話
 
副官 「船長、この海をこのまま西に進めば本当にアジアに着くんですかい?」
コロンブス 「必ず到着する。間違いない」
 
副 「西の海の果てには巨大な滝があって、そこがこの世界の終わりで、その滝から落ちると奈落の底だって・・・・そう言っている奴もいるんですが・・・?」
コ 「そんなことは決してあり得ない」
 
副 「じゃあ、後どのくらいかかるんでしょうかねえ?水兵たちが不安がっていいるんですが・・・」
コ 「わからん」
 
副 「えっ!? わからないんですか?」
コ 「距離は推測したが、船の速度は風と海流次第だから、わからん」
 
副 「もうちょっと行ってみて、ダメだったら引き返すとか、考えてみませんか?」
コ 「全く考えていない」
 
副 「でも食糧にも限りがあるし・・・」
コ 「魚でも釣ろうか」
 
副 「水も限りがあるし・・・」
コ 「雨が降るだろう」
 
副 「戻りたいって騒ぐ水兵もいるし・・・」
コ 「船を降りて泳いで戻るがよかろう。止めぬ」
 
副 「・・・・・・わかりやした、食糧の足しに魚でも釣ってきます」
コ 「ご苦労、私はカツオのあぶり焼きが好物だ」
 
おわり

アメリカ経済、2007-09年金融危機と不況から回復過程にはあるが、「回復力は弱く、アメリカの失われた10年が始まっている」という議論がある。
 
失われた10年を「所得が伸びない10年」と定義してみようか。その上で9月に発表されたアメリカのCensus Bureaの家計所得データを見ると、失われた10年は今始まったのではなく、過去10年が「失われた10年」だったことになる。
 
「えつ~、そんなバカな、2006、07年頃までは経済成長し、アメリカ経済はイケイケでやっていたのではないのか?」  以下のアメリカ家計を年間所得で5分位にした実質年間所得の推移を見て頂きたい。
 
過去約10年間ほど上位20%から下位20%までの全クラスの実質所得の伸びは、ほぼフラットである。
示された所得金額は、下位から4位までの場合、各階層の一番上のクラスの所得であり、トップ階層(むらさき色)の場合は、その階層の中の一番下の所得を示している(約18万ドル)。平均値ではないので勘違いされないように。 このトップ20%の中に、大企業のCEOなど私達には大き過ぎて頭がくらくらするような金額の所得を得ているスーパーリッチがいるわけだ。
 
また過去20年、30年で見ると、上位20%と下位層の所得格差は歴然と拡大している。超格差社会である。
 
最も分布が多い階層の所得は年5万ドルほどだ。90円で換算すると450万円。このミドルクラスも過去10年、実質でほとんど増えていない。もっともデフレの日本と違い、2~3%程度のインフレ率だから名目では増えている。でもそれで豊かになっていると錯覚できるほど人間はバカじゃないだろう。
 
「アメリカのミドルクラスは所得増加の希望がほとんどないのか、日本と同じやな」と思うのはちょっと誤解しているかもしれない。というのは組織で出世するか、事業で成功すれば、下の所得階層から上位の所得階層に上がれるので、アメリカのミドルクラスにも所得増加の希望がある。ま、日本も同様だけどね。
ただし失職や事業に失敗して下の所得クラスに落ちる人もいる。
 
またこれはサーベイによる調査であり、日本で言うと家計調査と同じだから、マクロの所得データとは一致しない。マクロの所得データ(国民経済統計)を見ると、2008-09年の2年間は横ばいか若干減少しているが、10年間では増加している。
 
どちらがより実態に近いか? これは難しい問題で、お答えできる用意がない。
 
このデータを見てなんと思うか、様々だろう。
日本だけデフレと低成長で情けない、ふんだりけったりだ・・・と悲観したり、愚痴りたい方がおられれば
これを見て、まあ、なかなかうまくいかないのは日本だけじゃないよ、という気持ちになるのも良いだろう。
それとも、ただ今急成長中の中国に生まれたかったですか?あの国に?まさか本気じゃないでしょ・・・?
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民主党政権が為替市場介入という手段をどう使うか、あるいは使えないか、市場参加者が注目していたが、ついにやった。
 
「日銀、介入資金吸収せず」と報道されているので(本日日経新聞夕刊)、先日ブログでご説明した非不胎化介入である。デフレと円高の悪循環を阻止するためには、妥当な処置だ。
日本の株価も大きな上昇で反応している。
 
これでドル売り・円買いポジションを膨らませていた海外の投機筋が(シカゴIMMの非商業筋の持高がドル売り・円買いに大きく傾斜して、日本のFX勢の持高と逆であること、先日指摘しましたね)、これでロスカット(損切りの円売り)に追い込まれれば(おそらく既に一部ロスカットが出ている)、介入効果にもさらに弾みがつくだろう。ポジション転換の速さが取り柄の連中だからね。
 
よくを言えば、米国の景況感に強気のシグナルとなる景気指標が出ると一層円安に勢いがつくだろうが、そういう経済指標がでるかどうかは分からない。ただし、米国ではここしばらく、2番底を心配する一時の悲観が一服して、ポジティブな経済指標に株価が上昇方向で反応しているのが目につく。米国経済の2番底はない、問題は景気回復の減速テンポの度合に過ぎないと私は思っている。
 
とりあえず、菅首相、小沢を退け、対市場では初の為替介入、軸足をぶらさずに頑張っていただきたい。
あ、そっれ!ニッポン、チャチャチャ!ニッポン、チャチャチャ!
 
でも、本格的な円高の修正(100円方向への円安の戻り)のためには、やはり米国景気の回復トーンがまた強まって、ドル金利上昇のシナリオが必要で、それにはまだしばらく時間がかかると思う。
 

井上ひさしの遺作「一週間」を読んだ。(クリックすればアマゾンに飛ぶ)
なかなか考えさせられる濃厚な内容だった。
読まれた方もいるだろう。内容は、ここでは紹介しないから、読まれてない方は、アマゾンにレビューを書いておいたので、それをご覧いただきたい。
 
一番面白かったというか、苦笑してしまったのは、小説の中で問題になる「レーニンの手紙」の在りかを追及するソ連の若い女性インテリ将校がいらいらしながら、主人公(抑留されている日本兵、ロシア語ができる、問題の手紙を隠している)に以下のように語る場面だ。
 
「日本人は匿名主義の集団である、なにごとによらず輪郭のはっきりした個性を嫌うと、大学でそう習った。なにかにつけて角が立って目立つ人間は、集団のまとまりを壊しかねない。だから、そういう目立った人間はその集団から排除される。それが日本人というものだ・・・・教授たちは、口を揃えてそう断言していらっしゃった。それなのに、あんたのやり方は目立ち過ぎる。全シベリア60余万の日本軍捕虜の中で、こんな突飛な交換条件を持ち出したのは、あんたが初めてよ。」
 
「あんたは、例の『日本人の風向きの原則』にも適わない。日本人はいつもその時その時の風向きを気にしながら生きている。なにかというと、「みなさんがそうおっしゃるのだから仕方がない』と、その時の吹いている風に合わせて自分の態度を決める・・・・これは、ある教授の口癖だったわ。ところが今のあんたはどうですか。(略)あんたは、たった一人でその風に逆らおうとしている。これはどういうことなんですか。」
 
弊著「なぜ人は市場に踊らされるのか」をご覧くださった方は、同じバブルでも日本とアメリカではバブルに踊る動機に違いがあることを指摘した終章「『みなさんそうされていますよ』という呪縛から目を覚まそう」を思い出されるだろう。
 
あるいは既に古典である丸山眞男の「現代政治の思想と行動」で、丸山が戦争責任を巡ってナチドイツと日本を比較し、日本的政策意思決定プロセスにおける主体的意識の不在を批判した下り「超国家主義の論理と心理」を想起したい。「ラーメン屋vs.マクドナルド」の第2章で引用した部分だ(以下)。
「わが国の場合は、これだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか」
 
丸山眞男のこの部分は、「日本人論」を語る場合、どう議論するかは別として論点として外せない場所だ。実際、最近ベストセラーになった内田樹の「日本辺境論」でも、丸山の同じ個所が引用されている。
 
しかし、ここで私はちょっと深読みしたい。井上ひさし程の作家である。既に繰り返し語られてステレオタイプになった(それでいてちっとも克服はされていないが)日本に関する類型論を、また繰り返しているのだろうか? 
 
昔から指摘されているこの日本的な問題、主体的意識の不在という問題が、克服されていないことを読者に読ませると同時に、実はこうした集団埋没型の人間類型は、スターリンの下で完成するソ連共産主義国家が生み出した人間類型でもあることを言外に含ませた痛烈な皮肉なのではなかろうか?
 
この小説、会話が濃厚で、他の諸問題もいろいろ考えさせられる。エンディングに尻切れトンボの感があるのは、遺作の所以かもしれない。
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追記
ブログ名ナドレックさんが、先月書いた私のブログ「無条件降伏」って何されても文句言えないってことだったの? に以下のご自身のブログへのトラックバックをつけてくれた。
なかなか考えさせられる良い論考だ。是非ご覧頂きたい。
 
「一週間」の中では、日本兵と同様にソ連軍の捕虜になったドイツ軍兵も、ソ連軍に抑留され労役に従事させられるが、ドイツ将校らは捕虜の取り扱いに関する国際条約に精通しており、待遇改善の要求を粘り強く行ない、ソ連軍もそれを無視することはできなかったと書かれている。
 
一方、日本軍の将校はそのような国際法、国際条約の常識に欠け、ソ連軍に待遇改善を要求するどころか、旧軍の身分秩序が維持されたことを良いことに、下級の兵士らをこき使い、配給食糧まで搾取して自らは肥え、兵士を餓死や衰弱に追いやった様が、繰り返し小説のなかで描かれている。
 
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、日本の将校も日露戦争まではクソ真面目なほど国際法の順守に気をつけていたという。それが事実なら、日露戦争と太平洋戦争の間の期間に、日本軍の国際感覚・知識は大いに劣化したということになる。
 
ともあれ、シベリア抑留時の問題、全ての日本将校がそうだったわけではないようだが、こうした事態が起こったことを、戦後の私達はどれだけ事実として発掘し、議論してきただろうか? 井上ひさしのこの遺作は、そうした問題を議論もせずに忘却してしまおうとする戦後の日本への、鋭い批判だった。文字通り、彼の人生の最後の精根を傾けた批判だった・・・・。 
 

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