たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

今年邦訳が出版されたロバート・スキデルスキー著の「なにがケインズを復活させたのか?」(日本経済新聞出版社)、これは私にとってケインズの経済学に関する「眼から鱗の剥落効果」抜群だった。
原著のタイトルはKeynes:“The Return of The Master” なかなかやるね、スキデルスキー先生。
映画スターウオーズの“Return of Jedi”を思い出す。
 
大学の先生方との研究会の後の宴会などで、私はこの本を「どう思います?」と幾度も話題にしてきた。
まだ読んでいない人、読んで感銘を受けた人、様々だ。
著者は第1級のケインズ研究者で、新古典派、1960年代に全盛期を迎えたアメリカ・ケインジアン、マネタリストによる「反ケインズ革命」、そして1990年代に「復活」したニューケインジアン、これら全てに対してラディカルな批判を展開し、ケインズの経済学の今日的価値の復興を唱える。
すごいなあ、それってほとんど全部を論敵に回しているってことじゃないか。

私自身、大学ではケインズ経済学の主要ポイントのひとつは労賃の下方硬直性だと習った。更に広げて、価格の硬直性があるから、需要減少などのショックが起こると相対価格の調整に時間がかかり、生産、所得、消費などの実体経済の縮小が起こるのであり、それが古典派に対置するケインズ経済学のポイントだと習った。ところが著者によると、それはケインズの体系の一部ではあるが、副次的なポイントに過ぎない。
ケインズの提起したポイントは「不確実性」の概念にあるという。それは確率計算によるリスク計測のできない不確実性であり、ナイトの不確実性と本質的に同じものだ。 えっえええ、そうだったの!
たしかにケインズが晩年、アメリカのケインジアンを自認する経済学者らと会議をした後、ポツリとこう言ったという逸話がある。「みなケインジアンだったよ、私以外はね」

新古典派も、新古典派総合も合理的期待仮説によってケインズの提起した不確実性の問題を体系から排除してしまった。ニューケインジアンも価格の硬直性をベースに体系を再構築したものの、合理的期待仮説の点では迎合し、ケインズの本質を継承できていない。 その結果、現代の主流の経済学の体系は、バブルとその崩壊、金融危機に対して無防備で、理論的に破綻していると批判する。
 
価格の硬直性なら、価格が修正されるまでに時間がかかるというファクターを体系の中に導入するだけで済む。ところが、計測不可能な不確実性というファクターは、どうにも厄介極まりない。それを体系の中に導入しようとすると、数理的に精緻に組み立てられたモデル自体が解体してしまうのだろう。
数理的に精緻なモデルに惹かれてきた先生方には耐えられないことだ。
 
現代の金融工学、現代投資理論も、リスクを計測可能なものと定義することで成り立っている。ところが私達が現実の経済活動の中で直面する不確実性とは、計測可能性を拒否するようなものの方が遥かに多い。 「ブラックスワン」のナシム・タレブが強調していることだね。
 
また、アカロフ&シラーは「アニマルスピリット」の中でこう書いている。「事業者たちは、未来についての根本的な不確実性を抱えたまま決断を下す」 その時の不確実性とは、1921年にシカゴ大学のフランク・ナイトが書いた『危険・不確実性、および利潤』の中で述べられた確率計測不可能なものだ。
 
精緻な虚構を愛し続けるか? それとも、現実の不確実性と混沌を受け入れ、少々野蛮でも生き残る知恵に賭けるか? そういう選択かな?

世の人に伝えたいメッセージがあるから本を書いてきた。
だから、そのメッセージをちゃんと受け止めてくれる人がいることは素直に嬉しい。
2月に出版した「なぜ人は市場に踊らされるのか?」(日経新聞出版社)についてアマゾンにある人が書いてくれたレビューはそうした嬉しい気分してくれるひとつだ。
ここに引用させていただく。
 
★★★★★
基軸通貨である米ドルの地位がゆらぐのではないか、米国型の金融資本主義はやっぱりだめだったのではないか、中国が米国債をたたき売ると米国債と米ドルは暴落するのではないか、などなど、リーマンショック以降に噴出した悲観論が、どうもそうでもないらしい……でもなぜ??? という、日ごろ新聞を読んだりニュースを見たりして感じるモヤモヤを、すっきりきっぱり払ってくれます。

もともと、難しいことをわかりやすく説明してくれる著者ですが、この本でさらに磨きがかかったように感じます。経済学の基本的な理論や、著者のキャリアで見聞きした金融の現場での知識・経験談などを基に、例えば「なぜ米国経済&ドルはそんなにもしたたかなんだ?」という疑問をきれいに解決してくれます。
経済の基本的な仕組みをわかっておくことは、自分の人生を左右する財産形成という視点においても、決して損でも無駄でもなく、むしろわかったほうがトクなんだなぁと、改めて感じた次第です。(とはいえ「どうすれば市場に踊らされている人を出し抜いてもうけられるか」という浅薄な内容では全くありません。むしろ経済学の教科書の副読本として読むといい内容です。念のため)

個人的には『大暴落1929』(J.K.ガルブレイス著、日経BPクラシックス)と合わせて読むと、いろいろなことがつながって、さらに興味深いと感じます。どちらを先に読むかはお好みで。
*****
どこの誰だか知らないけど、ちーさん、ありがとね。

mojoさんから頂いた次のコメント&質問
 
「現在、国内の資金需要は払底して、国外もよくありません。そのため、日本国内の資金が国債に集中して、それをたけなかさんは「逆バブル」と表現したと理解しています。そこで数年の金利の推移を調べてみました。
2005 1.62 2006 1.76 2007 1.94 2008 1.86
しかし、サブプライム前は当然外国の資金需要は今よりも高かったはずですが、2005-2007の金利上昇は0.32%です。そうなると外国でサブプライムをはるかに上回るようなバブルが長期間継続しないと金利の上昇=国債の暴落は起こらないのではないかと思いました。ですから、たけなかさんは国債暴落のメカニズムを踏まえたモデルケースをある程度想定しているのではと考えている次第です。」
 
2005年から07年までの世界景気の好況を背景とした日本経済の好況局面でも国債利回りは0.32%しか上がらなかった。どの程度の好況(あるいはバブル)が起これば10年物国債利回りの例えば1%ほどの上昇(価格の8%程度の急落)が起こるのか?
 
mojoさんのアプローチは直近の過去の実体経済と国債利回りの変化に基づいているので合理的なように見えるのですが、実はこの考え方では金融・投資市場の変化を予見することはできないと考えています。
 
例えば、山の斜面に雪が1メートル積もった。そこからさらに1メートル積もった。雪の重みで雪の層が10センチほど下にずれ落ちた。だからその上に、さらに1メートル雪が積もった場合も10センチのずれ落ちを予想するという発想は正しいだろうか?
 
正しくないですよね。雪の層が高くなっていくとどこかの時点で、それまでの変化とは異なった大きな崩れが起きる。つまり雪崩現象です。一種の相変化ですね。
 
市場の参加者が蓄積する様々なリスク・ポジションも同様で、実体経済の規模との比較で無限に積み上がることはあり得ない。どこかで崩れ始めると、投資家は一斉に期待(予想)の変更を行い、資産価格の変化は雪崩現象的な大きな変化になる。そういうことがバブル崩壊の度に起こっているわけです。
 
日本の政府債務の累積、国債価格も、逆バブルとして同様だと私は考えているわけです。ただし、現代の経済学はこうしたバブル崩壊的な現象を上手くモデル化できていません。私も別に予想モデルなど持っていない。経験則で考えています。
 
私自身2000年代半ば頃までは、アメリカのエコノミストに日本の政府債務の累積、国債価格の問題を問われると、日本の政府債務は日本国内の貯蓄によってファイナンスされており、政府債務の半分以上が海外投資家によってファイナンスされている米国とは事情が違うから、国債価格は安定的だと説明して来ました。
 
しかしそれも限度がある。2007年までの景気回復過程でプライマリーバランスベースの赤字が比較的急速に縮小したので、私は先行きをそれほど悲観していませんでした。しかし、2009年からの政府債務急膨張で、私は自分の楽観的見通しを修正する時だと考え始めたわけです。
 
もちろん、政府債務のソフトランディング・シナリオは全く可能性がないわけじゃない。日本国民としてそれを望んでいる。そのための条件は、やはり政府が本格的に増税を含む長期的な財政再建計画を設計して、投資家の信頼を将来にわたってつなぎとめることができるかどうかにかかっている、と考えているわけです。
 
鳩山首相にはもはや何も期待できない状況となりました。政局は混とんとしてきました。与党と野党が大連立でも組んで、財政再建問題に取り組まないと、やがて雪崩が起こり、儲けるのは国債の空売りをしたヘッジファンドばかりというとんでもないことになると心配しています。
 

昨晩のNHKの「龍馬伝」
武田鉄也ふんする勝海舟が龍馬に言う。「日本は異国相手にどうしたらいいのか?おまえの考えを言ってみろ。ゆっくり考えて、心の中から上がってくる考えを言ってみろ。」

すると龍馬はう~ん、う~んとうなりながら、自分の剣術の経験から発想する。
「自分は剣術は強いが、人を斬りたくはない」
→「強い剣術士は戦わなくてすむ」
→「日本が強い海軍を持てば異国とも戦わずに日本の独立を守れる」
という着想を経て、攘夷派と違う「開国、富国強兵」というアイデアに達した。

ドラマだけど、世間の意見に流されずに、自分の頭で考えるってことの基本をみごとに描いていると合点した。
 
一方、攘夷派の武市半平太の発想法 「夷敵が大国じゃろうが、強かろうが、神州日本の土地を犯す以上は断固打ち払う」
あまりに観念的で、戦略も合理性も欠いている。
ところがこの発想法が、やがて旧日本軍、特に陸軍を支配してゆくと司馬遼太郎は「竜馬がゆく」で強調している。
 
旧日本軍だけではないだろう。今の日本にもそういう観念論的発想から抜け出せない方々がいるだろう。


昨年12月28日付の日経ビジネスオンラインの「もう鳩山首相をあきらめる?」で消費税率の引き上げを含む長期的な財政再建と足元の景気対策の抱き合わせ政策を私は主張した。
 
「鳩山首相よ、日本の未来を救うため、勇を鼓して「消費税4年間引上げ凍結」の公約を翻し、景気対策と同時に増税を含む財政再建に取りかかって欲しい。国民新党や社民党が消費税引き上げに反対するなら、さっさと切り捨てて自民党と大連立を組めばよい」と結んだ。
 
この時は、やはりアクセス件数が爆発して、ブロッガーの方々から「消費税引き上げだって?何言ってんだ、この野郎」的なコメントを沢山いただいた(^_^;)(以下URL)。
私としては正論を尽くしているのだが、聞く耳のない方には何を言っても無駄か・・・と思った。
 
それでも結局、その後現実の政治はようやく私が「それしかない」と考える方向に動き出したようだ。
以下は本日4月18日(日曜日)の日経本紙の記事だ。
***
政府・民主党内で財政健全化や消費税増税を巡る議論が盛んになってきた。2010年度予算は過去最大の歳出と新規国債発行に踏み切り、財政悪化の歯止めが求められているためで、野党や世論の政権批判を封じる狙いも透けてみえる。消費税増税を夏の参院選後の「大連立」構想と絡める向きもあり、政局に発展する可能性も秘める。
『今の税収のままなら大きな壁にぶち当たる。歳入改革を掲げて選挙をしなければ国民に失礼なことになる』消費税増税に積極的な仙谷由人国家戦略相は13日、消費税増税を次期衆院選の争点にすると表明した。菅直人副総理・財務相も同日、増税と経済成長の両立を目指す考えを示した。
 
鳩山由紀夫首相は昨年の就任時に「4年間は消費税増税をしない」と公言している。一方で、鳩山政権が初めて編成した10年度予算は、衆院選マニフェスト(政権公約)を詰め込んだ結果、国債発行額が税収を上回るいびつな形となった。
 
財政に携わる2閣僚が積極発言を繰り返すのは、参院選公約や中期的な財政運営方針の策定が迫っているなか、11年度予算編成以降も財政健全化の姿勢を示さなければ国債市場の動揺を招き、政権への信頼が失墜するとの危機感がある。」
 
『増税するには大連立しかない。でも増税のために大連立を組むと言ったら批判されるな』。政府高官は16日、こう語った。仙谷氏は同日のテレビ番組収録で、財政健全化を争点にした「衆参同日選」の可能性にまで言及。消費税論議は政局の思惑もはらんだ動きになりつつある。
***
 
日経新聞だけではない。朝日も読売もほぼ同様の政治の動きを報じている。予算を見直して無駄を削減すれば、打ち出の小槌のように予算が出てくると言う幻想(鳩山さんは本気で信じていたのか?)から醒めて、ようやく避けられない現実に目が向き始めたようだ。
この動きが実ればまだ「日本をあきらめない」でいられるんだが。もっとも、それを実現できるのはもはや命脈の切れた鳩山内閣ではなくて次の誰かだろう。
 

↑このページのトップヘ