たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

既に旧い本で恐縮だが、アーサーCクラークの「3001年終局への旅」(The Final Odyssey)を読んだ。日本語版は2001年の発刊。しかし今まで不覚にも知らなかった。ご存じの方、多いだろうが、「2001年宇宙の旅」(A Space Odyssey)に始まるシリーズの完結編だ。
 
私にとって「事の起こり」は1968年、小学校6年生の時に映画「2001年宇宙の旅」を劇場で見たことだ。スタンリー・キューブリック監督とクラークの共作である。その時は封切りから1年経った再ロードショウだった。
とにかく「がび~ん」と驚いた。「うわ~!すごい映画だ。でもストーリーが途中からチンプンカンプ???」と当時みな思った映画だった。
そのチンプンカンプの謎解きが行なわれたのが、クラークによる小説「2001年宇宙の旅」である。
 
それからど~んと年月が過ぎ、1984年、続編映画「2010年宇宙の旅」が制作された。当時銀行勤務でNYにいた私(まだ独身)は封切り初日に見に行った。原作小説も邦訳が出る前に英語で読んだぞ。
さらにシリーズは「2061年宇宙の旅」と続き、「3001年」で完結した。
 
「3001年」では2001年に宇宙船ディスカバリーで土星に向かう途上、コンピューターハルの反逆で、宇宙空間にど~んと放り出され、宇宙服のエアーパイプも切られて死んでしまい、漂流していたプール(航海士だっけ?)の遺体が、1000年の時を経てなんと土星軌道近くで発見される。しかも、死に方が真空瞬間凍結だったから1000年経っても「鮮度が保たれていた」、ということで3001年の未来医療技術のおかげで蘇る。
 
しかし、なんだね。1960年代にイメージされていた21世紀には、今頃人類は巨大な宇宙ステーションだけでなく、恒久的な月面基地を持ち、有人の土星探査、木星探査までやっているはずだった。コンピューターは人間と会話し、機械の意思を持つまでに進化していた。スペースシャトルにはステュワーデスだって乗っていた。
 
現実はずいぶんと遅れているじゃないか。老朽化したスペースシャトルは今年で打ち切り、アメリカの次世代ロケットの開発は事実上の休止状態。未だにソ連時代と姿の変わらないソユーズだけでスペースステーションに人を送る状態になる。
 
21世紀ってこんなもんだったの?
 
ようやく日本開発のロケットがスペースステーションまで物資を運搬できるまでになった。将来的には有人化も視野に入っているとのこと。だったらここは一番、なけなしの国家予算投入して、一気に有人ロケットまで進化させて、アメリカ無しでも日本が物資と人間のステーションへの移動を引き受けますぜ、というところまでやってみせたら、下がり続けていると言われる「日本の株」もずいぶんと上がると思うのだが・・・。
ばらまき予算よりも、そういう国民を鼓舞するようなプロジェクトが求められているんじゃない?ちがうかな。オールドSFファンのたわ言でしょうか・・・。
 
 
 
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4月5日に打ち上げられたスペースシャトルの航跡

龍馬、再論
私の友人の一人がEメールでこう言っていた。
 
「竜馬はどうしてああいう世界観になったんでしょうね。
世界観=Worldviewは人の行動の基礎になるものだと思うのですが、どうして土佐の
田舎であんなに大きな世界観を持てたのか、不思議です。」
 
「竜馬がゆく」を読まれた方はみな分かっていると思うが、司馬遼太郎は龍馬(ここでは史実の「龍馬」で統一します)の思想的な展開を「幕末・維新の奇跡」と位置付けながら、それが可能になったプロセスに関してひとつの解釈を提示している。
 
その1、龍馬はとにかく船と海が大好きだった。
その結果、江戸が黒船ショックに襲われ、「夷敵」の脅威に庶民は震え、武士は「壌夷」の感情を高ぶらせ始めた時、同じく黒船を見た龍馬は「すげ~、こんな船がこの世にはあったのか!わしもこんな船を操って海の向こうの世界にいってみたいぜよ」と他の多くの武士とは違う情念を抱いた。
異質なものに接すると恐怖を感じるか、好奇心に駆られるか、人間はいつも2つに分かれるね。
しかし、龍馬も人の子、最初は大勢の攘夷思想にのまれていたが、やがてかれの考えは攘夷ではなく、開国、貿易、そして富国強兵へと展開していった。海援隊の設立と活動はその第1歩だった。
ところが幕府は攘夷は事実上放棄するものの、開国、貿易の機会は幕府で独占し、ある意味で当然ながら幕藩体制の維持にこだわり、龍馬は「ならば倒幕するしかない」という点では他の攘夷派と一致していた。
 
その2、龍馬は渡米した勝海舟などと出会い、アメリカのデモクラティックな政治体制に関する知識に接した。このアメリカの民主政体を知って龍馬は驚き、惹かれる。自分の土佐藩、上士(主君山内家の家臣として土佐に移って来た武士)と下士(土着の長宗我部の元家臣)の厳しい身分制度への不満のエネルギーがデモクラシーの理念を知って急開花したわけだ。
その結果、彼の倒幕後の政権構想は、元首に天皇を戴きながらも議会を主とするという民権的な内容になった。これは明治の民権思想の先駆だろう。
 
その3、商家、坂本家の商才と陽気さ
開国、貿易という龍馬の発想の下地に、武士でありながら坂本家は商家でもあったことを司馬遼太郎は強調する。しかも、その家族、家風がえらく陽気だったとも書いている。ああ、陽気さ、なぜか豊かになった今でも日本に足りない雰囲気だな。なんでみんな簡単に悲壮になっちゃうんだろうか。
 
こう書くともっともらしいけど、やはり偶然を通じて展開する時代の転換というのは、その過程自体が奇跡的だなあ、と感じざるを得ない。
 
 

西田文郎という方が雑誌プレジデントの論考、「かもの法則」(以下サイト)で良いことを言っている。心理学的にはある意味で常識的なことだろうが、こういう実践家に言われると深く納得できる。
 
ちょいと引用しよう。
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 「リストラされるかも」「給料が減るかも」……不況の中、そんな不吉な予感が頭をかすめる、という人も多いのではないでしょうか。
 こうした否定的な「かも」に囚われると、人はどんどん悲観的になってしまいます。そして、自分の仕事がうまくいかないことを、自分以外の誰かや環境のせいにしてしまう。「小泉改革のせいだ」「無能な上司のせいだ」などと責任を転嫁して、自分を守ろうとするのです。

 その一方で、「こういうときこそ、自分が活躍できるチャンスかも」と、悪条件を肯定的に捉えようとする人もいます。
 そういう人は、「ダメかも」「うまくいかないかも」ではなく、「成功するかも」「できるかも」という肯定的な「かも」によって自分をコントロールして、幸せをつかむ。 要するに、「かも」の違いで未来は変わるということ。それを私は、「かもの法則」と名付けています。
 人間は、自分の将来について「肯定的な錯覚をしている人」「否定的な錯覚をしている人」に二分されます。肯定的な錯覚をする人は、言うまでもなく、肯定的な「かも」で発想するタイプです。
 
長年にわたって、経営者やビジネスマンの能力開発に携わってきた経験から言うと、一代で上場企業をつくったような成功者は、ほぼ例外なく肯定的な錯覚をしています。 常識的に考えれば無理だと思うようなことも、「俺ならできる」と思い込んで、本当に実現してしまう。失敗を失敗と思わない。
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全くその通りだ。自分自身の経験を振り返っても、上手く行った時には「いけそう!」「上手くいくかも!」とポジティブ・カモに駆られて、あるいは引かれて活動している。
そういう時は少々失敗しても、これでダメだとは感じない。「次回はうまくいくかも」という気持ちで心に張りがある。
ポジティブ・カモにスイッチできるか、ネガティブ・カモに心を支配されるか、これで成功不成功の8割は決まったようなものかもしれない。
どうせこの世は不確実なのだから、成功も失敗も確かなことはない。ならばいつも「うまくいけるかも」とポジティブ・カモでやり続けよう。坂本龍馬も超巨大なポジティブ・カモで走り続けた人物だったということだな。

本件シリーズの最後は早稲田大学の大隈庭園、大隈講堂(時計台)の隣にある小さいが美しい公園。時計台は早稲田大学のみならず町のシンボル的な存在。
 
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神田川川沿いの桜シリーズ2010、これにて終了。
 

椿山荘から神田川沿いに徒歩3分、新江戸川公園、旧細川家の庭園です。桜の数は多くないが、ゆっくりと美しい庭園を楽しめる。池にはカメが生息しているが、やはり外来種のアカミミガメが増えている。
 
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