文芸春秋の5月号に田代秀敏さんの「あと4年、財政と年金は同時に破綻する」が掲載された。田代さんに私が語ったコメントもいくつか引用されている。
 
私は田代さんと全く同じ意見というわけでもない。例えば「あと4年で・・・破綻」と危機が切迫していることを同氏は強調しているが、私はそこまで具体的なタイムスパンを特定する合理的な根拠はないと思っている。
 
かつての不動産バブルやITバブルと同様に資金が国債に向かう「逆バブル」についても、それがどの時点で破裂するかを合理的に予想することは不可能である。エコノミストや経済学者が指摘できるのは、「このままのコースは持続不可能である」という判断と、コースを換えるための処方箋までだ。(出版編集者がインパクトの強い具体的な予想を求めるのは、毎度のことですがね。)
 
しかし、ここまで財政赤字が膨らんだ今、このままのコースを日本政府の財政が進めば、日本の未来が危機に瀕するという点では共通する。まあ、そんなことは財政学者でなくても分かることだ。
 
田代さんは日本国債の価格が急落すれば、国債を大規模に保有している郵貯簡保も年金も財政破綻すると強調している。それはその通り。
 
さらに考え詰めてみると、企業年金や個人年金の運用として自国の国債を買うのはマクロ経済的には愚策中の愚策だと気がついて、茫然とした。もちろん、どの国の政府も公的年金、企業年金、個人年金ともに莫大な規模で自国の国債を保有している。しかし、よく考えてみよう。
 
年金の原理については異なる2つの原理がある。「世代間扶助の原理」と「自助の原理」だ。前者は公的年金、後者は企業年金、個人年金の原理だ。
 
後者の「自助の原理」に立つならば、年金基金は現役世代が将来の引退した時に給付する年金支給のために今積み立てるファンドだ。それならば、将来取り崩して(換金して)消費に充当できる実物資産の裏付けがあり、将来の購買力を担保された資産に投じるべきではないだろうか? これはミクロの視点ではなく、マクロの視点での主張だ。
 
実物資産は株式や社債、不動産でも良い。株式や社債ならば財やサービスを生産・供給する企業の実物資産の裏付けがあるからだ。(もちろん個別の企業には破綻も衰退もあり得るから、分散されたポートフォリオを持つことが欠かせない。)
 
あるいは国債でも他国の国債ならな、将来それを売って海外から財やサービスを購入する対外的な購買力になり、海外諸国から自国に所得の移転を実現できるから、良いだろう。ただし、最低限の財政節度のある国の国債にしよう。私が外国投資家なら日本の国債は買わないな・・・。
 
なぜ民間の年金が自国の国債を買うことがマクロ的に意味がないのか? 今の現役世代の貯蓄が将来にわたり財やサービスを生産・供給する資産の形成に投じられるのなら、経済は豊かになり、引退後もその資産の保有を続けるか、将来の現役世代に移転するかはともかく、その富を享受できる。
 
しかし赤字国債の購入に当てられるなら、政府のバランスシートの資産側には見合いとなるなんらの実物資産は形成されていない。(建設国債なら公的資本形成=公共事業が行なわれ、どの程度役に立つかはともかく実物資産は残るが、今の問題はあくまでも赤字国債の膨張だ。)
 
単純化して日本に家族はひとつしかないと想定しよう。家族の構成は、引退したあなたのオヤジとオフクロと義理のオフクロ3名、現役のあなた方夫婦2名、あなたのこども1名である。
 
あなたは3名の引退世代を自分の所得による負担で扶助している。これが世代間扶助(公的年金)である。ところがあなたのオヤジはあなたの扶助だけでは足りずに、あなたから借金して消費しているとしよう。オヤジに悪意はなく、あなたから金を借りたお金でお土産を買ってきて家族全員にふるまったりしている。オヤジはあなたから金を借りるたびに借用証書を書いてあなたに渡している(これが国債に相当する)。
 
さて、あなたの子供はひとりだけだ。自分ら夫婦二人が将来引退した時にひとり息子の世話になるのは息子の負担を考えると無理そうだと考えて、あなたは自らの将来のために貯蓄しようと考える。これが個人年金、あるいは企業年金に相当する。
 
さてあなたの引退後の将来の所得確保のために相応しい資産は、次のうちどれだろうか? ①果樹園、②他国の国債、③オヤジの発行する借用証書
 
答えはもちろん、①と②である。 果樹園はあなたの引退後も果物を供給してくれる。他国の国債はそれを売って、他国から財やサービスを購入できる。ところが、③のオヤジの借用証書(日本の赤字国債に相当する)は、あなたがいくらためても将来の所得(購買力)にならない。オヤジは死ぬ時に言うだろう。「オレのおまえからの借金は、おまえがオレから相続するこの家と土地と相殺だ。」
 
要するに急膨張している赤字国債は何の実物資産の裏付けもない。唯一の保証は将来の徴税によって償還されるという政府の約束だけだ。しかし徴税される(税金を払う)のは国民自身だから、税金払って、その分年金もらうなら、キャッシュフローとしてはマクロ的にはチャラになるだけだ。
 
また、公的年金が世代間扶助の原理である限りは、国債を買うことで政府を通じて今の引退世代に払う年金給付金を負担していると考えられるので、それはそれでいいだろう。ただし、少子高齢化で将来の現役世代の人口は間違いなく減少する。従って、現在の現役世代が受け取れる将来の年金も間違いなく減少する。
 
それを回避するためには将来の現役世代の負担を重くするしかないが、世代間の格差が拡大するばかりで、政治的抵抗が起こり、それはできないかもしれない。ならば、実質給付が減少するしかない。これを回避する方策はない。
 
一方、民間の企業年金、個人年金はどうだろうか?これらは現在の現役世代自身が将来受け取る給付のために積み上げているという原理でできている。ならば、国債という実物資産の裏付けのない金融資産に投じるのはマクロ的には意味がないのではないか?
 
日本だけでなく世界の株式や社債、国債に分散投資して、確実に将来の購買力に転換できる投資を行なうのが合理的だろう。実際、公的年金も民間企業年金もある程度はそうした分散されたポートフォリオを保有しているのだが、それでも圧倒的に高い比率で日本国債に投じられている。
 
すくなくとも民間の企業年金、個人年金に関して言うならば、自国国債に投じることはマクロ的に見る限り、自分の髪の毛を自分で引っぱり上げることで自分を持ち上げようとするようなものだと言えるのではなかろうか。
 
政府債務が空前の規模に累積する状況下で、国債金利が超低金利で安定しているのは、安全な金融資産としての国債の体裁に幻惑され、それが将来の徴税権の発動以外に何の資産的裏付けもないことを人々が忘却しているからかもしれない。
 
将来、国債を増税で償還できなければ、インフレで価値が目減りする形で結局国民が負担を負うだろう(インフレタックス)。赤字国債をいくら買っても、日本の未来は拓けない。この当然の事実に国民、投資家が気がつかなければ、日本は衰退するしかない。