NHKの連続朝ドラなどは見ないのだが、今放送している「ゲゲゲの女房」はとうとうはまって見るようになった。
大学の講義で朝一、9時からあるのは水曜日だけだから、8時からの放映を見ている。
普通のサラリーマンの方は出勤時間だろう。
この辺が、大学の先生という職の「優雅?」なところだ。
 
ご存じ異色のマンガ家、水木シゲルとその妻をモデルにしたドラマである。
時は1960年代、「貸本屋」というビジネスが日本に広くあった時代だ。
私の小学生のころであり、私も貸本屋でマンガを借りて読んでいた。
「貸本マンガ家」という、儲からない貧乏底なしの絶滅危惧種として水木はスタートする。
 
昔の貧乏物語は、なぜか受けるパターンだ。
今も貧乏だったら「昔の貧乏だった時代」を思い起こして楽しむことはできない。
なんだかんだ言っても、今の日本が豊かだから昔の貧乏時代物語がうけるのだ。
 
私も子供時分、水木シゲルのマンガも読んだ。
「ゲゲゲの鬼太郎」、「河童の三平」、「悪魔くん」など覚えている。
たしかに水木のマンガは異色だ。どう見ても子供向けではない。
目に見える現実世界と、その背後にある(ような気がする)妖怪や幽霊がうごめく異次元が隣接している不思議な怖さを描いている。背後?あちらから見れば、こちらが背後か。
 
何と言っても、マンガ絵の風貌が異色だ。
見方によっては、「気持ち悪い、薄気味悪い、健康的でない」そう言って、子供マンガに相応しくないと感じた人も多かったのだろう。そうした状況が、ドラマでも良く描かれている。
ねずみ男なんて、絵から耐えがたい臭さが伝わってくる感じがする。
 
ドラマでは、とうとう大手週刊マンガ雑誌にデビューしたのに、最初は受け入れられず、掲載取りやめかの瀬戸際、これが本日木曜日の放映内容だった。この後どう展開するのか、明日の朝の放送が楽しみになってしまう。
 
ゲゲゲの鬼太郎は後年テレビアニメにもなった。その結果、アニメでは薄気味の悪さという毒が抜け、明るく健康的になってしまった。これは水木の望んだ展開ではなかったろうと思う。
 
1960年代に少年マガジンに連載を始めた当時のゲゲゲの鬼太郎(当初は「墓場鬼太郎」)の復刻版が発刊されている。アマゾンで注文した。週末には配達されるだろう。これも待ち遠しい。