今日報道されている中国全人代のニュースが気になった。
 
【北京=比嘉清太】中国の呉邦国・全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員長は10日、北京で開会中の全人代で常務委員会の活動報告を行い、「国家の根本的制度など重大な原則では(共産党は)動揺しない。
動揺すれば、内乱のどん底に陥る可能性すらある」と述べ、共産党の一党独裁体制を堅持する姿勢を強調した。中東などで起きている民衆の抗議行動に倣って、中国各都市で民主化要求集会が呼びかけられていることに危機感を示したものだ。

報告では、欧米式の複数政党制や三権分立などの導入について、「中国の国情にかんがみ、我々はやらない」と断言した。さらに、建国前の「血みどろの奮戦」、文化大革命の「痛ましい教訓」を経て改革開放路線に至った歴史を振り返り、「党の指導の堅持」を繰り返して訴えるなど、昨年よりも共産党支配の正統性を一層強調し、独裁防衛への意思を強く打ち出した内容となった。
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何を考えたかというと、ひとつは経済的な豊かさの絶対水準は低くても格差が少ない社会と、経済的な豊かさの水準は上がっても格差が極端に拡大した社会では、どちらが政治的に安定的だろうかということだ。
人間はやはり絶対的な水準よりも、格差、とりわけ格差の拡大に反応する動物だから、やはり後者の社会の方が不満が高まって不安定になるのかな。
 
今の中国は一人当たりのGDPでは依然途上国的な水準にあるが、格差度合いでは米国に匹敵する超格差社会になってしまった。つまり中南米的な構図だ。 毎年大学を卒業する若い世代の数は2009年で約600万人だから、今の日本の10倍強(日本50数万人)だ。90年代までなら中国の大卒者は文字通り金の卵として就職する先に困ることはなかったそうだが、今は日本をしのぐ就職難になっている。
 
高度成長しても大卒者の増え方が急激過ぎて、彼らの希望する職の供給が間に合わないのだ。アルバイトならともかく、大卒でコンビニのスタッフや工場のブルーカラーってわけにはいかないからね。知的な不満分子の増加と言うのは政治的には、やはり不安定要因を増す。
 
高度成長する経済にもかかわらず、全人代で党の幹部がこれだけ危機感を強調して、引き締めをはかるのはそういう事情があるからだろうか。
(この点で比較すると、日本の1950年代から70年代初頭までの高度成長は、同時に所得格差が縮小したと言う点でユニークだった。)
 
う~ん、強固な支配を維持してきた共産党独裁体制が早晩崩壊するようなことは、やはりちょっと想像しがたい。しかし、ソ連邦のあっけない崩壊も予想しがたいことだった。 1997年7月にタイのバーツが暴落してアジア通貨危機が始まったが、翌年にはそれがロシア危機、ヘッジファンドLTCM破綻、中南米危機に帰結するとは、やはり97年7月の時点では予想し難かったしね。
 
なにしろ先日話題にした経済物理学の先生が説くように「臨界状態」ではちょっとした偶発的な刺激でも相変化が起こるのだから、このアナロジーで考えるとチュニジア、エジプトの変化(刺激)の最終帰結が中国の政治的な大変動であっても不思議はないことになる。(そうなるという必然性もないが)
 
なんて考えていたら、とても小口なんだが、2001年のITバブルの崩壊の後に買って長いこと持っていた中国株の投資信託を売っておこうかなという気分になり、今日解約注文を入れた。まあ、私の資産ポートフォリオの1%に満たない小口なんで売っても売らなくても大差ないのだが、気持ちの問題ね。