8月の初旬に家族で京都の渓谷「保津川下り」を楽しんだ。手漕ぎの船に15名ほどのり込んで、船頭さんが3人で交代で漕ぎながら、舵を取り、渓流をくだる人気イベントだ。
 
乗船した時に、「なんでライフジャケットの着用を指示しないんだろう?」と思った。というのは、アジアなどの海外で経験したマングローブ・クルーズとか同様のツーリスト用のイベントは、どこでもライフジャケットの着用が気味だったからだ。
 
「船が転覆したら、泳ぎが苦手な人と体力の弱い老人と子供は高い確率で死ぬな・・・」と思いながらも、渓谷の景観を楽しんで来た。
 
今回の死者2名、行方不明3名の事故を起こした「天竜川下り」も、私が京都で経験した保津川下りと、ほぼそっくりのイベントである。「1万回に1回は船が転覆する確率がある」という想定が働いていれば、ライフジャケットの着用は必須だったはず。
 
ライフジャケットは着心地の良いものではないから、お客がちょっと嫌がるかもしれない。しかし万一の事故が起こった場合の観光事業への打撃を考えれば、業者の立場としてもライフジャケットの着用を指示することが合理的必然というものだろう。
 
ユーザー(お客)は「安全は業者が100%確保してくれているはず」と思い、業者は「転覆なんて事故は万に1回も
起こさない」と妙な思い込みをしてしまう。その結果、生まれるのは「安全と水はただ」(「日本人とユダヤ人」イザヤベンダサン、1971年)と思い込む日本社会における、安全神話の崩壊だろうか。
 
あれっ、これって原発事故の構図と同じ・・・・。
そうだな、しかも日本人の投資リスク嫌いの性向とも関わりがありそうだな。安全を求めるうちに、危険確率の存在自体を否定してしまう性分。そして事故や暴落が起こると「絶対安全でないと許せない!」と感情的に拒否する性分だね。