さて先日は、資本、あるいは生産要素一般の国際移動と比較優位・劣位で成り立つ自由貿易論の命題の関係について論じた。残った問題についても手短にふれておこう。質問者さんは「三橋貴明ブログ」に基づいて、以下の点について私はどう考えるかとご質問をされたのだったね。
 
「比較優位論は、以下の三つが成り立たないと巧くいかない。
セイの法則:供給が需要を産み出す(逆じゃないです)
完全雇用
資本移動の自由がない」
 
この点について「三橋一門」の方々は、木下栄蔵氏の以下の著作を引き合いにしている(というか唯一の根拠らしい)ので、まずその著書への私の見解は以下の通り(アマゾンレビューに掲載済み)。
 
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「ちょっと期待して読んだのですが、期待はずれでした。「主問題経済vs双対問題経済」と経済の局面を対照をなす2つの局面に分けて考えるのは、理解できます。要するに経済成長局面と不況・恐慌局面では経済主体の行動選択の優先順位が異なっていることを指摘しているわけです。しかし、そこで展開されるのは、古典派、あるいは新古典派に対する過去の通俗的なケインジアン経済論の繰り返しに過ぎません。

 自由貿易が経済全体の富を最大化する論拠であるリカードの比較優位・比較劣位の考え方は、経済成長局面では成り立つが、不況局面では成り立たなくなるという主張は、どう読んでも説明不足で、納得できませんでした。そこから導かれる政策的主張として不況時には関税を引き上げて保護主義(鎖国)に走ることが合理化されています。本気か?いや正気でしょうか?各国が保護主義に走れば、世界経済はますます萎縮する「合成の誤謬」に陥るだけでしょう。

 最後に今回のバブルと金融危機は、金融工学がもたらした災いであり、金融工学の発展を可能にしたのはコンピューターであるから、金融危機の根本的な原因はコンピューターの父、ノイマンにあるという議論が展開するに至っては、トンデモ論ではないでしょうかね。 」
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 古典派が、セイの法則(供給=需要の想定)、完全雇用を前提としている点は、経済学史の常識だから、言うまでもないだろう。これは後にマルクスとケインズがそれぞれ異なった視点とアプローチで批判することになる。
 
 複数の生産要素を前提として比較優位・劣位に基づく貿易論を展開したヘクシャー・オリーンも新古典派だから、同様だ。先日紹介したクルーグマンはケインズ学派、ないしはネオ・ケインズ学派だから、HOの定理については、テキストのなかでかなり批判的にとり上げている。

 ひとことでいうと、古典派にしろ新古典派にしろ、彼らのモデルが現実に対する一定の適合性を持つのは、長期的な均衡状態、すなわちGDPギャップもなく、完全雇用であることは、今さら議論の余地もないくらい、経済学の常識だ。
 
 現代の標準的な経済学者(そうでない方もいるだろうが)は、短期・中期のタイムスパンでは、経済はそうした長期的な均衡状態から乖離するし、従って金融政策や財政政策の発動の必要があることを率直に認めている。クルーグマンはその代表的な存在だ。
 
 すでに前回ふれた通り、現実の経済は動的であり、資本、労働を含むを生産要素も国際的に移動し、各国の比較優位・劣位の構造は長期的なタイムスパンで変化する。従って産業構造は変化し続けないと、完全雇用を含む長期的な均衡状態も実現できない。
 
 しかし産業構造の変化は産業間の経営資源や労働者の移動に時間がかかるため、摩擦的な失業などを生み出す。従って、産業構造の変化を促進する政策はやはり必要である。それは衰亡する産業をそのままに維持しようとする保護主義的な産業政策とは全く反対の政策になるのが道理だ。
 
 日本の農業についてはそうした政策を長く怠って来た。そのために低生産性、小規模、高齢化という状態に陥っていると言えるだろう。農業政策の180度転換を期待したい。
 
補足:
 ケインズは古典派のレッセフェールを批判したのだが、以下のケインズの著書を読むと、その批判の矛先はスミスやリカードではなく、その後の亜流の学者に向けられている。
「ケインズ説得論集」2010年、日本経済新聞出版社、山岡洋一訳
 
 この著書の第3章「自由放任の終わり」が興味深い。ケインズは政府は経済過程にできるだけ介入せずに「自由な市場のメカニズム」にゆだねておくのが最良の策であるという自由放任の原理を批判するわけであるが、ここでケインズはアダムスミスを含む古典派経済学者の批判ではなく、逆に再評価を展開している。
 ケインズは自由放任(レッセフェール)について、「(アダムスミスなど)偉大な経済学者の著書にはそのような教義は書かれていない。偉大な学説を平易に解説して通俗化した著者らが論じた見方である」と批判する(p179)。「レッセフェールという言葉は、アダムスミスやリカード、マルサスの著書では使われていない。自由放任の考えすら、教条的な形ではあらわれていない」(p181)と述べている。
 
竹中正治HP
 
追記:10月30日(日曜日)本日の日経新聞、TPPの参加の是非をめぐって伊藤元重教授と山田正彦(前農相)が議論している。参考になる。以下一部引用
 
記者:TPP参加で日本を改革するという考えについてはどうですか。
 山田 それは間違いだ。日本の工業品や農産物の関税はすでに低く、TPP交渉を主導する米国は日本に対して関税引き下げより、金融や保険、医療などの市場参入を狙っている。
 とくに公的保険の対象外の医療を受けやすくする混合診療を強く求めている。公的な皆保険制度を崩壊させ、米保険会社の民間医療保険を広げる突破口にしたいと思っている。政府調達の開放が進めば地方の建設会社も打撃を受ける。
 記者:混合診療や医療制度は交渉の対象外です。米国がやりたいことを押しつけてくるというのは短絡的ではないですか
 山田 そうではない。自由競争のルールが決まると米国の民間医療保険を入れなければならなくなる可能性がある。米国と自由貿易を進めるのならTPPでなく2国間の自由貿易協定(FTA)ですればいい。日本の制度を守りながら関税交渉ができる(それをやってこなかった、反対して来たのはあんたらでしょうが。竹中)。
 伊藤 米国の思い通りになるというのは、あまりに単純な考えだ。米国の医療制度は世界のなかでも非常に特殊で、米国自身が今の医療制度をよいと思っていない。世界に広がるはずがない。TPP交渉は日本にとってどのような制度がよいか、オープンの場で議論する好機にもなる。交渉の入り口でやめてしまうのは、将来に禍根を残す。
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野田首相はAPEC会合で参加表明の意向だとか。これはどこの国でも起こることだが、自由貿易派と保護主義派に分かれた政治対決が先鋭化するだろうな。この先の展開が楽しみになって来た。むろん、私は原則的な自由貿易派である。