「複雑系」に関する書籍は過去何冊か読んだが、これが一番わかり易くて、かつ同分野の最前線の研究動向を一般人にもわかるように解説している。知的な興奮を味わった。
 
複雑で単純な世界(Simply Complexity)」(ニール・ジョンソン著、インターシプト、201112月)
 (例によってアマゾンには短いレビューを書きました。良かったら「参考になった」をクリックお願いします)
 
以下、ちょっと長くなるが、自分自身の記録目的も兼ねて、関心個所に絞って要約、紹介しよう。
 
複雑系科学とは、相互作用している多数の要素の集合で生じる現象(創発現象)の研究だ。人文現象としての「群衆行動」はその一例だ。 この創発現象の予測と制御方法を解明する糸口が研究のフロンティアで見え始めているという。
 
しかも相互作用をしている単位(個人、ウイルス、分子、量子など)の完全な知識はなくとも、かなり単純な想定の下に複雑な創発現象(例えば株式市場のバブルや暴落)を説明するというアプローチは、従来の還元主義的なアプローチとは対局的だ。還元主義的なアプローチというのは、現象を構成単位に分解して、それらのミクロの振る舞いの特性から全体を説明しようとするアプローチであり、経済学でいうとミクロ経済理論だ。
 
市場現象への適用
標準的な経済学では例えば市場価格(相場)の変動はランダムだと想定する。しかし現実は完全にランダムではなく、無秩序(カオス)とある程度の秩序の間を揺れ動いていることが、観測結果としてほぼコンセンサスになっている。
 
ここで言う「秩序」とは市場関係の一般用語としては「トレンドを形成する変動」という意味であり、なんらかの時間単位で計測すると一時点の前の変化とその後の変化に相関性が生じることだ(つまり上がり続けるトレンド、あるいは下がり続けるトレンド)。
 
このトレンドが見られることを「秩序ポケット」が生じると複雑系研究者らは言っている。 実際の相場は、ランダムに思える上下動と、トレンドのある動きの二つの間を揺れ動くという。これはランダム・ウォークの仮定よりも、相場関連の実務をやってきた人間の現実感覚とよく一致する。
 
フィードバック機能がポイント
このような秩序ポケットが生じる原因は、システムにフィードバックがあるからだと言う。そこまでは私もこの本を読む前からわかったつもりでいた。弊著にも書いたのだが、私も相場現象は「下がったら買う、上ったら売る」というネガティブ・フィードバック(変化の安定化)と、「下がったから売る、上ったから買う」というポジティブ・フィードバック(変化の累積)の2つがせめぎ合う場だと理解して来た。
 
そしてふたつの対立するフィードバック機能が拮抗している場合には、相場は比較的狭い範囲でランダムな動きとなり、なぜか拮抗が崩れてポジティブ・フィードバックが強まると、上げトレンドや下げトレンドが生まれると理解できる。しかし、なぜある時その拮抗が崩れて片方が優勢になるのか、その仕組みをどう理解すれば良いのか分からなかった。
 
著者はそれに対して、ひとつの回答を提供している。まずランダムと秩序ポケット(トレンド)の相場状態をどのように識別するかというと、上がれば1、下がれば0と判定した場合、特定のタイムスパンでは (1)起点から上って終わる場合、(2)下がって終わる場合、(3)同じ水準で終わる場合に分かれるが、ランダムの場合はデータを十分に増やすと結局0.5に収束する。上るか下がるか完全な秩序(トレンド)がある場合は1(上る場合)か0(下がる場合)になる。
 
従って十分な観測データの下に0.51.0の間の値が計測されれば、それはランダムと完全な秩序の中間の状態が検証できたことになる。そして相場現象を始め社会・経済現象や自然現象の多くが、この中間域であることを示すと言う。
 
金曜日バーに行くか行かないかの選択モデル
ここで著者が提示モデルは「金曜日のバーに行くか行かないかの選択」である。バーには定員があり、定員以下なら金曜日に楽しく過ごすことができるが、定員オーバーだと窮屈で不快な思いをするので来ないで家にいた方が良かったということになる。バーの状態を事前に知り得ない(不確実性)とすると、プレーヤーはどう行動するか? 
 
この場合、結果は4通りに分かれる。(1)バーに行って空いていた、(2)混んだバーに行かなかった、この2つが成功。(3)バーに行って混んでいた、(4)空いていたのにバーに行かなかった、この2つが失敗である。失敗と成功の効用は同じ程度のプラスとマイナスだとしよう。
 
それを単純なモデルにすると、過去一定の連続回数(例えば2回)バーに行って空いていた(あるいは混んでいた)経験をすると、ある選択は「また空いている(あるいは、また混んでいる)」と予想して、同じ行動を繰り返すもので(トレンド志向)、これをp=1とする。反対に同じ経験を連続ですると「次は反対だろう」と予想して反対の選択をするで(逆ばり志向)、これをp=0とする。そしてその両方の間で気まぐれに揺れ動く選択(気まぐれ志向)はp=0.5とする。これが過去の経験からのフィードバックを受けたプレーヤーの戦略となる。プレーヤーはp値で示される戦略を経験を繰り返しながら修正することができる。( )の命名は私がしたものだ。
 
この想定は既にミクロ経済理論家が一般に嫌う傾向の強いバックワード・ルッキングな反応だ。多くのミクロ経済理論家は、経済主体は合理的にフォワードルッキングな予想に基づいて選択すると想定したがる。しかし未来を予想する適切な情報を欠いている不確実性の下では、私達は多くの場合バックワード・ルッキングな予想と選択を行うというのが現実に近いと思う(これは私の補足コメント)。
 
トレンド派と逆張り派に両極化する
興味深いことに、0から1までの様々なpの値の仮想プレーヤーを想定してシミュレーションを繰り返すと、p=0p=1の選択が最も失敗する確率が少なく、プレーヤーの分布はp=0p=1に両極化し、中間派は減少するという。つまり、トレンド志向派と逆張り派に2極化するという。(著者・訳者はトレンド志向派を「群衆」、逆張り派を「反群衆」と書いているが、私の用語の方が分かりやすいだろう)
 
なぜシミュレーションを繰り返すと2極化するのかについて、著者はプレーヤーが3人のケースで説明している(p136)。人数をもっと増やした場合で厳密な説明をすると数理的に難しくなり過ぎるのだろう。この辺は一般書の限界でやむを得ない。
 
しかし私なりに見当をつけると、こういうことだろうか(正確ではないかもしれない)。両極のグループと気まぐれ志向派が併存する状況で、気まぐれ志向派がバーに行く場合は、その結果バーに行く人が増えるので、混んでいるバーに行ったという失敗を自己実現する可能性が高くなる。また、反対に彼らがバーに行かない場合は、その結果バーに行かない人が増えるので、空いていたバーに行かなかったという失敗をやはり自己実現する可能性が高い。この結果、気まぐれ派は次第に自分の判断基準p10の方向に修正することを余儀なくされ、両極化する傾向が生まれる。
 
この研究結果は、現実の相場と投資家行動でも、トレンド追随派と逆張り派に分かれることと整合しており、非常に興味深い。ちなみに私は典型的な逆張り派である。著者はこうした2極化は、ランダムな状態の中からあるパターンが生じるという意味で典型的な創発現象だと言う。
 
相場現象に出てくるポジティブ・フィードバックはトレンド派の行動によるものであり、ネガティブ・フィードバックは逆張り派の行動によるものだと理解すると、拮抗する2つのフィードバックの原因が納得できる。
 
バブルと崩壊という創発現象の解明と予想可能性
さて、バブルやその崩壊などで生じる強いトレンド相場は、対立する2つのフィードバックのうちポジティブ・フィードバックが優勢になる結果だと考えられる。従って、上記の2極化がアンバランスになることを意味する。どのような場合にそれが生じるかについて、著者はプレーヤー取り得るp値(戦略)に制約が加わると(「フラストレーション」と呼ばれる)2極のバランスが崩れると言う。
 
これを現実の相場現象のバブルやその崩壊においてどう具体的に解釈すれば良いのか? まだちょっとわからない。とりあえずの私の考えるところでは、金融緩和などで信用が膨張して、運用を求める資金は莫大にあるにもかかわらず、それを吸収するだけのインカム・リターンを生む金融資産が十分にないような状態は、もしかしたら著者の言うフラストレーションの一種だと言えるのかもしれない。その場合、投資家はキャピタル・ゲイン志向を強め、トレンド派が優勢になるのかもしれない。
 
追記(2012年1月19日):2つの対立するフィードバックの拮抗(あるいは均衡)を崩すフラストレーション状態(プレーヤーの取りえるp値が制約される状態)は、大きな損失の発生時に損失を抱えたプレーヤーが損切りを事実上余儀なくされることでも生じると思いついた。つまり出資者の資金引き揚げや融資の打ち切りにより、「ここは割安だから買いたい」と場合でも、それができずに損切りの売りを迫られるプレーヤーがある程度の規模で生じると、2つのフィードバックの拮抗は崩れ、暴落トレンドとなる。
 
さらに著者は複雑系の制御可能性に関する最新の研究を紹介している(p139p149)。手短に言うと制御については、大きな調整力でなくてもタイミング次第でその後のコースを変えることができる可能性を示唆している。
 
さらに6章の「金融市場の動向を予想する」では、有限の資源(富)を多数のプレーヤーが各自より多く獲得しようと競争し合い、様々なフィードバック・ループが形成されている金融市場は、まさに複雑系のアプローチに最適な対象だと言う。
 
そして自然現象との相違は、いかなる予想モデルも広く知られ利用されることによって予想の自己否定が起こるという、私も著書で強調している点を述べている。ならば、そうした環境でどのように「予想」が成り立つのだろうか?
 
それに関する本格的な説明は著者らによる学術書“Financial Market Complexity”を読む必要があるとのことだが、相場環境の変化を反映して、予想自体が時間の経過とともに変化してゆく可変的なモデルなのかもしれない。
 
また「暴落の分類学」(p185)では、「暴落は相対的に無秩序な状態から秩序ポケットが出現する典型的な例」だと言う。そして最近の研究成果によると、無秩序(ランダム)な状態から暴落(下落トレンドと言う秩序)に移行する場合には、市場の将来の動きを予測する通路(経路)は非常に狭くなり、予測可能性が増すという「予兆」が現れるという。それが確かならば、その実践的な有効性は計り知れない。
 
以上、人文現象から自然現象まで多岐にわたっている本書の内容を、金融相場現象にやや絞って要約した。学術書“Financial Market Complexity”をどうやら読む必要がありそうなので、ちょっと高いけど注文した。あまり方程式が乱舞している内容じゃないと良いのだが、まあ春休みのお勉強にしようか。