竹内洋「革新幻想の戦後史」(中央公論社、2011年10月)は、類稀な戦後思想史だ。
(例によって↑アマゾンにレビュー(一番最新のレビューです)を書きました。よろしければ「参考になった」をクリックしてください。)
 
戦後の論壇、アカデミズム、教育界を覆ってきた左翼思想的なバイアスを批判的な視点で論考の対象にしているのだが、著者自身の思索・思想の遍歴と重ね合わせながら展開している点に惹かれる。
 
著者は1942年生まれ、京大を卒業して一時ビジネスに就職したが、大学に戻り、社会学を専門にした教授になった。 人生も終盤に差し掛かった著者が自身の思想的な遍歴を総括する意味も込めて書かれている。
 
著者自身が学生時代には、当時の大学、知識人(あるいはその予備軍としての大学生)の思想的雰囲気を反映して、左翼的な思潮に染まるが、やがて懐疑、再考→「革新幻想から覚醒」のプロセスを歩む。
 
私は著者より一世代若いので大学生時代は1975-79年であり、既に時代は左翼的思潮の後退、衰退期に入っていたが、私自身は左派的な思潮に染まったほとんど最後のグループだったと思う。既存の大人社会をそのまますんなりと肯定的に受け入れることができない若者の常として(常だよね?)、既存の体制をラディカルに批判する体系としては、マルクス主義を軸にしたものしか同時なかったので、自然と傾倒したのだ。
 
だから私はマルクス経済学を中心に左派の文献をかなりマジに勉強した。また、社会主義的な左派ではないが、リベラル派としての丸山真男などの主要な著書はほとんど読んでいる。その時代の勉強は今でも下地に活きていると感じているが、そのまま受け入れているわけでもない。
 
そのため著者自身の思想的な遍歴は、私自身にも共通する部分があるので、共感著しい。著者が学生時代に読んだ代表的な文献も私自身の読書経験と重なる部分が多い。
 
1章は佐渡島での北兄弟(兄、北一輝)の話からやや冗長にスタートするが、丸山眞男の敗戦後の日本の知識人を支配した「悔恨共同体」情念の指摘に対して、もうひとつの「無念共同体」の情念があったことを語るあたりから一気に面白くなる。
 
そして1960年代の高度成長を経て、70年代以降は「花(理念)より団子(実益)」の情念に移行していくことで、悔恨共同体も無念共同体も風化し、理念なき方便が蔓延る戦後日本の曖昧さに至るという総括は、とても納得できる。
 
社会主義が現実としても理念としても崩壊した今日、昔の左翼は環境問題やフェミニズム、教育などのの領域に雌伏していたが、近年は所得格差批判などで少し息を吹き返している感もある。
そうした最近の事情も念頭に、戦後の左翼思潮(「進歩派」まで含む広義の左翼思潮)を批判的に再考する有益な一冊だ。