快感回路(The Compas of Pleasure)」(Daivid J Linden、河出書房新社、2012年1月)は、かなり面白かった。(↑例によってアマゾンにレビュー書いています。よろしければ「参考になった」クリックしてください。)
 
筆者は米国ジョンズ・ホプキンス大学の神経科学者だ。人間の「快感」という感覚は脳内のどういう変化によって生じているのかを一般人にも分かりやすく説明しながら、脳科学の最先端の研究成果を紹介している。
 
以前紹介した「複雑で単純な世界」もそうだったが、サイエンス・ライターではなく、その分野の一流の研究者が、わかりやすく一般向けに書いてくれる本というものは有り難い。
 
サイエンス・ライターもぴんきりだが、俗流なレベルのものも多いからね。もっとも科学的な知見を一般向けに分かりやすく書くと言うのは、専門研究とはまた違った能力と努力が要求されるもので、誰でもできるわけじゃない。
 
私が面白いと引きつけられたのは、行動経済学などで紹介されている行動心理学的な実験で明らかになってきているヒューリスティックなバイアスの根本原因は、やはり人間の脳の仕組みに根ざしているわけで、脳科学がそれを解き明かしつつあるようだからだ。
 
脳には解剖学的にも生化学的にも明確に定義される「快感回路」(報酬系)があり、この回路が興奮する時に私達は「快感」を感じている。この脳の一群の領域は、内側前脳快感回路と呼ばれているそうだ。その中で最も重要な部分は腹側被蓋野(VTA)と呼ばれている。
 
脳の当該部分が「興奮する」というのは、シナプス小胞に蓄えれらていた神経伝達物質ドーパミンの放出が促進されることだ。
 
人間に特徴的なことは、この回路は固定的ではなく、経験(学習)を通じて持続的な変化を起こす。従って、記憶と快感は密接に結びついている。そして、著者の大きな感心は様々な依存症に向けられるのだが、依存症もこの脳内回路の持続的な変化として生じると言う。
 
「私達人間は、本能から離れた全く任意の目標の達成に向けて快感回路を変化させ、その快感によって自らを動機づけることができるのだ(p11)」 この一文は、人間の本質(少なくともその一面)に関する著者の洞察を要約している。 言い換えれば「習慣とは第2の天性である」ということわざは、脳の構造に根ざした真実であるということだろう。
 
ヒューリスティックなバイアスが脳内部の生化学的な変化として、検証されているという点について紹介すると、例えば脳はある種の不確実性やリスクに快感を感じるようにできているそうだ(p153)。そして進んでリスクをとろうとする神経系は進化上適応的だったという仮説が紹介されている。狩猟に特化したオスの方が、採集するメスよりもリスクをとることに適していた可能性があり、ギャンブル依存症が女性よりも男性にずっと多いことと一致する。 
 
そうだね、社会・文化的要因ももちろん排除しないが、有名な(あるいは悪名高い)投機家は男性ばかりだね。女性では思いつかない。
 
そしてサルの実験によると、サルはエサなどの生存上直接的な有用性のある報酬だけでなく、抽象的な情報そのものからも快感を得ることが確認されているという。従って人間もそうだろう。「抽象的な心的構成概念が快感回路を働かせられるようになっている(p192)」 
そりゃ、よくわかるよ。 お気に入りの野球チームが勝って狂喜するファンとか、私達の日常でありふれたことだからね。
 
そこからさらに発展すると「観念」は依存性薬物と類似した働きもすると指摘する。これは重要な指摘だ。宗教でもイデオロギーでも自分が帰依している観念に対する執着が、時に非合理的なレベルまで嵩じることも、よくあることだ。
 
「経験により脳内の快感回路を長期的に変化させる能力のおかげで、人間は様々なものを自由に報酬と感じることができ、抽象的観念さえも快いものにできる。人間の行動や文化の多くはこの現象に依存している。しかし残念なことに、その同じプロセスが快感を依存症へと変化させてしまうのである。(p195)」 
 
著者は依存症を「快感のダークサイド」と呼んでいる。 ジェダイのフォースと、シスのダークサイドのパワーは表と裏、ポジとネガのように一体不可分の関係にあるということだ。
映画マトリックスでも、ネオとスミスの関係がポジとネガの関係にあることが強く示唆されていたことを思い出すね。 このモチーフは神話や伝説でも、繰り返し登場するものだが、実は人間の脳の構造・働き方に根ざしたものだったんだ・・・というようにも解釈できる。