先日紹介したスティグリッツ教授と並ぶアメリカのリベラル派を代表する経済学者、ポールクルーグマンの
“End This Depression Now(さっさと不況を終わらせろ)”を読んだ。大学が夏休みに入って時間ができたので、今回は英文で読んだ。
"End This Depression Now" 2012
日本語訳「さっさと不況を終わらせろ」(早川書房、2012年7月)
スティグリッツ教授のThe Price of Inequalityに比較すると、内容の要約がずっと簡単だ。要するに、不況下ではマクロの需給ギャップが需要不足、供給力超過になっているのだから、この需要不足が解消するまで財政赤字を拡大して政府の財政支出拡大による不況対策をすることが経済政策として正解であり、なんらためらうことはない。これに尽きる。
クルーグマンの著作で過去2度登場し、私も弊著「なぜ人は市場に踊らされるのか?」で引用させて頂いたベビーシッター協同組合の話も出てくる。ただし10年前までの論調とは異なり、中央銀行が政策金利をゼロにしても、マクロ的な需要不足を解消するに十分でないのだから、政府の財政支出拡大で対処するしかない、という点に政策主張の重心が移っている。
また、これも以前紹介したハイマン・ミンスキーの金融不安定性原理を紹介し、資本主義経済が内在しているバブル形成と崩壊を繰り返す内在的な不安定性を問題にしている。クルーグマンによるとミンスキーはメイン・ストリームの経済学者ではない傍流的な存在で、生前は十分評価されたとは言い難いが、今次の金融危機と不況を経て、ミンスキーの著作を読む経済学者が増え、自分ももっと早く彼の著作を読んでおけばよかったと後悔しているひとりだとのことだ。
「金融不安定性の経済学」邦訳 多賀出版 1989年
私もミンスキーのこの古い本を買って読んだのは昨年から今年にかけてだ。好況下で経済主体のファイナシャル・レバレッジが次第に拡大し、それが資産価格の上昇をもたらし、最終局面でバブルとなる。しかし実体経済から合理化できる範囲をはるかに超えた資産価格の無限の高騰は不可能だから、どこかで価格下落に転じる。それが「ミンスキー・モメント」だ。
そうなると、それまでの過程と全てが逆に回転し始める。投資家は資産の売りを急ぎ、レバレッジを低下させようとし、それがますます資産価格の急落を引き起こし、返済不能債務の山が生まれる・・・・
今からこう言えば常識的なバブルとその崩壊の叙述に過ぎないが、ミンスキーは80年代にそうした経済・金融観を理論化していたという点で先見性がある。
クルーグマンの主張に戻ると、ちょうど10年ほど前に、野村証券のチーフエコノミストだった植草氏(のぞきスキャンダルで大失態を演じた方)やリチャード・クー氏が、徹底的な財政支出拡大による不況脱出、成長軌道への回復を唱えていたことを想起させる。これに対して、日本では「構造改革」の主張が対峙したしたわけだね。
クルーグマンと保守経済学者の対立点は、極めて単純だ。保守派が完全雇用が実現されるはず(あくまでも「はず」)の長期のタイムスパンを想定して、財政による景気刺激の無効性を説くのに対して、クルーグマンは完全雇用が実現されていない(すなわち需要不足・供給力超過が存在する)短期・中期のタイムスパンで財政による景気刺激の有効性を説いている。
これって1930年代のケインズの「一般理論」が書かれた当時の対立軸と全く同じだ。クルーグマンに言わせれば、経済学は1970年代以降、保守派(新古典派、彼は「真水学派」と言っている)の反動革命で先祖返りしていたということだろう。
累積する政府債務は問題じゃないの?
短期・中期のタイムスパンで、財政支出の拡大に景気回復効果があることは、私にとっても異論のないところだ。しかしその結果、累積してゆく政府債務は問題ではないのだろうか?もちろんクルーグマンもそれが問題ないと言っているわけじゃない。
引用:「そうだとしても、将来に残してしまう政府債務について心配しなくて良いのだろうか?答えは、はっきりと『心配すべき問題である。しかし・・・』だ。私達が今積み上げている政府債務は、私達が金融危機の後で対処しなくてはならないものであり、将来の負担となる。しかしこの負担は財政緊縮論者が言うよりもずっと軽い。(p141)」(訳:竹中正治)
なぜ軽くて済むかと言うと、財政政策を契機に名目での経済成長率が回復し、それが長期に持続することで、名目GDPに占める政府債務比率は、いったんは上昇しても、再び低下することが見込まれるからだという。ここでクルーグマンが紹介しているのは、いわゆる財政学でいうドーマーの定理で、名目成長率が政府債務の金利を上回れば、名目GDPに対する政府債務比率が低下する効果を言っている。(もっとも国債金利の方が名目成長率より低くなる保証はないはずだが・・・)
実際、そうしたことが生じた事例として、第2次大戦中の軍需拡大で景気、雇用が」回復する一方で政府債務のGDP比率も100%を超えたが、戦後には大不況に陥ることなく、50年代~60年代に良好な経済成長が続き、政府債務比率も低下したことをあげている。つまり、政府の財政支出の拡大で十分に景気が回復した後は、政府の需要から民間の需要へのバトンタッチが行なわれ、経済は成長軌道を続けることができるという主張だ。
クルーグマン教授の主張の弱点
しかしこの点で、クルーグマンの主張は楽観的過ぎるかもしれないという弱点を見せていると思う。日本の経験では、90年代からたび重なる財政による景気刺激を繰り返してきたが、政府債務がGDPの200%まで膨張しても、民間需要の自律的な拡大で安定的に2%程度の経済成長が実現できない状態が問題になってきたのだ。
戦中から戦後への移行期の米国の事例は、たしかにひとつの事実ではあるが、米国経済の今ある条件が当時と同じである保証はない、というか、米国の人口動態、技術的面での相対的な優位性など、どう見てもかなり違っている。とりわけわかりやすい人口動態は、戦後のベビーブームの環境から、ブーマー世代の引退へと様変わりしている。
やはり短期・中期の時間軸で財政による景気刺激策を行なうと同時に、長期的に財政不均衡をバランスさせるプランが必要だ。そうでないと、将来世代は累積した負の遺産によって成長力をそがれるだろう。
現在の財政赤字が循環的な要因によるものだけでなく、構造的な歳出・歳入不均衡によるものである場合、これは必然的に将来の増税か歳出削減、あるいはその双方になる。
さらに長期的な経済成長を実現する教育から各種イノベーション、規制改革などの総合政策が必要なんだと思う。クルーグマンも、財政による景気刺激だけで良い。そういうことは不要だ、と言っているわけではない。ただしそうした政策の全体像の提示があるという意味で、ここでは前回紹介したスティグリッツ教授の著作により高評価を上げておこう。
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