戦後金融史の闇、信託銀行のファントラ

山崎元さんが、ダイヤモンドオンラインで日本のバブル期(1980年代後半~90年代初頭)の信託銀行のファンドトラスト(略称ファントラ)について書いているから、知らない若い世代はテイクノートしておこう。大学のアカデミズムの先生が書くような金融史には過去も未来もおそらくきちんとは書かれないことだろうからね(以下サイト)

http://diamond.jp/articles/-/23570

当時の金融業界では公然の秘密だったが、利回り保証も事後補填も禁止されていたはずの一任勘定の資金運用、ファントラで信託銀行は顧客企業に「利回りを約束した念書」すら差し出しながら、運用委託を契約し、さらにはそのバックファイナンス(運用委託企業への運用資金の融資)までしていた。
私は1985年から87年7月まで東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)の大阪支店の法人営業をしていたのでよく知っているが、関西系のS銀行などはメイン先の大手メーカーの金融子会社に固定利回りの融資と利回り保証のファントラの両建て取引で、バンバン残高を積み上げていた。結局、株式下落による利回り保証の破綻でこの金融子会社は立ち行かなくなった。これは極端な例ではなく、極めて一般的な事例だ。

顧客企業としては「間違いなく利鞘が稼げる契約」だったが、株式バブル崩壊で信託銀行は約束の利回りを実現できなくなっって損失が顕現化した。

損が生じた企業(商社やリース、ノンバンク、大手企業の金融子会社が多かった)が約束違反で訴訟に持ち込もうにも、そもそも「念書」自体が不法だから、法的訴求力がなく、「そんな不法運用をやっていたのか」と世間に糾弾されるだけだから、多くの場合訴訟にはならずに、損失は様々な形で償却された。

バブルは単なる金融緩和だけでは生じない。サブプライムのように、たいていグレーか、ファントラのように「黒」の取引の横行が併存するね。歴史は将来も形を変えて繰り返すよ。

引用:「信託銀行の「握り」や、その実現のための広範な顧客資産
間の損益の付け替え行為は、当時も違法であり、国会でも少しだけ問題にされかけたことがあるが、証券会社の損失補填ほど世間的には大きな問題にならなかった。

この問題を取材していたある金融ジャーナリストから、「信託の問題はまともに取り上げると問題が大きすぎるとして、当時の与党の大物政治家と金融監督当局がこの問題を大きく取り上げないと決めてもみ消した」と聞いたことがあるが、深層は藪の中だ。」
 
 
竹中正治HP
http://masaharu-takenaka.jp/index.html (←ホームページ、リニューワルしました(^^)v)
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