本日(11月18日)の日経新聞「経済史を歩く~日米自動車摩擦(1995)~」
この時代を知らない若い世代には読んで知っておいてもらいたい内容だ。
以下に一部引用しておこう。顔文字は私の添付。

引用:「ホワイトハウスから3ブロック離れたオフィスビルに、日
本自動車工業会のワシントン事務所がある。そこに1本の電話が入ったのは1994年9月21日のこと。
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電話の主は米通商代表部(USTR)代表のミッキー・カンター。 「米国から日本車を全部締め出す。代わりに日本から米国車を締め出せばいい<`ヘ´>」などと一方的にまくし立て、最後は電話をたたき切った。

同事務所の所長代理だった岩武俊広は、電話を受けた上司の困惑ぶりを今も覚えている。「米国の閣僚が外国の団体に電話して直接文句を言う。こんなことが本当にあるのか」という驚きだった。(゜o゜)
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とりわけ強硬だったのは冷戦後に登場したクリントン政権だ。90年代半ば、通商産業審議官として対米交渉に携わった坂本吉弘は「覇権国は自分の覇権を脅かす国にことさら厳しい。ソ連崩壊後は通商上の仮想敵として日本の存在感が増大した」と振り返る。
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なんともきわどい合意だったが、米国事業を拡大するという日本企業の計画は空手形ではなかった。「米国のよき企業市民になる」を合言葉に現地生産や雇用を拡大。米市場でのシェアはさらに伸び、ビッグスリーを追い詰めたが、日本車たたきの風潮は下火になった
(^^)v」
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安全保障条約を結んでいる日本が米国の「仮想敵国」になるはずがないのだが、記事に書かれている通り「通商上(経済競争上)の仮想敵国」にされてしまったことは事実だ。
今の米国はその矛先を中国に向けようとしている。中国の場合は同盟国ではないので「経済競争上」にとどまらないだろう。 

ただ、中国からの輸出は、その半分以上が中国に進出した米国や日本を含む先進国の外資系企業(含むJV)だから、この点が利害関係を複雑にしている。GMなんかは中国でのシェアーが大きいので親中だからね。

歴史を振り返ると、超大国(帝国)というのは、それが繁栄している時代には概ね理性的で寛容だったりする。 しかし自分の存亡が脅かされていると感じると、「手段を選ばず」の挙に出る。予想外の「反則技」だって使う。 それが1970年代後半から90年代半ばにかけて日米貿易摩擦として起こったわけだ。
 
ところで、この記事、最後の締めくくりがとてもよい。
 
追記:
90年代半ば頃までのワシントンDCは、政策シンクタンクやロビースト界には米国側の資金と日本側の資金(防衛の戦い)が流れ込み、日米貿易問題をテーマにすると人と金が集まり、この問題にかかわっていた人々は「ウハウハ」だったようです。私が赴任した2003年には、既にそういう「飯の食い方」はできなくなり、代わって9.11で安全保障問題やテロとの戦いが大きくクローズアップされ、90年代にウハウハしていた人々はちょっとさびしそうでした。
 
竹中正治HP
http://masaharu-takenaka.jp/index.html (←ホームページ、リニューワルしました(^^)v)
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