本日3月10日は東京空襲から69年めだから、弊著「なぜ人は市場に踊らされるのか」(2010年、日本経済新聞出版社)の終章にかいた岸恵子の空襲体験談を以下に引用しておこうか。
 
「生死を分けた女優岸恵子の空襲体験
 戦後の大女優、岸恵子の半生をとり上げたドキュメンタリー番組をテレビで見たことがある。若い世代はあまり知らないだろうが、1952年に放映されたNHKの連続ラジオドラマ「君の名前は」が当時の大ヒット番組となった(筆者にとっても生まれる前のことである)。そのラジオドラマの映画版が1953年~54年にかけて3部作で作られ、やはり大ヒットした。映画版のヒロインを演じた女優が岸恵子である。
 
 このテレビ番組の中で岸恵子は横浜の大空襲(19455月)の体験談を語った。それがとても印象深く私の記憶に残っている。記憶を頼りに再現するので、多少不正確かもしれないが、次のような内容だ。
 
 空襲警報のサイレンが鳴り、避難する時のことだ。焼夷弾が雨のように降り注ぎ、町はたちまち火の海となった。当時12歳だった彼女は、母の言いつけでぬれた布団をかぶって家を飛び出した「子供達はみな防空壕へ!」という町内の大人達の誘導で防空壕に向かった。
 
 ところが来てみると、それは崖に横穴を掘っただけの穴蔵だった。穴の壁は掘ったままの土壁で、コンクリートで固められてさえいない。薄暗い穴の中を覗くと、防空頭巾をかぶった子供達が大人達に付き添われて、不安そうな眼をしてこちらを見ている。
 
「こんな穴の中に閉じこもったら、かえって死ぬ!」と直感した彼女は、制止する大人を振り切って近くの公園へと逃げた。広い場所なら火の手から逃れられると感じたのかもしれない。結局、彼女は生き延びたが、土壁の防空壕は空襲の衝撃で崩れ落ち、中にいた大半の人々は死んだと言う。 岸恵子は語った。「この経験を契機に子供心ながら私は思ったんです。大人や世間がなんと言おうと、それを鵜呑みにして従うようなことはもう一切しないと。」
 
 映画「君の名は」の大ヒットで一躍人気トップの女優となった彼女は、1956年に日仏合作映画「忘れえぬ慕情」に主演する。その時のフランス人監督イブシャンピと親しくなる。そして翌年57年にはイブシャンピに求婚され、フランスに渡り、結婚する。
 
 当時の岸恵子は日仏合作映画で主演したと言っても、フランスではほとんど無名だったはずだ。フランス語だって「フランスに渡ってから苦労して勉強した」と語っているので達者だったわけではないだろう。この時も、「せっかくの日本での大女優の地位を捨てて、フランスに渡るのか」と周囲から反対されたり、惜しまれたりしたそうだ。やがてシャンピとの間に娘を生み、離婚し、女優を続けながら娘を育て上げた。こうした岸恵子の波乱万丈の人生の原点に、大空襲を生き延びた体験があるような気がする。
 
バブルを生む強欲と同調性
~中略~
 
「みなさん、そうされていますよ」という呪縛
 国民特有の行動パターンを類型化した次のような小話をご存知の方は多いだろう。豪華客船タイタニック号が氷山に衝突し、救命ボートでの脱出が始まった。船員達は救命ボートに殺到する乗客に対して「子供とご婦人を優先します。男性方は子供とご婦人に譲ってください」と誘導しなければならない。さて、パニックになっている乗客らに何と言えば、もっとも効果的に誘導することができるだろうか、という想定だ。
この小話では各国民別に次のように言うのが一番効果的だということになっている。
ドイツ人に対して:「法律(あるいは規則)でそのように決められております。」
アメリカ人に対して:「そうすればあなたは英雄(ヒーロー)になれますよ。」
イタリア人に対して:「そうすればあなたは女性にもてますよ。」
日本人に対して:「みなさん、そうされています。」
 
どうやら私達日本人がバブルを起こしてしまう時は、個人レベルの強欲よりも、「みなさん、そうされていますよ」という同調性を求める呪縛に注意する必要があるようだ。「この不動産融資は無謀じゃないか」と思っても、「そのぐらいの無理は、みなさん(他の金融機関は)やっていますよ」という勢いに乗ってしまったのである。「年間所得の10倍の価格での住宅購入は無謀じゃないか」と思っても、「それが国土の狭い日本の住宅市況なんですから仕方がありませんよ。みなさん借入れを増やして買っていますよ」という流れに押し流されてしまったのである。
 
1990年代のバブル崩壊以降の日本はバブルには無縁になったと感じている方もいるかもしれないが、そうでもない。2000年代には「超低金利の円で金融資産を持っていても増えないからだめだ。高金利通貨で運用すれば有利だ」と喧伝されて外貨投資が増えた。この高金利通貨投資ブームでも「みなさん、やっていますよ」式の行動パターンが顕著で、為替相場の円安バブルを引き起こした。それが崩壊したのが2007年夏、あるいは08年夏以降の急激な円高である。
 
冒頭に取り上げた岸恵子の空襲体験が異彩を放つのは、「みなさん、そうしていますよ」の呪縛から彼女が解き放たれた体験だからだ。そして自分の命を拾った。
 
私は前著(「今こそ知りたい資産運用のセオリー」光文社200812月)の最後で次のように述べた。「世間が『米国金融危機』『米国凋落』『世界株式崩壊』と騒いでいる今こそ(200810月)、株式やREIT投資の千載一遇のチャンスだという黄金の波を見ることができるかどうか、そう思った時に投資する余力があるかどうか、これが長期の資産形成で成功と失敗を分かつポイントとなるのだ。」  投資をテーマに語っているが、私が本当に問いたいのは、儲かるか損するかの問題ではない。それは結果に過ぎない。世界の見方、自分の生き方の問題なのだ。
 
金融危機を予防、回避するための制度と政策の不断の改革は必要だ。しかし、それでも資産価格のバブルと崩壊の歴史は終わらない。そう覚悟しよう。私の眼には既に2010年代の次のバブルの膨張と危機の予兆が世界の新興市場で起こり始めているように見える。しかし、それは必ずしも不安や悲観の材料ではない。「みなさん、そうされていますよ」の呪縛を解いてしまえば別の世界の姿が見えてくるはずだ。バブルと危機を繰り返す市場経済とは、波乱と挑戦に富んだなんとわくわくする世界だろうか。」
 
 
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