日本政府のネット債務残高は?

高橋洋一氏と田中秀明氏がダイヤモンドオンライン上で政府債務問題について論戦している。両者の議論を読み比べることで、私にとってもひとつ問題が鮮明になった点があるので、書いておこう。

本ブログでもかなり前に紹介したが、財務省は政府部門のバランスシートを試算、開示している。まず両者の共通点はこの政府のバランスシートを材料にして、政府のネット負債がどれほどのものかを議論している。 興味を引く最大の対立点は、日銀が民間銀行から購入した国債残高を、日銀も政府部門として統合することでバランスシートから相殺して見ることが妥当かどうかである。

言うまでもなく日銀の国債保有残高は、黒田総裁下のQQE発動で毎年約80兆円の規模で増加し、2016年3月末時点で364兆円、国債発行残高全体に占める割合は33.9%と過去最高となっている。 組織的には独立しているが日銀も政府部門であるから、日銀が資産として保有する国債は、日銀を統合した政府のバランスシートの中で相殺して見ることができると高橋氏は主張し、田中氏は否定している。

まずこの点の双方の主張は以下の通り。

田中秀明氏:「連結財務書類は、ほぼ全ての政府機関を含んでいるが、日銀が除外されているので、これを含めないと真の中央政府全体を議論したとは言えないとの指摘もある。

もし日銀が、金銀財宝といった自己財源で国債を買っているのであれば、統合政府ベースで借金は減るが、実際にはそうではない。日銀が民間銀行から国債を購入するためには代金を払う必要があり、それは銀行が日銀に預けた預金(準備金)として日銀のBSの負債の部に計上される。そもそも民間銀行が国債を買う財源は、我々国民が銀行に預けた預金である。

順を追って考えると、(1)国民の余裕資金が民間銀行に預金として預けられる→(2)民間銀行はその預金で国債を買う(投資)→(3)日銀が民間銀行保有の国債を買う(国債と準備金を等価交換する)という流れになっている。

統合政府ベースで、日銀が保有する国債を相殺することができても、日銀に預けた民間の預金は負債として残り、統合ベースで見た場合に負債が減ることはない。もし、政府が強制的に負債の部から預金を落とし政府の負債を減らすというのであれば、それは国民から貯蓄を奪うことであり、言い換えれば、預金に対して100%の税率で課税することになる。先ほど連結のBSで説明した、日本郵政が保有している国債と同じことだ。」

高橋洋一氏:「発券中央銀行のマネタリーベース(日銀券発行残高+民間銀行の日銀当座預金)は負債といっても、それは無利息、償還期限なしなので、実質的な債務性はない。

現在、白川時代に歪められた日銀当座預金への付利があるので、ものごとの本質が見えにくくなっているが、白川時代前を考え、日銀券と日銀当座預金は代替という金融論の基本を押えておけば、マネタリーベースは実質的な債務性がないことがわかるだろう。

要するに、政府と日銀を合算する統合政府ベースのBSを見るとき、日銀のマネタリーベースには実質的な債務性はない。これは、経済学で出てくる統合政府の基本中の基本である。」

まず、日銀のバランスシートの資産サイドにある国債の保有残高は、負債サイドにある民間銀行の日銀当座預金残高を見合いに両建てとなっている。さらに民間銀行の資産サイドとしての日銀当座預金残高は、負債サイドの私達の預金残高と見合いになっている。したがって、日銀を政府に統合して見ても、日銀の負債としての日銀当座預金残高(マネタリーベースの一部)が相殺で消えるわけではなく、あえてそれを「帳消し」にするなら、国民預金の収奪になるという田中氏の論理は、会計上の形式論理としては全く正しい。

それに対する高橋氏の主張は、日銀当座預金は日銀券と同じで「無利息、償還期限なしなので、実質的な債務性はない」 したがって、政府債務に加えなくて良いという一点にかかっている。

「日銀当座預金には実質的な債務性はない」は正しいか

この「実質的に債務性はない」ということの意味は、まず現金(日銀券)を考えればよくわかるだろう。日銀券発行残高はたしかに日銀のバランスシートの負債サイドに計上されている。 ところが、政府の国債の発行残高は政府債務残高としてその増加を懸念する議論を呼ぶが、日銀券発行残高は今のような低インフレ(あるいはデフレ)の局面では全く懸念の対象となっていない。 その理由は、高橋氏が言うように「無利息、償還期限なし」だからである。

日銀券を保有する国民全体では、日銀券で保有するか銀行預金で保有するかの選択肢(いずれもマネー)があるのみで、マネーの外に逃げることができない。「マネーで財や資産を買うことでマネー保有量を減らせる」と思う人がいるかもしれないが、あなたがマネーを減らした分、あなたに財か資産を売った人がマネー保有を増やすので、全体ではチャラである。ただしマネー価値への信頼が棄損した場合は、財や資産価格の高騰が起こり、ハイパーインフレになることはあり得るだろう。

では民間銀行の日銀当座預金は日銀券と同じく「実質的な債務性はない」と言い切れるかどうか。これも民間銀行がひとつしかない(あるいは銀行業界全体)として考えると、わかりやすい。 当座預金なのでそもそも返済期日はない。今はたまたま付利(0.1%、ただし増分についてはマイナス0.1%)されているが、原理的にはゼロ金利でやってきた。

民間銀行は、日銀との取引によってのみ日銀当座預金残高を増減できる。そして日銀との取引は①日銀券と日銀当座預金残の交換、②国債と日銀当座預金残高の交換しかない。民間銀行には日銀券か、日銀当座預金か、国債保有かの選択肢しかない。つまり国債かマネーかの外に逃げる方法がない。このように考えると日銀当座預金の「債務性は事実上なし」とする高橋氏の主張が妥当であろう。


しかしそれでも政府債務の無限膨張はあり得ない

ならば、日銀が国債を購入する限り、政府は国債をどんどん発行して政府債務を増やしても問題はないのか、というと話はここで終わらない。

マネタリーベースとしての日銀当座預金には、その残高の信用乗数倍のマネーを預金と貸出の両建てで生み出すことを思い出そう。例えば300兆円の日銀当座預金残高は、現下の法定準備率約2.0%の下では、最大15,000兆円(=300/0.02)のマネーストックを生み出しえる。

したがって、将来日本経済の構造変化で再びインフレが問題になった時に、日銀は莫大に積み上がった日銀当座預金残高をコントロールできないとハイパーインフレになるというリスクがある。この問題は無視できない。

もっともこの問題に対して対策は可能だ。まず第1の対策は法定準備率を思い切り引き上げれば信用乗数によるマネー増加効果は抑制できる。 場合によっては、預金に対する法定準備率を100%にすることで、事実上信用乗数効果を1.0にしてしまうこともできる。 これは私の私見ではなく、full reserve system(100%準備預金制度)として昔アービング・フィッシャーが議論したものであり、最近ではIMFのエコノミストがそうしたシステムの下でも金融機能が機能することを検証した論文が発表されている(以下参照)。

また将来インフレになれば、金利を引き上げる必要が生じる。その場合、コール市場の金利を日銀が引き上げようとしても、日銀当座預金残高のうち法定準備残高を超える何百兆円の過剰準備残高をコール市場を通じて日銀が全部吸い上げるまで金利は上がらないだろう。 ただし、それに対しても現在米国のFRBがやっているように日銀当座預金残高への付利金利を政策金利と同じ水準に引き上げることで、マネーマーケットの金利と一緒に上げて行くことができる。 

「それでは銀行が莫大な利益を中銀から吸い上げるだけだ」と早とちりしてはいけない。当然、銀行の預金金利も引き上げになるから、その限りでは銀行にとってはプラス・マイマス・ゼロである。

ただし日銀には金利の引き上げ幅次第で莫大なマイナス利鞘による損失が生じる。この損失可能性については現行のQQEで想定されるコストとして日銀は考えているはずである。目下は政府は国債利回りのゼロ、あるいはマイナス化によって資金調達コストが大幅に縮小されているわけであるが、そのつけを将来日銀を通じて払うことになるだけだとも言える。

そういう意味で、永遠にインフレにならないという想定ならば、政府が国債の増発を続けても、日銀がそれをQQEで買うことで永遠のポンジスキームができてしまうのだが、その想定にはそもそも根拠がない。国債発行残高が1000兆円として将来、国債の平均金利が2%になれば20兆円、3%なら30兆円の利払いコストが生じるわけで、それが財政収支を大きく圧迫することになる。

そういう意味では、政府の債務膨張が(対GDP比で)無限に続くことはできないと言う当然の結論に回帰するわけである。

追記(11月5日):中央銀行券の債務性、並びに政府紙幣問題について、以下の論文を神戸大の岩壺先生から紹介頂きました。なかなか興味深いです。ご参考まで。