たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2010年08月

本日発表された日銀の追加金融緩和策:
「日銀は追加の金融緩和策を決めた。資金を年0.1%の政策金利で貸し出す新型の「固定金利オペ」について、現行の貸付期間3カ月に加え、より長めの期間6カ月を新設。供給額を現行の20兆円から30兆円に上積みする」(8月30日日経新聞夕刊)
 
こんなもので追加の金融緩和効果はほとんどないことは、日銀自身が一番よく判っているはず。
「なんで日本だけデフレなの?」シリーズで書いたとおり、日本が陥っているゼロ金利のデフレ均衡点では、金利政策は効果を失っている。 米国のセントルイス連銀のブラード総裁が言っている通り、国債などの買い切り増額による量的な金融緩和策の拡大、つまりマネタイゼーションしか効果が期待できるものはない。
 
日銀が自らを勝手に縛っている「国債購入額を発行日銀券の残高を上限とする」という条件を捨てて、「とりあえず、あと100兆円ほど買い増してみようか」と言えば、デフレ期待の解消(=インフレ期待)と円安効果は抜群のはず。なぜそれをしないのか?
 
仕事をしているふりをして、組織上の利害として一番やりたくないことを避ける典型的な「役人仕事」に思える。
このままでは、本日(8月30日)の株高、円安への戻りは一時で、すぐに円高、株安の圧力は戻ってくるだろう・・・。
 
円高デフレスパイラル阻止のために、80円割れ阻止の外為市場での円売り・ドル買い介入を政府ができるか?(外為介入は財務大臣の権限です。日銀は手足に過ぎない。)
しかし、米国政府もユーロ諸国政府も決して口にすることはないが、今は自国通貨下落による輸出拡大による景気底支えを期待している。その中で日本政府の単独円売り介入ができるかどうか、微妙・・・・。
 
日本政府が介入もできなければ、最後はFXユーザー「ミセスワタナベ層」による「円売りナンピン介入」しかない・・・。
FX証拠金の残高は総額6000億円ほど、まだ使われていない部分が2000億円ほどあると仮定すると、レバレッジ20倍として4兆円ほどはナンピンの円売り余力があるかもしれない。
 
 

毎日新聞社の週刊エコノミスト(8月31日号)「学者が斬る」に私の論考
対外不均衡でもドル危機が起こらない理由」が掲載されています。
ご興味のある方、どうぞご購読ください。
 
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学者って誰のことや?
えっ、ワタシのこと? そうか、大学の先生やっていると一応『学者』って呼ばれるんだね。しかし、気分はエコノミストのまま。
 
「エコノミスト」と「経済学者」って違うのか?何が違うんだ?
 
市場や金融の現場を知らずに経済・金融について空理空論をもてあそんでいる、とエコノミストが陰口をたたく相手の先生方が「経済学者」
 
経済理論をちゃんと勉強せずに、いい加減なことや大雑把なこと言ったり書いたりして、時には大預言までしちゃう連中、と経済学者が悪口を言う相手の方々が「エコノミスト」
 
ふ~ん・・・でもアメリカではアカデミズムの経済学者でもエコノミストと呼ばれる。
日本のように2種類の人種の間に深い谷間、境界線はない。
 
実際、アカデミズムの先生がヘッジファンドの顧問やったり、金融機関のエコノミストが大学の先生になったり、双方向の移動が頻繁だからね。それが日本との違い。
また終身雇用の大学の先生はアメリカでは一部だけで、多くは有期雇用で実績次第でバンバン首にもなっちゃう。
反対に、日本の大学の先生は専任教員なら終身雇用が一般的。
 
さらにアメリカではアカデミズムの先生に対しても、「それって何の役に立つの?」という実践的な需要に応えることが要求される傾向が強い。だからアカデミックな研究をしている先生でも、世間向けに解りやすい著者も書いている人が相対的に多いと思う。P・クルーグマンなんかは代表例でしょう。
日本でもそういう先生方はいるけど、あまり多くはないね。その点、日本の大学の先生はちょっと、あるいはかなり違う。
 
まあ、ワタシとしては「経済学知らないエコノミスト」って悪口言われないように、ひたすらお勉強、夏休みもお勉強、論文捻り出そうとお勉強、
夏休みの宿題に追われているムスコとムスメに、「おとうさんの方が勉強しているぞお」と言いながらお勉強・・・。

固い話題が続きましたので、ファンキーなビデオのご紹介。
本日、元ワシントン勤務仲間の間で流れて、話題になりました。
 
制作は数カ月前のものですね。
 
 
 
 

円売りキャリートレードがブームだった2007年前半までは、日本人のFXプレーヤーも海外のプレーヤーも、円売り一色に全体の持ち高が傾いていた。ところが、今は双方が正反対に傾いていることに気がつかれているだろうか?
 
日本人プレーヤーの持ち高の全体的な傾きは、くりっく365の為替売買動向で推測できる。くりっく365はほとんど日本人プレーヤーだと思われ、その市場国内FX取引に占めるシェアは大よそ10%だそうだ。これでドル円銘柄のネット持ち高を見ると、148,800枚ほどの円売りドル買いだ(7月30日)。1枚(コントラクト)=1万ドルだから、
1,480百万ドルの持ち高だ(ケタ間違っていないよね?)。
 
くりっく365が市場全体を10%のシェアでそのまま反映しているとすると、日本のFX全体では148億ドルほどの円売り・ドル買い持ち高ができていることになる。1円のドル上昇で148億円儲かる、逆なら損する。
他通貨銘柄での円売りも合計すると、さらにこの数倍の規模の円売り外貨買い持ち高だ。
 
一方、海外プレーヤーの持ち高は、シカゴ先物市場のIMMデータにその一部を見ることができる。FX業者の外為ドットコムのページが分かりやすくデータを公開してくれている。シカゴIMM通貨先物
シカゴIMMの持ち高の中でも、non-commercial、つまり投機筋の持ち高の傾きに注目して欲しい。commercial筋の持ち高は、主要には別にある外貨資産負債の為替リスクヘッジ目的だから、それを加えると中立である。
ドル円についてみると、49,969コントラクトの円買い・ドル売り(Yen long)である(8月17日)。1コントラクト=12.5百万円だから、約73億ドルのドル売りである。同様の海外の取引所の通貨先物におけるシカゴのシェアは知らないので、全体推計はできないが、2倍か3倍か? 
 
さらに、日本でも海外でも同じだが、取引所取引とは別に金融機関と顧客による相対の外為先物予約取引が極めて大きな規模であるので、シカゴIMMの持ち高は氷山の一角である。しかし、氷山の一角でも市場全体の持ち高の傾きとしてある程度の指標性があると考えられている。
 
さて日本のFXプレーヤーの円売り・ドル買いと、海外の通貨先物プレーヤーの円買い・ドル売り、どちらに軍配があがるのだろうか? つまりこの先、対円でドルが上がるのか、下がるのかということだ。
グローバルな丁半博打みたいなものだろうか?
 
重要なのは自分投資のタイムスパン 
私の経験では、海外のプレーヤーの方が足が速く、トレンドフォロー志向である。彼らは、はずれれば素早く持ち高を損切りして、持ち高を変える。一方、日本人プレーヤーは逆張り、なんぴんが好きな人が総じて多い。
 
最終的に儲かるか損するかは、自分が設定する投資のタイムスパンに依存する。投資で失敗する初心者の多くは、自分の投資のタイムスパンが不明確だったり、不安定だったりする。仮に、これから数カ月以内に80円割れの円高になり、その後時間をかけて再び90円まで戻る場合を考えてみよう。
 
ドル売りの短期志向の持ち高は、目先当たる。反対に中長期志向で逆張りでドル買いをしたプレーヤーは外れるが、ナンピンして、買い下がり、90円に戻るまで待てれば、儲かる。従って、逆張り志向のプレーヤーは追加投資できる余力と相対的に長い時間持ち高を持続できることが成功の要件となる。
 
ちなみに、金融機関のディーラーはプロだが皆短期志向の組織的な枠組みの中でやっているので、なんぴんはほとんどの場合、禁じ手である。また、人間には「自分の失敗を認めたくない」心理的なバイアスがあり、その結果、なんぴんに傾斜し、反対に利食いは早まる(自分の成功を実現したいバイアス)傾向がある。こうしたヒューリスティックで非合理的なバイアスを克服することは、双方のタイプのプレーヤーの成功のための共通要件である。
 

さてじわじわと進む円高、FXでは外貨を買い下がるスタンスで個人投資家の円売り持ち高が積み上がっている。「このまま外貨買い・円売りでいいの?また、どか~んと円高に行かない?」
さあ、どうだかな。短期の相場は予想不能だからねえ、ぴくぴくと神経質に考えたって無駄、無駄。
 
今日(8月22日)の日経新聞、Sunday Nikkeiの欄で「円高、外貨投資戦略を練る」(田村正之)で私も登場している。私の外為、投資テーマの著書を読まれた方には、周知の内容だが、ご紹介しておこう。(なお、紹介されている国際通貨研究所のPPPグラフは、もともと私が作成して自分のホームページに掲載していたものですが、私が同研究所の調査部長だった時に、研究所のホームページで3種類に増やして、更新継続するようにしたものです。)
 
参考図書 
 
記事からの引用 
 「物価変動を考慮した為替の適正レートを購買力平価という。自分で計算するのは大変だが、ドル・円とユーロ・円の長期的な購買力平価(PPPと呼ぶ)のグラフCとD)は、国際通貨研究所のサイトの「調査研究レポート」のコーナーで簡単に見られる。
 
 かつてメガバンクの為替部門などに在籍し、現在は龍谷大学教授を務める竹中正治さんは「実際の相場がいつ購買力平価に近づくかは予測できないので短期的な予想に役立たず、ほとんど市場でも話題にならない。しかし個人が長期投資を考える際には、重要な参考材料になる」という。
 
 例えばグラフCだと、ドル・円の購買力平価は日本のデフレを背景に長期的に円高方向に進んでいる。実際のドル・円レートは、国際間の価格調整が反映しやすい「輸出物価ベース」のPPPを「円高の上限」に、企業同士の取引価格で示す「企業物価ベース」のPPPを「円安の下限」として推移している。
 
 05~06年のように企業物価ベースのPPP前後の円安時に投資すれば、その後円高になって損が出てしまうことが多かった。しかし今は、「購買力平価でみると対ドルでは極端な円高とまでは言えないものの、投資に乗り出してもいい時期」(竹中さん)。一方、ユーロについて前出の佐々木さんは「過去に割高過ぎたのが適正レートに近づきつつある段階。さらに下落余地もある」と話している。
 
 もちろん米景気に安心感が見えれば「いったん1ドル=90円台くらいまでは簡単に戻りそう」(竹中さん)との声も多い。しかし日本のデフレが続くなら、長期的には再び円高に動く可能性もある。このため多くの専門家は「一度に外貨投資せず、時期を分散して少しずつ買い、リスクを抑えるべきだ」としている。
 
 自らも投資経験が長い竹中さんは「今は国内外とも債券より株式が割安」とみる。「新興国株や先進国株に幅広く投資できる低コストのETF(上場投資信託)などで購入時期を分散しながら投資しては(表A参照)」と話す。
 
 通貨選択型投信などで最近人気のブラジルレアルはどうか。FPの深野さんは「確かに高成長は魅力だが、日本からの資金などですでに株も債券もかなり買われている。今から投資しても期待通りの利益を得られるか個人的には疑問」と話していた。」
 
購買力平価と実質相場
 少し記事の内容を補足しておくと、為替相場には名目相場と実質相場の概念がある。名目相場は市場相場それ自体であり、実質相場は2国のインフレを調整した相場だ。 「市場相場を購買力平価に照らして見る」と言うことは、実は実質相場で見るということと同じこと。
 というのは、実質相場とは名目相場が購買力平価からどの程度乖離しているかを指数化して表現したものだからだ。
 
購買力平価の形は基準時点(起点)の取り方で変わってくる
 記事の中で「ドル・円レートは、国際間の価格調整が反映しやすい「輸出物価ベース」のPPPを「円高の上限」に、企業同士の取引価格で示す「企業物価ベース」のPPPを「円安の下限」として推移している」と表現されているが、これは企業物価を1973年、輸出物価を1983年を起点にして描かれたPPPと比べた結果の経験則に過ぎない。 
 別の時点を基準にPPPを描けばPPPグラフの形は変わり、市場相場のグラフとの位置関係も変わってくる。企業物価について1973年を選んだのは、それは固定相場制から変動相場制への移行年であり、またその年の経常収支が概ねゼロに近かったので、円高円安のバイアスが少ない年だと推測したからだ。
 また輸出物価の起点が1973年ではなく、1983年であるのは現在公表されている輸出物価の統計データ系列が1983年からのものである結果に過ぎない。
 チャート好きの方は、企業物価PPPを「ドル相場の抵抗線」、輸出物価PPPを「ドル相場の支持線」のようにイメージするかもしれないが、そうした論理的な根拠はない。(もっともチャート分析に論理的な根拠はないと私は考えている。)
 ともあれ、このように基準時点を定めて、2国間の物価指数から導かれるPPPは「相対的購買力平価」と呼ばれる。限界としては、ある一定期間に生じた購買力の変化の計測を基にしているのであって、絶対的な水準比較ではないということだ。
 
絶対的購買力平価と相対的購買力平価
  同じ日経新聞の3面に「円高とマックの我慢比べ」という記事で、マクドナルドのビッグマックをベースにした購買力平価の説明がなされている。このように2国間の品目を特定して算出したものを「絶対的購買力平価」という。しかし現実の世界では流通する剤とサービスは実に多種多様で、国が違えば当然異なる。
 だから絶対的購買力平価の算出は無理なのだが、無理を承知で、消費者物価指数を構成する主要商品群などを対象に絶対的購買力平価を、たしか世銀が算出している。 しかし、私はあまり信用していない。だって、マックなら世界的に標準化された商品だから比較できるが、住居や食品に至るまで、例えば日本と中国の質は大きく異なるだろう。そうした無数の財やサービスの質もまで勘案した上で価格を比較するなんて、無理。
 
日経新聞記事の掲載表 
 
イメージ 1
 
 

本日8月17日の日経ビジネスオンラインに掲載された私の論考
「なぜもっと早く降伏できなかったのかを議論しよう」に寄せられたコメントに次のようなものがあった(複数)。
 
「一度降伏したら、煮て殺されるか焼いて殺されるかもわからないのにおいそれと降伏できるはずもなく、少しでも有利な条件を付けようと必死の覚悟で抗戦するのは当たり前です。」
 
つまり無条件降伏という厳し過ぎる条件を要求した連合国が悪いという反論であろうが、悲しむべき無知である。
日本が受諾したポツダム宣言を引用してみよう。(当時の日本語訳全文は左のリンクから読める)。
 
以下はひらがな化している。
 
9、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。
10、吾等(連合国)は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし。
日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙(しょうがい)を除去すべし。
言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし。
11、日本国は其の経済を支持し且公正なる実物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。
但し日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業は此の限に在らず 右目的の為原料の入手(其の支配とは之を区別す)を許可さるべし。
日本国は将来世界貿易関係への参加を許さるべし。
12、前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合国の占領軍は直に日本国より撤収(てっしゅう)せらるべし。
 
当時の軍国主義イデオロギーに比べると、なんと民主的で人権に配慮した宣言だろうか。もちろん当時の戦争遂行者(権力者)は戦争裁判にかけられることも明記されている。彼らは国体護持(天皇制維持)を条件にしたかったのであろうが、天皇制を維持するために本土決戦で更に数百万人の命を犠牲にするというのは、やはり狂気のイデオロギーだろう。
 
また、ポツダム宣言受諾後も進められたソ連軍による侵攻と数十万人の日本兵のシベリア抑留が、完全なポツダム宣言違反であったこともよくわかる。

 
本日(8月17日)の日経ビジネスオンライン掲載の筆者の論考
 
浅田次郎の新作、アマゾン・レビューでは本書への辛口のコメントが散見されるが、私も著者の小説を読むときは、どうしても「蒼穹の昴」と比較してしまう。しかし「昴」は超別格であり、常にそれと比較されるのは、著者としては難儀なことだろう。

「昴」はともかくとして、本書は歴史小説として十分読み応えがある。日本海軍の海上輸送能力が壊滅した結果、当時の日本の最北端の島、占守島に強固な要塞と戦車隊を保有する無傷の精鋭部隊が2万人以上も残存し、8月15日の日本の降伏宣言(ポツダム宣言受諾)後に島に侵攻、攻撃を仕掛けてきたソ連軍と交戦したという歴史のひとこまとその含意を気づかせてくれただけでも、高く評価したい。

疎開先を脱走して東京に向かう子供二人が、苦しい旅を励まし合いながら、宮沢健治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」を暗誦し、「ああ、本当の大和魂とはこのことだったんだ!」と覚醒する場面に、じわ~んときた私は根が単純なんだろうか。

中国戦線での「武功」で勲章をもらい英雄に祭り上げられた鬼熊軍曹が「おれは死なぬ。アメ公が上陸してきたら真っ先に降参してやる。勅諭も戦陣訓もくそくらえじゃ!」と言う。 その軍曹は、日本の降伏後に島に侵攻、攻撃を仕掛けてきたソ連軍と交戦し、憤死する。

この小説が、戦争の悲惨さを通じて描いているものは、政治的なイデオロギーとしての愛国心や、戦後の教条化された平和主義でもなく、人を愛して生きることへの草の根的なたくましさ、思想的な萌芽であろうか。

300万人の命と主要都市を焦土と化した犠牲を払いながら、戦後の私達はその萌芽を強固な思想にまで育てるとこに成功していないのではないか、と痛感せざるを得ない。そういう意味で「この夏」は終わっていないのだろう。
 
 
 
 

これまでの説明の総括
 デフレ問題をめぐって経済学者やエコノミストらの議論は、マネタリーな要因を重視する論者と実体経済要因を重視する論者の対立があることが分かったと思う。ただし、経済主体の将来への「期待要因」抜きでは双方とも議論が完結できない点で共通している。
 
 前者(リフレ派と呼ぼうか)は、ゼロ金利状況下では既に金利水準の変更による伝統的な金融政策は機能しなくなっているので、日銀の国債の買い切り増加による(マネタイゼーション)マネー供給の一層の増加と、インフレターゲット宣言による市場参加者のデフレ期待の解消を主張している。
 
 後者(実体経済要因重視派と呼ぼうか)は将来に対する成長期待、そのベースにある生産性上昇率の期待値の鈍化、あるいはマイナスが投資や消費行動をしぼませているので、成長戦略、あるいは構造改革が必要だと考えている。 
 
私自身は既に述べたように、ややリフレ派に傾斜しているが、対策としては双方やるべきだと考えている。
 
アメリカのデフレリスク
 さて、アメリカは今回の金融危機と不況を契機にデフレになるリスクはないのか?
アメリカの消費者物価指数(食品とエネルギーを除くコアCPI)も前年同月比で0.9%まで下がってきて、デフレリスクがFOMC(金融政策を決定する会合)でも議論されるようになった。
 
 議会でのバーナンキFRB議長のこの点についての発言は前回採り上げた。ひとつの要因として期待される生産性上昇率がアメリカは日本より高いからデフレにはなり難い、ということだった。しかし少し補足すると、日米のインフレ格差が本当に生産性の期待上昇率の格差で説明できるのか私はやや疑問に感じている。
 
 というのは過去1980年まで遡って見ると、日米の消費者物価で見たインフレ率には2%~3%程度の格差(米国>日本)が趨勢的に存在している。過去のこの格差を生産性上昇率の期待値の相違で説明することはできないと思うからだ。
 
 例えば1980年代は日本の生産性上昇率は米国より高いと認識されていた。しかし80年代にも米国>日本のインフレ格差が存在していた。その時代には日本の生産性上昇率は米国のそれよりも高いから、日本のインフレ率は米国より低い、と一般に理解されていたはずだ。
 
だから、長期にわたって存在しているインフレ格差、実現された生産性上昇率、将来の生産性上昇率の期待値、これら3つの関係を包括的に整合的に説明してくれなければ、納得できないよ、と考えている(もしかしたら私の勉強不足のため?かもしれないが)。
 
アメリカのデフレリスク論議の中で、 セントルイス連銀総裁のJames Bullardの論文 Seven Faces of The “Peril(禍の7つの顔)が7月29日に発表されて話題になった。
 ひとことで言えば、デフレ・インフレをめぐってインフレ率と名目金利には、「テイラールール」と「フィッシャーの安全資産利回りとインフレ率の関係式」から導かれる2つの均衡点があり、日本はデフレ均衡点に陥っており、米国はインフレ均衡点にあったが、現在デフレ均衡点にシフトするリスクがあると。
 
 金融政策議論に馴染みのない方は、「テイラールールって何?フィッシャーの関係式って何?」と思われるだろうが、噛み砕いて説明するのにもう疲れてしまったので、ご存知ない方は適当な他人様のリンクを貼ったので、それでご理解いただきたい。
 
 議論を呼んでいるこの論文のポイントは、長期間にわたって中銀がゼロ金利をコミットすることは(日銀のやったことであるが)、むしろ逆効果でデフレ均衡点にシフトするリスクを高めると言う指摘にある。もっともこれはブラード総裁のオリジナル議論ではなく、The Perils of Taylor Rulesという2000年の論文でJess Benhabibという研究者が論じたことに基づいている。
 
FRBも「長期にわたるFF金利の例外的に低いレベルを正当化する公算が高いと見込んでいる」という表現で、事実上現状のゼロ金利に限りなく近い状態が持続させると言っている。従って、上記のブラード総裁の指摘が正しいなら、困ったことだ。アメリカもデフレ均衡点に向かって落ちていく可能性が高いことになってしまう
 
ブラード総裁は、それを回避するためには、国債の買い切りによる量的金融緩和をもっと強めるべきだと主張している。要するにマネタイゼーションによるリフレ政策だ。「FRBはデフレになんかしないぞ」とコミットしながら、国債でも他の公債でも、ファニーメイやフレディーマックのRMGSでもいいが、既に大規模に購入している状態を維持、あるいはもっと買い増しすべしということになる。
 
ちなみに、FEDのバランスシートは危機前の1兆ドル少々から、危機対応の量的金融緩和政策、並びに信用緩和政策で2兆ドルに拡大している。これはかなり大胆な政策だと思うが、それでもやり足りないということになる。 実際、昨日(810日)のFOMCでは、既存購入債券の期日が到来しても、それで残高を落とさずに買い直して、量的金融緩和政策を維持することが決定された。
 
 それで結論として、アメリカはデフレを回避できるのか?この問いは中長期にわたってデフレ状態に陥ることが起こるか?という意味になる。
 
まあ、FRBのバーナンキ議長だって本音では「微妙・・・」と思っているに違いないと思う。将来予想だから、誰だって確定的なことは分からない。アメリカ経済のダイナミズムを信じるか、どうかの違いかもしれない。私はデフレ均衡には陥らないと思うと述べておこう。
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デフレ問題シリーズ、過去の3回は以下の通り。
 
                                その2、マクロ実体経済要因
                             その3、経済主体の期待要因
 

注目記事です。
博報堂生活総合研究所のアンケート調査結果から
 
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今の税金は高すぎると思っている人はどのくらいいるのだろうか。博報堂生活総合研究所の調査によると、「今の税金は高すぎる」と思っている人は消費税が3%から5%に増税された翌年、1998年の74.3%をピークに続落傾向にあることが分かった。そして2010年の調査では2009年(54.4%)から15.7ポイントも減少し、過去最低の38.7%を記録した。

 一方「多少、税金が高くなっても福祉を充実させるべきだと思う」人は、2004年から上昇に転じ、2010年は過去最高(39.6%)を更新した。その結果、「今の税金は高すぎると思う」のスコアを初めて逆転することに。最新データの調査時期は2010年5月。「消費税はまだ世論の大きなテーマにはなっていなかったが、生活者の税金に対する考え方は既に大きく変化していたといえるだろう」(博報堂生活総合研究所)としている。

 首都圏または近畿圏に在住する20~69歳の男女3389人が回答した。調査期間は5月11日から5月31日まで。
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なぜ日本だけデフレなの?どうすればいいの?その3、経済主体の期待要因
 
さて、マネタリーな要因、マクロ実体経済の要因によるデフレの説明を2回に分けて考えて来た。「経済主体の期待要因」を最後にしたのは、これが一番難しいからだ。現代の経済学は「経済主体の期待(予想)」という要因を経済学のモデルに組み込むために悪戦苦闘してきたとも言える。超秀才・天才らがしのぎ合いながら積み重ねて来た成果の大凡を理解するだけでも骨が折れる。白状しておくが、方程式が乱舞する論文は私も大の苦手だ。
 
さて、最近FRB議長のバーナンキが議会証言で「アメリカが日本のようなデフレに陥らない要因」として「生産性の上昇率がアメリカの方が高い」ことを指摘したことが、話題になった。私も読み解くうちにようやく分かったのだが、これは1990年代以降に発展して来たニューケインジアン学派のモデル(以下NKモデル)をベースにしたコメントだ。
 
実際にアメリカの生産性上昇率が日本より高いかどうかは、議論や検証の余地のある点だが(ほとんど目立った差異はないという研究もある)、それはわきに置いておこう。「生産性の上昇率が高いのなら、それは経済の供給能力の伸びが高いことだから、現在のマイナスの需給ギャップ(供給超過)がますます拡大して、物価が下がりやすく(デフレ)なるのではないか?」と思ってしまう。私も最初はそう思った。
 
しかしバーナンキが言っていることは、正確には「期待されている生産性上昇率が高い」ということのようだ。
 
生産性の上昇は経済的な豊かさの基礎
不況と好況を繰り返す短期、中期の時間軸ではなく、長期の時間軸で考えれば、私達の生活、経済が50年前や100年前と比べて豊かになったのは、様々な技術革新を伴った生産性の上昇に依っている。長期的に実現されるGDP成長率を潜在成長率と呼び、それは労働人口(労働投入量)の伸びと生産性の上昇率に依っている。
 
こうした潜在成長率を需給ギャップなく実現する利子率を自然利子率と呼ぶ。言い換えると物価の安定(デフレでもインフレでもない)と所得の安定を実現する水準が自然利子率である。従って、生産性の上昇率が上がると(投資の実質リターンも上がり)、自然利子率も上がる。逆は逆となる。
 
金融政策は短期的に金利を上下に調整しながら、長期的に自然利子率を実現するように運営される。不況の時には名目金利を下げる→実質金利が下がる→「実質金利<自然利子率」となると消費と投資を刺激して景気浮揚効果が生じる。景気が過熱している時は、名目金利を上げることで逆の効果が生まれる。
 
ところが自然利子率が下がり、負の値になってしまうと厄介なことになる。名目金利はゼロ以下に下げることができないので、「実質金利>自然利子率」の状態となり、金融の景気刺激効果が働かなくなる。
 
こうした事態は、最初に紹介したインフレターゲット論者も当然承知しており、そうした状態では金利政策は働かないので、中央銀行は国債などの買い切りでマネーを増やす量的な金融緩和に踏み切り、同時に世間のデフレ期待をインフレ期待に転換するためにインフレターゲット政策(中央銀行が特定のインフレ率を実現するとコミットする)を導入せよと主張しているわけだ。
 
しかし、それでも「生産性の上昇と言う将来の供給増加要因が、なぜデフレ要因ではなくインフレ要因になるのか?」釈然としないだろう。
 
経済は「期待」で動いている
思いっ切り単純化して言うと、将来にわたって高い生産性の上昇率が実現され、経済的に豊かになると期待できるならば、経済主体はそうした楽観的な期待を前提に、家計は消費を増やし、企業は投資(投資も需要を形成する)を増やすだろう。その結果、まだ期待される生産性の上昇が実現されていない今の時点では、需要が増えて、マイナスの需給ギャップは縮小、解消し、価格下落の圧力も解消し、その度合いによってはインフレ率が上昇する、こう理解すると納得ができる。
 
実際、NKモデルのインフレの説明は、GDP需給ギャップと将来の期待インフレ率の要因からなり、経済主体の期待を要素に組み込んで、将来予想型(forward looking)の決定がなされると考える。もちろん、長期にわたって需給ギャップがマイナスを続けるということは、普通に考えるとあり得ない。作っても売れない商品(サービス)は供給を停止し、その設備も破棄・転用されるからだ。そして、技術革新が活発で、生産性の上昇が将来にわたって実現されるならば、それに見合って将来の生産と消費の規模は大きくなっているはずだ。
 
そういう高い生産性の上昇率期待に支えられた高い経済成長率予想(期待)がある場合には、自然利子率も高く、名目金利を十分に下げれば、実質金利が下がる。その結果、企業(生産者)も家計(消費者)も現在の投資、あるいは消費を増やす。そういう意味でデフレになり難い。ところが日本は逆でデフレになってしまった。こういうロジックでNKモデルは考える。
 
もっとも、NKモデルで実際の物価変動(インフレ・デフレ)を説明しようとすると「説明度はあまり高くない」という結果が出ているそうで、各種の改良が行われている。モデルの改良の方法として、ひとつには直近の過去のインフレ率などを変数に加えると説明度は向上するそうだ。人間は直近の過去の経験値をアンカーにして将来行動を選択するというヒューリスティックなバイアスがあることが行動経済学の実験で明らかになっているので、私はそうした改良には納得がいく。
 
しかし、経済主体は合理的な判断をするということを前提にモデルの論理を一貫したい経済学者は(NK派の方々も合理的期待形成論を踏襲しているようだ)、そういう修正は経験則に依存したもので、理論的に一貫しないと考えているようだ。
 
インフレ・デフレ問題に関連したNKモデルについて、もっとカッチリした理解をされたい方は、以下の論文が参考になる。「方程式の乱舞」の度合いが比較的少ない分かりやすいものを選んだ。
Gauti B. Eggertsson 「流動性の罠2010
加藤涼・川本卓司 「ニューケインジアン・フィリップ曲線2005
 
マイナスの需給ギャップが長期に続いている日本はちょっと異常?
さて、そうした事情を踏まえて、以前紹介した今年の経済白書の日本のデフレ要因の分析を読んでみよう。以下抜粋した。
 
「日本は他国と異なり、90 年代以降現在までの約20 年間、GDP ギャップがマイナス基調にある。このような長期間を平均すれば、景気循環が均されて、GDP ギャップは平準化されることが普通である。しかし、日本においては、平均してもGDP ギャップはマイナスであり、マクロ的な需要不足の基調にあった。こうした傾向は他の国では見られない
我が国だけが需給ギャップのマイナス基調が長く続き、それが構造的なデフレ的体質をもたらしている可能性が分かった。それではなぜ、我が国だけがそのような状態に陥ったのであろうか。90 年代以降の現象ということを踏まえると、我が国における資産価格の高騰と下落、いわゆるバブルの生成と崩壊が背景として考えられる。
こうした状況の下、長期間にわたり、経済成長率は低い水準で推移し、需給ギャップは多くの時期でマイナスとなっている。同時に、人々の物価予想も低くなったと考えられる80 年代後半から90 年代初めのバブルの生成と崩壊、その後の調整の遅れが、日本の基調的な物価上昇率の低さに影響していると見られる。
成長への輸出寄与が高い国ほど物価や賃金上昇率が低くなる傾向を確認した。さらに、そのなかでも日本は、輸出寄与の高さ以上に物価や賃金上昇率が上がりにくい傾向も分かった。その背景として、賃金水準の低い新興国向け輸出の寄与の高さが考えられる。」
 
白書は景気循環的な現象であるGDPのマイナスの需給ギャップ(供給超過)が、日本の場合、長期に持続してデフレ要因として働いていると指摘している。これはちょっと普通ではない。景気循環の波で、設備の稼働率が低下したり、不足したりすることは当然である。先ほどのNKモデルも含めてGDPギャップは長期では均されてチャラになると考えられている。誰も不稼働の設備や赤字の事業を長期に抱えたりはしないはずだ・・・。
 
それでも日本企業が長期と呼んでいい期間にわたってマイナスの需給ギャップを抱える傾向が強いとすると、それはなぜだろうか? ひとつの仮説として、企業行動の特性に求めることができるかもしれない。つまり日本的な企業経営の特徴として、低収益、不採算になった事業でも、廃棄する、売却するという対応に逡巡し、長く引きずるバイアスがあるということになる。それが慢性的な過剰供給能力、過当競争、価格下落圧力を生んでいるという見方が可能になる。
 
さらには、日本的なビジネスモデルは既存の秩序を根底からひっくり返すような、創造的破壊に対して強い抵抗を示すのかもしれない。それがイノベーションの潜在力をフルに引き出す障害になっているというような仮説も可能だろうか。
 
もうひとつ白書が指摘するのが、日本の輸出志向(依存?)と90年代以降の輸出の競争環境だ。90年代以降の日本は、内需の成長率が鈍化して、経済成長が輸出の成長率の高さに依存する度合いが高まった。その一方でエマージング諸国では輸出能力が向上し(それ自体、日本や他先進国からのこれら諸国への直接投資の増加に負うところが大きいのだが)、日本の輸出品と競合する状況が増えた。その結果、日本の輸出は価格的に割安なこうしたエマージング諸国の製品との競合で慢性的な下方圧力に晒されていると理解できる。
 
「デフレ期待」の払拭と生産性上昇率の向上戦略が必要
じゃあどうすれば良いのか? 日本は90年代のバブル崩壊後の資産価格の崩落と低成長で、家計も企業も将来期待(価格と経済成長の双方への期待)が下方屈折してしまったと考えられる。今では下方屈折した期待が自己実現的なループ(循環構造)を生みだしていると言えないだろうか。
 
私は、経済は期待の自己実現と自己否定を繰り返すと私は考えている。現在の日本のデフレは、デフレ期待の自己実現の要素が働いているので、日銀はもっと大規模な国債買い切りによるマネー供給の増加(マネタイゼーション)とインフレ目標の達成をコミットすべきだろう。
 
同時に、政府は選挙目当ての財政支出のバラマキはやめて、次代の生産性を向上させる教育、科学・技術開発、その実用化支援に財政資金を傾斜的に配分すべきだ。惑星探査機ハヤブサやスパコンの予算は削るな。 日本が世界の誇れる科学技術の開発と普及・実用化に戦略的な経済資源の投入をして欲しい。
 
さて最後にアメリカの最近のデフレ・リスク問題を語ろうと思ったが、既に長くなったので、それは次回、「その4、アメリカだってデフレが怖い?」に回そう。

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