たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2010年09月

あまり短期的な相場の動きに皆さんを引き込むのは、私の意図するところではないのだが、一方、世間的にはむしろそうした短期的な動きにについての関心が高いので、多少はフォローもしておこうか。
 
政府・日銀による円売り介入があったのが9月15日、それから6日間経た9月21日時点のシカコIMMのNon commercial(投機筋)のポジションが公表された。
連中の円買いは半減して、介入前の約5万コントラクトから23,100コントラクトになっている。15日の介入が、かなり円買い持ち高のロスカット(損失拡大回避のための円売り)を引き出すことに成功したとも言える。
以前も紹介したがシカゴIMMの持ち高は、外為ドットコムのこのサイトが分かりやすい。
 
一方、クリック365で見ると、日本勢はネットで15万枚ほどのドル買い・円売りでほとんど変わっていないようだ。
でも、これで流れが変わった(円高から円安)と思うのは、おそらくまだ早いだろう。その後相場はじりじりとまた84円台前半だから、海外勢は再び円買い・ドル売りを増やしているかもしれない。
なにしろ、中国人民銀行が外貨準備の一部を円シフト(円買い)しているから、これをとんだ伏兵と言うべきか。
海外勢の円買い・ドル売りが執拗なのは、米国要因もある。今年の後半、米国の景気回復が失速すればFRBが一層の量的緩和に乗り出して、ドルジャブジャブにするのではないか。一方、日銀は今以上の量的緩和には及び腰、するとその結果は対円での一段のドル下落、という思惑がまだ強く働いているからだろう。
その思惑に終止符が打たれるためには、目先の米国の景気回復期待がまた上向くような変化しかない。ここにきて、米国の株価が持ち直しているのはそうした変化の兆しかもしれないが、まだ分からないね。
 
追伸
話は全然別だけど、東レ・パンパシフィック・オープンのシングルスで伊達公子がシャラポワを破った。
伊達公子さん、凄い。とにかく凄い。40歳直前の39歳、一方シャラポワは20歳代だろ。
身体だって、シャラポワの方が頭一つ分ぐらいでかい。
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伊達公子、一度現役を引退した後の30歳代後半からの第2の復活挑戦。
我々日本人中高年の見習うべきモデルは、これだなと思った。
 
 
 

映画 “Resident Evil”シリーズPart4 “Afterlife”が封切られたので早速見て来ました。
日本では「バイオハザード・シリーズ」と言う方が一般的でしょうか。
 
要するに近未来を舞台にしたバイオ&ゾンビ物なんですが、プレーステーションでバイオハザード・ゲームをやったためか、映画も第1作からはまり、全部見ています。
 
女房に言わせれば、「ゾンビ映画なんて気持ち悪いものは、お金をもらっても見たくない。お金を払って見る人の気がしれない」とのことですが、何事についても、なぜそれにはまるのか?を他人に対して説得力のある説明をするのは至難です。
ほとんど無理。
 
地下研究所という密室空間で展開したパート1に比べると、パート3、パート4は荒廃した近未来世界で展開する再現のないバトルということで、昔の映画“Mad Max”の世界に似てきましたね。ちなみにMad Maxの主役メル・ギブソンは大好きな役者です。
 
しかし、欧米人、特にアメリカ人は、なんでこんなにゾンビ映画が好きなんでしょうか? 連中、昔から数限りないゾンビ映画をつくってきました。
 
ゾンビというのは、人間としての意思、魂を失った生き物で、ほとんど食物(人間)を求めての条件反射的な攻撃衝動だけで動いている。日本にはこういう類例がないですね。幽霊も妖怪も、固有の意思とか感情は持っている。
 
ソンビというものがこれほど溢れ出てくる連中の文化的な土壌って、一体なんなんだろう・・・・とずうっと考え続けているのですが、まだ納得のいく仮説ができません。
ご意見のある方は、どうぞ。
 
映画の前宣伝に「大江戸りびんぐでっど」というものが紹介されました。
宮藤官九郎のいたずらのような作品ですね。
歌舞伎界にもけっこうゾンビ映画好きがいるってことでしょうか。
 
追記:「ゾンビ映画を見るときの心得」だそうです。
 

この週末、引き受けた書きものに追われているのだが、困ったことにこういう時に限って気晴らしにブログをいじりたくなる。
以下のgonchanさんのコメントに反応して、仮想対話が脳裏に浮かんだ。
「長年の住宅と株式の上昇という資産効果(および担保価値増大から来た借金)の恩恵から所得(9.5%の失業率)というフローへの対応変化はあとどれぐらいかかるのでしょうかね」
要するにアメリカの家計のバランス・シート調整が終わって、経済成長が巡航速度に戻るのに、あとどのくらいかかるか、という問題であろう。
 
仮想対話:船上のコロンブスと副官の対話
 
副官 「船長、この海をこのまま西に進めば本当にアジアに着くんですかい?」
コロンブス 「必ず到着する。間違いない」
 
副 「西の海の果てには巨大な滝があって、そこがこの世界の終わりで、その滝から落ちると奈落の底だって・・・・そう言っている奴もいるんですが・・・?」
コ 「そんなことは決してあり得ない」
 
副 「じゃあ、後どのくらいかかるんでしょうかねえ?水兵たちが不安がっていいるんですが・・・」
コ 「わからん」
 
副 「えっ!? わからないんですか?」
コ 「距離は推測したが、船の速度は風と海流次第だから、わからん」
 
副 「もうちょっと行ってみて、ダメだったら引き返すとか、考えてみませんか?」
コ 「全く考えていない」
 
副 「でも食糧にも限りがあるし・・・」
コ 「魚でも釣ろうか」
 
副 「水も限りがあるし・・・」
コ 「雨が降るだろう」
 
副 「戻りたいって騒ぐ水兵もいるし・・・」
コ 「船を降りて泳いで戻るがよかろう。止めぬ」
 
副 「・・・・・・わかりやした、食糧の足しに魚でも釣ってきます」
コ 「ご苦労、私はカツオのあぶり焼きが好物だ」
 
おわり

アメリカ経済、2007-09年金融危機と不況から回復過程にはあるが、「回復力は弱く、アメリカの失われた10年が始まっている」という議論がある。
 
失われた10年を「所得が伸びない10年」と定義してみようか。その上で9月に発表されたアメリカのCensus Bureaの家計所得データを見ると、失われた10年は今始まったのではなく、過去10年が「失われた10年」だったことになる。
 
「えつ~、そんなバカな、2006、07年頃までは経済成長し、アメリカ経済はイケイケでやっていたのではないのか?」  以下のアメリカ家計を年間所得で5分位にした実質年間所得の推移を見て頂きたい。
 
過去約10年間ほど上位20%から下位20%までの全クラスの実質所得の伸びは、ほぼフラットである。
示された所得金額は、下位から4位までの場合、各階層の一番上のクラスの所得であり、トップ階層(むらさき色)の場合は、その階層の中の一番下の所得を示している(約18万ドル)。平均値ではないので勘違いされないように。 このトップ20%の中に、大企業のCEOなど私達には大き過ぎて頭がくらくらするような金額の所得を得ているスーパーリッチがいるわけだ。
 
また過去20年、30年で見ると、上位20%と下位層の所得格差は歴然と拡大している。超格差社会である。
 
最も分布が多い階層の所得は年5万ドルほどだ。90円で換算すると450万円。このミドルクラスも過去10年、実質でほとんど増えていない。もっともデフレの日本と違い、2~3%程度のインフレ率だから名目では増えている。でもそれで豊かになっていると錯覚できるほど人間はバカじゃないだろう。
 
「アメリカのミドルクラスは所得増加の希望がほとんどないのか、日本と同じやな」と思うのはちょっと誤解しているかもしれない。というのは組織で出世するか、事業で成功すれば、下の所得階層から上位の所得階層に上がれるので、アメリカのミドルクラスにも所得増加の希望がある。ま、日本も同様だけどね。
ただし失職や事業に失敗して下の所得クラスに落ちる人もいる。
 
またこれはサーベイによる調査であり、日本で言うと家計調査と同じだから、マクロの所得データとは一致しない。マクロの所得データ(国民経済統計)を見ると、2008-09年の2年間は横ばいか若干減少しているが、10年間では増加している。
 
どちらがより実態に近いか? これは難しい問題で、お答えできる用意がない。
 
このデータを見てなんと思うか、様々だろう。
日本だけデフレと低成長で情けない、ふんだりけったりだ・・・と悲観したり、愚痴りたい方がおられれば
これを見て、まあ、なかなかうまくいかないのは日本だけじゃないよ、という気持ちになるのも良いだろう。
それとも、ただ今急成長中の中国に生まれたかったですか?あの国に?まさか本気じゃないでしょ・・・?
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民主党政権が為替市場介入という手段をどう使うか、あるいは使えないか、市場参加者が注目していたが、ついにやった。
 
「日銀、介入資金吸収せず」と報道されているので(本日日経新聞夕刊)、先日ブログでご説明した非不胎化介入である。デフレと円高の悪循環を阻止するためには、妥当な処置だ。
日本の株価も大きな上昇で反応している。
 
これでドル売り・円買いポジションを膨らませていた海外の投機筋が(シカゴIMMの非商業筋の持高がドル売り・円買いに大きく傾斜して、日本のFX勢の持高と逆であること、先日指摘しましたね)、これでロスカット(損切りの円売り)に追い込まれれば(おそらく既に一部ロスカットが出ている)、介入効果にもさらに弾みがつくだろう。ポジション転換の速さが取り柄の連中だからね。
 
よくを言えば、米国の景況感に強気のシグナルとなる景気指標が出ると一層円安に勢いがつくだろうが、そういう経済指標がでるかどうかは分からない。ただし、米国ではここしばらく、2番底を心配する一時の悲観が一服して、ポジティブな経済指標に株価が上昇方向で反応しているのが目につく。米国経済の2番底はない、問題は景気回復の減速テンポの度合に過ぎないと私は思っている。
 
とりあえず、菅首相、小沢を退け、対市場では初の為替介入、軸足をぶらさずに頑張っていただきたい。
あ、そっれ!ニッポン、チャチャチャ!ニッポン、チャチャチャ!
 
でも、本格的な円高の修正(100円方向への円安の戻り)のためには、やはり米国景気の回復トーンがまた強まって、ドル金利上昇のシナリオが必要で、それにはまだしばらく時間がかかると思う。
 

井上ひさしの遺作「一週間」を読んだ。(クリックすればアマゾンに飛ぶ)
なかなか考えさせられる濃厚な内容だった。
読まれた方もいるだろう。内容は、ここでは紹介しないから、読まれてない方は、アマゾンにレビューを書いておいたので、それをご覧いただきたい。
 
一番面白かったというか、苦笑してしまったのは、小説の中で問題になる「レーニンの手紙」の在りかを追及するソ連の若い女性インテリ将校がいらいらしながら、主人公(抑留されている日本兵、ロシア語ができる、問題の手紙を隠している)に以下のように語る場面だ。
 
「日本人は匿名主義の集団である、なにごとによらず輪郭のはっきりした個性を嫌うと、大学でそう習った。なにかにつけて角が立って目立つ人間は、集団のまとまりを壊しかねない。だから、そういう目立った人間はその集団から排除される。それが日本人というものだ・・・・教授たちは、口を揃えてそう断言していらっしゃった。それなのに、あんたのやり方は目立ち過ぎる。全シベリア60余万の日本軍捕虜の中で、こんな突飛な交換条件を持ち出したのは、あんたが初めてよ。」
 
「あんたは、例の『日本人の風向きの原則』にも適わない。日本人はいつもその時その時の風向きを気にしながら生きている。なにかというと、「みなさんがそうおっしゃるのだから仕方がない』と、その時の吹いている風に合わせて自分の態度を決める・・・・これは、ある教授の口癖だったわ。ところが今のあんたはどうですか。(略)あんたは、たった一人でその風に逆らおうとしている。これはどういうことなんですか。」
 
弊著「なぜ人は市場に踊らされるのか」をご覧くださった方は、同じバブルでも日本とアメリカではバブルに踊る動機に違いがあることを指摘した終章「『みなさんそうされていますよ』という呪縛から目を覚まそう」を思い出されるだろう。
 
あるいは既に古典である丸山眞男の「現代政治の思想と行動」で、丸山が戦争責任を巡ってナチドイツと日本を比較し、日本的政策意思決定プロセスにおける主体的意識の不在を批判した下り「超国家主義の論理と心理」を想起したい。「ラーメン屋vs.マクドナルド」の第2章で引用した部分だ(以下)。
「わが国の場合は、これだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか」
 
丸山眞男のこの部分は、「日本人論」を語る場合、どう議論するかは別として論点として外せない場所だ。実際、最近ベストセラーになった内田樹の「日本辺境論」でも、丸山の同じ個所が引用されている。
 
しかし、ここで私はちょっと深読みしたい。井上ひさし程の作家である。既に繰り返し語られてステレオタイプになった(それでいてちっとも克服はされていないが)日本に関する類型論を、また繰り返しているのだろうか? 
 
昔から指摘されているこの日本的な問題、主体的意識の不在という問題が、克服されていないことを読者に読ませると同時に、実はこうした集団埋没型の人間類型は、スターリンの下で完成するソ連共産主義国家が生み出した人間類型でもあることを言外に含ませた痛烈な皮肉なのではなかろうか?
 
この小説、会話が濃厚で、他の諸問題もいろいろ考えさせられる。エンディングに尻切れトンボの感があるのは、遺作の所以かもしれない。
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追記
ブログ名ナドレックさんが、先月書いた私のブログ「無条件降伏」って何されても文句言えないってことだったの? に以下のご自身のブログへのトラックバックをつけてくれた。
なかなか考えさせられる良い論考だ。是非ご覧頂きたい。
 
「一週間」の中では、日本兵と同様にソ連軍の捕虜になったドイツ軍兵も、ソ連軍に抑留され労役に従事させられるが、ドイツ将校らは捕虜の取り扱いに関する国際条約に精通しており、待遇改善の要求を粘り強く行ない、ソ連軍もそれを無視することはできなかったと書かれている。
 
一方、日本軍の将校はそのような国際法、国際条約の常識に欠け、ソ連軍に待遇改善を要求するどころか、旧軍の身分秩序が維持されたことを良いことに、下級の兵士らをこき使い、配給食糧まで搾取して自らは肥え、兵士を餓死や衰弱に追いやった様が、繰り返し小説のなかで描かれている。
 
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、日本の将校も日露戦争まではクソ真面目なほど国際法の順守に気をつけていたという。それが事実なら、日露戦争と太平洋戦争の間の期間に、日本軍の国際感覚・知識は大いに劣化したということになる。
 
ともあれ、シベリア抑留時の問題、全ての日本将校がそうだったわけではないようだが、こうした事態が起こったことを、戦後の私達はどれだけ事実として発掘し、議論してきただろうか? 井上ひさしのこの遺作は、そうした問題を議論もせずに忘却してしまおうとする戦後の日本への、鋭い批判だった。文字通り、彼の人生の最後の精根を傾けた批判だった・・・・。 
 

ああ、今日は日本の金融史に残る寿dayかもしれない。
振興銀の破綻がペイオフで処理されたことを祝うのは、奇妙だろうか?
 
しかし1971年に預金保険制度ができ、限度内で預金を保護するルールが設けられたにもかかわらず、
今日までペイオフが実施されたことがなかったことの方が、私には奇妙に思える。
 
政府が預金金利を規制していた時代、1980年前半までならともかく、金利・金融の自由化を進めた1980年代後半、自由化と同時に「破綻銀行にはペイオフを実施する」「誤った経営をした銀行は潰す、預金は保険限度までしか保護しない」と政府・大蔵省ははっきりと宣言し、国民に向かってしっかりと宣伝しておくべきだったのだ。市場を自由化すれば、競争で淘汰が進むのは必然の理だ。
 
それをせずに、「銀行は潰さない神話」を許してしまった。その結果、1980年代の後半から90年代初頭にかけて、不良債権が増え始めて信用力の劣化した銀行、信組、信金でも、預金金利を他行より高く引き上げることで大口預金を吸収し続け、不良債権を膨らませながら存続を続けた。1年物定期預金金利を1%も高く設定し、預金を吸収し続けたあげく破綻した銀行、信組、信金が沢山あった。
そのことが90年代のバブルの損失をひとまわり大きくしたと思う。
 
90年代半ば、銀行業界全体の損失が膨れ上がった後となっては、もはやペイオフは発動できなくなった。潰せば預金引き出しの連鎖が起きて、金融危機を深刻化させるからだ。
 
信用力が落ちると資金調達コストが上昇し、やがて預金金利を上げても預金が逃げて行く、そういう市場を通じたメカニズムを働かせてこそ、金融機関の経営に規律が強制され、不良金融機関は早めに淘汰される効果が生まれる。
 
それでもバブルは起こるときは起こるだろうが、早めに不良金融機関が淘汰されれば、金融システム全体の傷も相対的に小さくて済む。ただし預金保護が全くないと、不必要に預金者が不安に駆られ、金融システムが不安定化する。市場を通じた規律と一定度の安心、それをバランスさせるメカニズムの核心が預金保険制度によるペイオフなんだ。
 
それを封印し続け、あるいは発動できないでいた状態だったことこそ、異常、奇妙と言うしかない。
そうした日本金融史の奇妙で異常な時代が今日終わったと思いたい。

8月に日本経済新聞に掲載された為替関連記事を2つホームページにアップしました。まだご覧でない方は、以下のサイトからご覧頂けます。
 
世の中、円高阻止のために政府・日銀が市場介入(円売り・ドル買い)するの?しないの?と話題になっているので、先日エイハブさんから頂戴した市場介入関連の問題提起について、ちょっとまとめておこう。
 
「介入に関し、疑問に思うことが幾つかあります。
1.自国通貨に関しては非不胎化しているけれども、相手国通貨の短期金融市場への影響は放置しているという理解でいいのでしょうか?特に相手国の賛同を得ていない単独介入の場合、先方の中央銀行からは「メンドウなオペを押し付けやがって」という話にはならないのですかね?」
 
エイハブさんのこの質問、「何言ってんだかわかんねえ」方も少なくないと思うので(いや、分からない方が普通)、補足しよう。
日本政府・日銀が円売り・ドル買い介入すると、民間に対して円資金を提供して、見合いにドル資金を吸収することになる。 当然、マネー市場の資金需給は日本では円資金が供給されて、その分だけ円資金余剰になる。
 
介入で生じたこの円資金余剰分を、公開市場操作で別途吸収して円資金需給への影響を中立にすることを「不胎化」と言う。逆に「非不胎化」とは、供給された円資金による余剰を放置すること。
 
外為や国際金融の議論に疎い方は、「不胎化なんて、へんな言葉じゃないか」と思うだろうが、私もそう思う。いっそ、円資金を放出するけど、同時に回収して「妊娠」させないのを「避妊化」、放出しっぱなしを「妊娠化」とでも読み変えておくと頭に入る。
 
一般に、不胎化を伴う円売り介入は、外為市場の需給には一時的なインパクトを与えるが、円マネーの供給量が増えるわけではないので、持続的な円安効果はないと考えられている。逆に、非不胎化を伴う場合はある程度の円安効果も見込めるはずだということになる。
 
さてエイハブさんの質問は、ここから先で、円売りの対価のドル買いでドル資金はマネー市場から政府・日銀が吸収することになる。それは最終的には日本政府が米国債を購入して、外貨準備になるわけだ。 そのことはドル資金としては、民間市場からドル資金が吸い上げられるので、ドル資金の需給がタイトになる。 
 
デフレ不況回避のためにドル資金ジャブジャブにして、短期ドル金利もゼロ近辺の水準にしておきたいのは米国FRBも同様だから、日本によるドル資金吸収の影響を相殺するために、FRBはドル資金供給の公開市場操作をする必要がある。 そこで「日本が介入したおかげで、メンドウなオペ(公開市場操作)を押しつけやがって」とFRBが思うことはないのか? というのがご質問ですね。
 
ほとんど全ての国はなにがしらの外貨準備を保有して、その60%以上はドルで保有している。米国マネー市場における諸外国の政府・中央銀行のドルの支払いや受け取りは、毎日莫大な規模で起こっており、FRBはそうしたドル資金の供給と需要の全てを含めてマネー市場での操作(ドル資金の吸収、あるいは放出)を行なっている。別に日本だけの介入見合いに追加的な手間が増えると言うことはないと思う。これが私の答え。
 
別の質問はまた後で。

「グーグル秘録 完全なる破壊」(GOOGLED:The End og The World As We Know It)
今年5月に和訳が出たこの本、アメリカのジャーナリスト、ケン・オーレッタの著書
 
この本を今読んで改めて感じたのだが、グーグルが既存のメディア、広告業界、出版、音楽、さらにマイクロソフトなどの既存事業、既存業界に対して、「創造的破壊」の力をガンガン及ぼしている。そういう事情が良くかけている。
 
競争相手と陣地をひとつひとつ奪い合うような時間のかかる競争ゲームではなくて、既存のビジネスモデル、やり方を無力にするような新しいやり方を普及させることで、オセロ・ゲームのように一気にフィールド全体を塗り替えてしまうような競争だ。読んではいないが、以下のような本も売れているそうだ。

インターネットの引き起こす変革にはそういう力がある。だからどの業界でも、企業が必死に買収したり、買収されたりという状況が90年代後半からとても強まった。
 
そういう状況のなかで、既存業界が今一番ピリピリしているのがグーグルだということになる。
その「創造的破壊力」は、やはり日本で既存の通信業界に挑戦した日本のソフトバンク・孫氏の比ではない。
 
インターネットにしろ、グーグルにしろ、こういうものや連中が登場して、短期間で急成長して、ビジネス・ゲームの在り方自体を一変させてしまう。こういうところに、良いか悪いかはともかく、アメリカのダイナミズム(成長力)を感じるのは私だけではあるまい。

経済・社会は成熟すると成長が鈍化する。既存のものを壊して、新しいものに変えないと高い成長は維持できない。 この点は「なんで日本だけデフレなの?」シリーズのその2で紹介した東大の吉川洋教授がシュンペーターから引き出している内容と関連している。
 
「吉川教授はケインズ学派であり、不況とデフレは需要不足が問題と考える。ただし、その特徴はシュンペーターの議論から多くの示唆を引き出している点だ。「転換期の日本経済」(岩波書店、1999年)では、経済成長について、供給される商品のイノベーションが起こらなければ、つまり同じものばかり生産・供給していれば、経済は需要が飽和する形で成長が止まる(ひとり当りのGDPは増えなくなる)ことを説いている。」
 
ただしイノベーションといってもいろいろのレベルがある。日本の企業(あるいはカルチャー)は機械や電気製品の機能向上など漸進的な進化には強いが、既存のビジネスモデル自体をひっくり返してしまうような新機軸、新ビジネスの創出は相対的に弱いのではなかろうか。
 
既成秩序を維持しようとする力が強くて、そうした挑戦は芽のうちに潰されたり、育たなかったり、あるいはそもそもインセンチブが与えられない。
 
ソフトバンクの孫さん程度の挑戦でも、NTTなどは目の敵にして、なんとかつぶしてやろうとするようだ。
もちろん、ライバル企業の登場を叩くのはアメリカとて同じ。隙があれば買収されてしまう。ただし、新機軸対旧機軸の戦いが、アメリカでは5対5程度なのに、日本では1対9で圧倒的に旧機軸が強い。
 
なぜ?やはり資本の違いかな。アメリカには新機軸に出資する個人やファンドのベンチャーマネーが豊富だ。それ自体、超格差社会での富の一極集中の結果だけどね。その点日本の金は、大企業や金融機関の金ばかりで、大組織の幾重の稟議を経ないと金がでない。
 
「それ、おもしろそうやないか、ほなわしが金出すで」というキャピタリストが、日本には乏しい。これは良い悪いの問題ではない事実としてね。

日本や欧州に弱くて、アメリカに強く働いている力は、ひとことでいうとこの破壊&創造の力かもしれない。
この点で、とりわけ日本の大銀行はダメだね。以前長く務めた職場だから良くわかる。
 
私自身が勤めた東京銀行には、良く言えば自由で個人的な判断が活きる余地があった。私自身その恩恵に浴して、今から振り返ると危ない冒険もやったが、1996年に合併してからは組織が硬直化してしまって、何事も上意下達の大組織になってしまった。2006年にUFJとの合併で、その傾向はますます強くなったようだ。
 
いつの時代も大きな変革は「周辺部」で起こると考えている。ところが日本ではその周辺部が貧弱なんだな。
 
追記
読んでいないけど、スタンフォード大学のティナ・シーリングという先生のこの邦訳版もアマゾンで10位前後にはいるベストセラーになっている。
 
「今2ドルを2時間で増やす方法を考えてください」とかいうケーススタディーで始まるのだそうだ。
 
「人生でもっとも興味深いことは、あなたが定められた道をはずれ、常識を疑い、リスクをとり、自分で幸運を呼び込んだときに起こります。このことをわたしは彼らに教えてきました。問題というのはたいてい、見方を変えればチャンスなのです。」著者
 
日本の学校では、こういう見方、発想法、ほとんど教えないよね。
ひとことで言えば「人と違うことを選んでやって、成功しちゃおうぜ」みたいな感覚。
 
アメリカではそれが謳歌されるのに、日本では「人の裏をかく」みたいな悪いこと感覚で受け止められる。
やはり教育が権威主義的なんだな。
 

yos*i*sieさん.のコメントを取り上げてみましょうか。黒字がyosさんのコメント
青字の部分が私の対応コメントです。
 
「健全な需給によるインフレか、通貨価値(信頼)の棄損によるインフレか、
最近円高是正をサボっていると日銀に批判が集まっていますが、では批判している人は上記のどちらを行えと言っているのだろうか?はっきり言い切ってもらいたい。
 
インフレというものは程度の違いはあっても、本質的に通貨価値の下落、棄損であることに変わりない。その程度が2%程度か、10%か、あるいはハイパーインフレのように100%を超えるかという程度の違い。
 
「健全な需給によるインフレ」というのは、現在日米欧みなそうなっているGDPのマイナスの需給ギャップ(需要過少)が解消して、デフレから軽度インフレ(一般に金融政策当局が望ましいと考えているCPIで2%~3%程度のインフレ)になることをイメージしているのだと思う。
 
「なぜ日本だけデフレなの?」シリーズで解説した通り、インフレ・デフレ要因は、①マネタリー要因、②実体経済要因(需給ギャップ)、③経済主体の期待要因の総合的な結果だと考えている。どれか一つの原因だけでインフレ・デフレは説明できない。
 
また、軽度のインフレが望ましいという場合に、それがどの要因によってもたらされるかは関係ない。
だからご依頼に応じて、はっきり言わせて頂くと、「現状のデフレから脱してCPIで前年比2%程度のインフレになることが今の日本には望ましい」とだけ言える。
 
マネタリーな政策であってもデフレを終わらせることを市場参加者に期待させることができれば、デフレ期待がインフレ期待に変わり、経済主体の行動選択が債務返済から資金調達・実物投資に転換し、マイナスのGDPギャップも解消に向かう。
 
また、インフレが過度になりそうだったら、それを予防するには金融引き締める、つまり金利を上げればよいのだから、通常の金融政策で対処できるという点で、デフレより対処しやすい。 デフレの厄介さは、金利政策が機能しなくなる点にあるんだから。
 
前者の手段はほぼ存在しない(アジア円経済圏を作ってアメリカから独立するぐらいか)。

「アジア円経済圏」がなぜマイナスのGDP需給ギャップが解消する方策になるのか、不明。

国益といえばハードランディングをしないこと(ハードランディングをして混乱が起こると、安いところを外資に買い叩かれて奴隷になる。日産をフランスに取られた。毎年何千億円も貢いでいる)。そのためには今の政府の過剰な借金(国債バブル)や世代間格差のようなひずみを大きくしないことが一番の国益と思う。

それはその通り。ただ、「日産をフランスにとられた」という言い方には賛成できない。それを言ったら、「GMはトヨタによって破綻させられた」とか、「ソニーがアメリカの映画産業を奪った」とか言えてしまう。 相互に買収し、買収され合うのが、グローバル経済の現実。

そもそも通貨の信頼を毀損するような円安政策を取ったとしても、余計な金利を払うだけ。その金利は結局将来世代に付け回されるだけ。今、無鉄砲に緩和しろとわめいている人たちは、今さえ良ければ後は知らないというようにしか見えない。自分の任期さえ無事に過ごせばOKという公務員となんら変わらない。まあ、有効な手段がないとわかっている人も結構多いとは思いますが。
少なくとも私は一方的な円安論者ではないことは、弊著ご覧いただければ分かるはず。
 
ただし景気が脆弱な状況で購買力平価よりも円高になるというのは、風邪をひいている時に体を冷やすようなもので害が大きい。第1次世界大戦の後、通貨価値が低下したにもかかわらず割高な旧平価で金本位制に無理やり復帰して、デフレ不況になったのと同じ影響がでる。
従って、過度な円高にはしない方策が、金融・為替政策に求められる。
 
また、デフレの方が政府債務問題にとって望ましいと、もしお考えならば、全く間違っている。政府債務問題のソフトランディングには軽度のインフレの方が望ましく、デフレは政府債務問題をますます困難なものにして、最後にはハードランディングを導く要因となる。これは世界の財政学者のコンセンサスだろう。
 
この点は、ビジネスオンラインで以前、桑原進先生が次のように解説しているので、勉強しておいて頂きたい。関連命題:ドーマーの定理
「このように、デフレが起こると名目上は財政への負担が減るような気がします。ところが実質はどうかというと、デフレが起こっている裏側では名目GDPが小さくなっているんです。将来、国債を返すもとになるのが名目GDPです。国民全体の所得です。これが縮んでしまうと返せなくなります。  債務残高はデフレでも減ってくれませんからね。従って、返済義務の相対的な負担はむしろ増大します。このようにデフレ下では見た目の財政赤字が隠され、実質では増大するということが起きてしまうのです。」
 
だいたいこんなところで良いでしょうかね。
 
 
 

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