塩野七生さんが昨年の文芸春秋に書いていた以下の言葉が脳裏に浮かんだ。
「私は、鳩山という首相を、「日本の悪夢」として忘れることにしたのである。この人が首相であった九カ月間を細かく詮索したりすれば気が滅入るだけだし、……忘れるほうがよほど生産的である」
当時、全くその通りだと同感したが、この塩野さんの言葉がまた思い出してしまったのは、琉球新聞(2月13日)の以下の記事をたった今インターネットで見たからだ。
【東京】「鳩山由紀夫前首相は12日までに琉球新報などとのインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の移設交渉の全容を初めて語った。「県外移設」に具体的な見通しがなかったことを認めた。「県外」断念の理由とした在沖米海兵隊の「抑止力」については「辺野古しか残らなくなった時に理屈付けしなければならず、『抑止力』という言葉を使った。方便といわれれば方便だった」と述べ、「県内」回帰ありきの「後付け」の説明だったことを明らかにした。在沖海兵隊の「抑止力」の根拠の薄弱さを浮き彫りにした前首相の歴史的証言は、県民の反発と波紋を広げそうだ。」(全文は以下サイト)
「最低でも県外移設」と言ってできない約束を振りかざし、最後に県外移設の断念を表明した時に、「安全保障上の抑止力維持のために基地の維持が必要と分かった」という趣旨の発言をした時には、「そういうことは政権構想の時に事前に考えて腹をくくるなり、党内部のコンセンサスにしておくべきもんだろう」と思い、唖然とした思いがある。
ところが、今度はその時の理由付けが「方便だった」というのだから、何回人を唖然とさせればすむのだろうか・・・。首相を辞任した時に「国会議員も今期でやめる」と言っていたことも既に反故になっているし、忘れたくても蘇る悪夢のようだ。