たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2011年05月

「民主党よ潔く分裂して出直せ」これは昨年暮れに日経ビジネスオンラインに書いた論考のタイトルだ。
 
いよいよ自民党が中心になって菅内閣に内閣不信任案を出すそうだが(早ければ6月1日?)、小沢さんらの派は「否決投票」しない方向で動いているという。不信任案が過半数をとれるかどうか、微妙だが、本当に小沢派が分派行動に出れば、民主党は事実上分裂することになる。
 
小沢派の本音は分派せずに、菅内閣から「大きな妥協(菅首相辞任?)」を引き出すことにあるのかもしれないが、菅首相は妥協しそうにないから、その場合は分派となる。
 
考えられるシナリオは
1、小沢派が分派せずにホコをおさめる(ここまで来てそれはもうできないのでは?)
2、分派行動するが、内閣不信任案成立に必要な衆院過半数に達しない。
→ 2-1、小沢派は分派、脱党する。
   2-2、小沢派は党内にとどまり、なんらかの妥協が成立する(それはいくらなんでもないだろう)
3、小沢派の分派行動で内閣不信任成立(やはり民主党は分裂する)
→ 3-1、菅首相は衆院解散、総選挙
   3-2、内閣交代で切り抜ける(でも小沢派が脱党して議席を減らした民主党に衆院を仕切る力は
      もうないだろう。だから遠からず解散総選挙か)
4、内閣不信任案の可決の可否にかかわらず、小沢派が民主党を出た後、自民党&公明党と残存民主党の間に連立が成立する(連立の条件として民主党は2009年マニフェストの撤回をのむ)
 
こう考えると、小沢派が内閣不信任案に関して分派行動に出る限り、総選挙か、あるいは残存民主と自民&公明で連立というシナリオしかなさそうな気がする。 「今は総選挙やっている場合じゃない、震災復興で目先2年間ほど連立しましょう」というのはかなり受け入れられる選択肢ではなかろうか。
 
私が最も嫌な展開は、分派した小沢派に自民党が近寄って、連立を志向することだ。いくらなんでも、政治的にも政策的に無節操すぎるだろ。自民党も民主党も本当に政治理念(ビジョン)を軸にした政党に再編できるかどうか、それが問われているだと思う。
 
追記(2011年6月10日)
幻と化した「菅・小沢抜き大連立」
本日の日経新聞web版「菅・小沢抜き大連立」
私もこの記事に書かれているシナリオに近いものを期待していたのですが、頓挫しましたね。

昨日大阪梅田の龍谷大学キャンパスで一般人向けの公開講座を行った。
梅田のヒルトンプラザ・ウエストのビル、14階を大学がセミナー会場や学生諸君の就職活動の拠点として運営しているのが「龍谷大学梅田キャンパス」だ。大坂駅の駅ビルも長く工事中だったが、完成してすっかり綺麗になった。
 
今回の公開講座は、大学の経済学部50周年の記念事業の一環として、一般社会人向けに何人かの先生方が担当し、それぞれ専門、得意分野のテーマで講演するものだ。私は「賢い資産運用の秘訣」という題目でお得意の外貨投資から投資信託、ETFの話まで展開した。
 
講演の内容は以下のホームページに資料をpdfにして張り付けておいたので、ご関心のある方はご覧頂きたい。
 
60余名ほどの方がお集まり頂いた。年齢層は50歳代から60歳代で、日本でもっとも金融資産を持っている年齢層だ。
 
個人投資家の方々を対象に講演する時はいつも冒頭でお尋ねして、挙手でお答え頂くのだが、「高金利の外貨債券に投資する投資信託を買われた経験のある方、手を上げてください」というと過半の方の手が上がる。「それで損された方、手を上げてください」というと、ほとんどの人が損をしている。 
 
また、「FXトレーディングをされたことのある方?」と尋ねると、2、3名しかいない。FXトレーディングの年齢層は相対的に若く、20歳台から40歳代である。
 
株式への投資はほとんどの方がやっているが、インターネットを使ったオンライン証券を利用している方は数名と少ない。ほんとんどの方は証券会社に電話、あるいは店頭で売買をしている。これは50歳代以上の特徴で、40歳代以下だとインターネット利用者の比率がもっと高くなる。
 
中高年でもインターネットを使いこなしている方々は、もちろんいるのだが、大雑把に括ると、50歳前後に一種の分水嶺があり、それより年齢の高い層では投資についてもインターネットの利用頻度は大きく低下する。
 
私の講演はかなり受けたようで、最後に20分ほど時間を取って質問を受け付けたところ、5,6名の方々から次々と質問があって、私自身も面白かった。みなさん、金融機関の営業にはなんらかの不満を感じている。だから、金融機関の営業、推奨商品がなぜ間違った選択なのか、にもかかわらず彼らはなぜそれを推奨するのか、正しい長期・分散の外貨投資とは何を買うべきなのか、など大胆・明瞭に語ると反応がとても良い。
 
そりゃあそうだろう。大学で金融論や現代投資理論を専門にしている先生方は、金融投資ビジネスの実態を知らない。一方で、金融機関に所属しているエコノミストやアナリストは所属機関にとって「不都合な真実」を語ることはできない。フリーの評論家やFPだって、金融機関の講演会に招へいされたり、寄稿したりしてやっている方々は、「不都合な真実」には口を閉ざす。
もっとも中には、都合のよい虚構を語っているうちに、自分自身でその虚構を信じてしまっている方々も多いのだが・・・。
 
 

雑誌「公研」の5月号で元ドイツ証券のチーフエコノミスト、武者陵司さんと対談した。
タイトルは「日本経済再生への転機」、内容は私のホームページにpdfで張り付けたので、ご関心のある方はご覧頂きたい(以下)。
また、武者さんのレポートが掲載されている「武者リサーチ」のサイトは以下の通り。
 
対談は意見が同じではつまらないが、意見が全く対立してしまうとかみ合わない。
この対談では私はある程度共通点を強調している(たとえば最近の米国の対日姿勢・戦略が中国台頭要因で「融和的」なものに転換したことなど)。しかし武者さんの地政学的な要因、とりわけ米国の対日戦略で為替相場から日本経済の浮沈まで全部説明できるかのようなご主張には実は違和感が強い。
 
また日本経済の今後については、対談の中で語っているように、私は2003年春以降、不良債権問題が峠を越して、日本株が上昇に転じた時ほど楽観的な気持になれない。当時は小泉政権の政治的なイニシアシブが強く働いていた(反発する方もいたが、強いイニシアチブは必然的に反発も生じるものだ)ので、その点でも私は楽観的になれた。
 
しかし、2008年以降の現在、財政赤字の膨張は一層ひどくなり、不可避である税制と社会保障の一体的な改革はかけ声だけでまだ進みそうにない。政治(首相)のイニシアチブがあまりに脆弱で、方向感も戦略も見失っているため、このままのコースを辿った時の10年後の日本を想像すると気分が塞ぐ。
 
目先の政局的な思惑だけで動いている政治(政治家)の状況は「再生への転機」というよりも「能天気」、この状況が変わればもっと楽観的な気持になれるんだが・・・。
 
竹中正治ホームページ
 

本日(5月15日)の日本経済新聞のSunday Nikkei、マネー生活の欄に以前も紹介した田村正之さん(編集委員)の記事が載っている。
 
そのポイントをひと言で言えば、日本人でもグローバルに分散されたアセット・アロケーションを持っていれば、過去15年間も「失われた15年」ではなかったということだ。公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人と企業年金連合会の1995年を起点とした運用成績がグラフになっている。
 
両機関とも1995年度末を100とした資産が、価格変動と利息・配当などの運用益の合計で140台になっている(2009年度末)。 日本株が長期でも大幅に下がっている過去14年間にプラスの運用実績を上げたのは、ほとんど海外株式への分散投資が大きなプラスとなっているからだ。
 
投資というと、「どの株が上がりそう?」という議論ばかりやっている人達が多いが、銘柄選定によるリターンの長期的な相違は、リターンの10%程度でしかなく、「90%はアセット・アロケーションで決まる」という調査結果が、例えばバートン・マルキールの「ランダム・ウォーカー」に紹介されている。(マルキール先生は未だに「効率的市場仮説」を基本的に信奉している点が問題だが、この本はやはり読む価値がある。私は大学のゼミのテキストに使っている。)
 
海外債券への投資もアセットに入っているが、長期では円高の結果、日本の債券に投資したのと同じ低リターンに収れんすることは掲載されている別のグラフが示している(それでも海外債券は多少プラスが期待できるが、大きな為替変動のリスクを負いながら、結局低リスク・低リターンの日本の債券投資と同じでは、割に合わないだろう)。この点で、私の言ったことも記事に引用されている(以下)。
 
***
「外貨建て投資は金利が高いから有利」と単純に思わないことも重要。金利の高い国はインフレ率も高いことが多い。インフレ率が高ければそのお金で買えるモノが減り、価値が下がる。「為替は2つの国の通貨の交換価値なので、長期的には高金利=高インフレ国の通貨は下落するのがセオリー」(龍谷大学の竹中正治教授)だ。
***
 
記事では書かれていない点を、強調しておくと、金利差は長期的な為替相場で相殺されてしまうが、長期的な為替相場のマイナスの変化を大きく上回るリターンを上げることができるのは、海外の株式への分散投資だ。
 
ところで、上記の年金運用両機関の実績だが、14年間で100→140台という変化は、年率投資リターンにすると2%台半ばに過ぎない。 企業年金も公的年金も給付については確定給付であり、そこで想定されている運用リターンは概ね3%から5%だろう。だから、実は足りない。
 
やはり景気変動に対して、もっとアグレッシブなアセット・アロケーションの変更か、レバレッジを効かさないと5%~10%の運用リターンは望めない。当然リスクも高くなるけどね。
 
***
以下は田村正之さんの本
私の本と一緒によろしく
 
 
 
 

今日、映画GANTZの後半編「GANTZ Perfect Answer」を見て来た。
 
以前GANTZのアニメと映画(前半編)をこのブログでコメントした時に、ワシントン時代の若い友人(私より一世代若い、と言っても30歳代だが)が、わざわざEメールしてきて、「ブログを拝見したところ、竹中さんはまだ原作マンガは読んでいないと書いていましたが、GANTZは原作が凄い、いや凄すぎるんです。アニメも映画も原作の世界に全然及ばないと思います」と言っていた。
 
もちろん、原作マンガも読むつもりだったが、読みだせば間違いなく「はまる」予感があったので、ちょっと暇になってから、おそらく夏休みにでも読もうか、と思っていた。しかし、「凄すぎるんです」と言われると気になって抑えられなくなった。とうとうGWの後半から古本(Book Off)で買って読み始めた。
 
やはり、はまった・・・・(^_^;) 
一気に読んでしまうともったいないので、1冊ずつ買いながらまだ21巻までしか読んでないが。
しかし、バトル系マンガってのは、どうして男性に対してこう普遍的な吸引力があるんだろうね。
 
私は昔少年ジャンプで連載していた「北斗の拳」にはまって、30歳過ぎても「北斗の拳」が読みたくて、毎週少年ジャンプを買って読んでいた。ある日、駅のキオスクで少年ジャンプを買ってそのまま電車に乗って女房の実家に行った時のことだった。義理母が「まあ、竹中さんも少年ジャンプ読むの! うちに来る子たちも大好きよ、それ」と言われた。義理母は公文式の塾で小学生を教えていたので、「うちに来る子」とは小学生の生徒たちのことだが・・・・。
 
さすがに40歳越えてからは、週刊誌ではマンガは読まなくなった。だから、GANTZも映画が出るまでは知らなかった。
 
で、原作と比べて映画の出来栄えはどうか?二宮くんや松山ケンちゃん(小雪さんとの結婚おめでとう)の熱演にもかかわらず、やはり原作マンガの世界とは比較できない、と言っておこう。
ちなみに松山ケンちゃんの日本刀での乱戦シーンは、どうも映画「カムイ外伝」のイメージと重なってしまう。
原作マンガはまだ連載中だが、作者もここまで読者をひぱってしまうと、どういうエンディングにするのか、責任重大だねえ。つまらないエンディングにしたら、熱狂的なファンに襲われたりして・・・。
 
それではみなさん、原作マンガも読んでくだチい。

2009年5月に底を打った米国の住宅市況が、再び悪化して2番底シナリオが現実になるのではないかという観測が今年の3月頃から広がっている。一応ちょと注意しておこうか。
昨晩のWSJは、次のような記事を掲載している(一部だけ引用)。
 
Home Market Takes a Tumble.
 
Home values fell 3% in the first quarter from the previous quarter and 1.1% in March from the
previous month, pushed down by an abundance of foreclosed homes on the market, according to
data to be released Monday by real-estate website Zillow.com. Prices have now fallen for 57
consecutive months, according to Zillow.
 
While most economists expected sales to decline after tax credits expired, the drag on the
market has been greater than many anticipated. "We expected December and January to be bad"
as the market reeled from the after-effects of the tax credit, said Stan Humphries, Zillow's chief
economist. But monthly declines for February and March were "really staggering," he said. They
indicate "a reflection of the true underlying demand, which is now apparent because most of the
tax credit is out of the system, and it's being completely overwhelmed by supply."
 
私のホームページの「住宅価格指数」の欄の米国住宅価格指数(S&P/Case-Shiller Index)を直近データまで更新しておいたので、気になる方はご覧頂きたい。記事で引用されているZillowの指数とは違って、ケースシラー指数は価格指数の動向は2009年5月にいったん底打ちを見せて2010年は回復基調だったが、直近数カ月は頭を打たれて下落している。
2009年4月の底を更新するようなら「2番底シナリオ」と呼んでいいだろう。
 
雇用の回復がまだ十分強くなく、失業率が高い(9%)状態での住宅資産価格の下落は、負の資産効果で消費を冷やしてしまう。
 
ただし「2011年の世界情勢」(PHP研究所)の米国経済の章でリスク要因として強調しておいたように、住宅市況は大量の差し押さえ物件の供給で2011年はもともと上昇は期待されていない。概ね横ばいならOKの見通しだ。
 
2009年の底値を多少割り込んでも、そのまま2007-08年のような大崩れにならずに、株価が穏やかな上昇トレンド(年率5%から10%)を維持できれば、2011年の米国経済としては上出来で、実質GDP成長率もも3%前後の走りを維持できると思う。
 
もちろん、もっと悲観的なシナリオを唱えている方々もいる。そうした方々には、リーマンショック以来ずっと悲観論を唱えている方も少なくない。「止まった時計も1日に2回は正しい時刻を示す」の類に見える。

本日5月9日の日経新聞に掲載されている「ETF、価格のズレをつかむ」(田村正之編集委員)の記事は、ちょっと技術的内容だが、ETF投資について対象資産の時価との乖離まで気になる「ちょっと玄人系」の投資家には重要な内容だ。
 
ちょっと引用しよう。
 
「株価などの様々な指数に連動して動き、低コストで知られる上場投資信託(ETF)。取引される市場価格と、実質価値である基準価格との間にズレが生じる。
 
まず図Bで基準価格算出の仕組みを知ろう。国内資産が対象のETFの場合、算出日の対象資産の終値で計算し、夕方に公表する。つまり翌日の取引時間中に見られる基準価格は前日の終値以降の市場の変化は反映されていない。
 
海外資産はさらに時間差がある。一般に「日中に見られる基準価格は、前々日の海外市場の終値に前日の為替を掛けて算出したもの」(野村アセットマネジメントの田畑邦一シニア・マネージャー)。
つまり基準価格は取引時点の価値をそのまま示してはおらず「経済情勢の変化を織り込んだ市場価格が、基準価格と一致しないのはある意味当然」(日興アセットマネジメントの今井幸英ETFセンター長)。
しかしながら、同じ方向での乖離が継続しがちなのは、乖離の原因が時間差だけではないことを示す。「そのときどきの人気度合いなどが反映されている」(QUICK・QBRの高瀬浩主席研究員)」
引用以上。
 
誰でもETF価格の乖離が割高な時には買いたくない。ならば割安の時に買えばもうかる確率があがるかというと、相場が下げ局面にある時には割安で買っても相場の下げ自体で損失になるので、そう単純にはいかないだろう。
 
以前紹介したが、ETFの乖離幅について以下のサイトが一覧にしてくれている。
 
 

さて、GWの最後にもう一冊だけ書籍のレビューを書いておこうか。
国家は破綻する(This Time Is Different)」(CMラインハート&KSロゴフ)
 
日本語タイトルは誤解を誘う。国家の債務破綻だけでなく、民間の銀行危機、デフォルト、ハイパーインフレを過去数百年遡って、データベースを整理、構築しながら検証した内容だからだ。
2007-08年の米国を震源地とする国際金融危機についても、1章あてられている。
 
政府や民間の債務危機、金融危機には、超長期に遡っても共通したパターンが見られることを抽出し、危機の繰り替えしに終りがないことを警告するメッセージとなっている。「もう過去の危機のパターンは克服された」と政府も世間も感じている時が一番危ない。そういう意味で「This Time is Different」というブームやバブルの時に毎度繰り返される「おめでたい」言説パターンへの批判である。
 
本書の厚さに抵抗感を感じる方もいるだろうが、なぜかフォントがかなり大きく(12フォント?)、内容以上にぶ厚くなっている。
 
同種のジャンルにはキンドルバーガー著の「熱狂、恐慌、崩壊-金融恐慌の歴史(Manias, Panics, and Crashes )」があるが、キンドルバーガーの著書がデータをベースにしながらも概ね歴史物語形式で叙述されているのに対して、本書は個別の危機物語よりもマクロデータを通じて浮かび上がってくる分析が主である。その分、ちょっと非エコノミスト系読者にはややとっつきにくい内容かもしれないが、難解ということはないだろう。
 
本書の中で私にとって印象的な分析結果をひとつあげると、過去200年遡って「より自由な資本移動と銀行危機の発生率の間には、驚くべき相関性が認められる」(p.240)である。 戦後に関していうと、1971年のブレトンウッズ体制の終焉と73年からの変動相場制への移行で、国際通貨システムのトリレンマのひとつの辺である「固定相場制レジーム」から他の辺である「変動相場制レジーム」に移行したことで、国境を越える資本移動が自由化されたのが現代である。グローバリゼーションもその結果である。
(トリレンマについて不詳の方は、以下私のサイトの2010年11月の論考(雑誌エコノミスト掲載)をご参照)
 
このレジームシフトが必然化した国際的な資本移動の自由が、銀行危機の発生率を高めているのであれば、やはり国際的な協調的対策が必要だろう。詳しくは述べないが、単純に資本移動規制を強めればそれで済むというものではないので、厄介な問題である。
 
政府の国内債務の膨張と破綻(デフォルト)の章では、やはり日本の将来を考える上で、財政の抜本的な改革が不可避であることを痛感させられる。ちなみに、高インフレはデフォルトの一種とみなすことができる。
果たして日本のコース転換は間に合うか?民主党政権にそれができないことだけは、よくわかった。
 
 
 

「宗教を生み出す本能」(ジェームズ・D・ワトソン)これもGWに読んだ中で、かなり面白かった。
 
宗教についてかなり盛り沢山の内容だが、本書の一貫した主張は宗教が持つ社会的な機能の進化である。すなわち、人間社会ではグループの成員が利己心を抑制して、共通した価値観、道徳を有し、結束することで利害的に敵対するグループに対する攻撃力と防御力を高め、その社会(グループ)全体の生存が有利になる。その機能(道徳的直感・本能)の形成を宗教が担って来たと主張する。その観点から、宗教的衝動が平和的・道徳的側面と戦争・残虐の側面の双方を持つことも解き明かす。

こうして形成されてきた人間の宗教行動は後天的・文化的な要素のみでなく、淘汰の結果として遺伝的基盤にも根差したものとなっていると説く。ただしそれは現時点では仮説であって、十分に検証できたものではないとも認めている。

人間に遺伝子レベルに根差す「道徳的直感」があるかどうか、あるとすればそれはどのようなものであるかは、かなり議論を呼ぶテーマだろう。現代の言語学では言語は全くの後天的・文化的な学習の産物とは言えず、言語構造としての文法には「メタ文法」とでも言うべき基本構造があり、それは人間の遺伝子的なレベルの特性に根ざしているという議論が有力だそうで、宗教の核にある「道徳的直感」も同様だと言う。

人間は道徳的な判断の理由を求められると、理屈をつけて説明するが、実はそれは無意識下に根ざしている道徳的直感を意識が正当化しているだけだ。実際に道徳判断は突きつめると合理的な説明は不能だと論じる。

そこで登場するのが、マイケル・サンデル先生のベストセラー「正義」で登場した「暴走する路面電車」の事例だ。「正義」を読んだとき、このたとえ話はサンデル先生のオリジナルかと思ったが、そうではなかった(「正義」ではその点は本文には書かれていないが、引用文献として掲載されていた)。サンデル先生はこの事例を功利主義的思想とそれに対する批判の構図を説明する材料に使っている、と私には読める。

しかし「暴走する路面電車」の事例は道徳哲学者フィリッパ・フットの考案で、道徳的な推論では合理的に説明できない道徳的直感を人間が持っていることを考察したものだった。このような道徳直感に関して心理学者のマーク・ハウザーは、「接触原則」「意図原則」「行動原則」の3つに整理する。その内容については本書を読んで頂きたい。

経済活動を含む人間の社会を、利己的で合理的な諸個人の選択の結果として説明するアプローチは、その最たる経済学の分野でも破綻が見えている。アダム・スミスが「諸国民の富」と合わせて残した著書は「道徳感情論」であり、人間の道徳的な基盤を考察するものだったことも近年再評価の対象となった。そういう点も含めて考えると、仮説的ではあるが、本書はとても知的に刺激的な内容だ。

ユダヤ教、キリスト教の起源、形成過程に関する章も興味深い。「イエス・キリスト」となった人物が現代に蘇って、あるいは5世紀に蘇ったという仮定でも同様だが、その時代に唱えられている「キリスト教」に接すれば「これは私の宗教ではない」と言うことは、まず間違いないと思う。

GW中に読んだ一冊
「資本主義はどこへ向かうのか」(西部忠、2011年)は、かなり面白かった。しかしやや竜頭蛇尾
 
「資本とは商品や貨幣の形式をとりながら価値の無限の自己増殖を目的とする運動体である」と規定する著者は、この点でマルクス経済学の系譜に身を置いている。グローバリゼーションとは、市場経済がほぼ全地球の経済圏をカバーするという外延的な発展を遂げると同時に、市場原理が内包的な深化を遂げ、共同体的な諸価値や文化が限りなく分解され、労働力も商品化され、最後の共同体である家庭労働も機会費用の概念に従って貨幣換算され、私達を「投資家」という「個」へ還元していく過程だと言う。

この点では、資本の運動が「鉄鎖以外に失うもののない労働者階級」を生み出したというマルクスの認識から離れ、いくばくかの個人資産を保有するようになった現代先進国の労働者階級の意識が「投資家(資本家)化」する傾向が指摘されているわけだ。
 
マルクスが語った「労働者階級の窮乏化」は起こらず、「資本主義経済は自らの根本的な存立条件である労働力商品化のルールそのものを変容させてしまうことで、その長期的停滞の傾向を逆転させ、自己賦活する強靭な生命力を発揮する」と語る点では、古典的なマルクス経済学徒から、かなり離れる。 「資本主義とは・・・・資本という複製子がその乗り物である人間を操りながら、自己の複製子を変容させるような高度な適応能力を意味するもの」ここではリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」とその文化応用版「ミーム」の概念が使われている。

著者は単純はアンチ・グローバリゼーションの立場を否定する。市場システムの拡大に対する反対運動は産業革命の時から続いていたが(職人階層による機械打ち壊しのラダイット運動などを念頭においているのだろう)、それが解体される側の反作用的な防衛運動にとどまる限り、資本の運動を停止することはできないかったし、今後もできないだろうと語る。

「そればかりか、資本への反動的な拒絶が国家への集約されて遂行されるならば、それは自由の抑圧や異質な人種、・宗教・思想の暴力的な排除など、資本がもたらす以上の惨禍を生み出すに違いない」と続ける。この点では20世紀のファシズムや旧社会主義経済を念頭に置いているのだろう。

また「市場か、計画(国家)か」「自由か、規制か」という2分法的な思考様式も、閉塞しかもたらさない。「市場原理主義」と「集権的計画主義」の双方が解決への道にならないということは、その両極端の直線上には解決の道がないという意味で、両原理の折衷としての「社会民主主義的なアプローチ」も解決にならない。
そうしたこと全てを人類は20世紀の試行錯誤の歴史を通じて学んだはずだ、と一気に20世紀をまるごと総括してしまう。 そして市場か計画かの2分法を止揚する道は「貨幣の新たな制度設計の可能性」の中にあると転じる。

このように大変に挑戦的な議論が展開するのだが、解決編としての地域通貨の議論は抽象的であり、それが諸問題を包括的に解決するアプローチになり得るのか、納得感は得られない。例えば、著者が主張する利息を禁止し、地域コミュニティーのメンバーが自由に発行する地域通貨は「参加者の過剰発行によるモラル・ハザードが起こる可能性がある」と自ら指摘しておきながら、その問題を回避する具体策は提示されない。私にはそのやり方では過剰発行は可能性の問題ではなく、必然に思える。

価値の無限増殖を目的とするグローバルな資本に対して、利子を否定した地域通貨が十分に対抗できるほど定着できるのか、それができるのであれば世の中は既に雨後のタケノコのように地域通貨が自生していても良さそうだが、現実はそうではない。 私の目には、地域通貨がグローバル資本への対抗になり得るようには思えないが、デフレ・不況への効果は期待できそうだと思う。
 
 

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