たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2011年10月

私も書いているのだが、週刊エコノミスト11月臨時増刊号「金、ドル、資本主義」での金価格をめぐる論者の意見対立が面白い。以下、簡単に紹介しよう。興味を持たれたら、ご購読もよろしく。
 
「金価格はどこまで上昇するか」芥田知至 金ブル度★★★
「消去法的に金が選ばれやすい状況は今後も続き、来年には再び1800ドル台に乗せるだろう。」
 
「世界経済の不安を映す金高騰」池水雄一 金ブル度★★★
「上昇を続けるゴールドは、まったく新しい時代に入ったと言えるかもしれない。資産のほんの一部でもゴールドで持つのは、将来不安に対する保険として有効な手段である」
「9月の暴落後も金が買われるこれだけの理由」池上雄一(同上人物)
 
「これからも金を買い続けるインドと中国」高橋祥夫 金ブル度-
ただし、価格予想については明言なし。
 
「金関連ファンドの中身を詳しく見ると」篠田尚子 金ブル度
「金関連のファンドはあくまでもポートフォリオのスパイス的要素として取り入れるようにしたい」(金がスパイス的???料理じゃないんだから・・・意味不明)
 
「ルポ、金の買い時、金の売り時」大山弘子 金ブル度-
「金で最後に笑うのは、いったい誰なのか。答えがわかるのは、そう遠くない先かも」(つまり「あたしはわかんない派」)
 
「金色(こんじき)の熱狂、ゴールド・バブルは、はじける」竹中正治 金ベアー度☆☆☆
「現在のように趨勢的な傾向から大きく上方乖離した価格で買えば、長期で保有しても取り戻せない損失を抱える可能性が高い」「チキンレースの崖が見えて来た時、金価格は暴落するだろう」
 
以上、私だけが明確な金ベアーでしたね。
1、2年経ったらこのブログをまた開いてみましょうかね。
 
 
 

さて先日は、資本、あるいは生産要素一般の国際移動と比較優位・劣位で成り立つ自由貿易論の命題の関係について論じた。残った問題についても手短にふれておこう。質問者さんは「三橋貴明ブログ」に基づいて、以下の点について私はどう考えるかとご質問をされたのだったね。
 
「比較優位論は、以下の三つが成り立たないと巧くいかない。
セイの法則:供給が需要を産み出す(逆じゃないです)
完全雇用
資本移動の自由がない」
 
この点について「三橋一門」の方々は、木下栄蔵氏の以下の著作を引き合いにしている(というか唯一の根拠らしい)ので、まずその著書への私の見解は以下の通り(アマゾンレビューに掲載済み)。
 
*** 
「ちょっと期待して読んだのですが、期待はずれでした。「主問題経済vs双対問題経済」と経済の局面を対照をなす2つの局面に分けて考えるのは、理解できます。要するに経済成長局面と不況・恐慌局面では経済主体の行動選択の優先順位が異なっていることを指摘しているわけです。しかし、そこで展開されるのは、古典派、あるいは新古典派に対する過去の通俗的なケインジアン経済論の繰り返しに過ぎません。

 自由貿易が経済全体の富を最大化する論拠であるリカードの比較優位・比較劣位の考え方は、経済成長局面では成り立つが、不況局面では成り立たなくなるという主張は、どう読んでも説明不足で、納得できませんでした。そこから導かれる政策的主張として不況時には関税を引き上げて保護主義(鎖国)に走ることが合理化されています。本気か?いや正気でしょうか?各国が保護主義に走れば、世界経済はますます萎縮する「合成の誤謬」に陥るだけでしょう。

 最後に今回のバブルと金融危機は、金融工学がもたらした災いであり、金融工学の発展を可能にしたのはコンピューターであるから、金融危機の根本的な原因はコンピューターの父、ノイマンにあるという議論が展開するに至っては、トンデモ論ではないでしょうかね。 」
***
 
 古典派が、セイの法則(供給=需要の想定)、完全雇用を前提としている点は、経済学史の常識だから、言うまでもないだろう。これは後にマルクスとケインズがそれぞれ異なった視点とアプローチで批判することになる。
 
 複数の生産要素を前提として比較優位・劣位に基づく貿易論を展開したヘクシャー・オリーンも新古典派だから、同様だ。先日紹介したクルーグマンはケインズ学派、ないしはネオ・ケインズ学派だから、HOの定理については、テキストのなかでかなり批判的にとり上げている。

 ひとことでいうと、古典派にしろ新古典派にしろ、彼らのモデルが現実に対する一定の適合性を持つのは、長期的な均衡状態、すなわちGDPギャップもなく、完全雇用であることは、今さら議論の余地もないくらい、経済学の常識だ。
 
 現代の標準的な経済学者(そうでない方もいるだろうが)は、短期・中期のタイムスパンでは、経済はそうした長期的な均衡状態から乖離するし、従って金融政策や財政政策の発動の必要があることを率直に認めている。クルーグマンはその代表的な存在だ。
 
 すでに前回ふれた通り、現実の経済は動的であり、資本、労働を含むを生産要素も国際的に移動し、各国の比較優位・劣位の構造は長期的なタイムスパンで変化する。従って産業構造は変化し続けないと、完全雇用を含む長期的な均衡状態も実現できない。
 
 しかし産業構造の変化は産業間の経営資源や労働者の移動に時間がかかるため、摩擦的な失業などを生み出す。従って、産業構造の変化を促進する政策はやはり必要である。それは衰亡する産業をそのままに維持しようとする保護主義的な産業政策とは全く反対の政策になるのが道理だ。
 
 日本の農業についてはそうした政策を長く怠って来た。そのために低生産性、小規模、高齢化という状態に陥っていると言えるだろう。農業政策の180度転換を期待したい。
 
補足:
 ケインズは古典派のレッセフェールを批判したのだが、以下のケインズの著書を読むと、その批判の矛先はスミスやリカードではなく、その後の亜流の学者に向けられている。
「ケインズ説得論集」2010年、日本経済新聞出版社、山岡洋一訳
 
 この著書の第3章「自由放任の終わり」が興味深い。ケインズは政府は経済過程にできるだけ介入せずに「自由な市場のメカニズム」にゆだねておくのが最良の策であるという自由放任の原理を批判するわけであるが、ここでケインズはアダムスミスを含む古典派経済学者の批判ではなく、逆に再評価を展開している。
 ケインズは自由放任(レッセフェール)について、「(アダムスミスなど)偉大な経済学者の著書にはそのような教義は書かれていない。偉大な学説を平易に解説して通俗化した著者らが論じた見方である」と批判する(p179)。「レッセフェールという言葉は、アダムスミスやリカード、マルサスの著書では使われていない。自由放任の考えすら、教条的な形ではあらわれていない」(p181)と述べている。
 
竹中正治HP
 
追記:10月30日(日曜日)本日の日経新聞、TPPの参加の是非をめぐって伊藤元重教授と山田正彦(前農相)が議論している。参考になる。以下一部引用
 
記者:TPP参加で日本を改革するという考えについてはどうですか。
 山田 それは間違いだ。日本の工業品や農産物の関税はすでに低く、TPP交渉を主導する米国は日本に対して関税引き下げより、金融や保険、医療などの市場参入を狙っている。
 とくに公的保険の対象外の医療を受けやすくする混合診療を強く求めている。公的な皆保険制度を崩壊させ、米保険会社の民間医療保険を広げる突破口にしたいと思っている。政府調達の開放が進めば地方の建設会社も打撃を受ける。
 記者:混合診療や医療制度は交渉の対象外です。米国がやりたいことを押しつけてくるというのは短絡的ではないですか
 山田 そうではない。自由競争のルールが決まると米国の民間医療保険を入れなければならなくなる可能性がある。米国と自由貿易を進めるのならTPPでなく2国間の自由貿易協定(FTA)ですればいい。日本の制度を守りながら関税交渉ができる(それをやってこなかった、反対して来たのはあんたらでしょうが。竹中)。
 伊藤 米国の思い通りになるというのは、あまりに単純な考えだ。米国の医療制度は世界のなかでも非常に特殊で、米国自身が今の医療制度をよいと思っていない。世界に広がるはずがない。TPP交渉は日本にとってどのような制度がよいか、オープンの場で議論する好機にもなる。交渉の入り口でやめてしまうのは、将来に禍根を残す。
***
野田首相はAPEC会合で参加表明の意向だとか。これはどこの国でも起こることだが、自由貿易派と保護主義派に分かれた政治対決が先鋭化するだろうな。この先の展開が楽しみになって来た。むろん、私は原則的な自由貿易派である。

さて、前回の自由貿易論でかなりマジに経済学の議論をしたが、今回はディーラー感覚で語らせて頂こう。欧米の株価がかなり回復してきた。24日(月)のS&P500は1251まで回復した。損益上、個人的にも嬉しいが、回復は本物だろうか。
 
S&P1250台、この水準は心理的には重要だ。ユーロ危機が深刻化して急落した8月以降、株価は値幅の大きい上下動をしてきたが、S&P500で見ると反発局面で1200台前半に3回トライして上抜けることができなかった。今回4度目のトライで1250を超えると、形としては「上放れ」になる(うわっ、まるでチャーティストの語りや(^_^;))。欧州の株価指数もだいたい同様の形だ。
 
しかも昨年末の引け値が1257なので、今年あと約2カ月残して、昨年末の1257を超えて終われば、雰囲気は楽観的な方向に変わるだろう。
 
ただし足元で出てくる経済諸指標は欧米も世界全体も不冴えで、このまま来年再度の景気後退に向かっても不思議ではない数字が出続けている。その結果、例えばJCERの世界景気インデックスは「雨」になってしまった(以下サイト)。http://www.jcer.or.jp/research/wbci/index.html
 
この株価と経済指標の逆行はなぜか。EUの一連の危機対応が今週水曜日になんとか最終合意にこぎつける見込みになったことによる株式売り筋のショートカバーだと理解すれば、納得できる。ヘッジファンドなどは、全般的に今年はリターンが不冴えだそうだが、欧州危機を材料に株式ショートで一発儲けを狙ってかなり売り込んだ筋が少なくないのだろう。
 
問題はショートカバー後に実体経済の回復トーンが出てくるか、あるいは悪化が続くかである。年末の株価はそれ次第だろう。 米国について言うと年末商戦の出来栄えでかなり左右されそうだ。
 
「住宅と株価の下落でまいった((+_+))」とは言え、懲りないのが米国のエクイティー・カルチャーだと私は思う。株価の回復がミドルクラス以上の家計の心理を楽観的な方向に動かし、年末商戦は思いのほか上々の結果となれば、自己実現的に景気を上向かせるだろう。
 
年末までの展望として、そういうチャンスが出てきたかな・・・と今晩の海外株の回復はちょっと感じるね。
 
 竹中正治HP
 
追記(10月29日):本日の日経新聞朝刊記事
「これまで急落していた金融株が値を戻し始めた。27日の欧州市場では仏ソシエテ・ジェネラルが23%、仏BNPパリバが17%上昇した。民間銀行が保有するギリシャ国債の価値を50%に減額することになり、ギリシャの債務返済計画がより現実に近いものになった。ギリシャ問題が何も解決せずに混乱が周辺国に広がれば、銀行の経営が危うくなりかねなかった。
 東京市場でも野村ホールディングスは直近の2日間で10%上昇し、三菱UFJフィナンシャル・グループや三井住友フィナンシャルグループも同6~7%上げた。
 もっともこの日、ある外資系証券が受けた買い注文の大半は空売りをしていた投資家の買い戻し。「一段の株価上昇を期待した買いは入れにくい」(同社トレーダー)」
 
やっぱりね。この後、株価回復が持続するかどうかは、やはり景気指標が実体経済の回復を示すかどうか次第だな、と思う。その可能性がないわけじゃない。
 
 

さて、目先の仕事がひと段落したので、先日ブログに寄せられた以下のご質問にお応えしようか。
 
「比較優位論は、以下の三つが成り立たないと巧くいかない。
セイの法則:供給が需要を産み出す(逆じゃないです)
完全雇用
資本移動の自由がない
世界経済はいま、上記リカードの比較優位論の前提条件を三つとも満たしていない。最後の資本移動の自由の前提要件についてみても、すでに世界的に外国に工場移転が盛んな状況は明白であり、「資本移動の自由がないこと」という前提要件を欠くことは疑いようがない。
したがって、経済学的観点からしても間違ったTPPだ。
以上のような意見について、回答を頂ければ幸いです。
参考、三橋貴明ブログより」
 
 
 資本移動と自由貿易
順番が逆になるが、「リカードの比較優位・劣位と自由貿易論は資本移動を想定していない、従って現代のように国境を越えた資本移動が活発になった状況では成り立たない命題だ」という点からお応えしよう。
 
これは私にとっては懐かしい議論だ。というのは私がワシントンに駐在していた時、2004年に民主党のシューマー上院議員が某シンクタンクの研究者とつるんで「現代のように資本移動が活発になった時代には、それを前提としなかったリカードの自由貿易論はそのままでは成り立たたず、修正が必要だ。だから政策もそれを反映するべきだ。これは決して保護主義的な主張ではない!」とキャンペーンをしたことがあったからだ。ちなみにシューマー上院議員はやや攻撃的な貿易政策を売りにしている民主党の有力議員で、当時から今に至るまで中国の為替政策を糾弾している。ゲッパートのような露骨・武骨な保護主義者に比べると、理論的な装いをしている。
 
これについて当時私はレポートにした。そのレポートをホームページに掲載しておいたのでご覧頂きたい。WDC006.04「『保護主義者と呼ばないで!』民主党議員の問題提起」
 
経済学に限らず科学一般は、複雑な現実を読み解くために現実を単純化したモデルを使用する。とりわけ経済など社会科学は自然科学と違って実験室での実験ができないので、この手法を使う。単純化するとは現実の諸条件をある程度捨象するということだ。
 
確かにリカードが自由貿易による国際分業の形成とそれによって世界と各国の双方の経済的富が増加することを説いた際に、国境を越えた資本の移動(従って国家間の資金的な貸借関係)を捨象した。また現実には多数の生産要素があるが、彼はそれを労働だけに限定し、労働価値説に基づいた議論を展開した。
 
結論を言うと、その後の国際貿易論は、複数の生産要素を想定し(新古典派貿易理論としてヘクシャー・オリーンの定理)、また国境を越えた資本の移動も想定する方向で展開し、現代の理論モデルはそうした拡張された前提で展開されている。大雑把に言うと、こうして前提を複雑化かつ拡張した上で比較優位・劣位の原理と自由貿易が各国の富と世界の富を増加させることが説かれている。
 
この点ではポール・クルーグマンの著作を紹介するのが最適だろう。というのは、彼はご存知の通り、貿易論への貢献でいわゆるノーベル経済学賞を受賞しているし、学問的には新古典派を批判するケインジアン、あるいはネオ・ケインジアンの立場であり、政治的には保守に対するリベラル派であり、かつ自由貿易論の熱心な擁護者だからだ。
 
この問題について勉強するなら彼の以下のテキストが最適だろう。
上巻の目次、以下の部分が本件への直接的な回答になる。
上巻第7章生産要素の国際移動
労働の国際移動
国際的な資本移動
直接投資と多国籍企業
 
 だから「クルーグマンのこの本を読んで勉強してください」と言ってしまえば、これで終わりなのだが、それでは愛想もそっけもないので多少私の解説を加えておこう。
 
 2004年にワシントンでシューマー議員らの議論に接した時に私は首を傾げた。というのは、資本移動の自由を前提にするとなぜ比較優位・劣位による国際分業形成の原理が壊れ、生産性の絶対優位・劣位の原理にとって代わられるのか、シンクタンクの研究者まで動員したのに全然論理的に説かれていなかったからだ。
 
ただ「リカードは資本移動を前提としなかったので、彼の比較優位・劣位と自由貿易論は現代では成り立たない」と言うばかりだった。資本移動を想定すると比較優位原理が壊れ、絶対優位の原理にとって代わられることをきちんと論証した論文がもし書ければ、世界の経済学界にセンセーションを巻き起こすだろう。ところがそういう論文が発表されたという話を今に至るまで聞いたことがない。
 
 クルーグマンの説明によると、貿易とは間接的な生産要素(土地、労働、資本としての生産財や資本財など)の移動に他ならず、比較優位・劣位の原理は貿易の場合にも、直接的な生産要素の移動の場合にも妥当する。
 
 また私を含めて18世紀のリカードのモデルが今も現実を説明する上でベストなどとは考えていない。クルーグマンはリカードモデルの4つの弱点を指摘する(p63)。その中で現実の政策上、一番重大なのはリカードモデルが国内の所得分配に重大な影響を与えることを捨象してしまっていることだろう。
 
労働が国際的な移動をする場合
 これをクルーグマンは移民という労働移動を想定した場合についてテキストで説明しているので、それを紹介しよう(p206210)。土地と労働のみを想定して、A国では労働力が相対的に過剰(従って労賃が安い=労働の限界生産力が低い)、B国では労働力が相対的に過少(従って労賃が高い=労働の限界生産力が高い)。 土地所有者は労働者を雇って経営している。
 
 ここでA国からB国に労働力が移動すると、A国では労賃が上がり、B国では下がる。双方の労賃=限界生産力が等しくなるところまで移動すると全体の産出量はそのポイントで最大になる。これは言葉だけで説明すると厄介だが、テキストp209のグラフを見ると氷解するだろう。
 
ただし、国内の所得分配には重大な変化が生じる。A国では労賃が上がり労働者の所得は増える。一方、移民が流入したB国では労賃が下がり、元からB国にいた労働者の所得は減る。また土地所有者の所得変化は逆で、A国では(労賃が上がる結果)土地所有者の所得は減り、B国では反対に増える。
 
どこの国でも同じだか、変化によって失う者は少数でも結束して政治的な力を行使して抵抗する。反対に変化によって得る者は、なぜか失う者よりも鷹揚で、その政治的なボイスは相対的に弱い。これは行動経済学が実験で明らかにした人間の損得に対する非対称な感覚の政治現象版かもしれない。
 
所得変化が生じることは政策的に中和することもできるだろう。例えば土地所有者の所得が増えるB国では土地に対する資産課税を上げる、逆にA国ではそれを下げるというような対応も可能だ。
 
資本の国際移動を想定する場合(p215218
 この場合、資本とはファイナンスであり、その移動により国家間の貸借が生じる。つまり貿易赤字の国と黒字の国が生じる。貿易赤字を無限に膨張させることはできないので、超長期では現在赤字なら将来は黒字になって返済する時が来るし(踏み倒すこともあるが)、全部の国が黒字になれない以上、今は黒字の国も将来は赤字になる時がある。
 
 ファイナンスとは消費と生産の面から見ると、消費財の現在と将来(=異時点間)における生産のトレードオフということになる。その結果、議論は「異時点間の比較優位」という概念に発展する。これはファイナンス理論と貿易理論をかみ合わせたような概念だから、双方に慣れていない方には分かり難いだろうが(経済学者でも双方を専門にしている人は稀だ)、次のように考えて頂きたい。
 
 実質利子率が高い=実質投資利益率が高い=現在時点で設備投資が多く、将来の労働生産性が上昇する度合いが高い=消費財の将来の生産に比較優位のあるA国(逆に言うと現在は比較劣位、例えば今の新興国、あるいは1950年代から70年代頃までの日本)
 
 実質利子率が低い=実質投資利益率が低い=現在時点で設備投資が少なく、将来の労働生産性が上昇する度合いが低い=消費財の将来の生産に比較劣位のあるB国(逆に言うと現在は比較優位、例えば今の日本かな)
 
 この場合、やはりB国(現在の比較優位国)からA国(現在の比較劣位国)に資本が移動することで、全期間を通じた産出量と各国の所得が増加する。
 
 以上ポイントだけ説明したが、これだけで完全に納得できたら明日から私に代わって教鞭をとって頂いてけっこうだろう(^_^;)。本気で理解されたい方は、やはりクルーグマンのテキストで勉強して頂きたい。
 
現実の問題に則した補足
 補足として以下、私流の説明を加えておこう。ヘクシャー・オリーン(以下HO)の命題は、大雑把に言えば、各国のどの財が輸出され、どの財が輸入されるかは、各国の生産要素の分布で決まる(HO命題は生産技術が各国同じと想定しているが、この仮定についてもHO以降の貿易理論は前提から外して展開している)。
 
 生産要素の移動を想定しない静的な世界では、内発的な技術革新がない限り、国際分業構造も静的で変化しないだろう。ある産業が比較優位、あるいは比較劣位であればそれは永続する。しかし、現実には生産要素は移動するし、直接投資のように資本の移動に伴って生産技術もある程度移転する。その結果、比較優位・劣位の構造自体が時間とともに変化する。
 
 1960年代に某国で比較優位のあった産業は、80年代には比較劣位になっていることもよく見られた。すなわち現実の世界では各国の産業構造がダイナミックに変化を続けることが宿命だ。しかし産業構造が変化するにはある程度の時間がかかる。比較劣位に転落した産業の労働者は新たな比較優位の産業にはそのままでは適応できず、職業再訓練も必要だろう。
 
直接投資を主とした国際的な資本移動の活発化は、この比較優位・劣位の構造、すなわち産業構造の変化を速める働きをしている可能性がある(この点、検証してみる必要があるが)。産業構造の変化が速くなり、一方で衰亡産業から新興産業への労働や経営資源の移転速度が昔と変わらないとすれば、必然的に産業構造の変化から生じる摩擦的な失業や遊休設備は増えることになる。
 
ここに短期的・中期的な政策対応の必要が生じる根拠がある。ただしその政策対応は、変化を押し止めて、比較劣位産業をそのままに助成金や関税で保護することではないはずだ。逆に労働と経営資源の移転を促進、助成する政策であるべきはずだ。
 
 だから完全に自由貿易にして後は市場に任せとけば良いなどという「市場原理主義的」な主張は私も(クルーグマンも)していないのだ。さて、ここまで書けば、の問題についても私がどう応えるか、大凡の見当をつかれた方もいるだろう。たっぷり長くなったので、今日はここまで(^^)v
 
 竹中正治HP

さて、TPPに関して寄せられたコメントにちょっとだけ再コメントしておこう。
 
「日本では相変わらず、家業ですね。自由競争になればおいしい海外食品が入ってくるので消費者的には歓迎します。日本の農家も海外進出して日本人向け農産物を逆輸入するとかできそうですね(そういった企業化を図ろうとする前向き意見が皆無)。」gonchan
 
日本も零細兼業&高齢化農家には土地を手放していただく、あるいは賃貸に出してもらって大規模専業農家主体で農業の競争力を高めようとするプランや施策は過去繰り返し出てきているのだが、事実上つぶされているように見える。
自民党時代に農業の補助金給付を一定規模以上の農家に限定する改革が行なわれたが、民主党の戸別補償制度では規模に関係なく補償する形になったので、見事に逆行してしまった。これを契機に賃貸に出していた農地の賃貸を打ち切って、自分で耕す零細兼業農家が出て来たくらいの逆行ぶりだ。
 
零細農家も農地に対する固定資産税がめちゃくちゃに安く優遇されているので、手放さない。専業の農家が貸してくれと言っても、長期に貸しているとやがて所有権を事実上失うのではという奇妙な危惧があるようで、良い土地は貸さないらしい。
 
「現代のスタンダード、ヒュンダイのスタンダードではなく、アメリカンスタンダードである所が、味噌醤油味の素です。世界の成長センターアジアの主要国、中国、台湾、韓国、インドネシア、鯛を除いて、シャ-クに能無し政権が貢のでは、勝ち目はありません。」櫻
 
自由貿易の下では各国の比較優位産業が輸出産業になり、比較劣位産業製品は輸入することで、自由貿易が世界全体と各国の双方において生産される経済的な富を最大化することは、18世紀にデイビッド・リカードによって確立された命題だ。その後、リカードの労働価値説を修正する形で理論的な展開をしているが、経済学の確立された命題だと言える。別にアメリカン・イデオロギーでも、アメリカン・スタンダードもなんでもない。
 
実際のところは、米国の連邦議会にも保護主義的な議員は、この一般原理を保護主義的目的に適合するように修正したがっているイデオローグもいるくらいだ。例、民主党のシューマー上院議員
 
「比較優位って、日本の自動車産業は米国の自動車産業より競争力があるから、日本では自動車が輸出産業になるってこと」と理解している人が実はとても多い(櫻さんは、そうではないかもしれないが)。これは全くの誤解で、もしそう思っている方がいればウキペディアのレベルでいいから、読んで正しく理解して頂きたい。でないと議論にならない。
 
ただし、自由貿易理論はあくまでも一般原理だから、それで現実の貿易、産業政策の枝葉までひねり出せるわけじゃないとは思う。一般原理を基調としながら、国際政治、国内政治情勢を踏まえた戦略的な政策が必要と思う。(それは私のできることじゃないけどね)
 
「もし関税を撤廃して国内農業が壊滅するほど、安い海外産が増えれば消費者の食費の負担は減るわけで、その分を生産性や環境保護の効率に応じて農家に直接再分配するような方向にできないかと個人的には思うのですが。」lif
 
農家保護ではなく農業発展のために政策的なコストを消費者が負担するのは、賛成。繰り返しなるが、零細・兼業・高齢化農家を保護するのは、日本の農業発展に逆行するので反対。
 
例えば畜産農家は牧草・穀物を今より低価格で輸入し、なおかつ海外市場を開拓出来ればTPPのメリットを甘受できるでしょう。一方で ブランド力・宣伝力のない米の生産地は輸入米との競合になるでしょう。稲作農家がいなくなり耕作放棄地が今以上に増えれば地方の疲弊と荒廃が更に加速されます。これを競争による淘汰である。と経済的に語ってしまうのであれば、国ではなく会社、政治家ではなく経営者と言えるでしょう。どう思われますか」mat
 
耕作放棄地が増えているのは、零細農家の土地の集約が進まないからではないでしょうか。集約の対象にならず、耕作しても生産性の低い土地は自然に戻しましょう。そのための事業費だったら政府の予算を使うことも賛成。
 
もっとも、農業については私は門外漢、以下の本は参考になる。
 
 
 
 
 
 
 

本日の日本経済新聞、経済教室の論考「国際化、生産性向上の鍵に」(戸堂康之 東京大学教授)
やはり、これが経済政策論としては現代のスタンダードな考えだと思う。以下にポイントを掲載。
 
 ****
農業・被災地にも有益 「内向き」改め、経済活性化
輸出によって企業の生産性や効率性は上昇
世界で戦えるのに国内にとどまる企業多い
日本の農産物は高品質で輸入品に対抗可能
 
「企業が国際化して世界とつながることで、新しい技術や知恵を生み出して成長することを明確に示している。 ところが、日本の輸出額の国内総生産(GDP)比率は経済協力開発機構(OECD)34カ国中、下から2番目(0408年平均)で、日本は必ずしも貿易大国ではない。海外からの直接投資額のGDP比も下から2番目、海外への直接投資は25位だ。日本の国際化の度合いは相当低い。」
 
 「EPAの中でも、米国をはじめ環太平洋9カ国とのEPAである環太平洋経済連携協定(TPP)は日本経済にとって特に重要だ。理由の一つは貿易拡大効果が大きいことだ。内閣府や経済産業省は、TPPによる輸出の拡大でGDPが3兆~10兆円分増加すると試算している。」
 
「一方、TPPに関する懸念も少なくない。例えば、農林水産省はTPPによりGDPが約8兆円減少すると試算した。これは、関税率が10%以上の農作物の生産の大部分が壊滅するとの前提でつくられている。しかし農産物に対する関税撤廃により、国内生産が壊滅するということは考えられない。理由の一つとして、日本の農産物の多くは海外のものより品質が高いことが挙げられる。質の低い輸入米が入ってきても、高品質の国産のブランド米の消費量が激減することは考えにくい。」
 
「幕末の開国により1人あたり実質成長率が1.7%上昇したことや、企業レベルでみれば輸出や直接投資により生産性が平均で2~3%上昇することを考えれば、国際化の進展で経済成長率が0.5%程度上昇することは、必ずしも野心的な予測ではない。もしそうなれば、現状維持の場合に比べて国際化によるGDPの増加額の累計は10年で100兆円を超える。こうした大きな成長効果を期待できるTPPに日本が参加することを、ぜひとも期待したい。」
****
 
現実の政策としては、こうした経済政策原理に国際政治、国内政治の要素を考慮に入れて、「TPP戦略論」に練り上げることが求められるんだが、今の野田内閣にそれができるかどうか。1110日のAPEC会議までに「日本としての大局的な方向性」を示すそうだから、いよいよ野田内閣も本格的に試されることになる。
民主党内部に反対派が180名(?)いるそうだから、簡単にはいかないだろう。
でもそれはどこの国でも同じ。日本の政策的な合理性とリーダシップが問われていると思う。
 
竹中正治HP
 
 

これは1950年代後半から60年代初頭の戦慄すべき中国現代史の一局面を描いた書である。著者はロンドン大学の教授で香港大学でも教鞭をとっている。
(アマゾンにこのブログと同じレビューを書いてあるので、ご覧になって参考になった方は「参考になった」をクリックしてくださいね(^^)v)

1958年の「大躍進政策」からその破綻、大飢餓に至る時代を対象にした書籍は多数あるが、中国の膨大な資料を丹念に引用しながら描かれた本書はその資料面での豊富さと網羅性において傑出している。

「一気に共産主義社会を実現する」という非合理的な情念(というよりは狂気)に取りつかれた独裁者毛沢東のイニシアチブで、共産党組織全体に狂気と圧政、民衆への暴力が横行した。結局、合理性のかけらもない政策が次々と破綻し、全国的な飢餓がひきおこされる過程が、詳細に描かれている。推定で4500万人が飢餓、拷問を含む組織暴力で死に追いやられた(当時人口は6億人台)。 
 
中国の故事に言う「苛政は虎よりも猛し」そのものだ。日本軍による中国侵略時の圧政と暴力すら、比較するとかすんで見える。 しかも、この時代の暴力と凄惨さは、1960年代半ばに始まる文化大革命の序曲でしかなかった。

その戦慄的な実態は、その規模と凄惨さにおいて、ナチスのユダヤ人殺戮、スターリンの大規模粛清、民族弾圧に匹敵する、あるいはそれを上回るものとして歴史に刻まれるだろう。本書はその歴史への「太い刻み」として今後必読の一冊となるだろう。

今の中国共産党は当時よりはモダンになったようにも見えるが、当時と同じDNAは1989年の天安門事件の時に顕在化した。今も同じDNAが潜在しているリスクを感じざるを得ない。

また北朝鮮では、本書に描かれた50年~60年前の中国と似通った状況が展開しているはずであり、これは過ぎ去った過去の出来事ではないとも言えようか。
ちなみに、日本では1970年代にはこうした「中国社会主義」の人命無視、圧政・弾圧の実態が情報としてはかなり流れてきていたが、1970年代後半になっても日本の左派の一部には依然としてこの時代を含めて中国共産党を賛美・礼讃する人々が根強く残っていたことも書き添えておこうか。あの方々は今どこで何を考えているのかなあ・・・。
 
 

 
欧米の株式市場は値幅の大きな上下動を繰り返している。昨日は上げてS&P5001200手前まで回復した。こういう局面で先を読もうとしても、報道される記事はブルとベアーの双方に分かれるから、気は迷うばかりだ。
例えば昨日の記事:
Merkel and Sarkozy set euro deadline FT
France and Germany have set themselves a deadline of the end of October to reach
agreement on a comprehensive package of measures to stabilise the eurozone,
including the recapitalisation of European banks if they need it.
 
Volatile Market Sends a Warning  WSJ  
Many investors are entering this week with fresh hopes the worst is over, after last
week's sudden stock-market rebound. But history suggests that in times of market
turmoil, there is a risk that big, sudden gains like last week's will prove temporary
respites before stocks fall again.
 
上段の記事はそろそろ最悪期も終わってくれるかなとブルな気持を誘うが、下段の記事は「そんな希望はあまい!」と警告する。 まあ、そういうもんだな。
 
私の経験則では、どかんと大きく下がった後は、大抵しばらく値動きの荒い上下動が起こる。今はその期間、その後しばらくするとプレーヤーも疲労するためだろうか、収束局面に入ることが多い。次のトレンドが現れるのはその後の局面だ。
 
の局面では一喜一憂しても無駄で、むしろ値幅を大きく想定した上がったら売り、下がったら買いでポジションの一部を流動化させて小銭を稼ぐチャンスもある。私はMSCI-Emergingを一部売って(売り値900手前、その後800で少し買い戻せたので、900前後では下で買い戻せた分をまた売るかもしれない。
まことに小銭売買である・・・・おそらく長期の投資リターンにはあまり影響が出ないだろう。
しかしこういう局面ではそんなことでもして次の波(上げ潮だと期待して)を待つしかないだろう。
 
 
 
 
 
 

櫨(はじ) 浩一著「貯蓄率ゼロ経済」(2006年、文庫版2011年)を読んだ。2006年に出版された本だが、今年10月に文庫本版が出たので書店で手にした。著者はニッセイ基礎研究所のチーフ・エコノミストである。
 
容、メッセージはとてもわかり易く明解。その通りになるかどうかは疑問、異論もあるが、日本経済の10年後の起こり得そうなシナリオを提示している。そのメッセージを要約すると以下の通り。
 
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日本の家計の貯蓄率は80年代までは高かったが、90年代以降趨勢的な低下を辿っている(家計調査と国民所得統計が示す家計貯蓄率は、水準も傾向も乖離しており、それについては幾つかの理由があるが、マクロ経済的には国民所得統計の示す低下傾向の妥当性を著者は重視しているようだ)。
 
2000年代には企業部門の貯蓄・投資バランスが、それまでの投資超過から貯蓄超過に変わった結果、家計貯蓄の低下にもかかわらず、膨大な国債の発行が低金利で消化されてきたが、この企業部門の貯蓄超過というやや異常な事態は長期的には持続しない。
 
家計貯蓄率は今後趨勢的に日本の高齢化により低下し、現役世代のプラスの貯蓄と引退世代のマイナスの貯蓄が均衡する貯蓄ゼロ時代が到来する。ニッケイ基礎研究所の試算では2018年にはそうした貯蓄ゼロ時代が到来する。
 
その結果、経常収支黒字、ディスインフレあるいはデフレ、低金利、円高という80年代以降の傾向は全部逆転し、経常収支赤字、インフレ、高金利、円安が日本経済の新たな基調となるだろう。
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ざっと以上の変化の到来が提示されている。その論理は、「経常収支=国内の貯蓄・投資バランス」、並びに「企業部門、家計部門、政府部門、海外部門の貯蓄・投資バランスは合計するとゼロになる」という恒等式をベースに展開している。
 
枝葉の部分では疑問、異論もあるが、大筋は私も同意できる内容だ。2006年の発刊時には本書の存在に気が付かなかったが、私は当時ワシントンDCにいたためだろう。当時読んでいれば、本書の先見性をもっと強く感じたと思う。
 
また著者が語る「経常収支赤字、インフレ、高金利、円安基調への転換」は、それ自体では望ましい拡大再生産への転換を意味しない。たとえるなら、低血圧症の人が高血圧体質に転換するようなもので、そのこと自体は別の一連の諸問題に転換するだけだ。ベターな高齢化社会を実現するための政策的処方箋は4章、5章に書かれている。
 
さらに著者の書いていることをやや超えてコメントすると、上記の恒等式は、海外部門を捨象すると、家計も政府も企業も皆が皆貯蓄増加を実現することはできないことを意味している。もし皆が貯蓄を増加させようとするとどうなるか? それは縮小再生産のループにはまることになる。結局、生産と所得が縮小することで、貯蓄も減少し、恒等式が成り立つ。
 
今の日本の低成長とデフレ基調は、家計も企業も貯蓄超過を志向しているために、拡大再生産のモメンタムを失い、唯一政府と海外部門が赤字(海外部門の赤字とは日本の経常収支黒字のこと)になることで、かろうじてバランスされている結果とも言えようか。
 
10年から20年のタイムスパンでは、経済の基調が180度転換することがあることを私達は知っている(はずだよね)。今後どのような基調転換をシナリオとして想定すべきか、それは長期的な資産形成を考える上でも重大だ。そうした視点からも読んでおく価値がある本だと思う。
 
追記:
「将来の経済成長のために貯蓄→投資を増やせと言われても、高い投資リターンをあげる投資案件が国内には枯れているから、民間の投資が減少しているのではないか」という反論があり得るだろう。固定資本形成についてはそういう面を否定しない。しかし有形の固定資本形成のみが投資ではなかろう。教育・学習の投資リターンは今でもかなり高いと思う(もっとも国民経済計算上は教育支出は投資には分類されていないはずだが)。
ただし、それの実行には学ぶことに対する持続的な意思が前提となるので、金さえ出せば買えるものじゃない。実際、私の勤めている大学でも教育・学習の投資支出を無駄にしている諸君は少なくないからねえ。
 
竹中正治HP
 
 
 
 

本日(10月2日)のNHKスペシャル「巨大津波 その時人はどう動いたか」をご覧になった方、多いでしょ。
人間の行動特性のバイアスに焦点をあてた点で、興味深かった。
 
地震発生から大津波の到来まで1時間以上の時間があったにもかかわらず、多くの人が避難を遅れ、津波で死んだ。なぜ、彼らはすぐに避難しなかったのか?同地域では津波を想定した避難訓練も過去繰り返されていたのに。
そうした避難遅延を起こした3つのバイアス、ないしは特性が指摘されていた。
 
正常性バイアス:異常事態(大地震)が起こり、その後の危険(津波)の予兆があっても、人間の危機感スイッチはすぐにはオンにならず、根拠なく、「正常だ、大丈夫」と思い込むバイアス、結局危機を目のあたり(巨大津波の襲来)にするまで危機回避行動がとれない人々が少なくない。
 
同調バイアス:大勢の人たちと一緒にいると大丈夫だと思うバイアス、公民館とそのグラウンドに集まった人々(公民館は津波にのまれた)は、「津波は10メートル以上」というラジオの地震放送に耳を傾けることもなく、「一緒にいればなんとなく安心」の心理で逃げ遅れた。
 
愛他行動:津波の到来が予想される地域で、ぼんやりと居残っている高齢者達を助けようと時間を費やし、逃げ遅れた人々も少なくない。
 
なるほどね。大変に興味深く、参考になった。バブルとその崩壊にも正常性バイアスや同調バイアスは見られるね。もちろん、こうしたバイアスには個人差がかなりあるように思える。
 
ちなみに自分自身を分析すると、私は「正常性バイアス」は人並み、「同調バイアス」は低い(人と同じことをするのは好きじゃない)、「愛他行動」は選択的(子供と動物には強く感じるが、老人に対しては感じない)。
 
みなさんもこの3点で自己分析すると自分の行動特性への理解が深まるのではないでしょうか。危機に直面した時に、自分のバイアスを客観視できれば生き残る可能性も上がるだろう。
 
 

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