たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2012年01月

本日1月28日(土)の日経新聞「ドルと円の弱さ競争」と題した記事が目にとまった。
 
「今週前半は2011年の日本の貿易収支が赤字になったことを材料に円安が進んだ。「海外の投機筋は、日本の貿易赤字や財政赤字などを材料に円売りを仕掛けようと、手ぐすね引いている」(欧州銀行ディーラー)  決まった期日に決まった価格で通貨を売買できる権利を取引する通貨オプション取引。今後6カ月間で80円や81円で円を売る権利に引き合いが来ているという。これから円が下落することに懸けている海外勢がいるということだ。」
 
「投機筋は相場を不安定化する」という一般的な批判に対して、「それが本当なら、投機筋は相場が高い時はさらに買い、安い時はさらに売り、その結果、損が累積して自滅、絶滅するはずだ。しかしそうではなく、彼らが存続しているのは、安く買って、高く売ることに全体としては成功しているからだ。これは相場を安定化させていることに他ならない」という趣旨の反論をしたのは、マネタリストのミルトン・フリードマンだ。
 
フリードマンの反論は事実を単純化することで都合のよい主張をしている面はあるが、一面の真実でもある。 投機筋の動きがファンダメンタルズから乖離したと思われる相場を押し戻す場合もある(逆もまたあるのだが)。
 
例えば、1995年に1ドル=80円まで行った円高オーバーシュートを逆転させた動きは、当時の大蔵省財務官、榊原氏の巧みな演出にヘッジファンドなどを含む投機筋がのって円売りを始めたからだと私は確信している(状況証拠しかないけどね)。
 
だから日経新聞の記事の書くように、本当に海外の投機筋が円売り仕掛けに出動するなら、現局面ではPPPから円高方向に乖離した円相場をPPPに回帰する力になるだろう。期間の長い通貨オプションで円プット(円売り・ドル買いの権利)を購入するという手法は、ヘッジファンドが好む手法で、90年代後半の円安局面でも盛んに使われた。
 
とにかく1ドル=90円台程度まで戻れば、日本の輸出メーカーの顔色も相当良くなるだろう。もっともドル円でほとんど短期金利差がない状態が今後2014年まで持続しそうな状況では、円売りキャリーが大規模に起こるかどうか? キャリートレードは金利差がないとキャリー益(=金利差の産むスワップポイント)がでないからね。
 
また、ほどほどに良い程度で止まってくれないのが、相場の力学というものだ。 一度円安の動きで味をしめると、続々と追随する動きが出てきて、最終的には行きすぎた円安になるリスクもある。実際、90年代後半の円安は円売りキャリーの流行で、98年に148円というオーバーシュートをするまで反転しなかった。
まあ、それでも今の日本経済にとっては1ドル70円台の円高が2014年まで持続するよりはましだろう。それに円安に行き過ぎたら、1兆ドル余りに累積した外貨準備を売って(利食いになるね)、円買い介入すれば良い。
 
投機筋様、どうぞ円安を仕掛けてくださいまし・・・。お待ちしております。
 
 
 

3局(日米欧)の株価が上がってきた。
 
世界景気の足取りがまだ脆弱で、欧州については既に景気後退入りではないかと言われている現局面での株価回復をどう位置付けたら良いだろうか?
 
年初の世界景気の各種予想を見ると、穏やかな回復持続から、景気後退への移行まで予想の分布が広く、それに応じて株価予想も下落・悲観予想から回復・楽観予想まで大きな幅ができてしまっている。
 
私は足元の株価回復は、過度の悲観論がやや修正された結果によるショートカバー(特に株だけじゃなくてユーロ為替相場がそうだ)と、米国の超金融緩和の2014年までの延長見込みによるものかと思う。(昨年までは2013年半ばまでの予想が支配的だったが、FRBの見通し発表で2014年までの持続が支配的になった。)
 
一般的に景気が底を打った後、まだ実体経済の回復が脆弱だが、一段の金融緩和やその持続期待で株価が回復する局面がよくある。実体経済の回復がその後順調に進めば、この段階の株価の回復は「景気回復を先取りした」ものと結果的になる。
 
これは2010年第4四半期から2011年初にもあった状況だ(当時のQE2開始)。ところがその過程は、2011年3月の東日本大震災、夏の欧州政府債務危機の深刻化でいったんとん挫してしまった。今回は、昨年第4四半期から目立ってきた米国の実体経済の底堅さと、FRBの金利見通しの発表を契機に、いったんとん挫したプロセスのパート2が始まったのだろうと私は解釈している。
 
従って、3月までのユーロ圏の政府資金調達などが無事に進み、米国の実態経済の緩やかな回復、日本の復興需要による景気下支え、中国のバブル崩壊大失速の回避などが実現できれば(その可能性はとりあえず、わりとあると思う)、株価の回復も後から「それの先取りだった」ということになり得るだろう。
しかし、ユーロ圏も中国も、どうなるかわからない不確実性は高い。従って「かつてない不透明性」という事情は続くから、楽観論も禁欲的な範囲だろう。
 
円相場は2011年通年の貿易収支が赤字になったことがニュースで騒がれているが、月次ベースで数字を見ているプロの間では、織り込み済みの材料に過ぎないので、それで短期的に円安に大きく戻るのはちょっと無理そう。
 
ドル金利も2014年まで上がらんという見込みになっているので、まあ、ドル円相場は現在の膠着から抜け出すきっかけがなかなか見当たらないが、次の大きな動きは最終的には円安ということで良いのだろうと思う。
 
 

借入れをして投資をするいわゆる金融レバレッジがある場合の投資リターンの計算原理、私は大学の講義では学生相手にかならず教える項目なのだが・・・中学生、いや小学生でもできる計算なので、こんなことはビジネス一般人に対しては、解説するほどの価値もない当然の内容だとと思っていたが、どうもそうではないようだ、という衝撃的な経験をたった今した(*_*)
 
どうなんでしょうか?そうなんでしょうか?
例えば以下の例:
資産5000万円、リターン5%
負債(借入れ)2500万円、コスト2.5%
純資産(自己資本)2500万円のリターンは? 7.5%になる。
 
計算式:7.5%=5%+(5%‐2.5%)×2500/2500
 
このブログのリピーターのみなさん、これって造作もなく理解できますよね?それともできない?
 
右辺の2500/2500がレバレッジ比率で、もし借入れが純資産の2倍あれば、比率が5000/2500=2になって、その分だけ純資産リターンは上がる(10%になる)。
 
う~ん、・・・・これってマジでくどくど説明する必要、あるいはその価値があるでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「新幹線とリニア 半世紀の挑戦」(村串栄一、光文社、2012年1月)を読んだ。
(↑例によってアマゾンにレビュー書きました。よろしかったらアマゾンのサイトで「参考になった」をクリックしてください) 
 
「事故になれば大騒ぎ、何事もなければ報道されず」がこの世(マスコミ)の常だ。

東日本大震災の津波でメルトンダウンを起こした福島原発事故が、日本の高いと思われてきた技術力への不信にまで発展するのも、まあやむを得ない面もある。しかし未曾有の大震災にもかかわらず、最高時速300キロを超える東北新幹線が、脱線もなく、ひとりの死傷者も出さずに済んだことは、実は驚くべき事実ではなかろうか。

本書がスポットを当てるのは、そうした「無事であたりまえ」を実現するために費やされてきた技術陣をはじめとするJRの裏方の努力だ。

海岸に設置された地震の初期微動を感知する地震計からの信号が「5秒早く」列車を自動的に止める仕組み、1964年の新幹線開業前夜から「いかに時速200キロ以上を出すかよりも、非常時にどうやって安全に止めるか」を議論、研究し続け、今では車両は時速420キロでも出せるが、安定的に出せるのは時速360キロまでという技術力を過信しない姿勢などが紹介されている。

「世界一速い高速鉄道を実現する」ことに面子をかけ、多数の死傷者を出す衝突事故を起こした某国との違いが対比される。

大規模な津波を想定せずにメルトダウンを起こしてしまった福島原発と東京電力、一方で「無事」を実現した新幹線システム、その分岐を生み出したのは何だろうか?ハード、ソフトの狭義の「技術力」を超えた「思想」「思考法」にあるのかもしれないと、本書は感じさせる。

次の夢の実現は2027年を目標にしたリニアである(第5章)。リニア技術についてはドイツは先行していたが、事故を起こし、ドイツ国内でのリニア建設計画は放棄されてしまったという。
ぜひ日本で安全で超高速のリニアを実現して欲しい。

竹中正治HP

世界の景気動向、どうもお湯と冷水を同時に浴びているような奇妙な感じ・・・・
例えば「冷水」については、世界銀行が発表したGlobal Economic Prospectsは(今日の日経新聞夕刊で記事になっているが)ちょっと異様なほどの危機感トーンになっている。
 
サマリーの冒頭だけ訳してみようか。
「世界経済は危険的な局面に入った。欧州の金融危機は途上国と先進国の双方に波及している。この危機の伝染は世界のいたるところで借入れコストを押し上げ、株価を押し下げ、途上国への資金流入は急激に落ち込んでいる。 欧州は既に景気後退に移行したようだ。 同時に幾つかの大きな途上国の経済成長は(ブラジル、インド、そして多少弱い程度でロシア、南ア、トルコ)は回復の初期の局面より顕著に鈍化した・・・・・。米国と日本における経済活動の強まりにもかかわらず、世界の経済成長と貿易は急激に鈍化した」
 
ふ~ん、国際機関の官僚エコノミストの書きっぷりとしてはかなり踏み込んだ危機トーンだ。「崩壊」や「壊滅」が大好きな日本の経済ビジネス雑誌のトーンに近いね(^_^;)
 
その一方で本日のFTには米国経済について以下の記事が載っている(めんどーだから、もう訳さない)。
Manufacturing employment has grown faster in the US than in any other leading developed
economy since the start of the recovery, as productivity gains and subdued pay rises
raise hopes for an American industrial renaissance.
 
Reuter 17.Jan 2012 
The Mortgage Bankers Association said its seasonally adjusted index of mortgage application
activity, which includes both refinancing and home purchase demand, jumped 23.1 percent
in the week ended January 13.
 
米国だけ見ていると、景気は明らかに上向いていて(水準はまだ高くないけどね)、2012年はけっこういけるんじゃない?の印象になるんだが、欧州に目を向けると惨憺たる有様・・・・。
中国じゃこれって不動産バブル崩壊でしょとしか言えないのだが、日本や欧米とやはりまだ経済の仕組みが違うから、バブル崩壊がどの程度の経済失速をもたらすか、公表される経済統計の不十分さもあって、いまいち感じがつかめない。
 
ちなみに中国は先進国のようにGDPの詳細を公表せず、前年同期比の数字しか出さない。これってわかっている方はわかっていると思うが、遅行数字になるんですよね。前期比で出さないと足元の状態がわからない。
例えば2011年第4四半期は前年同期比で8.9%と公表されたが、例えば以下のようなデータ(GDP)系列の場合、前年同期比では8%成長でも、前期比ではゼロ成長になる。
100 103 106 109 109
最後の109は前年同期比では9%成長だが、前期比ではゼロ%
 
ということで、どうなるかわからんから、世銀のレポートも、
タイトルが“Uncertanities and Vulnerabilities”(不確実性と脆弱性)。
 
従って私としては「禁欲的楽観姿勢」継続、キャピタルゲインはあまり期待せずに、インカム志向中心でいきましょうということかな。
 
 
 
 
 
 
 
 

「複雑系」に関する書籍は過去何冊か読んだが、これが一番わかり易くて、かつ同分野の最前線の研究動向を一般人にもわかるように解説している。知的な興奮を味わった。
 
複雑で単純な世界(Simply Complexity)」(ニール・ジョンソン著、インターシプト、201112月)
 (例によってアマゾンには短いレビューを書きました。良かったら「参考になった」をクリックお願いします)
 
以下、ちょっと長くなるが、自分自身の記録目的も兼ねて、関心個所に絞って要約、紹介しよう。
 
複雑系科学とは、相互作用している多数の要素の集合で生じる現象(創発現象)の研究だ。人文現象としての「群衆行動」はその一例だ。 この創発現象の予測と制御方法を解明する糸口が研究のフロンティアで見え始めているという。
 
しかも相互作用をしている単位(個人、ウイルス、分子、量子など)の完全な知識はなくとも、かなり単純な想定の下に複雑な創発現象(例えば株式市場のバブルや暴落)を説明するというアプローチは、従来の還元主義的なアプローチとは対局的だ。還元主義的なアプローチというのは、現象を構成単位に分解して、それらのミクロの振る舞いの特性から全体を説明しようとするアプローチであり、経済学でいうとミクロ経済理論だ。
 
市場現象への適用
標準的な経済学では例えば市場価格(相場)の変動はランダムだと想定する。しかし現実は完全にランダムではなく、無秩序(カオス)とある程度の秩序の間を揺れ動いていることが、観測結果としてほぼコンセンサスになっている。
 
ここで言う「秩序」とは市場関係の一般用語としては「トレンドを形成する変動」という意味であり、なんらかの時間単位で計測すると一時点の前の変化とその後の変化に相関性が生じることだ(つまり上がり続けるトレンド、あるいは下がり続けるトレンド)。
 
このトレンドが見られることを「秩序ポケット」が生じると複雑系研究者らは言っている。 実際の相場は、ランダムに思える上下動と、トレンドのある動きの二つの間を揺れ動くという。これはランダム・ウォークの仮定よりも、相場関連の実務をやってきた人間の現実感覚とよく一致する。
 
フィードバック機能がポイント
このような秩序ポケットが生じる原因は、システムにフィードバックがあるからだと言う。そこまでは私もこの本を読む前からわかったつもりでいた。弊著にも書いたのだが、私も相場現象は「下がったら買う、上ったら売る」というネガティブ・フィードバック(変化の安定化)と、「下がったから売る、上ったから買う」というポジティブ・フィードバック(変化の累積)の2つがせめぎ合う場だと理解して来た。
 
そしてふたつの対立するフィードバック機能が拮抗している場合には、相場は比較的狭い範囲でランダムな動きとなり、なぜか拮抗が崩れてポジティブ・フィードバックが強まると、上げトレンドや下げトレンドが生まれると理解できる。しかし、なぜある時その拮抗が崩れて片方が優勢になるのか、その仕組みをどう理解すれば良いのか分からなかった。
 
著者はそれに対して、ひとつの回答を提供している。まずランダムと秩序ポケット(トレンド)の相場状態をどのように識別するかというと、上がれば1、下がれば0と判定した場合、特定のタイムスパンでは (1)起点から上って終わる場合、(2)下がって終わる場合、(3)同じ水準で終わる場合に分かれるが、ランダムの場合はデータを十分に増やすと結局0.5に収束する。上るか下がるか完全な秩序(トレンド)がある場合は1(上る場合)か0(下がる場合)になる。
 
従って十分な観測データの下に0.51.0の間の値が計測されれば、それはランダムと完全な秩序の中間の状態が検証できたことになる。そして相場現象を始め社会・経済現象や自然現象の多くが、この中間域であることを示すと言う。
 
金曜日バーに行くか行かないかの選択モデル
ここで著者が提示モデルは「金曜日のバーに行くか行かないかの選択」である。バーには定員があり、定員以下なら金曜日に楽しく過ごすことができるが、定員オーバーだと窮屈で不快な思いをするので来ないで家にいた方が良かったということになる。バーの状態を事前に知り得ない(不確実性)とすると、プレーヤーはどう行動するか? 
 
この場合、結果は4通りに分かれる。(1)バーに行って空いていた、(2)混んだバーに行かなかった、この2つが成功。(3)バーに行って混んでいた、(4)空いていたのにバーに行かなかった、この2つが失敗である。失敗と成功の効用は同じ程度のプラスとマイナスだとしよう。
 
それを単純なモデルにすると、過去一定の連続回数(例えば2回)バーに行って空いていた(あるいは混んでいた)経験をすると、ある選択は「また空いている(あるいは、また混んでいる)」と予想して、同じ行動を繰り返すもので(トレンド志向)、これをp=1とする。反対に同じ経験を連続ですると「次は反対だろう」と予想して反対の選択をするで(逆ばり志向)、これをp=0とする。そしてその両方の間で気まぐれに揺れ動く選択(気まぐれ志向)はp=0.5とする。これが過去の経験からのフィードバックを受けたプレーヤーの戦略となる。プレーヤーはp値で示される戦略を経験を繰り返しながら修正することができる。( )の命名は私がしたものだ。
 
この想定は既にミクロ経済理論家が一般に嫌う傾向の強いバックワード・ルッキングな反応だ。多くのミクロ経済理論家は、経済主体は合理的にフォワードルッキングな予想に基づいて選択すると想定したがる。しかし未来を予想する適切な情報を欠いている不確実性の下では、私達は多くの場合バックワード・ルッキングな予想と選択を行うというのが現実に近いと思う(これは私の補足コメント)。
 
トレンド派と逆張り派に両極化する
興味深いことに、0から1までの様々なpの値の仮想プレーヤーを想定してシミュレーションを繰り返すと、p=0p=1の選択が最も失敗する確率が少なく、プレーヤーの分布はp=0p=1に両極化し、中間派は減少するという。つまり、トレンド志向派と逆張り派に2極化するという。(著者・訳者はトレンド志向派を「群衆」、逆張り派を「反群衆」と書いているが、私の用語の方が分かりやすいだろう)
 
なぜシミュレーションを繰り返すと2極化するのかについて、著者はプレーヤーが3人のケースで説明している(p136)。人数をもっと増やした場合で厳密な説明をすると数理的に難しくなり過ぎるのだろう。この辺は一般書の限界でやむを得ない。
 
しかし私なりに見当をつけると、こういうことだろうか(正確ではないかもしれない)。両極のグループと気まぐれ志向派が併存する状況で、気まぐれ志向派がバーに行く場合は、その結果バーに行く人が増えるので、混んでいるバーに行ったという失敗を自己実現する可能性が高くなる。また、反対に彼らがバーに行かない場合は、その結果バーに行かない人が増えるので、空いていたバーに行かなかったという失敗をやはり自己実現する可能性が高い。この結果、気まぐれ派は次第に自分の判断基準p10の方向に修正することを余儀なくされ、両極化する傾向が生まれる。
 
この研究結果は、現実の相場と投資家行動でも、トレンド追随派と逆張り派に分かれることと整合しており、非常に興味深い。ちなみに私は典型的な逆張り派である。著者はこうした2極化は、ランダムな状態の中からあるパターンが生じるという意味で典型的な創発現象だと言う。
 
相場現象に出てくるポジティブ・フィードバックはトレンド派の行動によるものであり、ネガティブ・フィードバックは逆張り派の行動によるものだと理解すると、拮抗する2つのフィードバックの原因が納得できる。
 
バブルと崩壊という創発現象の解明と予想可能性
さて、バブルやその崩壊などで生じる強いトレンド相場は、対立する2つのフィードバックのうちポジティブ・フィードバックが優勢になる結果だと考えられる。従って、上記の2極化がアンバランスになることを意味する。どのような場合にそれが生じるかについて、著者はプレーヤー取り得るp値(戦略)に制約が加わると(「フラストレーション」と呼ばれる)2極のバランスが崩れると言う。
 
これを現実の相場現象のバブルやその崩壊においてどう具体的に解釈すれば良いのか? まだちょっとわからない。とりあえずの私の考えるところでは、金融緩和などで信用が膨張して、運用を求める資金は莫大にあるにもかかわらず、それを吸収するだけのインカム・リターンを生む金融資産が十分にないような状態は、もしかしたら著者の言うフラストレーションの一種だと言えるのかもしれない。その場合、投資家はキャピタル・ゲイン志向を強め、トレンド派が優勢になるのかもしれない。
 
追記(2012年1月19日):2つの対立するフィードバックの拮抗(あるいは均衡)を崩すフラストレーション状態(プレーヤーの取りえるp値が制約される状態)は、大きな損失の発生時に損失を抱えたプレーヤーが損切りを事実上余儀なくされることでも生じると思いついた。つまり出資者の資金引き揚げや融資の打ち切りにより、「ここは割安だから買いたい」と場合でも、それができずに損切りの売りを迫られるプレーヤーがある程度の規模で生じると、2つのフィードバックの拮抗は崩れ、暴落トレンドとなる。
 
さらに著者は複雑系の制御可能性に関する最新の研究を紹介している(p139p149)。手短に言うと制御については、大きな調整力でなくてもタイミング次第でその後のコースを変えることができる可能性を示唆している。
 
さらに6章の「金融市場の動向を予想する」では、有限の資源(富)を多数のプレーヤーが各自より多く獲得しようと競争し合い、様々なフィードバック・ループが形成されている金融市場は、まさに複雑系のアプローチに最適な対象だと言う。
 
そして自然現象との相違は、いかなる予想モデルも広く知られ利用されることによって予想の自己否定が起こるという、私も著書で強調している点を述べている。ならば、そうした環境でどのように「予想」が成り立つのだろうか?
 
それに関する本格的な説明は著者らによる学術書“Financial Market Complexity”を読む必要があるとのことだが、相場環境の変化を反映して、予想自体が時間の経過とともに変化してゆく可変的なモデルなのかもしれない。
 
また「暴落の分類学」(p185)では、「暴落は相対的に無秩序な状態から秩序ポケットが出現する典型的な例」だと言う。そして最近の研究成果によると、無秩序(ランダム)な状態から暴落(下落トレンドと言う秩序)に移行する場合には、市場の将来の動きを予測する通路(経路)は非常に狭くなり、予測可能性が増すという「予兆」が現れるという。それが確かならば、その実践的な有効性は計り知れない。
 
以上、人文現象から自然現象まで多岐にわたっている本書の内容を、金融相場現象にやや絞って要約した。学術書“Financial Market Complexity”をどうやら読む必要がありそうなので、ちょっと高いけど注文した。あまり方程式が乱舞している内容じゃないと良いのだが、まあ春休みのお勉強にしようか。
 
 
 

沖有人という不動産業界の方が書いた「不動産投資の罠」という日経ビジネスオンラインの論考記事を読んで、強い違和感を感じた(以下サイト)。
 
沖氏によると不動産投資は個人投資家には難し過ぎる対象であり、本当に儲けている人は全体の3%程度に過ぎないだろうという。
「実態は、儲けている個人は結局のところ全体の3%程度に落ち着くだろうと想像する。その他は、トントンか、マイナスと言ったところだろう。成功か失敗かは一見分かりにくい。その理由は2つある。 1)キャッシュフローは初年度が一番良くて、徐々に下がっていき、マイナスになるので途中まで儲かっているように(錯覚だが)思える。2)不動産を売却してみないと、最終収益は確定しない。」
「不動産投資はいつ終わるか分からない「ババ抜き」をやっているようなものだからだ。高く売り抜けたら、このゲームを終えることができる。最後にババを手元に残した人が大損して、最悪は自己破産することになる。相当な数の人が不動産投資をやっているので、これから自己破産者が続出することになる。そのXデーはいつ来るか分からないが、必ずやって来る。」
 しかし私の経験を語れば、それは不動産投資一般ではなく、都心の中古マンション投資という一分野に過ぎないが、比較的一般化しやすい幾つかのルールに従う限り、株式投資で儲けるよりずっと簡単だと感じている。 
際、以前書いた通り、1998年に最初のマンション投資を始めて1億円(銀行借入れ7000万円)まで投資残高を積み上げた。景気後退前の2007年に価格が上がったので一番築年数の旧いマンションを売って、回収したした資金で残りのマンションの借り入れも全額返済してしまった。 
マンションを全部売却することが投資のEXITとは私は思っていない。相応の収益を上げている限り、保有を続けていてよいと思う。ただしローンがあると賃料が全部ネット収益にならないので、マンション投資から生じたキャッシュフローでローンを完済してしまえば、それがレバレッジ投資のEXITと考えて良いだろうと思う。ローンさえ完済してしまえば、資産のリターンが下がることはあっても、返済できずに破綻することはないからね。
しかし沖氏は次のように言う。
「私は賃貸住宅の市場調査を日本で一番多く手掛けているので、市場の実情を最も知り得ている一人だろう。実はリーマンショック後、多くの法人が倒産したので、自分たちのサービスを個人向けに展開をしようかと考えた。実際に、本1冊分の原稿を書き終えたが、お蔵入りにもした。その理由は、個人投資家を儲けさせる手立てを持ち合わせていないからだ。個人が不動産投資で確実に儲けるのは至難の業だ。顧客ニーズを満たせないことを生業にすることはできない。それがせめてもの自分のプライドだった」
要するに業者として個人投資家相手に不動産投資のビジネスをすると「客を食い物にしなくてはならない。だから自分は潔くそれをしない」ということだ。
沖氏と私の認識の違いはどこから生じるのか?(?_?)? 再読してわかった。
個人投資家としてマンション投資で成功する必要条件(主要なものだけ)は、私が考えるに以下の点だ(弊著「資産運用のセオリー」に書いてある)。
1、中古マンションを徹底的にショッピングして安く買うこと。目標にする条件が出ない限り手を出さない。新築マンションは新築プレミアムが平均2割ぐらいはのっているので絶対に買ってはいけない。
2、空室リスクを最小限にするために都心の駅近(徒歩10分以内)の物件のみ投資対象にする。利回りが高いからと言ってロケーションの悪い物件を買ってはいけない。
3、購入マンション価格の3割は自己資金を用意して、金利もショッピングして銀行から低い金利で買うこと。自己資金比率が低いと銀行は与信リスクが高くなるので金利も高くなる。低い金利で借りて、高い賃料利回りとの利鞘を確保し、レバレッジを効かすのがポイント。
4、買う時は不景気時、売るのは好況時。
5、ワンルーム・マンションよりファミリータイプ・マンションを優先する。ワンルームは住んで買う人がいないので利回り計算する投資家にしか売れない。一方、ファミリータイプは住むために買う人がいるので高く売れるチャンスがある。
この5条件は別に人に習ったわけじゃないが、投資家として合理的に考える当然の選択だと思っていた。ところが、沖氏の記事を含め最近破綻する個人投資家のケースを聞くと、この5条件をまるで満たさないままマンション投資をしてしまった個人投資家の破綻が増えているようだ。
つまり、「新築ワンルーム買い、自己資金ゼロに近い、借入れ金利が高い、2005年~06年の好況時に買っている」の条件だ。こうした連中は資金に余裕がないから、テナントが退出してしばらく空室になると毎月のローンが返済できず、銀行の要請で任意売却とかに追い込まれる。 それは当然の結果だろう。非合理的な投資家は淘汰されるのが市場原理だからね。
マンション投資で業者が一番儲かるのは、自ら新築マンションを建設し、売ることだ。中古の仲介業務などは3%の手数料しか儲からないので、薄利だ。だから中古の仲介でスタートした業者も、小銭をためて元手ができると自ら建設、販売を手掛けようとする。しかしその新築プレミアムののった価格では投資家は絶対にリスクに見合ったリターンを上げることはできない。
沖氏も次のように言っている。
「新築物件を売る側は土地を購入し、建物を建て、利益を乗せて販売をする。これは積算価格と呼ばれる。
 新築投資用マンション価格=土地代+建築費+事業利益
 これに対して、市場で売却する価格は、収益還元法という別の方法で設定される。
 収益還元価格=年間賃料収入÷期待利回り
 この価格のギャップが購入した矢先で損が出る仕組みである実は新築投資用マンションは最初から「大損の負けいくさ」と決まっている」
これでわかった。不動産業者として個人を相手に儲けるには、なんとしても新築物件を売らなくてはならない。しかしそれでは個人投資家にリスクに見合った投資リターンを提供できす、食い物にすることになる。
顧客ニーズを満たせないことを生業にすることはできない。それがせめてもの自分のプライドだった」
と最初の方で述べているのはそういう意味だったんだ。
ははは、だったら個人投資家相手にぼられないためのアドバイス、コンサルタントをしてあげれば良いのだが、そんな商売では「自分が儲からない」ので個人投資家を相手にするのは潔く「やめました」ということだろう。合点、合点、大ガッテン(^。^)
 竹中正治HP
 
追記(1月14日):
統計データで確認できないのがもどかしいが、以下のような方が増えているらしい。
私のマンション投資原則に照らせば、この種のケースは破綻必然だ。
しかし、「営業マンの言いなり」になっちゃう人間がいるもんなんですねえ・・・不思議。
また追記:
以下の「独立系不動産コンサルタント」による失敗事例集も面白い。
世の中、たわいもなく騙される方々多いんですね。
もうちょっと自分の頭で考えないのかな(^_^;)
 
 

広木隆の「ストラレジストにさよならを」(←アマゾンに飛びます)(ゲーテビジネス新書、2011年12月)を読んだ。著者は大和証券を皮切りに内外の投信運用会社を渡り歩き、現在マネックス証券のチーフ・ストラテジストだ。本ブログのリピーターの方は株式投資がお好きの方が多いようなので、既に読まれた方もいるだろう。
 
167ページの薄い新書だから、あっと言う間に読める。株式投資の入門書として評価できる。現代投資理論の基礎を踏まえながらも、株式投資に永年係って来た人間としてのうんちくというか、特有のセンスをきかして展開している点が共感を持ている(ああ、そう言えば私も外為ディーラー上がりで国際金融論を専門にしているエコノミストだったね(^_^;))
 
ナシム・タレブの著書(「ブラックスワン」と「まぐれ」)を2回引用して「連中(ストラテジスト)は芸人に過ぎないのだ」「身も蓋もないが、ストラテジストは(私を含めて)みんな能力的には五十歩、百歩だろう。能力というのは相場の先行きを占う能力である。本当に相場を当てられるなら、ひとに教えたりしないで自分で相場をはる」と素直に言い切っているのも良い。
 
素人投資家は、利食いが浅く、損切りが遅くなる点を指摘しているのは、まあ相場系業界では常識に過ぎないが、プロの世界でも一番難しいのが損切りだ。というか・・・・損切ること自体はある意味で簡単なんだが、損切った後に冷静に操作を続けることが難しいと言った方が正しいかもしれない。
 
損切りは自分の当初の判断やビジョンの否定だ。否定した上で方針やビジョンを修正・立て直して、整合性のあるディーリングを継続することが難しいのだ。だからディーリングをさせると人間は2種類に分かれる。ある者は損切りが遅く、自分の当初の判断に固執する。こちらの方が多数だ。もう一種類は、ポジションの転換がめまぐるしく、利食いと損切りをやたら頻繁に繰り返すタイプだ。 
 
双方とも適正としては欠けている。経験を積むことで中間的なバランスを身につけ、結果として収益を累積させた人間だけが長く生き残る。
 
著者は長期&分散投資の原則を尊重しながらも、テキスト的な主張とはちょっと違う主張をしている。そりゃあそうだ。日本株を対象にする限り、過去20年間もテキスト的な長期分散投資をしていてもマイナスのリターンでしかない。
 
それでも2000年以降で東証の銘柄の48%はプラスのリターンだそうだ。どうやって自分のポートフォリオからマイナス銘柄を捨て、プラス銘柄を長期に保有するかが問題になる。著者はある程度多銘柄に分散投資する形でスタートし、ダメ銘柄は10%程度で損切りすることでポートフォリオから淘汰しなさいという。 
う~ん、それで本当にインデックスよりリターンが上がるかどうか、確証はない。著者も確証などは与えていない。しょせんやってみなければわからない不確実ゲームだと言う。その通りだね。
 
売買のタイミングは難しいから、高値を売り抜けよう、底値を買おうなどと言うことはやめて、高値圏と思ったらタイミングを分割して売り抜ける、底値圏と思ったら分割して買うことを推奨している。これは私も著書で強調していることであり、まあ相場に長く従事した人間としては常識だな。
 
7章の「現在の日本株は割安ではない」は現状分析として一考に値する。
現在の日本株はPBRで1を割り、0.9程度であり、一見割安であることをを示している。
 
PBR=ROE×PERである。
 
従ってPERが趨勢的に一定ならば、ROEとPBRの間に相関関係がみられるはずだ。確かに米国ではそうなっている。ところが日本では1998年から現在までで見ると相関関係がほとんどない。これはROEを投資尺度として重視してこなかった日本の株式市場の特殊性だと解釈する。
ところが、日本でも2005年以降に限定すると相関関係が見られる。
 
これは日本でも投資家がROEの向上を要求する(でないと投資しない)方向に変化してきた結果だと解釈している。その象徴的な出来事が、日本の企業年金連合会がROEが8%以下に止まる企業の取締役の再任について株主総会で反対票を投じることを決めたという変化に注目している。
 
ところがそれでも日本企業のROEは米国のそれに比べると半分程度の低さに止まる。
2000年代に入ってもPERが相対的に高かったので、PBRは1を割れなかったが、この趨勢的なROEの低さに加え、長期的な成長期待の低下と2008年リーマンショック後のリスク・プレミアムの上昇が加わった結果、PERが低下し、PBRの1割れを結果したのだと説明している。
 
なるほど、そうすると今後世界景気の回復が継続し、リスク・プレミアムの低下や足元の成長率が回復しても、日本株の低ROEが改善しない限り、日本株の大きな上昇は期待薄であるということになろうか。
 
そうした大局的な判断を踏まえて、株式投資で長期、例えば10年で5%程度の年率リターンが実現できたら十分な成功だと言っている。そうだな。これが今次の危機後の投資の“new normal”だろうなと私も思う。
 
以上、アマゾンにレビューも書きました。参考になりましたら、アマゾンの「参考になった」ボタンをクリックお願い致します。1000番レビューアーを目指しています。現在1500番台、あと数冊書くと1000番に手が届きそうです(^^)v
 
竹中正治HP
 
 
 
 

年始年末に読んだ本のひとつ「ブラックストーン」(←クリックするとアマゾンサイトにとびます)は、2007年に上場した米国の巨大Private Equity Fundの誕生前史から今回の金融危機までの歴史を描いたものだ。
ブラックストーンの事業展開とその経営者に焦点をあてながら、Private Equity Fundという日本の一般世間では馴染みの乏しい、あるいは「ハゲタカ・ファンド」というイメージでひと括りにされがちな米国の投資ファンド業界の80年代から金融危機を経た現在までの歴史を描いている。
ファンドの創設者のひとり、ピーター・ピーターソンについては、私のワシントン駐在時代(2003-06)から、著作家でもある彼の著作を読んで知っていた。同氏はファンドの成功で大金持ちになったのでワシントンのシンクタンクにも巨額寄付者として強い影響力を持っていた。実際、バーグステン氏がプレジデントをしているIIE(Institute of International Economics)は、同氏から巨額の寄付を受けたのであろう、Peterson Institute for International Economicsと名前を変えた。
2007年にブラックストーンが上場すると聞いた時、「Private Equity Fundが上場するのか?上場したらもうプライベートじゃないだろ?」と奇妙に感じた。

金融・投資に関して基礎知識のない読者には、本書で次々と登場する金融用語にめんくらうかもしれない。しかし、それは米国の金融・投資業界の急速なイノベーションを物語るものでもある。米国の金融・投資業界は(金融・投資に限らないが)、旧いビジネスモデルがどんどん陳腐化し、新規参入者が新しい手口(ビジネスモデル)で登場する熾烈な競争環境が、時にバブルとその崩壊を引き起こしながら展開する世界であるとを感じる。

「企業を買収し、リストラして、企業価値を上げて儲ける」という論理に、情緒的な抵抗感や反発を感じる読者も少なくないかもしれない。 しかし、その根底にある米国の投資文化、エクイティー・カルチャーは米国経済のダイナミズムの不可欠な要素となっていることを本書を通じて知るだろう。

単純化して言うと、米国の資本主義は「肉食系」であり、日本のそれは「草食系」と呼べるコントラストがある。 何が相違か?  
法律で禁止されていないことは自由であり、合法的ならば貪欲に富を追求することが肯定される(賛否を巻き起こすことはあるけどね)ビジネス文化と、法律で禁止されていないことでも暗黙、あるいは慣行的な規制が(「空気による支配」)存在していて、それを破るとバッシングを受けるビジネス文化、この違いだろう。

肉食系資本主義はバブルと崩壊も繰り返すが、ビジネスモデルのイノベーションが活発で、格差を拡大しながらもダイナミズムがある。 草食系資本主義は、平等主義的(しばしば悪平等的)、あるいは現状維持的な慣行が強く働いており、生産や技術のイノベーションには相対的に熱心だが、旧来のビジネス慣行をひっくり返すようなビジネスモデルのイノベーションは抑制されてしまう。
大括りにいうとこんなところだろうか。(もちろん、本書は日本のことは扱っていない)
 
それぞれ問題を抱えているが、どちらに未来があるか? 別の新しい成長のパターンが登場するか?
そうしたことを考える下地として読んでおく価値のある一冊だと思う。
 
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