たけなかまさはるブログ

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2012年02月

「資本主義が嫌いな人のための経済学」 (←アマゾンサイトにとびます)
Filthy Lucre - Economics for People Who Hate Capitalism)
Joseph Health NTT出版、20122
(↑例によってアマゾンレビューです。「参考になった」クリックお願いしますm(__)m)
 
「市場原理主義」を批判する左派系の経済学者の本かな、と思ったら間違いだ。著者はカナダ、トロント大学の教授で専門は哲学だ。日本でも稲葉振一郎という社会思想研究が専門の方が書いた「経済学という教養」(2004年)という本がちょっと話題になったことがあったのを思い出した。あまり具体的な内容を思い出せないが、啓蒙的な価値のある内容だったという印象が残っている。
 
著者の批判は、第1部「右派の誤見」で現代の主流派の経済学に向けられている。ところが第2部「左派の誤信」で左派系論者への批判が展開する。そういう意味で、中道という簡単なようで実は難しい立場に立っている。
 
一般書ではあるが、経済学の下地のない読者には難しいだろう。反対に既にかなり勉強している読者には解説が徹底していない(おそらく難しくなり過ぎることを避けたため)点を感じるだろう。それでも読んでみて、自分が暗黙の前提にしていたことから生じる様々な思考のバイアスを点検できる価値がある。
 
右派と左派の双方への批判の切り口は多岐にわたっており、手短には要約できないが、私にとって新鮮だった右派への批判でまず一点あげよう。1956年の論文で当時学会で大いに議論を呼んだ「次善の理論(The Theory of Second Choice)」があるという。現実には満たされるケースはないが、完全な競争市場では資源の最適配分を実現する最も効率的な状態をもたらすと経済学では考えられている。これを根拠に、経済学者は完全競争状態は実現不可能でも、それに現実が近付けばベターな結果がもたらされると主張してきた。
 
ところがこの論文は完全度で1%欠ける99%完全な競争市場が、それよりも非競争的な市場よりも効率的である理由はないことを論証したという。「完全効率性の条件の一つが破られた場合に、できるだけ完全に近い効率性を達成する唯一の方法は、あえて完全競争市場に求めるルールをさらに幾つか破ることだ」(p7677)という。 それは確かに現在主流の経済学に基づいたイデオロギーを根底から転覆するロジックだね。
 
著者によるとこの論文が発表された時に、多数の反論論文が寄せられたが、やがて主流派は「反論できないので無視することに決めた」という。ところが残念なことに、著者はこの「次善の理論」のロジックを読者にわかりやすく解説してくれていない。しょうがない。自分で読んでみることにしようか。
 
私にとっては第2部の左への批判も興味深い。
例えば日本を含む先進国で問題になっているワーキングプアの問題、左派は最低賃金の引き上げを主張する。この最低賃金の引き上げが問題の解決になるかについては、主流派の経済学は懐疑的であり、労賃コストの上昇に併せて雇用が減るから失業者が増えるだけで雇用所得の改善につながらないと判断する。
 
ただし実証的には、最低賃金の変化に対して雇用はそれほど柔軟に変化しないという事実が提示されている。しかしながら著者の最終的な結論は「特定の職業では生計がなりたたないという事実は、それしか給料がもらえないのは不公平だということを意味しない。社会がその職業に就くように要求していない、ということではないか。あまりに多くの人がもうしている仕事だからだ」である。(p266)
 
従って所得の改善のためには、労働者のスキル、能力の向上、あるいは修正しかない。つまりしっかり自分自身を訓練、勉強しなさいということだ。その意思がある人間には政策は援助ができるが、意思のない人間は助けようがない、と私は理解した。
 
また12章では経済の平等性と効率性の議論で、右派は効率性を重視し、平等性を無視、あるいは軽視する、左派はその逆で、いずれも平等性と効率性はトレードオフの関係にあると暗黙の前提にしているが、実は前提が誤っているという。
 
厚生経済学の第2基本定理では市場は平等という点では基本的に中立であり、平等性と効率性には原理的なトレードオフはない。特定の条件が付加される時にトレードオフの関係が生じるだけだという(p316) 社会・経済政策へのこのことの含意は大きいね。
それでは平等性を損なわずに効率性をあげる政策とはいかなるものか?それについては本書をお読み頂きたい。
 
 

ドル円相場が80円に絡み始め、内外とも株価回復が進んで来た。私の認識は1月26日に手短にコメントした時(以下)と大きく変わってはいないが、実際に少し円安、日米欧とも株高が進んでいるので、気分は春めいてくる。
 
日銀の追加金融緩和策との関係で言うと、2010年10月27日に55億円の資産購入という金融緩和強化を打ち出した時も(以下サイト)、その前にFRBのQE2が発表されており、しばし円安、日米欧株高の基調となった。
 
その基調が壊れてしまったのが、2011年3月の大震災で、追い打ちをかけたのが同年夏からの欧州政府債務危機だった。
 
今回2月14日の日銀の金融緩和強化(以下サイト)もFRBによる追加策の後だったというのは、これを「日米政策協調」と呼ぶべきなのか、あるいは日銀のFRBへの「政策追随」と言うべきなのか?
 
おそらくバーナンキ議長の脳裏では、日銀が次何をするかなんてことはほとんど気にしていないだろうから、やはり「FRBは次々策を打ち出すのに、日銀は何もしないのか?」という無言、有言の圧力に日銀は動かされているというべきなんだろう。
 
シカゴIMMの非商業筋(投機筋)の円買いポジションも2月14日付で直近のピークの半分ぐらいに縮んできた(以下サイト)。おそらく次の発表の2月21日付では円買い持高はゼロ近辺になるのではなかろうか。http://www.gaitame.com/market/imm.html
 
2月20日の日経新聞に「為替ヘッジ取引に異変」というタイトルで、書いている記者も自分が書いていることの意味がわかっていないような記事が出た。
 
「最近では円を売る権利の取引が増え始めた。需要がどちらに傾いているかを示す指標をみると、まず期間1カ月(1カ月以内に実行される取引)や3カ月で円売り需要が拡大。20日には期間が1年の取引でも円売りが円買いを上回った。1年物が円売りに傾くのは10年ぶり。「こんな動きは見たことがない」と市場関係者は話す」
 
上の記事は実は通貨オプション市場の円コール・ドルプットと円プット・ドルコールの需給が逆転したことを言っているのだが、どうも記者くんが仕組みを理解できているように思えない(よくあることだ)。
 
ヘッジファンドなど海外の投機筋は円売り持高で攻める時は、1年程度の期間の長い円プット・ドルコールを買う手法を選好する。 これは円売り・ドル買いの権利だから、円安・ドル高になると買ったオプションの価値が増加し、利食いができる。
 
円プットと円コールのボラティリティー水準に換算した価格の違いはリスク・リバーサル取引のスプレッドに反映され、市場参加者が円高波乱相場を期待、あるいは警戒している時は円コールが高くなる。逆に円安期待になると期間の短いものから順に円プットの方が高くなる。
 
期間1年物のリスクリバーサル取引で円プットの方が高いというのは、数年ぶりの出来事で、円安期待で円プットを積極的に買い始めた連中が現れたということだ。(外為取引、あるいはオプション取引の実務知識のない方には、チンプンカンプンでしょうが、一から説明するとえらく長くなるので、ご勘弁頂こう。)
 
内外の景況も、株も、為替相場も、ひと言で言うと、気分は「2003年春過ぎ頃」との類似性を感じる。当時は景気は日米共にゆっくり回復過程に入っていたが、日本では銀行危機が深刻化する(3月危機)を語る「予言者」が横行していた。
 
ところが最大のリスク要因と思われていたりそな銀行の国有化が決まると、「危機ありモード」から「危機なしモード」に転換し、日本では外人の日本株買いが、相場を急速に回復させた。
 
総括すると、このちょっと春めいて来た変化の要因は、①米国をはじめとする景況感改善、②先進国の金融緩和継続期待、③欧州政府債務危機の暴発回避期待、これら3点がベースであり、日銀の追加策もそのひとつに過ぎない。
 
ただしちょっと長い目で見ると、日本の貿易収支赤字の恒常化→円安基調、そしてそのさらなる延長線上に「日本国債売り仕掛け」のチャンスを(懲りもせずに)展望し始めている連中も出てきている感じがする。これはリスク要因だね。
 
 
 
 
 

本日2月17日の日経新聞夕刊「ウォール街ラウンドアップ」に載った記事、私もボルガー・ルールはピント外れな面があり、全面的には到底支持できない。2007年-08年の危機の教訓から大きくずれていると思う。
まず記事を引用しよう。
 
「銀行が過剰なリスクをとるのを防ぐボルカー・ルール。金融危機の反省から生まれた同規制の7月施行を前に、ルール案への意見募集が13日、締め切られた。
米連邦準備理事会(FRB)によると、その数1万7000件。問題点を指摘する内容が多く、さながら発動阻止を狙った“紙爆弾”だ。
 
「ルールはむしろ金融システムのリスクを高める」。ゴールドマン・サックスは60ページ超の文書でそう訴えた。JPモルガン・チェースなど他行も反対論を展開。保険会社、ファンド、企業、産業団体、果ては外国銀行や当局など反対派の裾野は広がる。
 
ルールの内容は極めて単純だ。銀行は自己資金で市場取引を行わない、これを行うファンドへの出資もしない、という点に尽きる。だが規則を詰めるうちに、当初3ページだった文書が、ほぼ300ページまで膨らんだ。
 
厄介なのは例外の定め方。新規制は市場で取引される金融商品の値付けを銀行が助けるのは禁じない。保有する金融商品の値下がりなどに備えるヘッジ取引も認める。だが、こうした目的に沿うことを詳細に証明する必要があり、負担が過大だと銀行は主張する。
 
他の業界からは「銀行から市場に入るお金が減り、流動性が低下する」「これが金融商品の値下がりや信用収縮を招く」との声が上がる。日本やカナダなど国外勢が懸念するのも、こうした動きが自国の国債取引などに及ぼす影響だ。」
 
まず、2007年夏にサブプライム危機として勃発したバブルとその崩壊の震源地は、米国の財務省やFRBがshadow bankingというキーワードで正しく判断している通り、銀行外の金融分野であり、その分野でのリスクの過少評価を伴った信用の膨張が主因だ。
 
日本の証券会社に相当するインベストメントバンク(バブルの主役)は、預金を受け入れる銀行ではないからね。
 
ただし銀行も、サブプライム・バブルを指をくわえて見ていることはできずに、SIVという自分のバランス・シートから見かけ上切り離された特別目的会社をつくって(抜け穴だね)、証券化商品への大規模投資をやったり、ヘッジファンドへの融資のみならず、傘下のヘッジファンドなどをつくって、シャドウバンキングの膨張、暴走に関与した。
 
従って、ボルガールールのファンドへの出資や事実上の経営関与を禁じる部分は正しいと思う。問題はルールが国債から外為、各種デリバティブまで市場性取引全般の銀行の自己dealingを原則禁止にして、market making(顧客のための値付け取引)のみを厳しい制約の下に許可しようとしている点だろう。
 
銀行本体で行なわれていた自己dealingそれ自体が、今回の危機の要因のひとつだったという認識は的外れで、そうした事実を説得的に検証したレポートを私は見たことがない。
 
私自身、銀行で外国為替、とりわけ通貨オプションのディーリングを永年していたので、自己dealing
とmarket makingは実は不可分であり、取引ひとつひとつを、「これはmarket makingです」
「これは自己dealingです」というような区分けは事実上不可能だということが良くわかる。
 
market makingであること証明するような管理を要求したら、その事務負担の膨大さで取引は機能しなくなるという主張は正しい。
 
いっそのこと1週間ほど全米で主要銀行は、market makingのストライキでも実施して、完全な仲介業務しかしないと市場がどういう状態になるか、見せてやれば良いだろうと思う。取引の流動性は消滅し、売れない!買えない!の騒ぎになるだろう。
 
さて、この問題、どう最終決着するかな・・・・。
 
 

たわいのないことですが、アマゾンでベスト1000レビュアーにランクインしました(facebookの皆様には昨日ご連絡しました)。以下のサイトで過去68冊の本に対するレビューをご覧になれます。
 
もちろん読んだ本のうち、レビューを書くのは一部です。レビューを書くのは比較的新しい本で、①強く興味をひかれた場合、②「なんてたわけたことを主張しているんだ」と腹がたった場合、③友人から頼まれた場合などです。 ①が一番多いですね。
 
白黒はっきりしてる私の場合は、星5つ(とても良かった)、星4つ(わりと良かった)、星1つ(とんでもねえ!)の3つに分布します。 凡庸な評価の場合は書きませんから。
 
最初はランクインすることなんか考えていなかったのですが、2000番台に入ったあたりから、「ベスト1000」を目指す気持ちができて、それからは書くたびにじりじりとランクがあがることが楽しみになってしまいました。
 
そういう意味で、直近レビューを書いた「快感回路」の著者が書いていることは人間の本質をよく表現していると思います。
 
「私達人間は、本能から離れた全く任意の目標の達成に向けて快感回路を変化させ、その快感によって自らを動機づけることができるのだ(p11)」 
 
アマゾンにレビューを書くと言う今私がやっている行動自体、何の報酬もなしに「自分で動機づけ」しちゃっているわけですからね(^_^;)。自分を何に向けて動機づけするかで、人の人生は大きく違ってくるということですね。習慣は第2の天性です。
 
またアマゾンのビジネス戦略に上手にのせられているという言い方もできるでしょうか。ユーザーをリピーターにさせる(病みつきにさせる)ビジネスモデルを作れれば、自ずと商売は成功するということでしょう。まあ、それはかまわない。書くことで記憶に鮮明に残り、自分の知的な蓄積になるんだから。
 
また、過去のレビューをふり返って、本のレビューを書くと言うことは、その本の内容を紹介することであると同時に、レビュアー自身の思索傾向、価値観を表明、確認することでもあると感じましたね。
 
 
 

快感回路(The Compas of Pleasure)」(Daivid J Linden、河出書房新社、2012年1月)は、かなり面白かった。(↑例によってアマゾンにレビュー書いています。よろしければ「参考になった」クリックしてください。)
 
筆者は米国ジョンズ・ホプキンス大学の神経科学者だ。人間の「快感」という感覚は脳内のどういう変化によって生じているのかを一般人にも分かりやすく説明しながら、脳科学の最先端の研究成果を紹介している。
 
以前紹介した「複雑で単純な世界」もそうだったが、サイエンス・ライターではなく、その分野の一流の研究者が、わかりやすく一般向けに書いてくれる本というものは有り難い。
 
サイエンス・ライターもぴんきりだが、俗流なレベルのものも多いからね。もっとも科学的な知見を一般向けに分かりやすく書くと言うのは、専門研究とはまた違った能力と努力が要求されるもので、誰でもできるわけじゃない。
 
私が面白いと引きつけられたのは、行動経済学などで紹介されている行動心理学的な実験で明らかになってきているヒューリスティックなバイアスの根本原因は、やはり人間の脳の仕組みに根ざしているわけで、脳科学がそれを解き明かしつつあるようだからだ。
 
脳には解剖学的にも生化学的にも明確に定義される「快感回路」(報酬系)があり、この回路が興奮する時に私達は「快感」を感じている。この脳の一群の領域は、内側前脳快感回路と呼ばれているそうだ。その中で最も重要な部分は腹側被蓋野(VTA)と呼ばれている。
 
脳の当該部分が「興奮する」というのは、シナプス小胞に蓄えれらていた神経伝達物質ドーパミンの放出が促進されることだ。
 
人間に特徴的なことは、この回路は固定的ではなく、経験(学習)を通じて持続的な変化を起こす。従って、記憶と快感は密接に結びついている。そして、著者の大きな感心は様々な依存症に向けられるのだが、依存症もこの脳内回路の持続的な変化として生じると言う。
 
「私達人間は、本能から離れた全く任意の目標の達成に向けて快感回路を変化させ、その快感によって自らを動機づけることができるのだ(p11)」 この一文は、人間の本質(少なくともその一面)に関する著者の洞察を要約している。 言い換えれば「習慣とは第2の天性である」ということわざは、脳の構造に根ざした真実であるということだろう。
 
ヒューリスティックなバイアスが脳内部の生化学的な変化として、検証されているという点について紹介すると、例えば脳はある種の不確実性やリスクに快感を感じるようにできているそうだ(p153)。そして進んでリスクをとろうとする神経系は進化上適応的だったという仮説が紹介されている。狩猟に特化したオスの方が、採集するメスよりもリスクをとることに適していた可能性があり、ギャンブル依存症が女性よりも男性にずっと多いことと一致する。 
 
そうだね、社会・文化的要因ももちろん排除しないが、有名な(あるいは悪名高い)投機家は男性ばかりだね。女性では思いつかない。
 
そしてサルの実験によると、サルはエサなどの生存上直接的な有用性のある報酬だけでなく、抽象的な情報そのものからも快感を得ることが確認されているという。従って人間もそうだろう。「抽象的な心的構成概念が快感回路を働かせられるようになっている(p192)」 
そりゃ、よくわかるよ。 お気に入りの野球チームが勝って狂喜するファンとか、私達の日常でありふれたことだからね。
 
そこからさらに発展すると「観念」は依存性薬物と類似した働きもすると指摘する。これは重要な指摘だ。宗教でもイデオロギーでも自分が帰依している観念に対する執着が、時に非合理的なレベルまで嵩じることも、よくあることだ。
 
「経験により脳内の快感回路を長期的に変化させる能力のおかげで、人間は様々なものを自由に報酬と感じることができ、抽象的観念さえも快いものにできる。人間の行動や文化の多くはこの現象に依存している。しかし残念なことに、その同じプロセスが快感を依存症へと変化させてしまうのである。(p195)」 
 
著者は依存症を「快感のダークサイド」と呼んでいる。 ジェダイのフォースと、シスのダークサイドのパワーは表と裏、ポジとネガのように一体不可分の関係にあるということだ。
映画マトリックスでも、ネオとスミスの関係がポジとネガの関係にあることが強く示唆されていたことを思い出すね。 このモチーフは神話や伝説でも、繰り返し登場するものだが、実は人間の脳の構造・働き方に根ざしたものだったんだ・・・というようにも解釈できる。
 

毎日新聞社週刊エコノミストで資産運用に関する連載を始めた。
本日2月6日発売号から毎週掲載される(ページ101)。6か月ほど毎週連載する予定。
 
「新連載 賢い資産運用 悠々自適の資産形成は夢ではない ■竹中 正治」
 
ちなみにお隣のページは「からだチェック」という健康管理をテーマにしたページだ。
偶然だけど、健康管理と資産形成は類似性がある。
 
類似性
(1)良い習慣を長期に持続させることが大切 (しかし多くの人は、てっとり早い手段を求めて失敗する)
(2)バランスが大切(食生活のバランス、ポートフォリオのアロケーション)
(3)合理的で正しい基礎知識が欠かせない (しかし世の中には俗説や誤謬がはびこっている)
 
2008年に出した光文社「資産運用のセオリー」では書かなかったIRR(内部収益率)の考え方、計算法、実践的な利用方法などを連載の前半ではメインにおいている。 これはエクセルで簡単に計算できる。非常に汎用性の高い概念なので、ご存じない方は是非勉強しておかれることをお勧めしたい。
 
 
 
 

私の初の学術書として「米国の対外不均衡の真実」(晃洋書房、2012年2月)を出版致しました。
(アマゾンサイトに飛びます↑)
 
これまで執筆、学会発表などしてきた論文を下地にしたマジに固い内容ですから、「売れない」こと確信しております(^_^;)。 でも、米国の対外不均衡問題(経常収支赤字、対外負債の持続性)について真剣なご関心のある方は、どうぞご購読ください。
 
以下目次です。
 
1章:米国の対外純負債の持続可能性を再考する
   対外資産・負債の投資リターン格差と持続可能な貿易赤字の規模
2章:米国の2000年代の対外不均衡拡大とその要因
3章:米国における家計の資産価値と貯蓄率の関係
4章:国際通貨・金融史におけるレジームシフトと21世紀の国際通貨体制の展望
 
以下ご紹介のために序文の前半部分を掲載しておきます。
 
「米国の対外不均衡問題に関する本書は、過去数年の筆者の研究・調査の成果をまとめたものであるが、その問題意識は1970年代後半の学生時代にまで遡る。当時、経済学部で国際金融論の講義に学んだ私と同世代の多くの方々が、次のように考えたはずだ。
 
米国の産業は戦後の西欧の復興や日本の高度成長の結果、対外的な競争力を次第に失った。米国の貿易収支赤字、あるいは経常収支赤字はその結果であり、ドルと金の交換性が維持できなくなってブレトンウッズ体制は崩壊した。その後の米国は金の裏付けを失ったドルをたれ流し、ドル相場は急落した。この結果、米ドルが基軸通貨の地位から凋落するのは早晩不可避となるだろう。
 
ところが米ドルの基軸通貨の地位からの転落は現在に至るまで起こらなかった。筆者が1980年代から2000年までの期間の大半を従事した銀行での外国為替とその派生商品(通貨オプション)のディーリング業務を通じても、ドルを介在させた取引が圧倒的なシェアを占め続けた。1990年代には円の国際化政策の一環として、外為取引の銀行間市場でドルを介さない円と他通貨の取引の拡大が、当時の大蔵省の後押しなどで試みられたが、目立った成果は上がらなかった。
 
1970年代の米ドル凋落論の一方で、1973年以降の変動相場制への移行が世界経済・金融の仕組みに根本的な変革をもたらしつつあることに人々が気付き始めたのは、1980年代、あるいは90年代になってからである。主要通貨が固定相場制のくび木から解き離れた結果、国境を越えた資本移動が自由化できるようになり、内外の金融の自由化が進んだ。それに伴って国際的なマネーの移動は飛躍的に拡大した。この結果、マネー、人材、技術の国際移動が飛躍的に拡大した金融・投資のグローバル化の時代が始まり、今日に至った。その起点がブレトンウッズ体制の終焉だった。
 
こうした変化に対して、スーザン・ストレンジ(“Casino Capitalism”1986)に代表される一群の論者は鋭い警戒と批判で応じたが、他方ではグローバル化した世界経済の高成長を賞賛し、その変化への積極的な適応を唱える議論が盛んになった。この議論の対立の構図は今日でも続いている。またこうした世界経済の構造的な変化に最も旺盛な適応力を示したのも米国だった。
 
米国を震源地とする2008年の欧米の金融危機を契機に再び「米ドル凋落論」が大いに語られている。その多くは1970年代の懐かしい論調の繰り返しである。今回の欧米の金融危機を契機に、欧米と日本などの先進諸国の経済成長は停滞色が強まる一方で、中国をはじめBRICs諸国は相対的な高成長を遂げている。このため世界の「パワー・シフト」が語られているが、現在のエマージング諸国の高成長も経済のグローバル化に適応した産物である。果たして私達はこれから先の近未来に、米ドルの凋落を想定すべきなのだろうか、それとも米ドル基軸通貨システムの持続を想定すべきなのだろうか。
 
本書は以上の問題意識を背景に次の問題に焦点を当てている。米国の貿易、経常収支不均衡が「長期的には持続不可能」と過去繰り返し指摘されながら、現在まで持続されてきたことの原因をどう考えるか、そしてそれが将来長期的にも持続し得るか、持続し得るとするとどの程度までの米国の対外不均衡が許容されるのか。これが本書の分析と論考の対象である。」
 
竹中正治HP
 
追記:2月6日
小峰隆夫先生が弊書を読んで下さった。ツイッターにつぶやいている。掲載しておこう。
 
追記:2月8日
本書を販売している主要オンライン・ブック・ストア(以下)
 
 
 

竹内洋「革新幻想の戦後史」(中央公論社、2011年10月)は、類稀な戦後思想史だ。
(例によって↑アマゾンにレビュー(一番最新のレビューです)を書きました。よろしければ「参考になった」をクリックしてください。)
 
戦後の論壇、アカデミズム、教育界を覆ってきた左翼思想的なバイアスを批判的な視点で論考の対象にしているのだが、著者自身の思索・思想の遍歴と重ね合わせながら展開している点に惹かれる。
 
著者は1942年生まれ、京大を卒業して一時ビジネスに就職したが、大学に戻り、社会学を専門にした教授になった。 人生も終盤に差し掛かった著者が自身の思想的な遍歴を総括する意味も込めて書かれている。
 
著者自身が学生時代には、当時の大学、知識人(あるいはその予備軍としての大学生)の思想的雰囲気を反映して、左翼的な思潮に染まるが、やがて懐疑、再考→「革新幻想から覚醒」のプロセスを歩む。
 
私は著者より一世代若いので大学生時代は1975-79年であり、既に時代は左翼的思潮の後退、衰退期に入っていたが、私自身は左派的な思潮に染まったほとんど最後のグループだったと思う。既存の大人社会をそのまますんなりと肯定的に受け入れることができない若者の常として(常だよね?)、既存の体制をラディカルに批判する体系としては、マルクス主義を軸にしたものしか同時なかったので、自然と傾倒したのだ。
 
だから私はマルクス経済学を中心に左派の文献をかなりマジに勉強した。また、社会主義的な左派ではないが、リベラル派としての丸山真男などの主要な著書はほとんど読んでいる。その時代の勉強は今でも下地に活きていると感じているが、そのまま受け入れているわけでもない。
 
そのため著者自身の思想的な遍歴は、私自身にも共通する部分があるので、共感著しい。著者が学生時代に読んだ代表的な文献も私自身の読書経験と重なる部分が多い。
 
1章は佐渡島での北兄弟(兄、北一輝)の話からやや冗長にスタートするが、丸山眞男の敗戦後の日本の知識人を支配した「悔恨共同体」情念の指摘に対して、もうひとつの「無念共同体」の情念があったことを語るあたりから一気に面白くなる。
 
そして1960年代の高度成長を経て、70年代以降は「花(理念)より団子(実益)」の情念に移行していくことで、悔恨共同体も無念共同体も風化し、理念なき方便が蔓延る戦後日本の曖昧さに至るという総括は、とても納得できる。
 
社会主義が現実としても理念としても崩壊した今日、昔の左翼は環境問題やフェミニズム、教育などのの領域に雌伏していたが、近年は所得格差批判などで少し息を吹き返している感もある。
そうした最近の事情も念頭に、戦後の左翼思潮(「進歩派」まで含む広義の左翼思潮)を批判的に再考する有益な一冊だ。
 

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