たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

カテゴリ: サイエンス

IMFの専務理事だったストロスカーン(フランス人)が、NYのホテルでホテルのメイドに「性的な暴行」を加え、逮捕・起訴された5月のニュースは皆さんご存じだろう。IMFのトップであり、フランスで左派の次期大統領候補にあげられていたほどの人物がなんでホテルのメイドをレイプをするわけ???(@_@)。信じられないというのが第1印象だった。だから「政治的陰謀説」も囁かれた。
 
今日の朝の衛星TV放送でスウェーデンでの「セックス依存症患者」の治療のことが報道されていた。スウェーデンでは、セックス依存症(強いセックス衝動に支配され、やたらにセックスしまくる)は脳内バランスが崩れることによって生じる病気だという認識が定着しているそうだ。
 
新聞読みながら片耳、片目で見た報道なので記憶が正確じゃないかもしれないが、性的な興奮には脳幹から分泌される「脳内快感物質(ドーパミン?)」が係っているそうだが、「正常人」は大脳皮質のチェック機能が働き、めったやたらなセックス衝動は抑制される。ところがセックス依存症患者は、なんらかの事情で大脳皮質の抑制機能が働かずに、ダイレクトに性衝動が働いてしまうとか・・・(正確な再表現ではないかもね)
 
ストロスカーン氏は同様のスキャンダルの前歴があったそうで、やはりこのセックス依存症だと判断すると合点ができる。
 
セックス依存症で思い出すのは、原作マンガ「GANTZ」の大阪道頓堀編に登場する「桑原」である(以下添付画像)。妖怪星人ろくろっ首女を後ろから強姦し、最強のボスキャラ「ぬらりひょん」とのバトルでは、巨大女体モンスターになった「ぬらりひょん」の顔面にしがみついて、ファックしてしまうという「超絶攻撃」をやってのける。しかし奮闘はそこまでで、両手両足をひじ・ひざ下から失う。
 
ところがそれでも桑原は死なずに、味方の女性におんぶされて退却する時に、「セックス・・・させてくれ・・・・」と呻き、あいそを尽かされ、彼女らに「こいつ捨ててく?」「そうだね・・・」と言われてしまう超異色キャラだ。
GANTZは現在発刊されている31巻まで読んでしまったが、桑原はGANTZ大阪メンバーとして生き残って再生されているはずなので、また登場しないかと期待している。
 
もうひとつ思い出したのはキャメロン・デュアスが主演する映画"In Her Shoes"だ。
 
キャリア・ウーマンの姉と自堕落な妹(キャメロン)の物語だが、法律事務所で働く姉はボス(上司)と不倫関係にある。ある日ボスが姉の家を訪れ、扉を開けると、たまたま姉の家に泊まっていた妹(キャメロン)がパンティーとシャツだけの扇情的な姿で立っていた。
 
なんとこのボスは、姉の情夫でありながら、妹の扇情的な姿にドーパミン分泌120%状態となり、初対面にもかかわらず、いきなり押し倒してファックしてしまう。妹もいい加減な性格だから、されるがままにしている。するとそこへ姉が戻って来て、ファック中の二人を目撃してしまうので、もうめちゃくちゃになる。
 
プッツンして家を飛び出していこうとする姉に向かってボスは、「待ってくれ、誤解だ。説明させてくれ!」という趣旨の言葉を叫んだと記憶しているが、この場においてどういう誤解がありえようか?なんという説明が可能か?
これがセックス依存症の典型的な行動であるとすると、なるほどストロスカーン氏の超非合理な行動も理解できる気がする。
 
ストロスカーンの法廷が開始されているが、いっそ「私は病気だった!」と主張を換えて、セックス依存症治療の権威の先生に弁明してもらえば、減刑の余地も出てくるかもしれない・・・。 
しかし、セックス依存症の人物がIMFのトップから大統領候補の推されるというフランスは、まあ、なんてセックスについてリベラルというのか、寛容というのか、やはり日本人にはわからない国だ。
 
イメージ 1
竹中正治ホームページ
 
 

参議院議員、田村耕太郎氏の本日のダイヤモンドオンラインに掲載された記事が面白い。
 
 
一部だけ引用しよう。
***
日本人「新卒の内定率もとうとう7割を切ったよ」
韓国人「えっ?まだ6割以上が卒業してすぐ就職できるの?韓国は4割台だと思う。TOEIC900点でも就職できない」
中国「それ恵まれすぎだよ。中国は経済が高成長しているけど新しい大学がどんどんできて競争はますます激しい。学生は専攻も語学もすごい勉強しているけどすぐ就職できるのは3割くらいだ。だから皆世界中どこへでも出かけて行って就職を探す」
ブラジル・インド「新卒内定率って何?そんな統計できるの?若年失業率なら3割から4割の間かな?」
アメリカ「まだ7割近くがそんなことしてるの?インターンもさせずに雇うの?学生もインターンせずに会社に入るっていうのは、同棲もせずに結婚するのと同じか?」
***
 
弊著「ラーメン屋vs.マクドナルド」(新潮新書、2007年)に書いた「希望を語る大統領vs.危機を語る総理大臣」の章で書いた日本人の「危機感駆動型」類型と同種の問題の指摘だ。
 
記事の最後にある世論投票をみると、圧倒的に多数(79%)の読者が「日本人は自虐的だと思う」に投票している。そういう自己認識もあるのだが、そう感じる心は制御できないということだろう。
 
抗鬱剤の国民的な投与を実施したら、どういうことになるだろうか?という空想をしてしまう。それが最大のデフレ解消策、景気刺激策になったとしたら、経済学者やエコノミストの語る経済政策論は一体なんだったんだ、ということになる。 そこでまた自嘲しちゃったりして・・・。
 
 
 

昨年から大学で教鞭をとり、ゼミも担当するようになった。
継続的に学生諸君の教育に関わるようになったわけだが、どこにでも教師を悩ますのが「落ちこぼれていく学生諸君」の問題だ。
 
単位の取得が遅れている学生諸君と面談すると、多くの場合、具体的な勉学の支障事情があるわけではない。学費は親が出してくれる。病気でもない。ただなんとなく、勉強の意欲がわかずに、落ちて行く。
 
例えば、こんな具合だ(現実をベースにした仮想会話)
私「きみ、このままだと4年で卒業するのあぶなくなるけど、ちゃんと卒業して、就職したいと思っていますか?」
学生「はい、そのつもりです・・・・」
 
私「それじゃあ、しっかり講義に出て、単位も取得しないとね。5年で卒業なんかしたら、就職はますます難しくなりますよ」
学生「はあ・・・」
 
私「就職に関して、具体的な希望のイメージはありますか?どういう職種を希望するの?」
学生「・・・・具体的には・・・・・イメージないっす」
 
まあ、こんな感じだ。卒業後のなりたい自分の姿のイメージが驚くほど空っぽ。
だから目標設定ができない。
一方「こうなりたい」というイメージがある学生は、それが目標設定になり、それを実現するために、これをしよう、あれをしようと、勉強も含めて前に向かって動いていくので心配はない。時々、手助けやアドバイスをしてやればすくすくと育っていく。
 
彼らは、なんでこれほど将来希望イメージが空っぽでいられるのか???
私にはほとんど異星人のようなこういう学生諸君について考えてみた。
 
だれでも若いころには、社会に出てどういう職業につこうか悩むものだ。
社会でどういう自分になりたいかというイメージは、社会(世界)とはどうなっているのかという社会に関する知識、イメージと並行して、相互に依存しながら形成されてくるものだ。
 
なりたい自分に関するイメージの貧困さ、欠落は、社会に関する知識、イメージの貧困さと表裏である。
落ちこぼれていく学生諸君は、多くの場合、自分の極めて狭い関係範囲、例えるならタコつぼのような世界にとどまっていて、そこから出ていこうとしていない。
 
なんで、そんなタコつぼの中に籠っていられるんだろう? これも私には「異星人行動」なのだが、彼らに共通していることは、外に向かった好奇心がひどく弱いことだ。様々な新しい経験、勉強のチャンスがすぐ隣に広がっているのに、自分から積極的に関わっていこうとしない。
 
まあ、確かに私が高校生だった1970年代にも、当時の若者の一部にある傾向が「三無主義」と呼ばれた。無気力、無関心、無責任、だからこれは昔からある問題でもあるのだ。
 
人類の歴史では、多くの人間にとって衣食住の欠乏、あるいは欠乏するリスクがむしろ恒常的な問題だった。人間、衣食住が欠乏した状態では、生き延びるためになんとかしようと体が動いて、もがく。 人類史の多くはこうした「もがき」の営みだったと言えるのではなかろうか。
 
ところが、現代、衣食住が一応満たされると、一部の人類には、それ以上のことはしないで済ませようという無気力、無関心に捕らわれるのかもしれない。そういう意味では「落ちこぼれていく学生諸君」は現代病のひとつなのだろう。
 
大学で勉強できる、学費は親が出してくれる、このことが人類史上どれほどの幸運か、彼らは分かっていない。 そう言ってみても問題が解決するわけではない。教師としては「タコつぼから出ようよ、広い世界を勉強しようよ」と刺激を繰り返すしかないのだが。

西田文郎という方が雑誌プレジデントの論考、「かもの法則」(以下サイト)で良いことを言っている。心理学的にはある意味で常識的なことだろうが、こういう実践家に言われると深く納得できる。
 
ちょいと引用しよう。
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 「リストラされるかも」「給料が減るかも」……不況の中、そんな不吉な予感が頭をかすめる、という人も多いのではないでしょうか。
 こうした否定的な「かも」に囚われると、人はどんどん悲観的になってしまいます。そして、自分の仕事がうまくいかないことを、自分以外の誰かや環境のせいにしてしまう。「小泉改革のせいだ」「無能な上司のせいだ」などと責任を転嫁して、自分を守ろうとするのです。

 その一方で、「こういうときこそ、自分が活躍できるチャンスかも」と、悪条件を肯定的に捉えようとする人もいます。
 そういう人は、「ダメかも」「うまくいかないかも」ではなく、「成功するかも」「できるかも」という肯定的な「かも」によって自分をコントロールして、幸せをつかむ。 要するに、「かも」の違いで未来は変わるということ。それを私は、「かもの法則」と名付けています。
 人間は、自分の将来について「肯定的な錯覚をしている人」「否定的な錯覚をしている人」に二分されます。肯定的な錯覚をする人は、言うまでもなく、肯定的な「かも」で発想するタイプです。
 
長年にわたって、経営者やビジネスマンの能力開発に携わってきた経験から言うと、一代で上場企業をつくったような成功者は、ほぼ例外なく肯定的な錯覚をしています。 常識的に考えれば無理だと思うようなことも、「俺ならできる」と思い込んで、本当に実現してしまう。失敗を失敗と思わない。
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全くその通りだ。自分自身の経験を振り返っても、上手く行った時には「いけそう!」「上手くいくかも!」とポジティブ・カモに駆られて、あるいは引かれて活動している。
そういう時は少々失敗しても、これでダメだとは感じない。「次回はうまくいくかも」という気持ちで心に張りがある。
ポジティブ・カモにスイッチできるか、ネガティブ・カモに心を支配されるか、これで成功不成功の8割は決まったようなものかもしれない。
どうせこの世は不確実なのだから、成功も失敗も確かなことはない。ならばいつも「うまくいけるかも」とポジティブ・カモでやり続けよう。坂本龍馬も超巨大なポジティブ・カモで走り続けた人物だったということだな。

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