たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

カテゴリ: その他

大坂ナオミの全豪オープン決勝戦を見て考えたことを書いておこう。第2セット、第9ゲーム目に訪れたチャンピオンシップポイントをナオミが逃した時、タイムをとってタオルを頭からかぶってトイレに行ったのが妙に印象的だった。 心の動揺を鎮めるためのタイムだったのだろう。その後、気分を一新したようなプレーで第3セットを取り、優勝を決めた。

ナオミが言う「ガマン」の意味

ナオミが過去3年ほどで急速に強くなった時にインタビューで「以前と何が違うようになったのですか?」と問われて「う~ん、ガマンかな。ガマンできるようになった」と答えたことが脳裏に浮かんだ。

アスリートにとって「負けるものか!」という強烈な闘争心は、練習でも試合でも、決定的に必要な条件だろう。世界大会で優勝するほどのスーパーアスリートならば、その闘争心は並大抵のものではないはずだ。 その強い闘争心が折れそうになる心を支えて、自分の限界に挑戦するような練習を繰り返し、試合で不利な状況になっても跳ね返す力になることは疑いない。

しかし試合で思ったようなプレーができない時、強烈な闘争心は強いストレスも引き起こすはずだ。闘争心が人並み外れて強い分だけ「クソッ!クソッ!」というストレスも強烈になって、心の動揺を引き起こす。ストレスによる心の動揺は、そのままプレーの動揺となり、敗因となる。つまり両刃のやいばなのだ。

昨年の全米オープンの優勝決定戦でナオミと対戦した女王セリーナは、思う様にプレーが決まらなかったストレスを審判に向けて自滅してしまったのも、そういうことだ。

だから強烈な闘争心と同時に、その闘争心故に生じる強いストレスをコントロールできる術を身に付けないと、世界大会で優勝できるようなスーパーアスリートにはなり得ないのだろう。

卓球の張本智和と伊藤美誠

そこで脳裏に浮かぶのは、卓球の張本選手だ。彼は一打決める度に「ったぁー!」と叫ぶアクションがひと際強い。それで自分の闘争心を鼓舞しているのだ。しかし彼がこの先も世界のトップクラスでプレーを続けるためには、その闘争心から生じるストレスをコントロールできるようにならないと、安定的に勝ち続けることはできない感じがする。

それと非常に対照的な試合を見せてくれたのが、昨年ストックホルムの大会で世界ランキング1位の朱雨玲を破って優勝した伊藤美誠のプレーだった。 伊藤はリズミカルに身体を動かすフットワークを続けるだけで、闘争心を鼓舞するようなアクションはほとんどなかったが、そのプレーは神業の連続で、ランキングトップの朱がまるで格下の選手の様に見えるほどだった。 伊藤の「ゾーンに入った」という状態が、試合の最初から最後まで続いた。 

試合後のインタビューで、伊藤は「他のことは全く考えずに、一打一打にもの凄く集中できて、気が付いたら勝っていた」と答えたのが印象的だった。 闘争心で自分を駆動する次元を超えていたのだ。

ブルース・リー「燃えよドランゴン」でので語り

そこでまた想起するのが、映画「燃えよドラゴン」で主演ブルースリーが、カンフーを修行している少年に語った言葉だ。 セリフを再現しておこう。

  リー:Kick me.  Kick me. What was that? An exhibition? 
 We need emotional content. Try again. I said emotional content, not anger. 
 Now try again, with me. That's it. How did it feel to you? 
 弟子:Let me think. 
 リー:Don't think! Feel. It is like a finger pointing away to the Moon.  
 Don't concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory.

拳法家の目指す境地を語った言葉なのだと思う。
単純な闘争心や怒りによる駆動では2流のレベルまでしか届かない。
何事にも心を奪われず、自分を解放したもう一段上のレベルに本当の栄光があるんだよと語っているようだ。
ナオミが達したスーパーアスリートの次元も、そういうレベルにあるんだと感じた。

ブルースリーのセリフの意味について、興味深いことを語っているブログ:

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久しぶりに経済・金融以外のネタで書いておこうか。

紆余曲折を経ながらも、長いこと勉強して来た人間のひとりとして、広い意味での認知的な能力、つまり知識とそれを総合して理解、洞察する能力を高めることに憧れ、それを追求してきた。しかしながら、同時に人間がそれぞれに幸福に生きる上で、それとは別のある種の基礎的な「非認知的な能力」が欠かせないと次第に強く感じるようになった。 これを説明してみよう。

最近読んだ本に「自分の『うつ』を治した精神科医の方法」(宮島賢也、河出書房新書、2010年)がある。 著者は防衛医大を卒業した後いろいろ迷った末、精神科の医師になるのだが、自分自身が鬱病になってしまう。それを克服して、医院長として活躍する現役の精神科の医師だ。

鬱病になる原因は、経済的、あるいは人間関係上のストレス、過労などいろいろだが、同じような状況にあっても鬱病になる人とならない人がいる。その違いは何か?と問う。

引用:「うつになると人と、ならない人、どこに違いがあるのでしょうか。その最大の違いは、考え方にあります。うつになる人は、『うつになるような考え方』をしています。うつにならない人は、『うつにならないような考え方』をしています。」(p74)

その「うつになるような考え方」とは、①自分を責める傾向(自責の念、自己否定、自己嫌悪、自己肯定感の欠乏)、②誰かから強制されて身についた目標への「頑張り過ぎ」(逆にいうと自分が本当にしたいことへの鈍さ)と指摘する。

著者は「考え方」という簡単な言葉で表現しているが、私なりの理解で言うと、世界と自分の関係のあり方に対する一種の確信ということだろう。自分が望まないこと、悪いことが起こった場合でも、人間の感じ方、考え方は様々だ。 ①「自分が悪い、自分のせいだ」これが自罰型、②「偶然だ」(能天気型)、③「他人(あるいは環境、政策、制度)が悪い」他罰型などが主要な傾向だろうか。

どんな出来事でも、①自分の行為(選択)、②自分では左右できない事情、③他人の意図(選択)などの複合的な要因による結果だが、その客観的な要因分析は多くの場合に困難で、人間はその人特有の傾向(考え方)に従って反応していることになる。

鬱病になりやすい人とは、要するに誰かから(多くの場合、無意識のうちに)刷り込まれた他律的な目標(こだわり、執着)に対して頑張り過ぎ、うまくいかないと自分を責め、疲弊して無力感に捕らわれ、そうした自分に更に自責の念を感じて、自分自身を追い詰めてしまう。そういうことだろうか。

それではそうした状況からどうやって脱出するか。鬱病の薬についても、それで目立って症状が改善する場合も、そうでない場合もあるようだが、やはり薬だけでは足りないようだ。 著者は、やはり「考え方」を変える必要があるという。つまり自分と周囲(世界)の関わり合いに関する鬱特有の「確信」から抜け出して、別のもっと建設的な確信を構築する必要があるという。

抜け出し方にはその人固有の様々なあり方があるのだろう。著者はナチュラル・ハイジーンとという米国で開発された食事療法を実行することで、自分自身の鬱の治療に成功した。おそらくその食事療法自体が、著者の物理的な体質に適しており、なんらかの健康効果があったのだろう。ただし私が理解する限り、それは鬱治療の本質ではない。

ここでもうひとつ別の臨床心理士のエッセイを引用しよう。
ひとことで言うと、トラウマになるような心的な傷害を受けた後、漫然と時間が経過するだけでは傷は癒えないと言っている。ではショックを乗り越えるタフな精神のためには何が必要かと言うと次の様に語っている。

引用:「生まれつき強い精神力を持っている人はいない。だが、精神力を強化できる能力は、誰にでもある。体力と同様に、強化するための練習方法もある。

現実的に考え、感情をコントロールし、生産的な行動を心がけることが、困難を乗り越え、回復することに向けてのカギとなる。強くなれば、あらゆるストレス要因に対しての抵抗力も高まる。

回復力を高めるためには、計画的な練習が必要だ。そして、努力する価値はある。精神力を高めることは、心の傷を癒すあなたの能力を高めることになるのだ(Thinking realistically, regulating
your emotions, and behaving productively is the key to bouncing back from
adversity.)

私の言葉で言うと、具体的な実現可能な目標を自分に設定し、それを達成するステップを毎日一歩一歩と継続することだ。「めんどうくさいから、やめちゃおうかな」というような怠慢な感情を自制して、自分を目標に向けて導く。そのプロセス自身が、「私は私をコントロールできる」という現実感覚、つまり自信を回復させてくれる。そういうことではなかろうか。

だからこの精神的なタフネスに向けた訓練、治療は別に特殊な食事療法である必然性はないのだ。単なる計画的なダイエットだって、筋トレだって、目標を設定した勉強だって良いのだ。 目標が実現可能であり、時間のかかる大きな目標は、そのステップとなる小さなより実現し易い目標に小分けにされ、一歩一歩実現できるように設定されることが大事であろう。

何に記載されていたか忘れたが、鬱病になりやすい人は、目標設定はあっても、その目標が漠然とし過ぎている傾向があることが心理学の実証調査で明らかになったと語られていた。漠然とした目標は、達成度が計測できない。その結果、どこまでやっても達成感が得られず、逆に無力感に捕らわれやすくなると言う。従って、目標が小刻みにステップを踏んだ具体的なものである必要がある。

逆に言うと、日々自分自身の職業などにおいて、そうした目標設定と努力を継続している人は、多忙でストレスがかかっても鬱には成り難いし、少々意図せざる失敗があっても、大きく挫折して「心が折れる」ということは起き難いだろう。

おそらく鬱病に悩む人達には「考え方の問題」と言われることに抵抗感を感じる人も少なくないだろう。そう言われると「自分の考え方が悪いってことか」と感じて、さらに自責の念に駆られ、あるいは逆に反発して自分を変えることから遠ざかってしまうかもしれない。実際、アマゾンのこの書のレビューを見ると鬱経験者と思われる人などから、かなり反発をかっている。

しかし人間、いきいきと生きること、つまり生きることを楽しむことができるかどうかは、まさに世界と自分の係りについてどのような確信を持つかにかかっているのだ。卑下することもなく、尊大になることもなく、自分は自分と世界の関係を一歩一歩変える力を持っているのだという現実的な感覚、その過程で生じる自己肯定感こそ、幸福のベースではなかろうか。「不幸な確信(考え方)」を「幸福な確信(考え方)」に切り替えることは、人間にとって最も難しい課題であると同時に、人生の極意なのだろう。

そしてさらに思索を広げると、実はこの確信の変更、切り替えこれこそが、宗教が人間社会で果たして来た肯定的な側面の本質ではないかとも思うのだが、それはまたの機会にしようか。それでは最後に私の好きな言葉を引用しておこう。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

なんと簡潔で力強いスピーチだろうか。
16歳とは思えない自信と気迫に満ちている。
今朝のNHKBSで見て感嘆した。

女性の教育を受ける権利を主張してタリバンに撃たれて重傷を負ったパキスタンの少女Malalaが国連でスピーチを行なった。
きっとパキスタン、イスラム社会を変革するリーダーに育つだろう。(動画は以下のサイトで)
http://www.aljazeera.com/video/asia/2013/07/20137126351897418.html

quote:"The terrorists thought that they would change my aims and stop my ambitions but
nothing changed in my life, except this: weakness, fear and hopelessness died. Strength, power
and courage was born.
Let us pick up our books and pens. They are our most powerful weapons. One child, one teacher,
one pen and one book can change the world. Education is the only solution."
 
full text
将来パキスタンやイスラム圏の人々が過去をふり返った時に、これは伝説的なスピーチとして記憶に残るのではないか・・・・そんな予感を抱かせるものだった。
 
マララの展開には古今東西人々を感動させてきたヒーロー・ヒロイン・ストーリーの基本要素がそろっている。「非道に対する抗議→悲劇に見舞われる→死の淵をさまよう→パワーアップして復活する」 このスピーチ、その場で直に聞いていたらきっと私は涙が止まらなくなったと思う。

教育を受ける権利のために文字通り命がけで闘う少女がいる一方で、
日本を含む先進国では、なんと多くの若者が学ぶことの価値に目覚めぬまま無為に過ごしていることか・・・・・・(-_-;)
 
***
新著「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社)2013年5月20日発売中
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takenakamasaharu/  Yahooニュース個人

大学の「就業力」トップ10に龍谷大学!
本日の日本経済新聞記事

「就業力」って何?→就職後に仕事環境に適応して成長する能力、一種の潜在力のようだ。
早大も慶応も飛び越えて、龍谷大学が関西大学唯一のトップ10入り(゜o゜)

ホント!?って・・・・その大学に勤めているセンセーが驚いたらいかんのかもしれませんが(^_^;)・・・・それとも龍大学生諸君、君たちってもしかしたら、ほんとは凄いの?

以下記事

「就業力」育て 総合ランキング上位は
東京外語大、授業に高い満足度 横浜国大、学年垣根越え交流

2013/6/17付 ニュースソース
日本経済新聞 朝刊
 就職・転職支援の日経HRは大学生を対象に学業や課外活動など4分野から成る「学生生活充実度調査」を実施した。学生時代に身につけた主体性や協調性は、社会人に必要な能力として企業が注目する。調査結果から就職後に成長する能力などを指す「就業力」を育てる大学をランキングにした。就職面の強さを重視して大学を選ぶ受験生の参考になりそうだ。
 
 総合首位に立ったのは東京外国語大学。授業に関して88%が「面白い」「理解している」と回答するなど、学業分野の評価が高い。ある学生は「目標がある人には何でも学べる入り口が開かれている」と指摘した。交友関係分野では100%が「学内に2人以上の友人がいる」「学外に年齢の異なる友人がいる」と答えた。海外からの留学生が多く、国際色豊かなキャンパスライフがうかがえる。
 
 2位には横浜国立大学がつけた。交友関係分野で100%が「先輩・後輩との付き合いがある」、94%が「学生生活は楽しい」と回答した。主要な施設が横浜市のキャンパスに集中しており、研究分野や学年の垣根を越えて交流できる環境が整っている。
 3位の一橋大学は回答者の全員が研究室に参加しており、「ゼミの一橋」の面目躍如となった。商学部の学生は「小規模なので教授の目が行き届いている」と評価する。大学の就職支援について91%が「役立つ」と回答。学園祭や合宿の参加経験が100%となるなど、課外活動も活発だ。
 
・・・途中省略・・・
 
 10位は関西勢で唯一ベスト10入りした龍谷大学。「学内に2人以上の友人がいる」が100%、「先輩・後輩との付き合いがある」が95%と交友が盛んだ。
 
 総合ランキングで10位に入らなかったものの、分野別で上位につけた大学もある。総合で59位だった同志社女子大学は学業分野では3位に入った。現代社会学部の学生は「幅広く教養科目の知識を身につけられる」と回答した。
 
 大学の就職支援などを聞いた就業観分野では、山口大学が首位。地域に根差した就職支援組織が充実している。2位には女性のキャリア教育に定評がある跡見学園女子大学が入った。3位の金城学院大学はインターンシップを経験した学生が56%と多かった。
 
 課外活動分野では岡山大学が3位。ボランティア活動に参加経験がある学生は67%おり、全大学でトップだった。交友関係分野は弘前大学が4位。学生からは「比較的小さな規模なので顔見知りが多い」といった声が上がる。
 
 ▼就業力 文部科学省が2010年度に「大学生の就業力育成支援事業」の中で使い始めた。「学生が卒業後に自らの資質を向上させ、社会的・職業的自立を図るために必要な能力」などと位置付けられている。
 調査概要: 日経HRが2012年11月19日から、同社で企画・管理する就職情報サイト「日経就職ナビ2014」の登録会員(大学3年、院1年)にインターネットで実施。13年4月30日までに回収した。有効回答数は470大学・4463人(4年制大学のみ)。
 ランキングスコアの算出方法: 「学業」「課外活動」「交友関係」「就業観」の4分野で構成するアンケートを実施。各分野の質問に対する肯定的な回答を大学ごとに集計・得点化するなどしてランキング化した。
 ランキング対象: 回答者数が15人以上あった77大学のうち上位65大学までの総合ランキングを作成。17日発売のムック「親と子のかしこい大学選び」(日経HR)では、65大学全体の総合ランキングや調査結果の詳細などをまとめています。
 
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昨日3月18日の読売新聞はこの調査結果を一面にしていたので、ご覧の方も多いでしょう。
以下は時事通信の記事です。
 
47%が「時間がない」=がん検診受けぬ理由―内閣府調査
引用:「内閣府は16日、「がん対策に関する世論調査」結果を発表した。がん検診を受けない理由(複数回答)は、「時間がない」(47.4%)が最も多く、「がんと分かるのが怖い」(36.2%)が続いた。厚生労働省の統計では、受診率は依然として2~3割にとどまっており、同省は「調査結果を踏まえ、実態に即した対策を検討していく」としている。
調査は1月17日から同27日まで全国の成人男女3000人を対象に個別面接方式で実施した。」
 
これを見て少し驚いた。だって「がんと分かるのが怖い」という理由が36%もいるなんて、日本人ってそんなにバカが多かったの?と思ったからだ。
 
「がんと分かるのが怖い」からがん検診しない方でも、がんで死にたいとは思っていないわけだ。だったらコストとか時間などの制約がないかぎり、受けるのが合理的な判断でしょ。
 
あるいは通常、所属組織で行なわれている定期健診でがんも発見できると、なんとなくイメージしているとかの理由なら、理解はできる(実は定期健診では、がん検診が含めれていない場合が圧倒的だ)。
 
それで内閣府のサイトで報告書のオリジナルを見ようとしたら、平成19年の調査結果か出てきた。ところが私は最初それが旧い調査だとは気がつかなくて見たのだが、「結果が不安だから受けたくない」は5.2%というデータだった。
 
それでこれは一体どういうこと?記事がでたらめ?とかfacebookに書いて、お騒がせしたんだが、実は当日はまだ内閣府のサイトには今回の最新結果が掲載されていなかったという顛末。
 
で、本日掲載された今回の調査結果を見て、平成19年と今回の調査の結果が大きく違うことがようやく分かった。
今回の調査結果はこちら
 
平成19年と21年の旧調査では、自分ががん検診を受けていない理由を複数選択可で問うている。
そうすると平成21年の調査では4.8%の人が「結果が不安だから受けたくない」を選んでいる(複数選択だから合計は160%になる。平成19年の調査結果もほぼ同様だ。
 
ところが今回は設問を変えて、
日本のがん検診の受診率は,20-30%程度と低く留まっています。あなたは,多くの方ががん検診を受けないのはなぜだと思いますか。この中からあてはまるものをいくつでもあげてください。」と尋ねている。
 
すると、どうだ、「がんであると分かるのが怖いから」を選んだ人が36.2%にはね上がった(複数回答なので合計は262%)。 要するに「他の連中ががん検診をあまり受けない理由について、あなたはどう考えますか」という趣旨に設問が変わっているわけだ。
 
これをメディアの報道は、過去の設問との違いなどの説明も抜きに報道しちゃうので、わけわからん状態になった。
 
で、教訓として何が言えるかと言うと・・・
①やはりアンケートというのは設問次第で生じる回答は大きく違ってくる。
②人間は自分に関することではおバカな理由付けを回避しようとするが、他人のことについては「バカな理由で選択している」と判断する傾向があるかもしれない。
③しかし本当にがん検診を受けない事情を調査するならば旧来のアンケートの設問の方が適切なのではないか?
というわけで、あんまり面白くもない顛末だったが、facebookで「この記事、おかしい」とか騒いだので、ご説明もかねてブログにしておきました。
 
がんと検診に関する私のスタンスは以前以下の通りブログに書いたので、ご参考まで。
手短に言うと、がん保険に年間数万円も払うより、毎年1回総合的ながん検診を受信する方が、合理的な選択ですよということに尽きる。 
みなさん、がんで早死にしたくない限りは、毎年がん検診を受けましょう!
今日のがん検診は昔よりスマートになって、「直腸に指突っ込む方式」などは一般的ではなくなっているようですということも言い添えとこうか(^_^;)
 
以下は国立がん研究センターのがん検診に関するサイトです。
 
追記:がんの治療費については以下のサイトが、参考になりそうです。
特に「高額医療費の月別自己負担額上限」などご注目ください。
高額医療費制度が自己負担の上限を設定してくれますので、「治療費が途方もなくかかる」というイメージは誤っています。
 
追記その2:「がん統計」(財)がん研究振興財団 ←有益
がんの部位別、進行度別の5年後生存率のデータ他
以下のサイトの図表編7、「地域がん登録における5年生存率」をご覧ください。
「局所=早期がん、領域=進行がん、遠隔=末期がん」という表記になっているようです。
 
やはり早期がんの段階で発見できれば、5年後生存率は90%を超えていますね。
ただし5年で計測するのが標準化されているようで、10年後生存率データは一般的ではないようです。
5年以降の発病は、新規のがん発生と見るからでしょうか。
10年後生存率のデータと検証を必要だと主張するサイトもありました。
 
追記その3:がん検診と早期発見に関する各種サイト
どうやらコメントを寄せてくれた方々を含めて、癌治療などを批判した近藤誠氏の一連の著作の影響が強いようですね。興味がわきましたので、本件はしばらく時間をかけて勉強して後日再度とりあげましょう。
とりあえず今のところ、以下のサイトが参考になりました。
 
American Cancer Society
Cancer Prevention & Early Detection  Facts and Figures 2010
 
WHO
Early Detection of Cancer
 
上記2つのサイトではがん予防の並んでearly detection(早期発見)のための検査の普及の必要性が語られていますので、「欧米では早期発見のための検診の有効性が否定されている」というのは、控えめに言って、言い過ぎでしょう。ただし、もちろん全ての検診の有効性を無条件に意味するものではありません。
 
がんちりょうドットコム
上記のサイトは、主催者の正体が不詳なので、それを前提に読む必要がありますが、比較的バランスのとれた書き方をしているように感じました(ただしくりかえし断っとくけど、私は医療もがんも素人ですからね。内容の真偽には責任負いかねます)
 
患者よ、癌と闘うな?
麻酔科の医師の個人サイトです
近藤誠氏vs.丸山雅一氏の論争(近藤氏の本への丸山氏の批判)が整理されています。
 
科学的根拠に基づくがん検診推進ページ
 
 
追記4: 
近藤誠氏の本を読んで感化を受けた方は、次のように自問してみると良いだろう。あなたが今日病院で胃がんだと診断された。ただし早期の段階なので医者は手術で除去すれば90%以上完治すると言う。さてあなたは手術を受けますか?それとも近藤氏を信じて、手術は無駄だからと拒否しますか?
もちろん私は摘出手術を受けます。
 
追記5(2013年12月22日)
やはりこちらの主張に真実を感じますね。
 
 
***** 
Yahooニュース個人に投稿を始めました。以下サイトです。よろしければサイトで「おすすめ」クリックとかお願い致します<(_ _)>
本件ブログと同じ内容です。
定着したら、そちらにシフトするかもしれません。
 
 
 

これはたまげた。ぶったまげた。
facebook知人が薦めていたので「勝ち続ける意志力」梅原大悟、(小学館101新書、2012年)を読んだ感想だ。
 
私はプロ・ゲーマーという世界があること自体知らなかったが、著者梅原は格闘技ゲームの世界にのめり込み、信じられないような集中力と執着心でゲーマーの一種の世界選手権で優勝する。
 
著者はまだ31歳、しかしその格闘ゲーマーとしての勝負を語る言葉は、まるで数百の戦いを血を流しながら生き抜いてきた剣豪の言葉のような説得力と迫力がある。
 
あるいは、彼が格闘ゲーマーであることを知らなければ、囲碁や将棋を極めた名人が勝負の世界を語っているのだと錯覚してしまうだろう。
 
スポーツや仕事から人生全般にまで通じる印象的なセンテンスを引用しておこう。
引用:
「僕にとって何が自信につながったかと言えば、それはゲームの上手さや強さではなく、苦手なものを克服しようとしたり、あえて厳しい道を選んだりする自分の取り組み方、高みを目指す姿勢を貫けたという事実があったからだ。 手を抜かず徹底的に追求することが、自信を持つ何よりの糧となったのだ。」
 
「勝負を決する彼我の力の差というのは、ごくごくわずかだということだ。」
 
「ほとんどの人は、実力がつけばつくほど自分なりのスタイルというものを確立してしまう。・・・するとその形に縛られてプレイの幅が狭まり、結局は壁にぶつかってしまう。・・・・(だから)99.9%の人は勝ち続けられない。」
「その点、僕の勝ち方にはスタイルがない。スタイルに陥らないようにしていると言っていい。他人から『ウメハラの良さはここ」と言われると、それをことごとく否定し、指摘されたプレイは極力捨てるようにしてきた。」
 
「結果が出なかった時、どう受け止めるかでその後の歩みは変わってくる。」
「僕はこれまで頭の回転が速く、要領が良く、勢いに乗っていると思われる人間と何度も戦ってきたが、ただの一回も負ける気はしなかった。 それはなぜか。彼らと僕とでは迷ってきた量が圧倒的に違うからだ。」
 
「僕はこれまでの人生で何度もミスを犯し、失敗し、そのたびに深く考え抜いてきた。だから、流れに乗って勝利を重ねて来ただけの人間とは姿勢や覚悟が違う。」
 
「(相手の)弱点を突いて勝つ方法は、勝負の質を落とすような気さえする。その対戦相手は自分を成長させてくれる存在なのに、その相手との対戦をムダにすると感じるのだ。だから、弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい。」
 
「正解がどちらの方向にあるのか、迷う必要すらない。すべての方向を探り尽くすから、どこかで必ず正解が見つかるのだ。」
 
「かつて生み出した戦術に頼らない覚悟と、新たな戦術を探し続ける忍耐があるからトップでいられるのだ。」
 
「僕にとっての正しい努力。それはズバリ、変化することだ。昨日と同じ自分でいない。そんな意識が自分を成長させてくれる。」「変化=進化を続けるためには、あえて苦手なことに挑戦してみるのもいい。」
 
「とにかく、考えることをやめなければ出口はみつかる。『ん、ちょっと待てよ、この考えは上手くいくかもしれない』 そんな閃きの瞬間が訪れるのだ。そうやって深く考える癖をつけておくと、考えることが日常になり、人よりも物事を深く考えられるようになる。」
 
「すなわち集中力とは、他人の目をいかに排斥し、自分自身とどれだけ向き合うかにおいて養えるものなのかもしれない。」
 
「やはり、最激戦地と呼ばれる戦場で戦うべきだ。」
 
「手っ取り早い方法や人の真似、安易な道を選んだ人は、どれだけ頑張っても最大で10の強さしか手に入れることができない。・・・・一方で10を超える強さを手に入れるための道は暗闇に包まれている。それまで誰も歩いたことがなく、その先に道があるのかさえわからない。・・・人よりも強くなりたいのであれば、自分を信じて、不安を打ち消しながら進むしかない。・・・10を越えた強さは、もはや教えることもできなければ誰も真似することもできない。」
****
 
31歳の若さでこれだけの覚悟のある言葉を語り、実際プロ・ゲーマーとして勝ち続けたというのは驚くべきことだ。それがどこから生まれたのか? 自分の身一つ、ゲームに勝つことだけに賭けるという生き方と覚悟から生まれたんだと思う。 つまり勝負師の世界だな。
 
私なども、けっこう我が道を行くスタイルで仕事をやってきたつもりだが、それでも所詮、銀行、または大学というものを盾にしたり、支えにしたりしてやってきたから、自分と比較してみて、彼の生き方が並大抵のものではないことはわかる。
 
「一度身につけた技やパターンは捨てる。それにこだわれば、それが弱点になる」という言葉も強い直感的な説得力がある。日本のビジネスが今一番必要としている覚悟がこれだなと思う。
 
「相手の弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい」 
この言葉で思いだしたことがある。学生時代に友人と二人で、傾倒した先生(関西の大学教授)を学園祭の講演会に招き、講演してもらった時のことだ。
 
先生がこう言ったのが印象的だった。
「学問的な論争を挑む時は、相手の論理が最も強固だと思っているところに挑戦して、論破しなさい。
それでこそ論破したと言える価値があるんだ。」
その先生とは、マルクス経済学に数理的な技法を導入するという当時の日本で孤高の道を歩まれた置塩信雄教授だった。
 
追記(2月2日):
「たかがゲームに・・・」と思っている方もいるだろう。しかし、何段だとか名人だとか呼ばれているプロ棋士の世界だって、たかが「吹けばとぶ様なような将棋のコマ」に血道を上げていることになる。
それはあらゆるスポーツにも言えることで、「たかがボールころがし」だったり「たかがボール打ち」だ。
 
遊びで始まったことが、人生を傾注する勝負事になったり、一大事業になってしまう・・・人間というものは実に奇妙な動物だ。でも「文化」とはすべてそういうものだな。
 
以上
 
 
 
 
 

「自分の気分というものは思い通りにならない」と思っている人は多い。緊張してはいけないと思っても緊張して体がガチガチ、頭の中真っ白になったり、怒りや怨念に捕らわれてイライラすることもある。「勉強しなきゃ・・・」「朝、学校行かなきゃ・・・」と思いながら、身体がだるい、気持ちが重くて、アクションできない。そんな人はたくさんいる。
 
しかし、わかっている人はわかっているのだが、自分の気分は意識でコントロールすることができる。それをスキル(技)として身につけることもできるんだ。
 
例えば、気功は意識的な動作を繰り返すことで、自分の気を制御し、不随意な部分全体に意図した効果をもたらす技だ(実は私はある優れた師範について太極拳と気功を10年近くやっていたことがある。師範は解説的なことはほとんど言わなかったが、以下の気功に関する理解は、師範からのヒントと経験を通じて私が会得したものだ)。
 
気功には沈静系気功と活性系気功がある。
 
人は緊張が解かれてほっとすると「はあ~」と息を吐くだろ。逆に緊張している時は、呼吸は浅く速くなる。これはほとんど無意識な動作だが、面白いことに呼吸は無意識でもするし(でないと寝ているときに窒息死する)、意識的な動作としてもすることができる。 心臓の動きは全く不随意であるのとは異なる。
 
沈静系の気功は、これを逆手に利用して、ゆっくりと意識して呼吸し、特に息を吐く動作にポイントをおく。これを何回か繰り返していると、本当に気持ちがリラックスしてくる。
つまり、「緊張が解ける→無意識に息を吐く」 「意識してゆっくりと息を吐く→緊張が解ける」 これは双方向で働くんだ。実際にこれをするときは、ゆっくりとした意識的な身体動作も並行して、できるだけゆっくり息を吐く方ようにするのがポイントだ。
 
活性系の気功は、逆にリズミカルに四肢を振る動作が有効だ。人間は活性化、興奮すると、手を振ったり、足を踏み鳴らしたりするだろ。だから、逆に意識して手を振り、足をリズミカルに動かすと、気持ちと身体が活性化するんだ。 難しいことはない。私は朝の出勤時には鼻歌を歌いながら、手を前後に振り、地下鉄の駅をひとつ分歩くことにしている。それだけで活性化される。
 
最近facebookにはまって、これも気分を意識的に制御する手段に使えることがわかった。
1日にひとつか、ふたつ、ビジネスでもスポーツでもなんでもいいから、元気が出るようなポジティブな記事やニュースを見つけたら、facebookに掲載して、やはりポジティブなコメントを自分で書き込むんだ。
 
友達の掲載も、ポジティブな記事、明るく美しい画像・音楽などを見つけたら、「いいね」をクリックしよう。この「いいね」の相互連鎖が大切だ。 ネガティブな記事や情報はできるだけ避けよう。目障りだったら非表示にしてしまえば良い。
 
世の中には、困ったことにネガティブ・オーラをむんむんに発散させて、恨みや妬み、もって行き場のない不満をぶちまけている人たちがいる。2チャネルなんてのぞくと、そういうネガティブ・エネルギーがどろどろと渦をまいているだろう。そういうサイトは避けよう。facebookでそういう人達の掲示を見たらきるだけ無視する。非表示にしてしまえ。
 
そうやってポジティブな情報や、問題があっても建設的に考える、そういう姿勢の情報に対して「いいね」をクリックし合っているうちに、あなたのfacebookはポジティブな相互反応の電脳ネットワークになっていく。つまりポジティブな情報に意識を向けることで、気持ちもポジティブになっていくんだ。
 
これは「電脳気功」だな。
 
ポジティブとはどういうことかって?それは自分、他者、その関係を肯定できるということだ。別にお世辞を言ってほめ合うことじゃないよ。お世辞なんか、その背後にはネガティブな感情を隠した化粧のようなものだろ。
 
例えば、なでしこの活躍に興奮し、「ガンバレ~」と言っているうちに「自分もがんばろう!」って気持ちになるだろ。 ひとりで「ガンバレ~」っていうだけでなく、facebookで「いいね」をクリックし合いながら、みんなで「ガンバレ~」と言っているうちに、「おれ達もがんばろ~」という気持ちになるだろ。これがポジティブな相互連鎖だ。
 
逆にネガティブな相互連鎖は、たとえば「尖閣列島」の問題で「中国人のバカヤロー」とか「日本人のバカヤロー」って罵倒したり、冷笑したりする連鎖だ。一瞬、鬱憤が晴れるような気がするが、それを繰り返すうちにダークサイドのエネルギーに捕らわれてしまう。
 
秋葉原で無差別殺人をやった青年は、携帯電話のチャットでも自らはまったネガティブ・ネットワークの中で、ますます深くダークサイドに転落していった。
 
もちろん、世間の対立を引き起こす問題を考えることも大切だ。だからそういう時はできるだけ「冷静、理性的な情報」を発信しているサイトや掲載をみつけて「いいね」反応しよう。
 
人間にとって世界とは、自分と世界の関わりに他ならない。その関わり方をポジティブなものにするか、ネガティブなものにするか、それは何に意識を向けるかの選択、その積み重ね、習慣で決まってくる。要するに自分の世界を造るのは自分自身なんだ。
 
竹中正治HP
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私が初めて高齢化によってボケる問題を自覚的に考えたのは、有吉佐和子の「恍惚の人」(1972年)を高校生の時に読んだ時だ。 当時この本は世間的にもかなり強いインパクトを与え、映画化もされた。私の高校でも担任の先生が「恍惚化」の問題を取り上げて議論したのを覚えている。
 
優れた小説というのは、その社会の運命を強いイメージでフラッシュさせる力があるのかもしれない。正確な数字は手元にないが、当時「老人性痴呆症」と呼ばれた数は数十万人だったはずだ。2012年の現在、自立した生活をする点で支障があるⅡ以上の認知症患者は305万人と推計される(以下、厚生労働省レポート参照)。
 
当時は「老人性痴呆症」と呼ばれた。その後、同種の症状が「認知症」と呼ばれるようになったのは、「痴呆症」ではあまりにイメージが悪いからだろうが、名称を変えても実態が変わるわけではない。
 
団塊の世代が65歳になり、今後認知症患者は400万人台に向かって増加する。65歳以上の10人に一人が認知症という事実は重いね。 
 
以前紹介した日本の人口動態の変化が将来予測も含めて一目でわかるサイトを以下に掲載しておこう。 日本の団塊の世代は1947-49年生まれであるが、彼らが65歳以上になる今から本格的な高齢化が始まるんだ。今までの高齢化は序の口だったということだね。
 
経済全体で考えると、ひとり認知症が増えれば、それを介護するために「他の生産的な労働」から現役労働力を移転させなくてはならない。これで経済が富むことがきるか? ひとつ対策として考えられるのことは、65歳の引退人口でも元気で働くことを希望する(あるいは必要とする)方々はいるわけだから、65歳以上が65歳以上の認知症患者を介護する「老-老」介護体制ではなかろうか。
 
若い世代は、認知症老人の介護という未来のない職ではなくて、理系でも文系でも良いから日本の将来を発展させる仕事に就いて欲しい。認知症の予防医学や改善薬の開発も国費を投じてする価値がありそうだね。
 
追記:
facebookで紹介された記事、認知症の親を介護した経験者のノウハウが参考になります。
 
 
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本日の日本経済新聞の1面「新卒ニート3万人」の記事は、大学生自身やその親、さらに私のような大学教育関係の人間にとっては気になる内容だ。こういう時は記事の元になった調査レポートを見るに限る。インターネットで検索すれば簡単に省庁のサイトからオリジナル・レポートが読めるので、なんとも便利な時代だ。
 
学校基本調査、平成24年度速報
 
一番気になる大学卒業生の分布データを以下に掲載しておこう(クリックすると大きくなります)。
2012年3月に大学を卒業した56万人の内訳は以下の通り。
大学院などへの進学者11.8%
正規の就職者60.0%
就職も進学もしていない15.5%
非正規雇用+一時的な仕事=7.4%
その他5.3%
 
就職も進学もしていない15.5%、86.6千人のうち、進学準備中が3.6千人、就職準備中(シュウカツ中)が49.4千人、その他が33.5千人で、この「その他」がニートとして認識されているわけだ。卒業生に占める比率では約6%。ニートという目標喪失・無気力状態の若者は少ないに越したことはないが、これが多いと見るか、どうか?
 
昔と違って生まれた子供の50%余りが大学に入学する時代だ。100人のうち6人が社会への適応努力を放棄している状態というのは、望ましいことではないが、私の大学での実感から言うと、違和感がない。救い難いほど無気力化している学生が、その程度存在しているからだ。 
 
まあ、それとこうしたニート層が増えているかどうかについては、時系列のデータが開示されていないのでわからないが、その母体となる「就職も進学もしていない層」の比率は2002年まで遡る限り、景気の波で多少伸び縮みしているが、傾向として増えてはいない。その層が一番多かったのは、ITバブル崩壊の世界不況の直後の2012年卒業年次であり、全体の21.7%(118.8千人)だった。
 
しかし学生諸君に対しては、進学と正規就職合計で72%に過ぎず(2012年)、つまり10人に3人は「不本意な状態」のまま卒業しているという事実を真剣に受け止めて欲しい。進学と正規就職合計の比率は過去10年で最も就職状況の良かった2008年卒業年次(リーマンショック前)でも82%だ。つまり10人に2人は不本意状態の卒業だった。
 
これについても私の実感を言えば、景気の善し悪し、就職環境の善し悪しと関わりなく、10人中2~3名程度は大卒として就職できるに足る状態に達していないということであり、残念ながらやはりこれも実感として違和感がない。
 
竹中正治HP
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やらなくてはならないことがわかっているのに、なぜこうも先延ばしばかりして、自滅する学生諸君が多いのか・・・・を考えていたら、この本に出会った。ちょっと古い本だが、優れ本だ。
 
「グズのひとにはわけがある」(It's About Time! The 6 Styles of Procrastination and How to
Overcome Them) リンダ・サパディン、ジャック・マガイヤー、文芸春秋、1998年(文庫本は2002年) リンダ・サバディンはアメリカNYの臨床心理学者, Procrastinationとは「やるべきことを先送りする」症候群=グズと訳されている。
 
この本の各タイプの記述を読むと、「いるいる、あの人、この人、これだあ~」と次々に脳裏に浮かぶ。
グズ=「先延ばし症候群」には以下の6類型ある。
診断方法、処方箋も書かれている。
ただし治すためには自己変革を決意する意思が必要、薬はない、あたりまえだけどね。

1「でも、完璧にしたい」完全主義タイプ
2「でも、あんな面倒なことをするのは嫌だ」夢想家タイプ
3「でも、本当に大丈夫か不安でたまらない」心配性タイプ
4「でも、なぜ私がしなければならないんだ」反抗者タイプ
5「でも、ギリギリまでやる気になれない」危険好きタイプ
6「でも、ほかにもすることが多過ぎて」抱え込みタイプ
 
治すための要点は、action & priorityと理解した。逆にaction & priorityのしっかりしている人は、グズ症候群には陥らない。優先順位を付けて、一定の期間で実現可能な目標を設定し、そのために作業する。成功したら、自分を誉め、成功しなかったら反省して、目標や作業内容を修正する。それを繰り返すことができるようになれば、治る。 
 
「努力してみよう」あるいは「努力してみます」なんて意識の状態ではダメのうち、「するか、しないかのどちらかだ」と言う。その通りだ。
 
またグズ症候群に陥る多くの人は、少年・少女期の家庭環境の影響が大きいと分析されている。
 
そこでマザーテレサの言葉を思い出した。
「考えること(思考)は大切です。
思考は言葉になります。
言葉は行動になります。
行動は習慣になります。
習慣は性格になります。
性格はあなたの運命になります。」
 
逆に言えば、思考と意識を変えれば、性格と運命も変えられる。
実にシンプルで、同時に難しいんだけどね。
 
ところで本書の診断法によると私には「グズ症状」はない。
中学2年生頃からだろうか、期末試験でも宿題でも、予定されていること、起こり得ることへの準備を早め早めにしないと気がすまない、安心できない性格になった。今でも引き受けた原稿は締め切りの数日前には完成して提出してしまう。引き受けた講演の資料も数日前には完成している。
 
とりわけつまらない仕事はさっさと効率的に片付けて、本当にやりたいことの時間を確保しようとする性分=習慣が身についている。なぜそうなったか? わからん・・・しかしそのおかげで今の自分があることは間違いない。
 
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