既に旧い本で恐縮だが、アーサーCクラークの「3001年終局への旅」(The Final Odyssey)を読んだ。日本語版は2001年の発刊。しかし今まで不覚にも知らなかった。ご存じの方、多いだろうが、「2001年宇宙の旅」(A Space Odyssey)に始まるシリーズの完結編だ。
私にとって「事の起こり」は1968年、小学校6年生の時に映画「2001年宇宙の旅」を劇場で見たことだ。スタンリー・キューブリック監督とクラークの共作である。その時は封切りから1年経った再ロードショウだった。
とにかく「がび~ん」と驚いた。「うわ~!すごい映画だ。でもストーリーが途中からチンプンカンプ???」と当時みな思った映画だった。
そのチンプンカンプの謎解きが行なわれたのが、クラークによる小説「2001年宇宙の旅」である。
それからど~んと年月が過ぎ、1984年、続編映画「2010年宇宙の旅」が制作された。当時銀行勤務でNYにいた私(まだ独身)は封切り初日に見に行った。原作小説も邦訳が出る前に英語で読んだぞ。
さらにシリーズは「2061年宇宙の旅」と続き、「3001年」で完結した。
「3001年」では2001年に宇宙船ディスカバリーで土星に向かう途上、コンピューターハルの反逆で、宇宙空間にど~んと放り出され、宇宙服のエアーパイプも切られて死んでしまい、漂流していたプール(航海士だっけ?)の遺体が、1000年の時を経てなんと土星軌道近くで発見される。しかも、死に方が真空瞬間凍結だったから1000年経っても「鮮度が保たれていた」、ということで3001年の未来医療技術のおかげで蘇る。
しかし、なんだね。1960年代にイメージされていた21世紀には、今頃人類は巨大な宇宙ステーションだけでなく、恒久的な月面基地を持ち、有人の土星探査、木星探査までやっているはずだった。コンピューターは人間と会話し、機械の意思を持つまでに進化していた。スペースシャトルにはステュワーデスだって乗っていた。
現実はずいぶんと遅れているじゃないか。老朽化したスペースシャトルは今年で打ち切り、アメリカの次世代ロケットの開発は事実上の休止状態。未だにソ連時代と姿の変わらないソユーズだけでスペースステーションに人を送る状態になる。
21世紀ってこんなもんだったの?
ようやく日本開発のロケットがスペースステーションまで物資を運搬できるまでになった。将来的には有人化も視野に入っているとのこと。だったらここは一番、なけなしの国家予算投入して、一気に有人ロケットまで進化させて、アメリカ無しでも日本が物資と人間のステーションへの移動を引き受けますぜ、というところまでやってみせたら、下がり続けていると言われる「日本の株」もずいぶんと上がると思うのだが・・・。
ばらまき予算よりも、そういう国民を鼓舞するようなプロジェクトが求められているんじゃない?ちがうかな。オールドSFファンのたわ言でしょうか・・・。
4月5日に打ち上げられたスペースシャトルの航跡