龍馬、再論
私の友人の一人がEメールでこう言っていた。
「竜馬はどうしてああいう世界観になったんでしょうね。
世界観=Worldviewは人の行動の基礎になるものだと思うのですが、どうして土佐の
田舎であんなに大きな世界観を持てたのか、不思議です。」
世界観=Worldviewは人の行動の基礎になるものだと思うのですが、どうして土佐の
田舎であんなに大きな世界観を持てたのか、不思議です。」
「竜馬がゆく」を読まれた方はみな分かっていると思うが、司馬遼太郎は龍馬(ここでは史実の「龍馬」で統一します)の思想的な展開を「幕末・維新の奇跡」と位置付けながら、それが可能になったプロセスに関してひとつの解釈を提示している。
その1、龍馬はとにかく船と海が大好きだった。
その結果、江戸が黒船ショックに襲われ、「夷敵」の脅威に庶民は震え、武士は「壌夷」の感情を高ぶらせ始めた時、同じく黒船を見た龍馬は「すげ~、こんな船がこの世にはあったのか!わしもこんな船を操って海の向こうの世界にいってみたいぜよ」と他の多くの武士とは違う情念を抱いた。
異質なものに接すると恐怖を感じるか、好奇心に駆られるか、人間はいつも2つに分かれるね。
しかし、龍馬も人の子、最初は大勢の攘夷思想にのまれていたが、やがてかれの考えは攘夷ではなく、開国、貿易、そして富国強兵へと展開していった。海援隊の設立と活動はその第1歩だった。
ところが幕府は攘夷は事実上放棄するものの、開国、貿易の機会は幕府で独占し、ある意味で当然ながら幕藩体制の維持にこだわり、龍馬は「ならば倒幕するしかない」という点では他の攘夷派と一致していた。
その2、龍馬は渡米した勝海舟などと出会い、アメリカのデモクラティックな政治体制に関する知識に接した。このアメリカの民主政体を知って龍馬は驚き、惹かれる。自分の土佐藩、上士(主君山内家の家臣として土佐に移って来た武士)と下士(土着の長宗我部の元家臣)の厳しい身分制度への不満のエネルギーがデモクラシーの理念を知って急開花したわけだ。
その結果、彼の倒幕後の政権構想は、元首に天皇を戴きながらも議会を主とするという民権的な内容になった。これは明治の民権思想の先駆だろう。
その3、商家、坂本家の商才と陽気さ
開国、貿易という龍馬の発想の下地に、武士でありながら坂本家は商家でもあったことを司馬遼太郎は強調する。しかも、その家族、家風がえらく陽気だったとも書いている。ああ、陽気さ、なぜか豊かになった今でも日本に足りない雰囲気だな。なんでみんな簡単に悲壮になっちゃうんだろうか。
こう書くともっともらしいけど、やはり偶然を通じて展開する時代の転換というのは、その過程自体が奇跡的だなあ、と感じざるを得ない。
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