なんでデフレなの?どうしたら良いの?その1マネタリー要因説
 
宿題になっていたインフレ、デフレについてできるだけ分かりやすく考えてみよう。
 
 その前に、なぜインフレやデフレが問題かというと、いずれも価格が不均衡に上昇、あるいは下降することで社会の富の分布を意図せざる方向に変えてしまうからである。またデフレは負債性資金を調達して財やサービスの供給を行なうための資産を保有している事業体の収益を悪化させる。その結果、事業投資が減少し、経済成長を妨げる効果がある。
 
さて、インフレ・デフレの要因をどう考えるかで諸説ある。以下は要因別にした私流の分類である。
 
  マネタリー要因
  マクロ実体経済要因
  需給ギャップ要因 
  経済主体の期待要因
 
 
まずインフレターゲット論をめぐる議論を考えることで、①のマネタリー要因について考えよう。インフレターゲット派の方々(代表的な論者:原田泰、深尾洋光、岩田規久男)は、概ねマネタリー要因と後で述べる期待要因でインフレ・デフレを説明する。
 
単純な貨幣数量説 PQ=MV
P 価格
Q 取引商品数量
M 貨幣(マネー)の量
V 貨幣(マネー)の流通速度(回転速度)
 
 QVが一定ならば、貨幣量Mを増やせば比例してP価格は上がり、逆は逆となる。貨幣(マネー)の量をどう増やすか? 例えば日銀が金融機関(銀行)から国債を買えば、対価としてマネーが銀行の日銀当座預金(日銀に預けられている民間銀行の当座預金残高)に振り込まれ、当座預金残高が増える(日銀当座預金残高と日銀券発行残高の合計をマネタリーベースと言う。
 
 国債を日銀に売った民間銀行が国債保有残高が減った分を投資家から買えば、投資家の銀行に置いてある預金残高(当座、あるいは普通預金)が増える。
 
 このマネーの増加は短期・長期金利の低下も同時に引き起こすだろう。マネーは商品の売買を媒介するのだから、マネー供給量が増えれば商品価格全体も上ると考えるわけだ。逆にマネー供給量が減れば、価格全般が下がる(金利は上がる)。
 
 このようにインフレに対して金融政策でマネー供給量を調整することで対応できることは経済学者間でもコンセンサスがある。
 
問題はデフレの場合だ。マネーを増やしても、インフレにならないケースはマネーが退蔵されてしまう場合だ。その場合は貨幣の流通速度Vが低下して、MVの右辺全体は増えない。従って左辺の価格も上がらない。
 
 現在の日本のようにマネーマーケットの金利がゼロになるまで中央銀行がマネーを供給しているのにそれが退蔵されてしまうような状況はなぜ起こるか? ゼロ金利ではなく、金利水準がある状態ならマネー(日銀券や当座預金残高)を保有することで金利収入を得られないコスト(期待利益の喪失)が生じる。従って誰でもマネーは必要以上には保有しない。
 
しかしデフレが一般に予想される状況では、金利収入を生まないマネーを保有していても、デフレでマネーの購買力は上るので、無制限に保有していてもかまわないと思うようになるだろう。
 
つまりある程度以上の金利水準があり、一般の期待がデフレではなく、多少でもインフレに傾いている状況下では金融政策でマネーの供給量を変化させることで価格変動にも影響を与えることができる。ところが、デフレ期待が一般化して状態では、「マネー量の増加→物価の上昇」とならない。これが今の日本の状況だということになる。
 
だからインフレターゲット論者の方々も、日銀によるマネー供給の増加と同時に日銀が達成するインフレ目標を掲げて世間のデフレ期待をインフレ期待に転換させるという「期待の修正」を通じた経路が働くことが必要だと考えている。
 
一方で、日銀は世間のデフレ・インフレ期待を変えるようなことは日銀にはできない(あるいは極めて困難)と考えている。これが日銀vsインフレターゲット論者の対立点だ。
 
本当に量的金融緩和は効かないのか?
果たしてどちらが正しいのだろうか? 中央銀行が大量に国債を買って、マネーを供給してもデフレ期待が支配的になった状況ではデフレを解消できない理由は次のように考えると分かりやすいだろう。
 
世の中で民間はあなたひとり、それと中央銀行があると想定しよう。あなたは国債50兆円と現金50兆円、合計100兆円を保有している。既に金融緩和で国債の金利はゼロに近いほど低くなっている。中央銀行があなたから国債50兆円を購入し、対価として50兆円の現金を払った。その結果、あなたの資産は100兆円の現金のみとなった。この結果、あなたの消費・貯蓄行動は変わるだろうか? 
 
あなたの所得が増えたわけでもなく、また僅かばかりの国債からの利息収入は無くなったが、デフレが続くと思っているのだから、利息が得られなくてもインフレによる現金の購買力の喪失はないと思っている。だから、あなたは消費を増やしたり、実物資産を購入したりする気にはならないだろう。だから日銀が国債を買ってマネー供給を増やしても、デフレ期待がある状態ではデフレを解消する効果はないと考えられる。
 
「水を飲みたい馬の手綱を引いて飲ませないことはできるが、水を飲みたくない馬に飲ませることはできない」ということで金融政策には非対称な限界があるということになる。でも、本当にそうだろうか?日銀が仮に民間が保有している800兆円ほどの国債を全部買い切って全てマネーに交換しても、インフレにならずにデフレのままだろうか?
 
それならば、いっそそうした方が良いだろう。というのは政府にとって国債は返済期日があり、利息も払わなければならない債務である。ところがマネー(紙幣)は返済期日も利息の払いも不要の紙幣であり、国債を買い切ってそれを全部紙幣に交換することができるならば、やったら良いだろう。なにしろ国債が全部返済期日のない紙幣と言う特殊な「債務」に転換できるのだ。それができれば財政赤字問題も解消してしまうだろう(日銀は組織運営上は政府から独立しているが、経済的には政府の一部である)。
 
政府にとって有利この上ない国債と紙幣の交換は、民間の立場から見ればこの上なく不利な取引だ。だから中央銀行が国債購入を進めれば、いずれどこかの時点で民間の主体が「こんな不利な取引はもうしたくない」という限界点に達し、マネーを商品の購入や実物資産のへの投資に費やす動きが生じるだろう。すると物価と資産価格が上昇を始める。つまりデフレ期待はインフレと資産価格上昇の期待に転換すると考えられる。
 
デフレからインフレへの転換は穏やかではすまない?
問題はそうした期待の転換が穏やかに生じるかどうかだ? 穏やかな転換ではないかもしれない。なにしろ、国債との交換で中央銀行が民間に100兆円単位のマネー供給を増やした挙句のことだ。デフレ期待で物価も資産価格も下落するという期待が強かった時はみんなマネーを退蔵していた。ところがインフレ期待に転換し始めたとたん、一斉に商品や実物資産を買う動きに殺到するだろう。
 
バブルで資産価格が上ると思っていた時は割高の資産でも買って抱えていたが、資産価格が下がり始めるや我も我もと投げ売りが始まるのと同じような転換が、デフレからインフレに転換する時に生じるリスクがある。
 
そうなったら今度は金融を引き締めれば良いはずだ。具体的には中央銀行が今度は逆に国債を売ってマネーを回収すれば良い。ところがここで問題が生じる。中央銀行がデフレ下で国債を買い、仮に500兆円(平均期間5年、平均利回り0.5%)の国債を保有したとしようか。デフレ期待1%がインフレ期待2%に転換すると(3ポイントの変化)、実質金利が同じなら5年物国債金利は3.5%(=0.53.0)に上昇し、国債の価格は逆に下がる。
 
この場合国債価格がいくら下がるかと言うと、12.8%下がる。その結果中央銀行の500兆円の国債の価値は64兆円評価損(=500×12.8%)を抱えることになる。日銀の自己資本は数兆円だから、大幅な債務超過になる。
 
日銀は自分のバランスシートが巨額の損失を抱えることを嫌がっている?
「別に日銀が債務超過になったって政府全体は既に莫大な債務超過なんだからどうでもいいじゃないか」とは日銀は考えない。「中央銀行が債務超過なんてとんでもないことは受け入れられない」と思っているはずだ。その結果、現実には日銀は国債の買い切りは、ちびちびとしかして来なかった。しかも国債保有総額は日銀券発行残高の範囲内にとどめるという方針で制限を課している。
 
中央銀行が国債を買ってマネーを供給することを「マネタイゼーション」と呼ぶが、それは通貨の信認を損なうリスクがあると考えられている。国債買い切りの上限設定は、そのリスクを防ぐための歯止めだと日銀は言っている。しかし、実は日銀自身のバランスシートが棄損して債務超過になるという「許し難い事態」を回避したいというのが本音ではないかと私は考えている。
 
もっとも国債価格暴落のリスクをヘッジする手法もある。例えば日銀が株式や不動産(REITでも良いだろう)などの実物資産を買って保有しておけば、将来のインフレと資産価格上昇に転換した場合に生じる国債価格下落の損失をヘッジできるだろう。ただし、どれほどのヘッジ残高を保有すれば妥当なヘッジになるか予測ができない。それはどれほど国債を買ったらデフレが解消し、どの程度のインフレになるか予測が不可能だからだ。
 
日銀にとって事前に計算できないリスクがあっても、日本がこのままデフレを続けるよりはマシだから、「エイヤー」でやってみるべきだと思うのだが、日銀はそう考えていないということだ。
 
 
その2、需給ギャップ論は次回に。
 
補足1、「ケインズ説得論集」山岡洋一訳、日本経済新聞出版社、2010年4月
1919年から31年にかけて書かれたケインズの論説集で、ただいま読書中。
最初の章がインフレーションとデフレーション、まだ世界が金本位制の尻尾を引きずっていた時代のものだが、今日的な状況との共通点もあり、面白い。 学術論文ではないので、分かり易く書かれており、平易に読める。
 
補足2、「インフレ、デフレはマネタリーな現象である。少なくとも、かなりな部分は。」
これは経済学の議論に馴れていない方には、実はなかなか理解されない。しかしこういう話なら分かってくれるだろう。あなたは君主であると想定して頂きたい。
 
国では金貨が流通している。通貨の呼称は「ドル」で金貨1枚=1ドルである。
 
君主であるあなたは財政難に苦しみ、秘策を思いついた。金貨一枚の金の含有量を半分に下げて、旧金貨1枚から新金貨2枚を鋳造した。これにより君主であるあなたは、国中に流通していた総額1億ドルの金貨から2億ドルの金貨を作り出し、差額の1億ドルを収益として得ることができる。
 
「これで財政赤字問題は解消だ」と思ったが、金貨の金の含有量の半減に気がついた商人たちは、これまで1ドルだった商品を2ドルに値上げすることで対抗した。その結果、国中に流通する金貨の量(マネー供給量)は2倍になり、物価も2倍になった。単純な貨幣数量説が示す通りの結果となったわけである。