なぜ日本だけデフレなの?どうすればいいの?その3、経済主体の期待要因
 
さて、マネタリーな要因、マクロ実体経済の要因によるデフレの説明を2回に分けて考えて来た。「経済主体の期待要因」を最後にしたのは、これが一番難しいからだ。現代の経済学は「経済主体の期待(予想)」という要因を経済学のモデルに組み込むために悪戦苦闘してきたとも言える。超秀才・天才らがしのぎ合いながら積み重ねて来た成果の大凡を理解するだけでも骨が折れる。白状しておくが、方程式が乱舞する論文は私も大の苦手だ。
 
さて、最近FRB議長のバーナンキが議会証言で「アメリカが日本のようなデフレに陥らない要因」として「生産性の上昇率がアメリカの方が高い」ことを指摘したことが、話題になった。私も読み解くうちにようやく分かったのだが、これは1990年代以降に発展して来たニューケインジアン学派のモデル(以下NKモデル)をベースにしたコメントだ。
 
実際にアメリカの生産性上昇率が日本より高いかどうかは、議論や検証の余地のある点だが(ほとんど目立った差異はないという研究もある)、それはわきに置いておこう。「生産性の上昇率が高いのなら、それは経済の供給能力の伸びが高いことだから、現在のマイナスの需給ギャップ(供給超過)がますます拡大して、物価が下がりやすく(デフレ)なるのではないか?」と思ってしまう。私も最初はそう思った。
 
しかしバーナンキが言っていることは、正確には「期待されている生産性上昇率が高い」ということのようだ。
 
生産性の上昇は経済的な豊かさの基礎
不況と好況を繰り返す短期、中期の時間軸ではなく、長期の時間軸で考えれば、私達の生活、経済が50年前や100年前と比べて豊かになったのは、様々な技術革新を伴った生産性の上昇に依っている。長期的に実現されるGDP成長率を潜在成長率と呼び、それは労働人口(労働投入量)の伸びと生産性の上昇率に依っている。
 
こうした潜在成長率を需給ギャップなく実現する利子率を自然利子率と呼ぶ。言い換えると物価の安定(デフレでもインフレでもない)と所得の安定を実現する水準が自然利子率である。従って、生産性の上昇率が上がると(投資の実質リターンも上がり)、自然利子率も上がる。逆は逆となる。
 
金融政策は短期的に金利を上下に調整しながら、長期的に自然利子率を実現するように運営される。不況の時には名目金利を下げる→実質金利が下がる→「実質金利<自然利子率」となると消費と投資を刺激して景気浮揚効果が生じる。景気が過熱している時は、名目金利を上げることで逆の効果が生まれる。
 
ところが自然利子率が下がり、負の値になってしまうと厄介なことになる。名目金利はゼロ以下に下げることができないので、「実質金利>自然利子率」の状態となり、金融の景気刺激効果が働かなくなる。
 
こうした事態は、最初に紹介したインフレターゲット論者も当然承知しており、そうした状態では金利政策は働かないので、中央銀行は国債などの買い切りでマネーを増やす量的な金融緩和に踏み切り、同時に世間のデフレ期待をインフレ期待に転換するためにインフレターゲット政策(中央銀行が特定のインフレ率を実現するとコミットする)を導入せよと主張しているわけだ。
 
しかし、それでも「生産性の上昇と言う将来の供給増加要因が、なぜデフレ要因ではなくインフレ要因になるのか?」釈然としないだろう。
 
経済は「期待」で動いている
思いっ切り単純化して言うと、将来にわたって高い生産性の上昇率が実現され、経済的に豊かになると期待できるならば、経済主体はそうした楽観的な期待を前提に、家計は消費を増やし、企業は投資(投資も需要を形成する)を増やすだろう。その結果、まだ期待される生産性の上昇が実現されていない今の時点では、需要が増えて、マイナスの需給ギャップは縮小、解消し、価格下落の圧力も解消し、その度合いによってはインフレ率が上昇する、こう理解すると納得ができる。
 
実際、NKモデルのインフレの説明は、GDP需給ギャップと将来の期待インフレ率の要因からなり、経済主体の期待を要素に組み込んで、将来予想型(forward looking)の決定がなされると考える。もちろん、長期にわたって需給ギャップがマイナスを続けるということは、普通に考えるとあり得ない。作っても売れない商品(サービス)は供給を停止し、その設備も破棄・転用されるからだ。そして、技術革新が活発で、生産性の上昇が将来にわたって実現されるならば、それに見合って将来の生産と消費の規模は大きくなっているはずだ。
 
そういう高い生産性の上昇率期待に支えられた高い経済成長率予想(期待)がある場合には、自然利子率も高く、名目金利を十分に下げれば、実質金利が下がる。その結果、企業(生産者)も家計(消費者)も現在の投資、あるいは消費を増やす。そういう意味でデフレになり難い。ところが日本は逆でデフレになってしまった。こういうロジックでNKモデルは考える。
 
もっとも、NKモデルで実際の物価変動(インフレ・デフレ)を説明しようとすると「説明度はあまり高くない」という結果が出ているそうで、各種の改良が行われている。モデルの改良の方法として、ひとつには直近の過去のインフレ率などを変数に加えると説明度は向上するそうだ。人間は直近の過去の経験値をアンカーにして将来行動を選択するというヒューリスティックなバイアスがあることが行動経済学の実験で明らかになっているので、私はそうした改良には納得がいく。
 
しかし、経済主体は合理的な判断をするということを前提にモデルの論理を一貫したい経済学者は(NK派の方々も合理的期待形成論を踏襲しているようだ)、そういう修正は経験則に依存したもので、理論的に一貫しないと考えているようだ。
 
インフレ・デフレ問題に関連したNKモデルについて、もっとカッチリした理解をされたい方は、以下の論文が参考になる。「方程式の乱舞」の度合いが比較的少ない分かりやすいものを選んだ。
Gauti B. Eggertsson 「流動性の罠2010
加藤涼・川本卓司 「ニューケインジアン・フィリップ曲線2005
 
マイナスの需給ギャップが長期に続いている日本はちょっと異常?
さて、そうした事情を踏まえて、以前紹介した今年の経済白書の日本のデフレ要因の分析を読んでみよう。以下抜粋した。
 
「日本は他国と異なり、90 年代以降現在までの約20 年間、GDP ギャップがマイナス基調にある。このような長期間を平均すれば、景気循環が均されて、GDP ギャップは平準化されることが普通である。しかし、日本においては、平均してもGDP ギャップはマイナスであり、マクロ的な需要不足の基調にあった。こうした傾向は他の国では見られない
我が国だけが需給ギャップのマイナス基調が長く続き、それが構造的なデフレ的体質をもたらしている可能性が分かった。それではなぜ、我が国だけがそのような状態に陥ったのであろうか。90 年代以降の現象ということを踏まえると、我が国における資産価格の高騰と下落、いわゆるバブルの生成と崩壊が背景として考えられる。
こうした状況の下、長期間にわたり、経済成長率は低い水準で推移し、需給ギャップは多くの時期でマイナスとなっている。同時に、人々の物価予想も低くなったと考えられる80 年代後半から90 年代初めのバブルの生成と崩壊、その後の調整の遅れが、日本の基調的な物価上昇率の低さに影響していると見られる。
成長への輸出寄与が高い国ほど物価や賃金上昇率が低くなる傾向を確認した。さらに、そのなかでも日本は、輸出寄与の高さ以上に物価や賃金上昇率が上がりにくい傾向も分かった。その背景として、賃金水準の低い新興国向け輸出の寄与の高さが考えられる。」
 
白書は景気循環的な現象であるGDPのマイナスの需給ギャップ(供給超過)が、日本の場合、長期に持続してデフレ要因として働いていると指摘している。これはちょっと普通ではない。景気循環の波で、設備の稼働率が低下したり、不足したりすることは当然である。先ほどのNKモデルも含めてGDPギャップは長期では均されてチャラになると考えられている。誰も不稼働の設備や赤字の事業を長期に抱えたりはしないはずだ・・・。
 
それでも日本企業が長期と呼んでいい期間にわたってマイナスの需給ギャップを抱える傾向が強いとすると、それはなぜだろうか? ひとつの仮説として、企業行動の特性に求めることができるかもしれない。つまり日本的な企業経営の特徴として、低収益、不採算になった事業でも、廃棄する、売却するという対応に逡巡し、長く引きずるバイアスがあるということになる。それが慢性的な過剰供給能力、過当競争、価格下落圧力を生んでいるという見方が可能になる。
 
さらには、日本的なビジネスモデルは既存の秩序を根底からひっくり返すような、創造的破壊に対して強い抵抗を示すのかもしれない。それがイノベーションの潜在力をフルに引き出す障害になっているというような仮説も可能だろうか。
 
もうひとつ白書が指摘するのが、日本の輸出志向(依存?)と90年代以降の輸出の競争環境だ。90年代以降の日本は、内需の成長率が鈍化して、経済成長が輸出の成長率の高さに依存する度合いが高まった。その一方でエマージング諸国では輸出能力が向上し(それ自体、日本や他先進国からのこれら諸国への直接投資の増加に負うところが大きいのだが)、日本の輸出品と競合する状況が増えた。その結果、日本の輸出は価格的に割安なこうしたエマージング諸国の製品との競合で慢性的な下方圧力に晒されていると理解できる。
 
「デフレ期待」の払拭と生産性上昇率の向上戦略が必要
じゃあどうすれば良いのか? 日本は90年代のバブル崩壊後の資産価格の崩落と低成長で、家計も企業も将来期待(価格と経済成長の双方への期待)が下方屈折してしまったと考えられる。今では下方屈折した期待が自己実現的なループ(循環構造)を生みだしていると言えないだろうか。
 
私は、経済は期待の自己実現と自己否定を繰り返すと私は考えている。現在の日本のデフレは、デフレ期待の自己実現の要素が働いているので、日銀はもっと大規模な国債買い切りによるマネー供給の増加(マネタイゼーション)とインフレ目標の達成をコミットすべきだろう。
 
同時に、政府は選挙目当ての財政支出のバラマキはやめて、次代の生産性を向上させる教育、科学・技術開発、その実用化支援に財政資金を傾斜的に配分すべきだ。惑星探査機ハヤブサやスパコンの予算は削るな。 日本が世界の誇れる科学技術の開発と普及・実用化に戦略的な経済資源の投入をして欲しい。
 
さて最後にアメリカの最近のデフレ・リスク問題を語ろうと思ったが、既に長くなったので、それは次回、「その4、アメリカだってデフレが怖い?」に回そう。