井上ひさしの遺作「一週間」を読んだ。(クリックすればアマゾンに飛ぶ)
なかなか考えさせられる濃厚な内容だった。
読まれた方もいるだろう。内容は、ここでは紹介しないから、読まれてない方は、アマゾンにレビューを書いておいたので、それをご覧いただきたい。
 
一番面白かったというか、苦笑してしまったのは、小説の中で問題になる「レーニンの手紙」の在りかを追及するソ連の若い女性インテリ将校がいらいらしながら、主人公(抑留されている日本兵、ロシア語ができる、問題の手紙を隠している)に以下のように語る場面だ。
 
「日本人は匿名主義の集団である、なにごとによらず輪郭のはっきりした個性を嫌うと、大学でそう習った。なにかにつけて角が立って目立つ人間は、集団のまとまりを壊しかねない。だから、そういう目立った人間はその集団から排除される。それが日本人というものだ・・・・教授たちは、口を揃えてそう断言していらっしゃった。それなのに、あんたのやり方は目立ち過ぎる。全シベリア60余万の日本軍捕虜の中で、こんな突飛な交換条件を持ち出したのは、あんたが初めてよ。」
 
「あんたは、例の『日本人の風向きの原則』にも適わない。日本人はいつもその時その時の風向きを気にしながら生きている。なにかというと、「みなさんがそうおっしゃるのだから仕方がない』と、その時の吹いている風に合わせて自分の態度を決める・・・・これは、ある教授の口癖だったわ。ところが今のあんたはどうですか。(略)あんたは、たった一人でその風に逆らおうとしている。これはどういうことなんですか。」
 
弊著「なぜ人は市場に踊らされるのか」をご覧くださった方は、同じバブルでも日本とアメリカではバブルに踊る動機に違いがあることを指摘した終章「『みなさんそうされていますよ』という呪縛から目を覚まそう」を思い出されるだろう。
 
あるいは既に古典である丸山眞男の「現代政治の思想と行動」で、丸山が戦争責任を巡ってナチドイツと日本を比較し、日本的政策意思決定プロセスにおける主体的意識の不在を批判した下り「超国家主義の論理と心理」を想起したい。「ラーメン屋vs.マクドナルド」の第2章で引用した部分だ(以下)。
「わが国の場合は、これだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか」
 
丸山眞男のこの部分は、「日本人論」を語る場合、どう議論するかは別として論点として外せない場所だ。実際、最近ベストセラーになった内田樹の「日本辺境論」でも、丸山の同じ個所が引用されている。
 
しかし、ここで私はちょっと深読みしたい。井上ひさし程の作家である。既に繰り返し語られてステレオタイプになった(それでいてちっとも克服はされていないが)日本に関する類型論を、また繰り返しているのだろうか? 
 
昔から指摘されているこの日本的な問題、主体的意識の不在という問題が、克服されていないことを読者に読ませると同時に、実はこうした集団埋没型の人間類型は、スターリンの下で完成するソ連共産主義国家が生み出した人間類型でもあることを言外に含ませた痛烈な皮肉なのではなかろうか?
 
この小説、会話が濃厚で、他の諸問題もいろいろ考えさせられる。エンディングに尻切れトンボの感があるのは、遺作の所以かもしれない。
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追記
ブログ名ナドレックさんが、先月書いた私のブログ「無条件降伏」って何されても文句言えないってことだったの? に以下のご自身のブログへのトラックバックをつけてくれた。
なかなか考えさせられる良い論考だ。是非ご覧頂きたい。
 
「一週間」の中では、日本兵と同様にソ連軍の捕虜になったドイツ軍兵も、ソ連軍に抑留され労役に従事させられるが、ドイツ将校らは捕虜の取り扱いに関する国際条約に精通しており、待遇改善の要求を粘り強く行ない、ソ連軍もそれを無視することはできなかったと書かれている。
 
一方、日本軍の将校はそのような国際法、国際条約の常識に欠け、ソ連軍に待遇改善を要求するどころか、旧軍の身分秩序が維持されたことを良いことに、下級の兵士らをこき使い、配給食糧まで搾取して自らは肥え、兵士を餓死や衰弱に追いやった様が、繰り返し小説のなかで描かれている。
 
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、日本の将校も日露戦争まではクソ真面目なほど国際法の順守に気をつけていたという。それが事実なら、日露戦争と太平洋戦争の間の期間に、日本軍の国際感覚・知識は大いに劣化したということになる。
 
ともあれ、シベリア抑留時の問題、全ての日本将校がそうだったわけではないようだが、こうした事態が起こったことを、戦後の私達はどれだけ事実として発掘し、議論してきただろうか? 井上ひさしのこの遺作は、そうした問題を議論もせずに忘却してしまおうとする戦後の日本への、鋭い批判だった。文字通り、彼の人生の最後の精根を傾けた批判だった・・・・。