ゼロ金利はデフレ対策として逆効果?
gonchanさんのコメントに関連して、「金融財政ビジネス」(時事通信社)に10月に寄稿した短い論考を以下ほぼそのまま掲載致します。
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量的緩和政策の長期化は短期金利の事実上のゼロ金利状態の長期化をもたらす。少しでも金利を下げれば、企業や家計は借入れを増やして消費や実物投資にマネーが回り、デフレからの脱却に近づくだろうと一般に考えられている。しかし、もしかしたら逆効果になっているのではなかろうか。
ケインズ流に考えると貨幣に対する需要とは流動性に対する需要であり、貨幣を保有するコストとはゼロ・リターンの資産を保有することで、債券や株式など他の金融資産に投資すれば得られる利子や配当などのリターンを放棄するという機会費用である。逆に言うと、利子とは貨幣の流動性を放棄することに対する対価である。
ゼロ金利政策では短期・中期の国債の利回りが限りなくゼロに近づくので、貨幣保有のコストも限りなくゼロに近づくことを意味する。貨幣保有コストがゼロならば貨幣需要は際限なく膨張し得る。デフレとは経済主体が財やサービスの購入よりも貨幣の保有を選好する結果であるから、ゼロ金利にはデフレ状態を持続する効果があるということになる。
言い換えれば、ゼロ金利近傍では金利を多少上下させることによる通常の金融政策の効果は失われているということだ。もちろん日銀やFRBだって、そんなことは分かっているのだ。「ではどうしたら良いのか?金利を上げれば良いのか?」 唯一期待できる効果は市場参加者の期待に働きかけることだ。
つまりデフレ期待から軽度のインフレ期待への転換である。どうすればできるのか?特定の期待が「裏切られるかもしれない」という思いが脳裏に浮かぶと、人は行動選択を変える。「財も実物資産もデフレだからできるだけ買わないでおこう」と選択している人が減り、「インフレになるかもしれないからちょっと買っておこう」と選択する人が増えて初めて、貨幣保有への執着・需要は減り、財や実物資産への需要が増え始める。
デフレ期待が「裏切られるかもしれない」と思わせるためにはどうしたら良いのか?人々は自分が今思っている通りのことが世の中で起こっている限りは行動選択を変えない。選択を変えるのは、思っていないことが起こる、あるいは起こるかもしれないという「ぎょっとする」ショックを経験した時だ。ところが日銀のしてきたことは概ねそれとは反対で、国債の購入による量的緩和策についても、保有する国債残高が日銀発行残高を超えない範囲にとどめると自縛してしまっている。「日銀がついに国債購入のマネタイゼーションに動き出した」と、ぎょっとさせるぐらいの規模をアナウンスする必要があるのではないだろうか。
中央銀行がマネタイゼーションに乗り出したと思われたら円の信認が崩壊するから、それを回避するための縛りだと言うのだが、どうにも腑に落ちない。そもそもインフレは軽度でも重度でも、通貨価値の棄損に他ならない。程度の違いに意味があるだけだ。世間が強固なデフレ期待に凍り付いているならば、そこから脱するには心理的なショックも必要なのではなかろうか。
インフレが高進する兆しが出てきたら、金融を引き締めれば良いだけだ。引締めについては金利水準の変更による通常の金融政策が効果を発揮するのであるから、デフレよりもずっと対処がしやすいではないか。
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