パキスタンに潜伏していたビンラディンが米国の特殊部隊の急襲で殺害された。
米国にとっては2001年9.11から10年目に復讐を果たしたことになる。
このニュースに沸くアメリカ市民の姿も報道されている。私は基本的に今回のことを歓迎しているが、微妙な屈折も心に生じる。
2005年3月米国ワシントンDCに駐在していた時に書いた論考を思い出したのでここに最後の部分を掲載しておこう。
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【イスラムの「ランボー」達とビンラディン】
シルベスタ・スタローン主演の米国映画ランボー・シリーズの第1作は1982年の“First Blood”である。優秀な特殊部隊として訓練を受けたベトナム帰還兵のランボーは、帰国後の米国世間の冷たい視線に悩み、社会に適合できずに放浪する。ある田舎町でも「胡散臭いよそ者」扱いを受け、ささいな行き違いが雪だるま式に膨れ上がって、彼は町の警察と銃で武装した住民から「狩り立てられる」はめに陥る。自衛のためにランボーは卓越した戦闘能力で反撃を始める。ランボーの反撃で多数の死傷者を出す大騒ぎに発展してしまうのが映画の粗筋である。
 
映画ランボー・シリーズを見た方なら皆感じると思うが、シリーズの第2作、第3作は第1作とは全く異なる映画に変質してしまった。第2作はベトナム戦争後のベトナムを舞台にベトナムを非難する政治的なプロパガンダになってしまった。3作はソ連占領下のアフガンを舞台に反ソ闘争を賛美するプロパガンダ映画にすぎない。
 
1980年代のアフガンで米国の反ソ・ゲリラ戦士の育成プログラムが、多くの「イスラムのランボー」を生み出したことは皮肉と言うべきか、悲劇と言うべきか。ソ連の撤退後、米国にとって政治的な利用価値を失い、放置されたイスラムのランボー達は、母国の権力からも厄介者扱いを受け、帰国の自由さえままならず、アメリカのランボーと同様に悩む。「俺達の戦いと同胞の死は、一体何のためだったのか? 俺達の戦いは無意味だったのか?」 その時、かつては米国の協力者だったビンラディンが彼らの戦いに新たな意味付けを行った。それは恐るべき意味付けであったが、砂漠の砂が水を吸い込むように、イスラムのランボー達の乾いた心が、ビンラディンの言葉を吸収したのだろう。  無論、私は彼らのテロリズムに一片のシンパシーも感じていない。彼らの生起を理解することと、シンパシーを感じることは別のことである。
 
米国の治世者がイスラムのランボー達を生み出した歴史的な過程を国民の前で総括し、米国の有権者がそれを自覚的な認識、教訓にする時が、果たしていつ到来するであろうか? それには中東地域が民主化されるのと同じくらい困難で長い時間を要するように私には思える。
                              以上
掲載サイトは以下2005年3月の論考(時系列順掲載)