櫨(はじ) 浩一著「貯蓄率ゼロ経済」(2006年、文庫版2011年)を読んだ。2006年に出版された本だが、今年10月に文庫本版が出たので書店で手にした。著者はニッセイ基礎研究所のチーフ・エコノミストである。
 
容、メッセージはとてもわかり易く明解。その通りになるかどうかは疑問、異論もあるが、日本経済の10年後の起こり得そうなシナリオを提示している。そのメッセージを要約すると以下の通り。
 
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日本の家計の貯蓄率は80年代までは高かったが、90年代以降趨勢的な低下を辿っている(家計調査と国民所得統計が示す家計貯蓄率は、水準も傾向も乖離しており、それについては幾つかの理由があるが、マクロ経済的には国民所得統計の示す低下傾向の妥当性を著者は重視しているようだ)。
 
2000年代には企業部門の貯蓄・投資バランスが、それまでの投資超過から貯蓄超過に変わった結果、家計貯蓄の低下にもかかわらず、膨大な国債の発行が低金利で消化されてきたが、この企業部門の貯蓄超過というやや異常な事態は長期的には持続しない。
 
家計貯蓄率は今後趨勢的に日本の高齢化により低下し、現役世代のプラスの貯蓄と引退世代のマイナスの貯蓄が均衡する貯蓄ゼロ時代が到来する。ニッケイ基礎研究所の試算では2018年にはそうした貯蓄ゼロ時代が到来する。
 
その結果、経常収支黒字、ディスインフレあるいはデフレ、低金利、円高という80年代以降の傾向は全部逆転し、経常収支赤字、インフレ、高金利、円安が日本経済の新たな基調となるだろう。
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ざっと以上の変化の到来が提示されている。その論理は、「経常収支=国内の貯蓄・投資バランス」、並びに「企業部門、家計部門、政府部門、海外部門の貯蓄・投資バランスは合計するとゼロになる」という恒等式をベースに展開している。
 
枝葉の部分では疑問、異論もあるが、大筋は私も同意できる内容だ。2006年の発刊時には本書の存在に気が付かなかったが、私は当時ワシントンDCにいたためだろう。当時読んでいれば、本書の先見性をもっと強く感じたと思う。
 
また著者が語る「経常収支赤字、インフレ、高金利、円安基調への転換」は、それ自体では望ましい拡大再生産への転換を意味しない。たとえるなら、低血圧症の人が高血圧体質に転換するようなもので、そのこと自体は別の一連の諸問題に転換するだけだ。ベターな高齢化社会を実現するための政策的処方箋は4章、5章に書かれている。
 
さらに著者の書いていることをやや超えてコメントすると、上記の恒等式は、海外部門を捨象すると、家計も政府も企業も皆が皆貯蓄増加を実現することはできないことを意味している。もし皆が貯蓄を増加させようとするとどうなるか? それは縮小再生産のループにはまることになる。結局、生産と所得が縮小することで、貯蓄も減少し、恒等式が成り立つ。
 
今の日本の低成長とデフレ基調は、家計も企業も貯蓄超過を志向しているために、拡大再生産のモメンタムを失い、唯一政府と海外部門が赤字(海外部門の赤字とは日本の経常収支黒字のこと)になることで、かろうじてバランスされている結果とも言えようか。
 
10年から20年のタイムスパンでは、経済の基調が180度転換することがあることを私達は知っている(はずだよね)。今後どのような基調転換をシナリオとして想定すべきか、それは長期的な資産形成を考える上でも重大だ。そうした視点からも読んでおく価値がある本だと思う。
 
追記:
「将来の経済成長のために貯蓄→投資を増やせと言われても、高い投資リターンをあげる投資案件が国内には枯れているから、民間の投資が減少しているのではないか」という反論があり得るだろう。固定資本形成についてはそういう面を否定しない。しかし有形の固定資本形成のみが投資ではなかろう。教育・学習の投資リターンは今でもかなり高いと思う(もっとも国民経済計算上は教育支出は投資には分類されていないはずだが)。
ただし、それの実行には学ぶことに対する持続的な意思が前提となるので、金さえ出せば買えるものじゃない。実際、私の勤めている大学でも教育・学習の投資支出を無駄にしている諸君は少なくないからねえ。
 
竹中正治HP