さて、目先の仕事がひと段落したので、先日ブログに寄せられた以下のご質問にお応えしようか。
 
「比較優位論は、以下の三つが成り立たないと巧くいかない。
セイの法則:供給が需要を産み出す(逆じゃないです)
完全雇用
資本移動の自由がない
世界経済はいま、上記リカードの比較優位論の前提条件を三つとも満たしていない。最後の資本移動の自由の前提要件についてみても、すでに世界的に外国に工場移転が盛んな状況は明白であり、「資本移動の自由がないこと」という前提要件を欠くことは疑いようがない。
したがって、経済学的観点からしても間違ったTPPだ。
以上のような意見について、回答を頂ければ幸いです。
参考、三橋貴明ブログより」
 
 
 資本移動と自由貿易
順番が逆になるが、「リカードの比較優位・劣位と自由貿易論は資本移動を想定していない、従って現代のように国境を越えた資本移動が活発になった状況では成り立たない命題だ」という点からお応えしよう。
 
これは私にとっては懐かしい議論だ。というのは私がワシントンに駐在していた時、2004年に民主党のシューマー上院議員が某シンクタンクの研究者とつるんで「現代のように資本移動が活発になった時代には、それを前提としなかったリカードの自由貿易論はそのままでは成り立たたず、修正が必要だ。だから政策もそれを反映するべきだ。これは決して保護主義的な主張ではない!」とキャンペーンをしたことがあったからだ。ちなみにシューマー上院議員はやや攻撃的な貿易政策を売りにしている民主党の有力議員で、当時から今に至るまで中国の為替政策を糾弾している。ゲッパートのような露骨・武骨な保護主義者に比べると、理論的な装いをしている。
 
これについて当時私はレポートにした。そのレポートをホームページに掲載しておいたのでご覧頂きたい。WDC006.04「『保護主義者と呼ばないで!』民主党議員の問題提起」
 
経済学に限らず科学一般は、複雑な現実を読み解くために現実を単純化したモデルを使用する。とりわけ経済など社会科学は自然科学と違って実験室での実験ができないので、この手法を使う。単純化するとは現実の諸条件をある程度捨象するということだ。
 
確かにリカードが自由貿易による国際分業の形成とそれによって世界と各国の双方の経済的富が増加することを説いた際に、国境を越えた資本の移動(従って国家間の資金的な貸借関係)を捨象した。また現実には多数の生産要素があるが、彼はそれを労働だけに限定し、労働価値説に基づいた議論を展開した。
 
結論を言うと、その後の国際貿易論は、複数の生産要素を想定し(新古典派貿易理論としてヘクシャー・オリーンの定理)、また国境を越えた資本の移動も想定する方向で展開し、現代の理論モデルはそうした拡張された前提で展開されている。大雑把に言うと、こうして前提を複雑化かつ拡張した上で比較優位・劣位の原理と自由貿易が各国の富と世界の富を増加させることが説かれている。
 
この点ではポール・クルーグマンの著作を紹介するのが最適だろう。というのは、彼はご存知の通り、貿易論への貢献でいわゆるノーベル経済学賞を受賞しているし、学問的には新古典派を批判するケインジアン、あるいはネオ・ケインジアンの立場であり、政治的には保守に対するリベラル派であり、かつ自由貿易論の熱心な擁護者だからだ。
 
この問題について勉強するなら彼の以下のテキストが最適だろう。
上巻の目次、以下の部分が本件への直接的な回答になる。
上巻第7章生産要素の国際移動
労働の国際移動
国際的な資本移動
直接投資と多国籍企業
 
 だから「クルーグマンのこの本を読んで勉強してください」と言ってしまえば、これで終わりなのだが、それでは愛想もそっけもないので多少私の解説を加えておこう。
 
 2004年にワシントンでシューマー議員らの議論に接した時に私は首を傾げた。というのは、資本移動の自由を前提にするとなぜ比較優位・劣位による国際分業形成の原理が壊れ、生産性の絶対優位・劣位の原理にとって代わられるのか、シンクタンクの研究者まで動員したのに全然論理的に説かれていなかったからだ。
 
ただ「リカードは資本移動を前提としなかったので、彼の比較優位・劣位と自由貿易論は現代では成り立たない」と言うばかりだった。資本移動を想定すると比較優位原理が壊れ、絶対優位の原理にとって代わられることをきちんと論証した論文がもし書ければ、世界の経済学界にセンセーションを巻き起こすだろう。ところがそういう論文が発表されたという話を今に至るまで聞いたことがない。
 
 クルーグマンの説明によると、貿易とは間接的な生産要素(土地、労働、資本としての生産財や資本財など)の移動に他ならず、比較優位・劣位の原理は貿易の場合にも、直接的な生産要素の移動の場合にも妥当する。
 
 また私を含めて18世紀のリカードのモデルが今も現実を説明する上でベストなどとは考えていない。クルーグマンはリカードモデルの4つの弱点を指摘する(p63)。その中で現実の政策上、一番重大なのはリカードモデルが国内の所得分配に重大な影響を与えることを捨象してしまっていることだろう。
 
労働が国際的な移動をする場合
 これをクルーグマンは移民という労働移動を想定した場合についてテキストで説明しているので、それを紹介しよう(p206210)。土地と労働のみを想定して、A国では労働力が相対的に過剰(従って労賃が安い=労働の限界生産力が低い)、B国では労働力が相対的に過少(従って労賃が高い=労働の限界生産力が高い)。 土地所有者は労働者を雇って経営している。
 
 ここでA国からB国に労働力が移動すると、A国では労賃が上がり、B国では下がる。双方の労賃=限界生産力が等しくなるところまで移動すると全体の産出量はそのポイントで最大になる。これは言葉だけで説明すると厄介だが、テキストp209のグラフを見ると氷解するだろう。
 
ただし、国内の所得分配には重大な変化が生じる。A国では労賃が上がり労働者の所得は増える。一方、移民が流入したB国では労賃が下がり、元からB国にいた労働者の所得は減る。また土地所有者の所得変化は逆で、A国では(労賃が上がる結果)土地所有者の所得は減り、B国では反対に増える。
 
どこの国でも同じだか、変化によって失う者は少数でも結束して政治的な力を行使して抵抗する。反対に変化によって得る者は、なぜか失う者よりも鷹揚で、その政治的なボイスは相対的に弱い。これは行動経済学が実験で明らかにした人間の損得に対する非対称な感覚の政治現象版かもしれない。
 
所得変化が生じることは政策的に中和することもできるだろう。例えば土地所有者の所得が増えるB国では土地に対する資産課税を上げる、逆にA国ではそれを下げるというような対応も可能だ。
 
資本の国際移動を想定する場合(p215218
 この場合、資本とはファイナンスであり、その移動により国家間の貸借が生じる。つまり貿易赤字の国と黒字の国が生じる。貿易赤字を無限に膨張させることはできないので、超長期では現在赤字なら将来は黒字になって返済する時が来るし(踏み倒すこともあるが)、全部の国が黒字になれない以上、今は黒字の国も将来は赤字になる時がある。
 
 ファイナンスとは消費と生産の面から見ると、消費財の現在と将来(=異時点間)における生産のトレードオフということになる。その結果、議論は「異時点間の比較優位」という概念に発展する。これはファイナンス理論と貿易理論をかみ合わせたような概念だから、双方に慣れていない方には分かり難いだろうが(経済学者でも双方を専門にしている人は稀だ)、次のように考えて頂きたい。
 
 実質利子率が高い=実質投資利益率が高い=現在時点で設備投資が多く、将来の労働生産性が上昇する度合いが高い=消費財の将来の生産に比較優位のあるA国(逆に言うと現在は比較劣位、例えば今の新興国、あるいは1950年代から70年代頃までの日本)
 
 実質利子率が低い=実質投資利益率が低い=現在時点で設備投資が少なく、将来の労働生産性が上昇する度合いが低い=消費財の将来の生産に比較劣位のあるB国(逆に言うと現在は比較優位、例えば今の日本かな)
 
 この場合、やはりB国(現在の比較優位国)からA国(現在の比較劣位国)に資本が移動することで、全期間を通じた産出量と各国の所得が増加する。
 
 以上ポイントだけ説明したが、これだけで完全に納得できたら明日から私に代わって教鞭をとって頂いてけっこうだろう(^_^;)。本気で理解されたい方は、やはりクルーグマンのテキストで勉強して頂きたい。
 
現実の問題に則した補足
 補足として以下、私流の説明を加えておこう。ヘクシャー・オリーン(以下HO)の命題は、大雑把に言えば、各国のどの財が輸出され、どの財が輸入されるかは、各国の生産要素の分布で決まる(HO命題は生産技術が各国同じと想定しているが、この仮定についてもHO以降の貿易理論は前提から外して展開している)。
 
 生産要素の移動を想定しない静的な世界では、内発的な技術革新がない限り、国際分業構造も静的で変化しないだろう。ある産業が比較優位、あるいは比較劣位であればそれは永続する。しかし、現実には生産要素は移動するし、直接投資のように資本の移動に伴って生産技術もある程度移転する。その結果、比較優位・劣位の構造自体が時間とともに変化する。
 
 1960年代に某国で比較優位のあった産業は、80年代には比較劣位になっていることもよく見られた。すなわち現実の世界では各国の産業構造がダイナミックに変化を続けることが宿命だ。しかし産業構造が変化するにはある程度の時間がかかる。比較劣位に転落した産業の労働者は新たな比較優位の産業にはそのままでは適応できず、職業再訓練も必要だろう。
 
直接投資を主とした国際的な資本移動の活発化は、この比較優位・劣位の構造、すなわち産業構造の変化を速める働きをしている可能性がある(この点、検証してみる必要があるが)。産業構造の変化が速くなり、一方で衰亡産業から新興産業への労働や経営資源の移転速度が昔と変わらないとすれば、必然的に産業構造の変化から生じる摩擦的な失業や遊休設備は増えることになる。
 
ここに短期的・中期的な政策対応の必要が生じる根拠がある。ただしその政策対応は、変化を押し止めて、比較劣位産業をそのままに助成金や関税で保護することではないはずだ。逆に労働と経営資源の移転を促進、助成する政策であるべきはずだ。
 
 だから完全に自由貿易にして後は市場に任せとけば良いなどという「市場原理主義的」な主張は私も(クルーグマンも)していないのだ。さて、ここまで書けば、の問題についても私がどう応えるか、大凡の見当をつかれた方もいるだろう。たっぷり長くなったので、今日はここまで(^^)v
 
 竹中正治HP