私の初の学術書として「米国の対外不均衡の真実」(晃洋書房、2012年2月)を出版致しました。
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これまで執筆、学会発表などしてきた論文を下地にしたマジに固い内容ですから、「売れない」こと確信しております(^_^;)。 でも、米国の対外不均衡問題(経常収支赤字、対外負債の持続性)について真剣なご関心のある方は、どうぞご購読ください。
 
以下目次です。
 
1章:米国の対外純負債の持続可能性を再考する
   対外資産・負債の投資リターン格差と持続可能な貿易赤字の規模
2章:米国の2000年代の対外不均衡拡大とその要因
3章:米国における家計の資産価値と貯蓄率の関係
4章:国際通貨・金融史におけるレジームシフトと21世紀の国際通貨体制の展望
 
以下ご紹介のために序文の前半部分を掲載しておきます。
 
「米国の対外不均衡問題に関する本書は、過去数年の筆者の研究・調査の成果をまとめたものであるが、その問題意識は1970年代後半の学生時代にまで遡る。当時、経済学部で国際金融論の講義に学んだ私と同世代の多くの方々が、次のように考えたはずだ。
 
米国の産業は戦後の西欧の復興や日本の高度成長の結果、対外的な競争力を次第に失った。米国の貿易収支赤字、あるいは経常収支赤字はその結果であり、ドルと金の交換性が維持できなくなってブレトンウッズ体制は崩壊した。その後の米国は金の裏付けを失ったドルをたれ流し、ドル相場は急落した。この結果、米ドルが基軸通貨の地位から凋落するのは早晩不可避となるだろう。
 
ところが米ドルの基軸通貨の地位からの転落は現在に至るまで起こらなかった。筆者が1980年代から2000年までの期間の大半を従事した銀行での外国為替とその派生商品(通貨オプション)のディーリング業務を通じても、ドルを介在させた取引が圧倒的なシェアを占め続けた。1990年代には円の国際化政策の一環として、外為取引の銀行間市場でドルを介さない円と他通貨の取引の拡大が、当時の大蔵省の後押しなどで試みられたが、目立った成果は上がらなかった。
 
1970年代の米ドル凋落論の一方で、1973年以降の変動相場制への移行が世界経済・金融の仕組みに根本的な変革をもたらしつつあることに人々が気付き始めたのは、1980年代、あるいは90年代になってからである。主要通貨が固定相場制のくび木から解き離れた結果、国境を越えた資本移動が自由化できるようになり、内外の金融の自由化が進んだ。それに伴って国際的なマネーの移動は飛躍的に拡大した。この結果、マネー、人材、技術の国際移動が飛躍的に拡大した金融・投資のグローバル化の時代が始まり、今日に至った。その起点がブレトンウッズ体制の終焉だった。
 
こうした変化に対して、スーザン・ストレンジ(“Casino Capitalism”1986)に代表される一群の論者は鋭い警戒と批判で応じたが、他方ではグローバル化した世界経済の高成長を賞賛し、その変化への積極的な適応を唱える議論が盛んになった。この議論の対立の構図は今日でも続いている。またこうした世界経済の構造的な変化に最も旺盛な適応力を示したのも米国だった。
 
米国を震源地とする2008年の欧米の金融危機を契機に再び「米ドル凋落論」が大いに語られている。その多くは1970年代の懐かしい論調の繰り返しである。今回の欧米の金融危機を契機に、欧米と日本などの先進諸国の経済成長は停滞色が強まる一方で、中国をはじめBRICs諸国は相対的な高成長を遂げている。このため世界の「パワー・シフト」が語られているが、現在のエマージング諸国の高成長も経済のグローバル化に適応した産物である。果たして私達はこれから先の近未来に、米ドルの凋落を想定すべきなのだろうか、それとも米ドル基軸通貨システムの持続を想定すべきなのだろうか。
 
本書は以上の問題意識を背景に次の問題に焦点を当てている。米国の貿易、経常収支不均衡が「長期的には持続不可能」と過去繰り返し指摘されながら、現在まで持続されてきたことの原因をどう考えるか、そしてそれが将来長期的にも持続し得るか、持続し得るとするとどの程度までの米国の対外不均衡が許容されるのか。これが本書の分析と論考の対象である。」
 
竹中正治HP
 
追記:2月6日
小峰隆夫先生が弊書を読んで下さった。ツイッターにつぶやいている。掲載しておこう。
 
追記:2月8日
本書を販売している主要オンライン・ブック・ストア(以下)