KK02さんからのご質問を考えて見よう。KK02さんの引用した以下の書籍は読んでいないので、引用された文章からのみの読解になるが、ご了承頂きたい。青字が引用、黒字の部分が私のコメント。
まず以前にコメントした通り、中間財も含めた全ての商品×価格が総所得より大きくなるのは、国民経済統計上必然的なことであり、それ自体が不均衡をもたらす必然性はない。
問題は、総付加価値供給力としての潜在GDPと現実の所得=生産=支出(3面等価)の均衡が崩れることだ。標準的な経済学では、それは短期・中期では生じるが、長期では生じないとして考えている。
◆ リチャード・C・クック著 『C.H.ダグラス:通貨改革のパイオニア』 より
「ダグラスは、生産プロセスにおける時間の経過の中で為さねばならない様々な理由のため、製造される物の値段とそれを消費するために必要な購買力の間に金銭上のギャップが存在することを詳述している。
このギャップを引き起こす要因に関して、ダグラスは1932年のパンフレット新旧の経済学の中で、次のように書いている。」
「商品の総合価格と比較して購買力が不足するのには、少なくとも次の5種類の原因があると断言できる。
1. 大衆から集められる金銭上の利益(利子は不可解な利益である)
「ダグラスは、生産プロセスにおける時間の経過の中で為さねばならない様々な理由のため、製造される物の値段とそれを消費するために必要な購買力の間に金銭上のギャップが存在することを詳述している。
このギャップを引き起こす要因に関して、ダグラスは1932年のパンフレット新旧の経済学の中で、次のように書いている。」
「商品の総合価格と比較して購買力が不足するのには、少なくとも次の5種類の原因があると断言できる。
1. 大衆から集められる金銭上の利益(利子は不可解な利益である)
大衆から集められる金銭上の利益(例として利子所得)が、どうして不均衡の原因になる必然性があるのか、理解不能。利子所得も貸手(最終的には預金者や投資家)の所得として100%消費されれば、不均衡の原因にはならないし、それがさらにファイナンスされて、他の経済主体の支出になれば不均衡は生じない。
2. 貯蓄、すなわち購入することの棄権
別に貯蓄自体が無条件で不均衡の原因になるわけじゃない。
経済全体では(閉鎖系という海外との取引を考えない前提)、必然的に貯蓄=投資になるが、皆が貯蓄しようとする場合には、貯蓄増=消費減→生産減→雇用減&投資減→所得減→貯蓄減という縮小再生産のプロセスになり、貯蓄=投資が結果的に均衡しながら縮小する。
3. 即座に購買力に向かわないで新しいコストを生み出す新しい仕事への投資
理解不能。具体的にどういう事例を言っているのか?なんらかの投資ならば、必ず支出を伴うはず。つまり需要を生む。
4. 前期の原価会計サイクルが値段に反映されるという処理がもたらす、原価償却と値段発生の間の巡回速度の差異。実際に、すべてのプラント管理はこの性質を帯びていて、前期の賃金サイクルから生み出される資材に対する全ての支払いは同じ性質を有している。
「原価償却と値段発生の間の巡回速度の差異」というのが具体的にどういう事情を言っているのか不詳だが、私がパン屋の例で示したように、数期間にわたって償却される資本財(パン焼き窯)を想定すると、各期の需要と供給力の均衡は、より難しくなるのは確か。ただし全期間を通じれば、そうした不均衡は原理的に生じない。
5. デフレーション、すなわち銀行による有価証券売却および負債回収
これは信用収縮のことを言っているのだろう。しかし銀行が有価証券(例えば国債)を売却してもそれは他の誰かが買うわけだから、それが直接に信用収縮を招くわけではない。ただし銀行部門全体のローン回収(=非銀行部門のローン返済)は、私が「皆が貯蓄を増加させる(含む負債を減少させる) 」場合のことだから、潜在供給力と需要の間に不均衡が生じて、縮小再生産になる。
ダグラスの議論は、短期・中期の議論をしているのか、長期にわたる原理的な不均衡の発生を主張しているのか、議論が整理されていなくて、判然としませんねえ。
私の暫定的な結論としては、ダグラスの議論はやはりセーの法則への批判のひとつのバリエーションだと思う。
ただしマルクスやケインズがやったような当時の経済学のロジックや概念を踏まえての批判ではなく、かなり我流の議論を展開したので、経済学者からはあまり顧みられることがなく、同時に経済学界外の一部からは「正統派の経済学に対して新規な批判」を展開しているように受けとめられているだけなのではなかろうか。
竹中正治HP
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