進化心理学者ニコラス・ハンフリーの「ソウルダスト(Soul Dust)意識という魅惑の幻想」を以前レビューを書いて紹介した。ハンフリーの「喪失と獲得(The Mind Made Flesh)」(紀伊国屋書店、2004年)も良いですよと知人が言うので、読んでみた。本書は独立に執筆された長短のある論考を編集したものなので、様々なテーマを扱っているが、実に面白い。
進化心理学とは
まず「進化心理学」に馴染みのない方のために補足しておくと、これは、人間はその数百万年から数十万年の歴史の中で支配的だった環境に適応するように進化してきたわけであり、人間の様々な選好や行動特性から意識の機能と存在まで、環境適応上の優位があったからこそ今の様にあるのだという視点で考える学問だ。同時にそうして形成されたあり方が、現代のテクノロジーが発達した環境では一部不適応になっているとも推測できる。
ひとことでいうと、「人間は宇宙時代に生きる石器時代の生き物だ」(p386)となる。
奇形の変容
私にとって最も関心を惹かれたのは第8章「奇形の変容」だ。論旨を紹介しよう。
生き物は多数の表現型特性(背の高さ、体重、羽の有無、色等など)の構成物であり、それによって環境の中で特定の生物学的な適応度を実現している。
ある高さの適応度からもっと高いレベルの適応度への移行(進化)はどのように実現されるだろうか?遺伝子のランダムな変化と環境による淘汰圧が漸進的な改良をもたらすというのでは、実は説明が困難だ。
というのは現状の適応度は局所的には最も高い位置にあるはずであり、もっと高い適応度への移行は、現在の局所的には最適の組み合わせを変更することで、適応度の低下という局面を乗り越える必要があるからだ。その際、適応度の低下が大き過ぎれば、その種はより高い適応度に辿りつく前に絶滅するだろう。 進化とは着実で漸進的改良というよりは、文字通り命がけの飛躍というイメージに近いのかもしれない。
こうしたより高い適応度に向けた変革にまつわる事情は、実は生命の進化過程だけでなく、我々も身近に経験していることだ。 スポーツ選手がパフォーマンスを上げるためにフォームの改善に挑戦する場合、その過程でパフォーマンスを落とすことは良くあることだ。
例えば、ゴルフスイングという身体の動かし方それ自体、複数の動きの微妙な組み合わせで構成されているわけだが、従来の馴れた組み合わせは局所的な最適化を実現している。その組み合わせを一度、解いてより高い適応度を実現する新たな組み合わせを試行錯誤する過程で、パフォーマンス(適応度)が落ちるわけだ。
人間は意識的にそうした再構成に挑戦するが、生物進化の過程では意識的な再構成という仕組みは働かない。その場合、変化を強いるのは突然変異による「喪失」であると著者は言う。つまりなんらかの変異の結果、それまでの局所的な最適化を実現していた表現型特性を失うことによって、適応度の局所的な高みから転落した生物が、進化的な試行錯誤の結果、より高い適応地点に辿りつける可能性を得る。
その例として、著者はサルの先祖から分岐した人類が体毛を失った例を上げている。体毛を失ったことで寒さへの防寒能力が低下したが、人類はどこかの時点で火を扱うことを習得し、防寒ばかりか、料理、獣からの防衛など様々な用途に火を使うことを発達させることで、有毛の祖先よりも高い適応度に到達したというシナリオである(仮説である)。
著者のよるとサルにはない人間の抽象概念を操る能力も、それはサルにはある「写真的記憶力」を人間が失った結果、その能力を補完する能力として発達したものであり、最終的には圧倒的に高い適応地点に人間を導いた能力だと言う。
脳の驚異的な適応力
さらに人間はそれまでの生き物にはなかった優位も実現した。「人間の脳は(遺伝的にプログラムされた肉体とはまったく異なって)個人の一生という時間のなかで驚くべき進歩を遂げることができるひとつの器官(唯一の器官かも?)なのである」(p180)
この点は脳の可塑性として比較的近年注目されている。別のレビューで紹介した「奇跡の脳」は、脳内出血で左脳の機能を損なわれた著者の脳が、生き残っている部分を再構成し、様々な機能を一歩一歩回復して行く物語だが、そのキーワードは脳の「可塑性」である。
視力を失った人の聴力が鋭くなることは昔から知られている。これは注意力が視力から聴力に移るだけではなく、それに見合って脳内の機能も再構成されている可能性がある。
facebookで紹介したが、NHKのロンドンオリンピックに向けた特集番組「ミラクル・ボディー」で体操の内村選手の飛び抜けた空間感覚を科学的に分析した過程で、ひとつの注目すべき脳内現象が紹介されていた。
内村選手は、子供時代から優れた体操選手のビデオを繰り返し見て、その動きを試み、イメージトレーニングと実際の動きの練習を果てしなく繰り返してきた。そうしたイメージトレーニングしている時の内村選手の脳の動きをMRI(磁気共鳴画像装置)で他の普通の選手の脳と比べると、活性化している部位に大きな相違が見つかった。 イメトレ中の内村の脳は運動機能をつかさどる運動野と呼ばれる部分が活性化している一方、普通の選手は視覚野が活性化していた。
つまり普通の選手は、イメトレ中に第3者の視点で運動を「見ている」のだが、内村の脳は運動している自分自身を感じていると推測される。これは内村の脳が、イメージと練習を繰り返すことで運動機能の点でより高い適応度に変容した結果だろう。
歴史を振り返ると、それまでの局所適応的な組み合わせを失ったことで大きな変革が起こり、それがより高い適応に、人、企業、ビジネス、社会を導く事例に満ちていると気がつくだろう。今の停滞気味な日本社会に求めらていることは、戦後の繁栄を築いた局所適応的な組み合わせの破壊的再構築なのだとも言えようか。
大学教授としての私の第2のキャリアの展開も、ある時点で銀行員としての適応(つまり出世)を捨てた、あるいは失ったところから始まっているとも言える。まことに塞翁が馬ですな(^^)v
最近facebookでの書き込みを活発化しております。本ブログのリピーターの方はfacebookでお友達リクエストをして頂ければ、つながります。
コメント