本日10月31日の日本経済新聞「経済教室」での西垣通教授(東大)の論考は、示唆的で面白い。
集合的な知性が生じるか、生じるならなぜ生じるかを論じている。

引用: 「いまスタジオに100人の視聴者代表がいて、(1)4択問題の正解を知っている者が10人、(2)2つの選択肢に絞り込める者が25人、(3)3つの選択肢に絞り込める者が25人、(4)全然見当がつかない者が40人――の4グループに分けられるとしよう。このとき、アンケートをとると、正解を選ぶ者は平均で約41人と計算できる。

一方、誤った3選択肢については、選ぶ者はいずれも平均で20人弱にすぎないので、集団平均としてはほぼ間違いなく正解が選ばれる。つまり、正解が分かる者はたった1割、全然分からない者が4割に及ぶ素人集団でも、「集合知」としては見事に正解を答えてしまうのだ。(ただし) これはいわゆるランダム選択の仮定に基づいている」

***

最後の前提条件が大切だ。各自の選択は独立していて相互に影響を受けないという想定。しかし、これはむしろ現実には稀なケースだろう。

実際は人間は相互に影響し合う。特に資産価格の相場などについては、ケインズの美人投票の例が示すように多数派の選択がどれになるかを推測して、積極的にそれに追随しようとする。
そうすると、その選択が本当に妥当かどうかは二の次になる。こうして資産バブルやその崩壊が生じる。集団的愚性の実現だ。

また、西垣教授の例は、回答者の選択からは独立して客観的な正答がある場合にしか適用できないことも言い添えておこおうか。 ところが私達の直面する問題、特に経済問題には多数が選択して行動すると、とりあえずはその判断が自己実現してしまう構造になっている。つまり多数が景気は悪くなると予想して行動すると消費と投資は減少し、景気は悪くなる。つまり選択から独立した正答がない。
 
経済や政治的な問題でも集団への付和雷同はいつでも起こる。 「2チャンネル」とかたまに覗くと、集団的愚性の不毛でダークなエネルギーの噴出にぞっとすることも多い(-_-;)
 
集合的知性の実現の条件というのは、なかなか難しいね。
 
追記:
集合的知性については、弊著「なぜ人は市場に踊らされるのか?」日本経済新聞出版社、2010年の中で、「アリ・モデル」を例にして私も議論したことがある。ご関心ある方は以下どうぞご覧ください。
 
竹中正治HP
http://masaharu-takenaka.jp/index.html (←ホームページ、リニューワルしました(^^)v)
最近facebookでの書き込みを活発化しております。本ブログのリピーターの方はfacebookでお友達リクエストをして頂ければ、つながります。