とんでもない本だ・・・海千山千の経験を積んだベンチャーキャピタリストが、米国から輸入されたこざかしい経営学の諸説など一度投げ捨てて、ビジネス的な「野生の本能」に戻れと挑発する。
(アマゾンサイト↑ 例によってレビュー書いています。よろしければ「参考になった」くりっくお願い)
この本を読んで何かビジネス上の問題を解決する知恵が得られる期待してはいけない。著者はマッキンゼーのコンサルタントだったにもかかわらず、ぬけぬけと言い放つ。「問題解決は得意ではない。私が得意なのは課題創造である。」 こらあ!金返せ(^_^;)
著者の言う「もう終わっている会社」とは次のような会社だ。
1、コア事業にすべての経営資源を投下している。
2、中期経営計画をしっかりつくる。
3、「お客様の声を聞け!」と必死になる。
4、新規事業などを大まじめに検討する。
5、あいまいさを許さない内部統制とコンプライナンスに一生懸命になる。
どこの会社も一生懸命やっていることじゃないか・・・(゜o゜)
一番にやり玉にあげるのは、日本の会社が90年代以降一生懸命やってきた「集中と選択」だ。
「どうしてそれがいけないの?日本の企業は集中と選択が足りないって、経営コンサルタントも経営学者も、みんな言ってきたじゃない」
米国では結果的に不確実で不連続な未来に賭けるような集中と選択が行なわれた(失敗も多かったろうが)のに、日本では「従前の国内の成熟事業や変革のない安定した市場にやみくもに押し戻すこと」が「集中と選択」の名の下に行なわれてきたからだと言う。
その結果は、イノベーションの枯渇だ。
だいたい世の中のイノベーションの芽は、早期の段階では誰もその可能性信じていないようなものだ。ところが組織の中の異端児が(場合によっては社長が)、クレジーな情熱を注いで実現したようなことばかりじゃないのかという。成功した後でそれをふり返ると、過去が美化されて狙いすました「英断」となっている語られるのだろう。
そうした芽を「集中と選択」で摘んでしまっては、イノベーションは枯渇し、会社は面白くも楽しくもなくなる。「未来の不確実性に挑戦する人間の原始的能力こそ会社の利益の源泉」なのに、それが枯れる。キャノンの御手洗社長は、「その事業はいかがわしいか?いかがわしいなら、やれ!」と言ったそうだ。なんて非論理的で直感的な名言じゃあないか、と著者は共感する。
イノベーションはそのマグニチュードが大きいほど、既存事業や産業に対して破壊的なものになる。そんなものが、組織や産業のメインストリームから生まれるはずがないだろう。「すてるものがない、守るものがないベンチャーや、誰にも侵されることのない辺境や周辺から」イノベーションは生まれるのだという。だからベンチャーを育てよう。組織の中にベンチャー的な挑戦を許す多様性を大事にしようと語る。
そのためには覚醒した(あるいは、気のふれた?)個人が横、縦、斜めに連携して、ゲリラ的に創造的な破壊活動を展開しようというのが著者の遠吠えメッセージだ。
もう一度言う。
とんでもない本だ・・・・そして読みながらこんなワクワクしたビジネス書ははじめてだ!
(←ホームページ、リニューワルしました(^^)v)
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