前々回に話題にした確率的な判断の続きをしよう。
病気の検査で「陽性」と出た場合に実際に病気である確率(X)は次の式で示されることを話した。
罹患(病気)比率:a
検査の精度:b
とすると、X=ab/(1-(a+b)+2ab)となる。
ここでのポイントは、非常に確率的に低い事象(ここでは病気)を発見するためには、その低い確率に見合って検査の精度が上昇しないと誤差が拡大する、つまり「陽性と出た人数のうち、実際に罹患している人の比率(X)」が急激に低下するということを意味している。
検査の精度:b
とすると、X=ab/(1-(a+b)+2ab)となる。
ここでのポイントは、非常に確率的に低い事象(ここでは病気)を発見するためには、その低い確率に見合って検査の精度が上昇しないと誤差が拡大する、つまり「陽性と出た人数のうち、実際に罹患している人の比率(X)」が急激に低下するということを意味している。
この含意は大切だ。一般化して言うと、ある事象の判断の可否(ここでは病気発症の有無)は、判断の精度自体(b)とその事象の発生頻度(a)の双方に依存していることになる。
例えば数十年から数百年に1回か起こらないような稀な現象、大地震、大津波、大洪水などのような自然現象から、原発の大事故や市場での大きなバブル崩壊と金融危機のような人間活動による現象まで、仮にこうした事象の予測がある程度可能だと仮定しても、これらのような頻度的に稀なケースは極めて高い判断精度がないと実際に役立つような確率での予測、予知は不可能だということを意味する。
これを別の例で考えてみよう。エコノミストの景気予想能力についてはかなり懐疑的な議論がある。とりわけ景気の転換局面では判断が分かれ、大雑把に言って景気強気派と弱気派に半々程度にわかれる。言い換えると半分程度のエコノミストは判断を誤るわけだ。それでも仮に80%の精度で1年先の景気を正しく判断できるエコノミストがいたとしよう。
景気後退の兆候が少し出始め、先行きに関する見方が強気派と弱気派で分かれた局面で、1年先の事態が20回に1回の様な大景気後退になるかどうかを問うたとしてこのエコノミストは、「イエス」と答えたとしよう。このエコノミストの判断はどの程度信頼できるだろうか。
予想する対象は20年に1回の大景気後退であるから、頻度確率は5%だ。エコノミストの判断精度は80%だから、上記と同じ計算で彼の大不況予測が当る確率は17.4%に過ぎない。つまり6回中約5回は外れるのだ。
英国のエリザベス女王はリーマンショックの金融危機が起こった後で、「なぜ経済学者らはこのような事態を予見できなかったのですか?」と問うたというが、経済学の精度では何十年に一度というような稀な景気後退や金融危機を予見することは原理的に不可能なのですと女王様にお答えするのが正しかったのではなかろうか。
実際の予測には、さらにもうひとつの困難がある。 上記の計算は問題となる事象の頻度がわかっていることが前提となっているが、大地震や大不況のような稀な現象は、それが稀である故にサンプル数が少ない。そのためにその発生頻度を十分な確からしさで計測することができない場合がほとんどである。
病気の例にもどって言うと、数十万ケースのサンプル数があってはじめて、「この病気は10,000人にひとりである」と確からしさをもって言えるわけだ。サンプル数が100しかない場合には、たまたまその中に1名の罹患者が発見されたからと言って、病気の発生確率を1%ということはできない。
ヒックス粒子を発見する実験でも、極めて稀な現象の観測が行なわれたわけだが、実験は極めて高い精度が要求されたと同時に、実験は非常に多数の回数を繰り返すことで、検証を確かなものにするという手続きが厳密に行なわれたはずだ。
ところが経済現象では実験を繰り返すことはできないし、過去の類似の現象(例えば不況や金融危機)の観測回数も限られている。自然科学でも大地震や大津波のようなマクロ現象は実験することができない。 その結果、判断の正否の確率を特定するために必要な事象の発生頻度自体を特定することが困難であるという問題にぶちあたるわけだ。
だから、景気の先行き判断についても、景気の転換点をあまり遅れずに判断する程度のことは期待しても良いだろうが、景気後退や回復の兆候が出た時にそれが最終的に稀な大不況になるか、あるいは大好況になるかについて十分に信頼できる予想など不可能と思った方が良いだろう。
それにもかかわらず、「かつてない大不況になる」とか「大好況になる」とか超大胆な予想を述べる方がいれば、まあ、はったりに過ぎないと受けとめるのが妥当だろう。もちろん、10回はったりをかませば、1回ぐらいはあたるかもしれないし、10人はったりをかます人がいれば、1人ぐらいは当たる人もいるかもしれない。それもまた確率的に自然な結果ということだ。
はったりの一例 ↓ (^_^;)
追記:
認知心理学の実験が示すところでは、人間は非常に稀な事象を過大評価したり、過少評価したりして、確率に応じた合理的な反応はできない。人間が直感的に概ね合理的な反応ができるのは、中程度の確率的事象だそうだ。参考図書としては例えば「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン著
なぜそうなのか? 以上のことからだいたいわかった気がする。人間の直感的な判断力(カーネマンの言うファスト思考)は長い進化の過程で自然淘汰で形成されてきた能力だ。日常を生き延びずに、稀な事態を生き延びる生き物はいない。
人類が進化の過程で日常に遭遇してきた多くの事象頻度(天候の変化、食物の獲得や捕食動物の危険に関することなど)は中程度である(確率的に数パーセントから確実な100%まで)。そうした中程度の確率事象に対しては、「十中八、九こうなるだろう」という判断精度で、絶対ではないが確率的に安定的な判断ができる。進化の過程で身についた能力はそういうものだったのだろう。
反対に確率的に厳密な論理的分析的な思考方法(カーネマンのいうスロー思考)は、遡ってもせいぜい3000年~4000年、短く考えると過去100年程度の現代的な教育の産物でしかない。そして人間は多くの場合、現代でも通常は本能的にビルトインされている直感的なファスト思考で判断し、現代的な学習でしか習得できない集中力を必要とする分析的論理的思考は限定的にしか利用していないということなのだろう。
新著「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社)2013年5月20日