Yahooニュース(個人)に以下掲載しました。
アベノミクスと日銀黒田総裁の大胆な量的金融緩和を背景に株価は上昇、円高は修正され、企業収益は大きく改善している。実体経済も穏やかな回復基調にある。しかし量的金融緩和だけではそれがいかに規模的に巨大でも、デフレ脱却、マイルドインフレ達成(消費者物価指数が消費税引上げによる分を除いて対前年比で2%になること)は実現困難であろう。その実証的な根拠を以下に説明しよう。
現在日銀は毎月平均約7兆円もの国債を購入することで、マネタリーベースを急増させている。マネタリーベースとは銀行が日銀に置いている当座預金と日銀券の発行残高の合計である。民間銀行からの国債購入で日銀が直接増やせるのは、この銀行が日銀においている当座預金残高だけだ。
一方、通貨供給量(マネーストック)とは企業や個人が銀行に置いている流動性預金と日銀券発行残高の合計である。したがって、商品の供給量が一定である場合に、通貨供給量を増やせば物価の上昇が起こるはずだ(マネーの回転速度一定の想定)という単純な貨幣数量説を前提にしても、日銀による銀行からの国債購入だけではそもそも通貨供給量の増加は起こらない。
日銀の量的金融緩和が通貨供給量の増加につながるためには、銀行貸出が増加してそれに伴って預金残高が増えるか、あるいは銀行が非銀行部門(個人や企業など)から国債を買うことで売り手の預金残高が増えるか、このいずれかが起こることが必要である。
さらに、実際にマネタリーベース、あるいは通貨供給量の変化(対前年同期比)と消費者物価指数(除く食品とエネルギー、以下同様)(対前年同期比)の相関関係を見ると、実はほとんど相関関係が確認できない。 90年代以降、日本では両者の関係(マネタリーな要因に対する消費者物価の感応度が著しく低下していること)は、既存の研究論文で確認されている事実である。
では、90年代以降の消費者物価指数の変化と関係性の高い要因は何か? 筆者が検証する限り、(1)GDPギャップ、(2)現金給与総額の変化である。図表は、消費者物価指数(対前年同期比)(被説明変数)を(1)GDPギャップ、(2)現金給与総額の2つの変数で回帰分析した結果とその推計値である(データは四半期ベース)。
補注:GDPギャップ=(実際のGDP-潜在GDP)/(潜在GDP)
潜在GDPは完全雇用下で実現できるGDPの水準であり、GDPギャップがマイナス値である場合は、マクロ的な需要不足・供給力超過、 プラスの値である場合は、需要超過・供給力不足を意味する。日本では90年代以降GDPギャップがマイナスとなる傾向が強くみられ る。 GDPギャップの推計値は1991~2006年についてはOECD、2007年以降は内閣府の開示しているものを使用した。
回帰結果は有意であり(変数間の関係が偶然ではないことを意味する)、説明度を示す決定係数は0.56とかなり高い。これは消費者物価指数の変化の56%はGDPギャップと現金給与総額の変化で説明できることを意味する。
また、得られた回帰式(推計式)で将来予想をすると、消費者物価指数が(消費税引上げ効果を除いたベースで)2015年第1四半期までに対前年比で2%に達するためには、例えばGDPギャップはプラス2%、現金給与総額は前年同期比で2%の伸びを実現する必要がある。これは90年代初頭の水準であり、かなり高いハードルである(もっとも回帰結果による予想は確率的な振れ幅を伴う点に注意)。
以上の事実に基づく限り、景気回復の持続とデフレ脱却(マイルドインフレの達成)のためには、賃金増加→消費増加→GDPギャップの改善(マイナスからプラスへの変化)という連鎖が働くことが不可欠だと言えるだろう。ちなみに現在のGDPギャップは-1.5%(2013年第2四半期、内閣府)、現金給与総額は対前年同期比+0.1%(2013年第2四半期)である。
それではマネタリーベースの増加には直接的に物価を押上げる効果が全く見られないにもかかわらず、アベノミクスと日銀黒田総裁の大胆な量的緩和が機能しているように見えるのはなぜだろうか? 「幻想におどらされているだけだ。今に幻滅するぞ」と主張される方々もいるが、筆者はそうは考えていない。
アベノミクスと黒田総裁の大胆な量的緩和は、そのタイミングと規模的な大胆さによって、それまで「デフレ、円高、株安予想」に傾斜していた市場参加者の将来期待を「もしかしたらインフレ、円安、株高」に転換することに成功したのだ。これが「最初の一撃」となって、市場参加者のポジションが円買いから円売り、日本株買いに転換したことで、期待の自己実現的な円安、株価回復が起こったと言えるだろう。
そしてその相場の変化が、企業収益の回復(←円安)、消費回復(←株価回復による正の資産効果)を起こし、実体経済の穏やかな回復を後押ししているのだろう。ただし繰り返しになるが、この変化が持続的なものになるためには、賃金増加→消費増加→GDPギャップの改善(マイナスからプラスへの変化)という連鎖が働くことが不可欠だ。
企業利益の大幅な改善と安倍内閣から財界に対する異例の賃上げ要請などを背景に、ようやく賃上げを前向きに検討する企業が出始めてるようであるが、それが来年にかけてトレンドになるかどうかに、景気回復の持続性とデフレ脱却の成否がかかっていると言えよう。
さあ、利益の回復した企業経営者のみなさん、「また悪くなるかもしれない」などといつまでもビビッておらずに、ど~んと賃金アップに動きましょう! 長年苦しめられたデフレは、正にそのことによって、その時にこそ、終焉するのですから。
追記:11月10日日経新聞、「賃金増に3つの関門」
追記:11月11日 伊藤元重 ダイヤモンドオンライン
「「賃金上昇」→「デフレ脱却」という好循環を実現できる政策とは?」
私の論考とあまりにも趣旨とタイミングが一致しているので、「一瞬パクられた?」と思いましたが(^_^;)
決してそんなことはないはずです。
むしろ「まともな経済学者・エコノミストにとっては共有できる正論」ということでしょう(^^)v
引用:「持続的な物価上昇が実現するためには、賃金の上昇がカギとなる。賃金が上昇していくことで、それが物価にも反映され、そして物価が上昇していくことがまた賃金上昇へつながる――そうした連鎖が生まれて、初めてデフレからの完全な脱却が可能となるのだ。
残念ながら、まだ賃金には十分な上昇圧力が働いていない。長年厳しい経営を続けてきた企業にとって、安易に賃金を引き上げる気持ちにはなりにくいのかもしれない。
だからこそ、政府も躍起になって賃金を引き上げる環境をつくろうとしている。政労使で協議の場を設け、賃金上昇こそが日本をデフレから脱却させるためのカギとなると訴えるのは、納得のいく政策である。」
新著「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社)2013年5月20日