2013年のノーベル経済学賞の受賞が決まったシカゴ大学のユージン・ファーマ教授とラース・ハンセン教授のインタビュー記事が日本経済新聞に掲載されていた。私はファーマ先生の議論は矛盾しているように思うのだが、私の浅学の故だろうか。不勉強・不遜をさらすリスクを承知で、そのポイントをご説明しよう。
↓記事全文
引用:(-の横線はインタビューアの質問)
――効率的な市場とは、アダム・スミスのいう「神の見えざる手」のようなものですか。
「色々な比喩があるが、分かっているのは情報によって価格は即座に調整されるというだけだ。メカニズムはよく分かっていない。それに、あくまでモデル上の話だ。完全に正しいということはあり得ない」
「大事なのは実践的な目標を達成するのにどう考えるのがベストか。少なくとも投資に際しては、市場が合理的だとの前提に立って行動すべきだ」
――つまり基準のようなものだと?
「そう。基準だ。完全に真実ではないにせよ、それが(適切な)行動を導く」
補注:効率的市場仮説とは
株式市場は効率的であり、市場に出回る情報はすぐ株価に反映するため、過去の株価の動きや公表情報から将来の株価を予想するのは不可能であるとする仮説。過去の株価の動きをチャート分析して将来の株価を予想するのは無意味ということになる。
――市場に「バブル」は存在しないとの主張です。
「私のバブルの定義は『価格が上がり、その後の下落を予想できる』状況。だが価格下落を予想できるとの証拠は、統計学的に存在しない」
――市場の振れを引き起こしているのは何なのでしょう。
「ファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)だ。株なら、予想配当率、業績、投資の動向、それからリスクに対する人々の姿勢などだ」
――人々の姿勢とは、つまり行動のことですね。その行動にバイアスがかかることはありませんか。
「もちろんある。経済学のすべては、行動に基づいている」
――では、エール大のシラー教授が主張するように、人々の心理によってバイアスが大きくなり、市場が非合理的な動きをすることもありうるのでは。
「それが、どう価格に表れるかが不明なのだ。可能性はあるが、大事なのは、それがどのくらい起きているか。さらに心理状況が、いつ価格を上下させるかという点も予想できなければ(論理は)空っぽだ」
――人々の心理を重んじる行動経済学の考え方そのものをどう思いますか。
「すべての経済学は行動がベース。伝統的な経済学は合理的な行動を前提とするが、個人が非合理的な行動をとることは分かっている。問題は、それがどう価格に影響するか。個人が非合理的な行動をするからといって、価格にも大きな影響が出ていると主張するのは飛躍だ。きちんと分析して証明しないと。私の研究では証拠はない。個人の行動と、市場の動きの間には大きなギャップがある」
――資産価格の乱高下を防ぐ手立てはないのでしょうか。
「景気循環をなくせば、資産価格の変動は少なくなるが、それは無理というものだ」
「経済の振幅を減らすという意味でなら、マクロ経済学は手法を獲得したと思っていたが、08年の金融危機で幻想だったと分かった。経済学は、好不況の原因について実はうまく説明できていない。多くの論理はあるが、想像の産物という面がある」
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以上から理解する限り、資産価格が大幅に高騰し、その後暴落することがあっても、それがバブルとその崩壊であると判断できるためには、大変動のメカニズムを解明する理論モデルが欠かせないとファーマ先生は主張していると理解して良いだろう。
行動経済学が指摘する様々な個人の非合理的な行動選択がバブルとその崩壊を引き起こすと主張するためには、やはりそれが理論モデルとして説明できなくてはならないと主張している。
理論経済学者が「モデル」という場合には、通常は単純化されているとしても、経済(ここでは市場)全体の動きを統一的包括的に説明できる連立方程式の組み合わせだ。そしてファーマ先生のバブルの定義を満たすようなモデルはこれまでのところ存在しないと言っている。
しかし待てよ。そのようなモデルが発明、発見されれば、そのモデルの判断で「今はバブルだ。下落は必至である」と予想できることになる。バブル崩壊のタイミングまで予測できるかどうかは微妙だが、少なくとも「遅かれ早かれ崩壊する」と言えることになるだろう。
とすると、そのバブル・モデルの判定に基づき当該資産を売れば、市場を出し抜いて投資の超過リターンを上げることができるだろう。しかし、そのような市場を出し抜く超過リターンが偶然以外の理由で得られることは市場が効率的であることを自己否定することになる。
従って、市場が(少なくとも近似的には)効率的であると言う主張と、「バブルの理論モデルができなければバブルが存在するという判断はできない」というインタビューで述べられた主張は、原理的に矛盾すると思うのだが、いかがだろうか?
この矛盾を回避する唯一可能性があるバブル現象のモデル化は、カオス現象としてバブルを捉えることかもしれない。カオス的な変動は、比較的単純で決定論的なモデルが生み出す予測不能の変動である。
なぜ決定論的なモデルが予測不能の結果を引き起こすかというと、端的にはバタフライ効果として知られているように初期値に対する依存性が極めて高いので、ほんの微細な条件の変化でも、それまでの経路から大きく外れた結果を導くからだ。
そうした視点からのバブルとその崩壊を説明しようとするアプローチも試みられている。
ただし果たしてファーマ先生が求めているバブルの理論モデル化が、そうしたカオスを中心とする複雑系研究家のモデルを念頭に入れたものかどうかは、この記事からはわからない(おそらく違うだろう)。
要するにファーマ先生の表現を借りれば、次のように言うのが正しいのではないか。「経済学は、バブルとその崩壊の原因について実はうまく説明できていない。」 そしてうまく説明できていない最大の原因は、市場参加者の合理性と情報の完全性を前提にした効率的市場仮説をベースにモデルが出来上がっているからだと、私は思う。
私は効率的市場仮説の内容を全否定する考えはない。特に、市場活動(経済活動)の自己言及性という点については真実だと考えている。これは私の著作の中でも繰り返し強調している例えで言うと、本日午後の降水確率90%を信じて、皆が傘を持って外出すると、午後には雨は降らずに晴れ上がってしまうという人間活動の本質だ。
従って天気予報のように客観的で信頼度の高い予測は原理的に成り立たない。十分な事実認識と合理的な判断による予測が当たるのは、その予測が一般的に知られていない、あるいは信じられていない場合だけであるという一種のパラドックスである。
本件テーマを考える上で参考になる一般図書を2つだけ紹介しておこう。
ジャスティン・フォックス「合理的市場という神話」東洋経済新報社、20101年
ベノワBマンデンブロ「禁断の市場 フラクタルで見るリスクとリターン」東洋経済新報社、2008年
近著「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社)2013年5月20日