ひさしぶりに書評を書きたいと思った本、ただ今読了。
Liaquat Ahamed、吉田利子訳、筑摩書房、2013年
 
著者はケンブリッジとハーバード大学で経済学の学位を取得、世銀の投資部門を経て、投資会社や保険会社で投資の実務にたずさわって来た投資マネジャーであり、現在はブルッキングズ研究所の理事だ。
経済学の学位を持ったエコノミスト、投資実務のマネジャー、そして本書は歴史家としての実績ということなる。 まことに米国の投資業界にはすごい知性がいるもんだねと舌を巻く。
 
第1次世界大戦勃発前後(1914年)から始まって、20年代~30年代を中心に第2次世界大戦までの国際金融・経済史、上下合計600ページ余の大著だが、まるで映画を見ているように叙述が展開し、ずんずんと読み進める。 翻訳もこなれているお陰だろう。膨大な資料を下地に書かれていることは間違いないが、一流のジャーナリストの叙述のような描写力には感嘆した。
 
第1次世界大戦の結果生じたドイツの膨大な対外賠償債務が、国家間債務の履行不能と危機の連鎖を引き起こし、最後は世界恐慌に転じて行く過程を描いている。そこで著者が発見したことは、現代の通貨・金融危機との驚くほどの類似性だ。
 
E・H・カーは「歴史とは何か」(岩波新書)の中で、歴史学とは歴史家と歴史的な事実の「対話」だと説いたが、著者のしたことは正にそういうことだろう。
 
もちろん歴史は全く同じことを繰り返すわけではない。音楽に例えると、基調は同じでも様々に時代固有の状況による変調が生じる。 当時と現代の最大の相違は、当時の官僚、政治家、知識人の多くが「金本位制」に呪縛されていたことだ。 
 
現代的な視点でふり返ると、当時の歴史は金本位制の呪縛による悲劇であると同時に、その呪縛から解き放たれるまでの文字通り血にまみれた過程だったと言える。
 
各章面白いが、私が一番気に入ったのは第5部、第21章「千鳥足の金本位制」だ。米国がルーズベルト大統領という異風のリーダーシップの下で金本位制を離脱し、大恐慌から回復過程に入る時期の叙述である。 以下のその部分を要約、引用しよう。
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1933年、ローズベルトが大統領になると直ちに行なったのは預金取り付け騒ぎでパニック状態になっていた銀行全ての閉鎖だった。 既に預金取り付けパニックで、信用収縮と実体経済(生産と消費、設備投資)の収縮が相乗的に深刻化する大恐慌に陥っていた。
 
銀行閉鎖(バンクホリデー)の間に「緊急銀行法」を用意し、FRBに金(ゴールド)ではなく銀行資産を担保に資金を供給すること、政府にはFRBに銀行を救済支援することを命じる権限を付与した。さらにFRBが銀行制度救済のために損失を出しても政府はその責任を問わないと約束した。
 
そしてローズベルトは有名な「炉辺談話」で国民にやさしく語りかけた。「わたしが保証します。お金はマットレスの下に隠しておくよりも、銀行に預ける方が安全です。みなさんが銀行にお金を預ける。銀行はそのお金を貸出し、投資や生産のために活用されるのです」(下㌻237)
 
そして銀行閉鎖が解かれた最初の朝、全国の銀行の前に預金者の長い列ができた。しかし今度は預金を引き出すためにではなく、預金を預け入れる人々の列だった。
 
「バンクホリデーと救済策、ローズベルトの談話があいまって -どれが一番効果があったのかは定かではなかったが- 大衆的な心理に劇的な変化が起こっていた。・・・一夜で国の気分は一変した。・・・10日間閉鎖されていたNY証券取引所が再開されるとダウは15%跳ね上がった。一日の上げ幅としては歴史上最大だった」(下㌻237)
 
「これまたフーヴァーにとっては呑み難い丸薬だった。彼が毛嫌いするローズベルトが導入した銀行救済策は、もともとフーヴァーが提案していた原則をもとに、フーヴァー自身の部下によって立案されたもので、それがたった1週間で信頼を回復させたのだ。気の毒な老いたフーヴァーが3年も大恐慌と闘ってきても、どうしても信頼回復に至らなかったのに」(下㌻238)
 
この叙述で想起せざるを得ないことがある。今年の春頃、「アベノミクス」で株価が急騰、円高も急速に修正され、先行きに明るい兆しが見え始めた局面で、国会では民主党の幹部級代議士が安倍首相に対して「あなたのやっていることは民主党政権がやってきたことを踏襲しているだけだ」と批判したことがあった。 安倍首相は「・・・・結果が伴うか、伴わないか、それが全てじゃないでしょうか」と応じていた。まことに結果が全てだね。
 
そしてローズベルトは金本位制の放棄とドルの大幅切り下げを決断するのだが、この時は政策顧問らから一斉に反対を受ける。
「この経済の専門家たちの集団に対峙したのはひとりだけだった-大統領その人である。専門用語を並べられて反対されても全く怖気をふるわなかった。顧問のひとりにそれは不可能だと言われると『くだらん』と切り捨てた。・・・ローズベルトのシンプルな見方によれば、大恐慌に物価下落がつきまとってきたのだから、物価が再び上昇に転じた時にしか、経済は回復しないはずだった。
顧問たちはそれは因果関係が逆だと辛抱強く説明しようとした。」(下㌻240)
 
著者は経済では原因と結果の関係は、多くの場合相互依存的、循環的であり、原因が結果となり、結果が原因となるとここで語っているが、私もその通りだと思う。
そしてローズベルトは経済学の専門用語でそれを語ることはできなかったが、そうした循環的な関係の逆転、すなわち「デフレ・プロセスの逆転に鍵があることを直感的に理解していたので、大恐慌の解決は物価を上昇させることだと主張し続けた」(下㌻241)
 
「ホワイトハウスのレッドルームに経済顧問を呼び集めた。そこで、にやにやしながら顧問たちと向き合ったローズベルトはあっさりと言った。『めでたい話がある。われわれは金本位制から離脱する』 
50%を上限としてドルの金利平価を引き下げ、金の裏付けなしに30億ドルの紙幣を発行する権限を大統領に与えた農業調整法トマス修正条項を示して、この施策を実行することにした、と大統領は述べたのである。」 (下㌻244)
そのとたん部屋は大騒ぎになった。喧々諤々の大騒ぎの後にダグラス(経済顧問のひとり)は「これで西欧文明も終わりだろうな」と宣言したそうだ。
 
ところがローズベルトの決断から数日後にはドルの下落とともに株価が15%も上昇し、銀行救済計画で始まった国民心理の劇的な変化は第2段階に入った。
それから3カ月で卸売物価は45%上昇し、株価は倍になった。物価が上昇して、借入金の実質コストは急落し、自動車販売台数は倍増、工業総生産高は50%上昇した。
 
というわけで、私達日本人は、この叙述に過去1年間の変化を重ね合わせずにはいられないだろう。
もちろん今日の日本は金本位制の束縛は無縁である。しかし、日銀が国債を毎月7兆円も購入してベースマネーを2年間で倍増し、消費者物価指数2%を目指すと黒田総裁が決断した時に、アンチリフレ派のエコノミストらが示した反応(例えば、「それでは日銀の国債引き受け同じだ」など)に、ローズベルト大統領の金本位制離脱宣言に政策顧問らが示した強い拒否反応を重ね合わせてしまわずにはいられない。
 
やはり歴史に学ぶ価値は、大きいですねえ。
 
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