今年は丸山眞男の生誕100周年ということで、本日の日経新聞にも大石格編集委員がコラムを書いている。 私も学生時代から丸山眞男の主要な著作は読んでいる。
 
最初に読んだのは、大学1年生の時(1975年)、教養学部の近代西洋史のゼミを受講希望する時に、「受講希望生は次の2冊の本を読んでレポートを提出すること」として指定された本のひとつが「現代政治の思想と行動」だった。もう一冊はフロムの「自由からの逃走」だ。 いずれも読んでおいて良かったと後々までふり返る本になった。
 
「現代政治の思想と行動」の冒頭の論文「超国家主義の論理と心理」でガッンと一発くらい、線を引きながら噛りつくように読みとおした。 右派(保守)も左派(マルクス主義系)もザックザックと切り裂いていく快刀乱麻のごとき超然とした論理展開に魅せられた。
 
確かに戦後のある時期まで(1960年代までかな?)、丸山の批判と論理に対してどう対峙するのか左派・右派双方の多数の論者が思想的な格闘をした時代があったのだ。 しかし私の大学生時代である1975年~79年には既に「脱イデオロギー」の潮流が進み、「君は丸山眞男の言っていることにどう対峙するのか?!」なんていう熱い議論は失せていた。
 
ところが、たまたま研究会の活動でお世話になった東大文学部の丸山昇教授(中国文学)が、その著作の中で幾度も丸山眞男の議論を引用し、鋭い問題提起や論理を展開していたので、私の中では丸山眞男の著作からのメッセージは大きくなっていった。
 
ちなみに丸山昇教授はハードコアな左派(マルキシスト)だが、丸山眞男を高く評価し、その左派批判を正面から受け止め、それを創造的に乗り越えることこそが、左派の思想と運動を「本物」にしていくと考えられていたと当時の私は受けとめた。
 
学生時代の私の理解力では、丸山の思想は個人の独立と自由意思をベースにした近代西洋の自由主義思想の代表に思えたのだが、同時に日本の伝統的な文化的雰囲気からまるで乖離したその思想の立脚点を丸山がどうやって得たのかわからなかった。
 
逆に言うと、それは丸山の天皇制や日本社会への批判を「上から目線」「西欧的な価値観からの批判」であるという論調、反発が出て来たわけでもある。
 
その後「忠誠と反逆」読んで、丸山の批判方法が単なる近代西洋的な価値観による外在的な批判ではないことは、私にとって明確になった。 というのは、この著作で丸山は、「滅私奉公」など戦前の軍国主義のイデオロギー要素にも利用された武士道思想と言う前近代の思想体系を分析するのだが、その奥に彼が見出したのは「反逆」という権威主義とは対極的なものへ転換する思想要素だったからだ。
 
主君のために滅私奉公する思想を徹底的に追求した場合、もし藩主が致命的に間違った判断をしようとした際に、本当に忠誠な家来はどうすべきか・・・・わが身の保身を捨てて主君を諌めるべきであろう、諌めても聞き入れない場合は・・・謀反すらあり得ようという論理の道筋で、伝統的な権威主義の中からその反対物、すなわち主体的な「個」の存在への契機を見出そうとしている、と私には思えた。
 
この論法は実に魅力的だ。人や世の中を変革する力とは、正にこういう論脈でできているのではないかと思う。私も自分自身の書きもので、そういう論理の展開を使う。例えば以下の映画評論だ。
 
今年、苅部直氏(東大教授、専門は日本政治思想史)の「丸山眞男~リベラリストの肖像~」(岩波新書、2006年)を読んで、この点で「超国家主義」に代表される丸山の批判が「上から目線だ」というような情緒的な反発をなぜ引き起こすのか、それでも丸山がどうしてそうした書き方を続けたのか、わかった気がした。 以下引用しておこう。
 
『超国家主義』論文をはじめとする、丸山の日本社会批判が、あたかも自分が西洋人になったかのような態度で、東洋の遅れた島国を見下す教説のように、しばしば受けとめられたのも、無理はなかった。・・・その『天皇制』批判が、苛烈な内面の劇の産物であり、深い自己批判でもあったことを告白するのは、元号が平成にかわった後の文章、『昭和天皇をめぐるきれぎれの回想』(1989年)においてである。・・・・
丸山は、日本人によく見られる『何かというと腹を割』ったり、『肝胆相照』らしたりする『ストリップ趣味』を、生涯拒否し続けた。それは、情緒による「ずるずるべったり」な一体感から精神を引き離すべきだという提言を、自身にもあてはめた自己規律であったが、同時にまた、その日本社会批判の出発点にあるものを、読者に見えなくさせた。」 (p146)
 
「腹を割った情緒の共有」 まことに日本人はこれが好きだ。これがないと日本では意見や利害が対立する状況ではなかなか理性的な議論が成り立たない。丸山が指摘したそうした状況は、当時も今も日本社会の中に根強い。これもまた丸山眞男が批判、指摘した幾多の課題のひとつに過ぎないが、他のほとんどの課題同様、今でも克服すべきものとして残っているものだろう。
 
参照:「ラーメン屋vs.マクドナルド」第3章ディベートするアメリカ人vs.ブログする日本人、情緒の共有を求める日本人」