昨日から読み始めた本「ブラックスワンの経営学」(井上達彦、日経BP社、2014年7月)が、なかなか面白く、共感する点が多い。 著者は早稲田大学の経営学の教授、まだ40歳台。
 
引用(p51-51):「将来を切り開く力(前例が少なくても有効な仮説を導く)
 
アナロジーの発想をうまく活用して、事例研究を適切に行なえば、前例が少なくても有効な仮説を導くことができるというのは確かだと思います。
 
アナロジーとは、『既知の世界(ベース)と未知の世界(ターゲット)の間に構造的な類似性を見出し、理解や発想を促す方法」のことです。
 
アナロジーは検証の方法ではなく、発見の方法です。ある世界で成り立つことが別の世界で成り立つ保証はないので、科学の世界では『確かでない推論』として敬遠されがちです。しかし、未知の領域で仮説を導くには役立ちます。」
 
上のような視点、あるいはアプローチを典型的な経済学分野の研究者が、強調したのを聞いたことも、読んだこともない。 
 
なにしろ、経済学で理論系の方々は単純化、抽象化された仮定の上に論理的に整合した理論モデルを構築することには熱心だけど、それでどれだけ現実の現象を説明できるのか、その点については熱意が欠けている傾向があるしね。
 
一方、実証分析系の方々(私も一応こちらに分類されるんだが)は、経済統計データをベースにした回帰分析など確率的な技法による分析の精緻化(私は技法的には「素朴」ですが(^_^;))と、それによる検証に熱心なんだけど、これは上記引用でいう前例(十分なカバレッジがある統計データ)が得られない場合は、手も足もでない。
 
しかし現実の世界は、前例も乏しいし、十分な期間の過去データが蓄積するのを待てずに判断、選択しなければならないことが多い。そういう不確実な状況の中でも、ある程度の有効性、合理性を発揮できるアプローチやそれに基づいた知恵でなければ、実際にはあまり役に立たないだろう。事業も、投資も、政策の発動だって、十分な検証はできないという制約のなかで決断されるものだからね。
 
そもそも私達が「わかる」ということはどういことか? 私も以前から「有効なアナロジーを発見することだ」と考えてきた。
 
例えば、ニュートンの万有引力の法則の発見、それまで天界の現象(天体の動き)と地上の現象は全く別の原理に支配されている・・・と考えられていた伝統的な世界観に対して、りんごが木から地上に落下するのも(既知の世界)、月が地球の周りを回転するのも(未知の世界)も、実は同じ原理で説明できるんじゃなかろうか、というアナロジーの発想から生まれたものだろう。
 
演繹法と帰納法、帰納法のベースにあるのは、やはりこのアナロジーの発想だろう。科学だから検証にこだわるのは当然だが、十分な検証できないからと言って切り捨ての発想ばかりしていると、新しい発見の芽を殺してしまうということだね。
 
そしてなんらかの知恵で成功するということは、十分な検証ができない状況で、数少ない前例や観察を手掛かりに、それでもある程度の有効性のある認識、判断に依って決断するしかない。十分な検証で有効性が実証できる頃には、みなその知恵を利用しているから、その知恵による超過利得もたいてい消えてしまっているからね。だから、この本の著者が小見出しに「将来を切り開く力」とつけたのは、実に適切だ。