塩野七生の 「朝日新聞の“告白”を越えて」文芸春秋
 
朝日叩きの特集でにぎわっている週刊新潮も文春も私は読まないのだが、文芸春秋に塩野七生さんが「朝日新聞の“告白”を越えて」と題した論考を寄せているので、これは買って読んでみた。
 
さすがに塩野さんの切れ味はいい。以下印象的な部分を引用しておこう。
 
引用:「それでも朝日は、『女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があった』とする線はゆずらず・・・・だが、私は、考え込んでしまった。
元慰安婦たちの聴き取り調査を行なったということだが、当事者本人の証言といえども頭から信じることはできないという人間性の現実を、調査しそれを基にして記事を書いた人は考えなかったのであろうか、と。
 
人間には、恥ずかしいことをしたとか悪いことをしたとか感じた場合には、しばしば、強制されたのでやむをえずやった、と言い張る性向がある。しかも、それをくり返して口にしているうちに、自分でも信じ切ってしまうようになるのだ。
 
だからこそ厳たる証拠が必要なのだが・・・・「裏付け調査などを行なわなかった」では済まないのである。 対象に寄り添う暖かい感情を持つと同時に、一方では、離れた視点に立つクールさも合わせ持っていないと、言論では生きていく資格はない。」
 
さらに当時オランダの植民地だったインドネシアでの慰安婦問題について、政府と朝日新聞に対して有意義な具体的調査提案をしているが、省略するので、ご関心のある方は、同誌を読んで頂きたい。
 
「朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか」 
同誌は続けて平川祐弘東京大学名誉教授の「朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか」を掲載している。これも興味深かったので、一部引用しておこう。
 
引用:「私も当時(1950年代前半まで)論壇主流と同じ考えに染まっていた。社会主義の資本主義に対する優位を信じていた・・・・
私が朝日・岩波系知識人の世界認識からはっきり離れたのは、1956年ハンガリアでソ連支配に対する暴動が起きても、彼らが社会主義賛美を止めなかったからである。
 
親ソ派の大内兵衛(東大教授)は『ハンガリアはあまり着実に進歩している国ではない。あるいはデモクラシーが発達している国ではない。元来は百姓国ですからね。ハンガリアの民衆の判断自体は自分の小さい立場というものにとらわれて、ハンガリアの政治的な地位を理解していなかったと考えていい』(「世界」1957年4月号)とソ連軍の介入を公然と正当化した。」
 
「私見では、戦前の一国ナショナリズムのあらわれである日本の絶対不敗の信念と、戦後の日本の『諸国民の公正と信義に信頼する』するという絶対平和の信仰とは、1つのコインの表裏で、ともに幼稚な発想に変わりはない。世界の中の日本の位置と実力を見つめようとしないからである。」
 
「徹底した実証主義で知られる近現代史家の秦郁彦は『朝日新聞』の報道で吉田の存在を知り、怪しいと直感して出版社に電話すると『あれは小説ですよ』と返事をした。済州島の土地の人も否定した。吉田本人も週刊誌記者に問いつめられてそのことを認め 『事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くのは新聞だってやっていることじゃないか』と開き直った。 
 
虚言癖の人の証言が大新聞によって世界的に報道され、吉田の本は韓国語、英語に翻訳され、国連報告書にも採用され、日本は性奴隷の国という汚名をかぶせられた。その経緯は秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)に詳しい。」
 
「韓国でもかなりの人は慰安婦が自国の業者によって斡旋されたことは知っていた。それを他国の軍によって強制的に連行されたといい、吉田清治が職業的詐話師であると薄々わかった後も、その発言を引用し、慰安婦の数を多く増やして述べれば述べるほど純粋な愛国韓国人とみなされると信じるのは、憎日主義的愛国主義がもたらした倒錯症状である。」
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というわけで、早速、秦郁彦氏の著作を注文した。
さらにこの論考に続いて、「『慰安婦検証記事』朝日OBはこう読んだ」と題して3名の元主筆、元編集委員、販売事業会社の元社長が、それそれの思いを述べている。
 
日本の戦後左派の思想潮流をふり返る
問題は上記の平川氏が述べているように、日本の戦後左派の思想潮流を見直すところまで広がるのが自然だと思う。その点では近年読んだ本で私自身アマゾンでレビューも書いた以下の2書を紹介しておきたい。Max-Tの名前で書いているのが私のレビューである。
 
当事者の時代」佐々木俊尚、光文社新書、2012年
私のレビューからの引用:「(著者は)敗戦から1960年代前半頃までは論壇を含む国民一般の戦争体験に関する意識は濃厚な被害者意識だったと総括する。要するに無垢な国民は、軍部独裁の下で事実から目を塞がれ、無謀で悲惨な戦争に徴兵され、大空襲で焼かれ、そして2つの原爆を落とされた被害者だったという意識だ。

そうした思潮が60年代の小田実の「被害者=加害者論」を契機に転換し、日本人は中国人、朝鮮人、アジアに対して同時に加害者でもあったという視点が登場した。それが戦争問題に止まらず、社会的なマイノリティー弱者、被差別者の視点から捉えるマイノリティー視点へと広がった。

そのこと自体は視点の拡大として意味があるはずだったのだが、思わぬ思想的な副作用を生み、「薬物の過剰摂取のように、人々は被害者=加害者論を過剰に受け入れ、踏み越えてしまった」(p278)と言う。 

言うまでもなく、これは右派系論者から「自虐史観」と批判されるようになる左派系論者の歴史観や思潮に顕著に見られる傾向となったわけだが、著者の本論はメディアもそうした視点にどっぷり漬かってしまったことだ。

そこから、虐げられたマイノリティーに憑依することで絶対的な批判者の視点に立とうとする様々な論調が論壇でもメディアでも横溢するようになってしまった・・・・(←正に朝日新聞が代表する流れですね)

特に次のような手法が日本のメディアに蔓延したと指摘する。 「弱者を描け。それによって今の日本の社会問題が逆照射されるんだ。」(p393) 物書きとしてはセンセーショナルな記事が欲しい。そこで「矛盾を指摘するためには、矛盾を拡大して見せなければならない。だからこそマイノリティー憑依し、それによって矛盾を大幅にフレームアップしてしまうことで、記事の正当性を高めてしまおうとする。」(p398)
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この著作は2012年の出版だが、今回の慰安婦記事問題での朝日新聞に代表される左派的思考法の歪みの本質にスポットを当てたものとなっていると思う。
 
もう一冊は「革新幻想の戦後史」竹内洋、中央公論新社、2011年
やはり私自身のレビューから引用しておこう。
引用:「類稀な戦後思想史だ。戦後の論壇、アカデミズム、教育界を覆ってきた左翼思想的なバイアスを論考の対象にしているのだが、著者自身の思索・思想の遍歴と重ね合わせながら展開している点に惹かれる。

著者は1942年生まれ、京大を卒業して一時ビジネスに就職したが、大学に戻り、社会学を専門にした教授になった。 人生も終盤に差し掛かった著者が自身の思想的な遍歴を総括する意味も込めて書かれている。

著者自身が学生時代には、当時の大学、知識人(あるいはその予備軍としての大学生)の思想的雰囲気を反映して、左翼的な思潮に染まるが、やがて懐疑、再考→「革新幻想から覚醒」のプロセスを歩む。

私は著者より一世代若いので大学生時代は1975-79年であり、既に時代は左翼的思潮の後退、衰退期に入っていたが、私自身は左派的な思潮に染まったほとんど最後のグループだったと思う。既存の大人社会をそのまますんなりと肯定的に受け入れることができない若者の常として(常だよね?)、既存の体制をラディカルに批判する体系としては、マルクス主義を軸にしたものしか同時なかったので、自然と傾倒したのだ。だから私はマルクス経済学を中心に左派の文献をかなりマジに勉強した。

そのため著者自身の思想的な遍歴は、私自身にも共通する部分があるので、共感著しい。著者が学生時代に読んだ代表的な文献も私自身の読書経験と重なる部分が多い・・・・
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「慰安婦問題検証記事」に端を発した議論、これまで溜まっていたものが吹き上げてくるような勢いがあり、まだまだ続くというか、上記の塩野氏や平川氏が指摘、提起するような調査と国際的な情報発信が展開して欲しい。
 
そういう意味では、今回の発端となった朝日新聞の「慰安婦検証記事」は、問題の封を切ったという位置づけができる。 もちろん、その後の怒涛のような展開は、木村社長が意図していたこととは正反対であろうがね。