「市場は物理法則で動く(Forecast)」マーク・ブキャナン(2015年8月)を読んだ。共感した。
著者マーク・ブキャナンは、物理学で博士号も取得しているが、アカデミズムの研究者にはならずに、「ネイチャー」や「ニューサイエンティスト」などの編集者を経てサイエンス・ライターとして活動している。だから解説がわかりやすい。 訳文もこなれていて読みやすい。

本書のメッセージを要約すると、一般均衡理論、合理的期待形成仮説、効率的市場仮説で構築された現代の主流派(新古典派、並びにネオケインジアン)のモデルでは、大小のバブルとその崩壊を繰り返す現実の金融市場現象を解明できていない。経済学者は物理学の数理モデルの手法を経済現象にも適用してきたつもりかもしれないが、カオス現象、複雑系、非平衡現象などを対象に物理学が近年発達させてきたアプローチとは全く違う方向に進んでしまっている。

とりわけ効率的市場仮説の提唱で有名となり、ノーベル経済学賞を授与したユージン・ファーマ教授に至っては、「そもそも、バブルというのが何のことかわからない。そういう言葉はよく使われるが、とりたてて意味があるとは思えない。・・・(バブルは)予測可能な現象でなければならない。今回の現象(2007-08年の金融危機)で特に予測可能な部分があったとは思えない」(p301)と耳を疑うような発言をしている。これは台風や地震のメカニズムが完全に解明されて予測可能にならない限り、台風や地震現象について論じるのは意味がないと言っているのと同じではないかと言う。

この点は本ブログでも以前取り上げた。

効率的市場仮説の擁護については、例えばバートン・マルキールが「ウォール街のランダム・ウォーカー」の比較的新しい版で次のように強調している。すなわち、もし市場に非効率があり、それを認識することができるならば、それで超過利得が得られるはずだ。そのような非効率(価格形成のゆがみ、アノマリー)を発見したという報告もたびたび行われてきたが、それが認識されるとアノマリーは修復され、超過リターンの機会は消滅してしまう。これは市場が結局ところ効率的だからだ、と説明されている。

しかしこれは市場と市場予測の自己言及的な構造を指摘しているだけであり、使用可能なすべての情報が適切に価格に反映されていることを必ずしも意味しないだろう。著者によるとこの仮説を「効率的(effecient)」呼んでいるところに、「こずるさ」があり、もっとストレートに「市場予測不能仮説」と呼ぶべきだと言っている(p114)。確かにそうだと思う。  

私の意見を言うと、すべての情報が市場参加者に共有されていることと、その情報が適切に相場形成に反映されていることとは別事だと考えている。多数の市場参加者が悲観的なバイアスに傾いている場合は、同じ情報でも相場への反映のされ方は悲観的となり(資産価格の過小評価)、多数が楽観的な時は、楽観的な相場形成(資産価格の過大評価)を結果するからだ。 

もちろん、情報が相場に「適正」に反映されているかどうかは、ある程度時間が経過してから、つまり事後的にしか確認できないが、金融危機や不況下では多数が悲観的に、好況下では楽観的になることは、経験的によくわかっていることだ。

本書の内容に戻ると、金融現象の内在的な不安定性を解明するひとつの有力な概念は、実はシンプルでポジティブ・フィードバックだ。これは各種の需要、供給が均衡維持的に調整し合って均衡点に収束させるネガティブ・フィードバックとは逆のフィードバックであり、ロバート・シラー教授もバブルとその崩壊のメカニズムを理解する仕組みとして、かねてより強調してきたことだ。しかし主流派の経済学者は、こうした均衡破壊的なメカニズムをなぜか慎重に排除してしまう、と著者は批判している。

もう一つの概念は、異端のケインジアン、ハイマン・ミンスキーが「金融不安定性の経済学」で強調した金融レバレッジの拡大(バブル形成)と収縮(バブル崩壊)だ。主流派の既成概念を捨てて、この2つの要素に注目してモデル化して行けば、やがてバブル現象をコンピューターでシュミレーションできるようになるだろうと指摘している。 

もちろん、それはバブルの形成と崩壊がピンポイントで予測できることを意味しない。予測し、行動を変更するという人間活動としての市場の自己言及的な構造があるからだ。金融バブルに対する早期警戒警報が信頼できる筋から出るようになり、それを信頼して行動する市場参加者が増えれば、相場の高騰は抑制され、大きなバブルは回避されるようになるかもしれない。

そうした変化は、相場変動に対して順張りする(上がるから買う、下がるから売る)プレーヤーの数に対して、大局的な逆張りをするプレーヤーが増えるのと同じ効果をもたらし、相場変動はなくなりはしないが、過剰な変動性を抑制することになることが期待される。

1930年代の大恐慌は、古典派経済学の限界、無効性を露にし、変革としてケインズ経済学を生み出した。2007-08年の米国の金融危機と世界不況では、新古典派やネオケインジアン(ならびにその動学モデルとしての確率的動学一般均衡モデル、DSGE)の限界、無効性が露になっているにもかかわらず、ケインズ経済学に匹敵する新しい経済学が登場していないとも言われてきた。しかし本書はまだ大雑把ではあるが、新しい経済学の方向性を描いているように思う。

本書の内容は、ポジティブ・フィードバック、金融レバレッジなどバブルとその崩壊を繰り返す金融市場のを理解するために、私自身も著作「なぜ人は市場に踊らされるのか」などに書いてきた方向性と一致する内容が多く、共感すると同時に、とても参考になった。

本書は一般向けの解説であるが、「原注」として引用学術論文は多数掲載されており、それをたどって勉強を深めることができるだろう。本書に関連した当該著者以外の文献を以下に二つ紹介しておこう。

Financial System)」ディディエ・ソネット、2004年


(本ブログはアマゾンに筆者が寄稿したレビューを加筆したものです)