たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2010年04月

日経ビジネスオンラインに寄稿した私の論考がヒット件数のトップになった。
亀井案こそ郵貯を潰す、時限爆弾のスイッチを入れた郵貯簡保の限度額拡大4月7日(水)http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100405/213833/
 
(日経ビジネスの過去の私の論考は以下のサイトでご覧いただけます。)
 
昨年12月末に掲載された「もう鳩山首相を諦める? 友愛という優柔不断が日本を壊す」もヒット件数が爆発して、66件のコメントが寄せられた。ただしその時は、「この野郎、何言ってやがんだ!」系の反発コメントが多かった。(書かれている内容をちゃんと理解していない脊髄反射的な反発がほとんどだけどね。)
 
今回も右と左から「この野郎!」系のコメントを予想していたのだが、以外と冷静な賛同コメントが多かったので、拍子抜けした。まあ、私もご理解、ご賛同頂ける方が情緒的には嬉しいのだが。
 
ただ私の判断、分析のスタンスは前回も今回も同じで、鳩山政権はもっと政策の経済合理性、整合性、一貫性を身につけないと行き詰まるよと言っているに過ぎない。
反発よりも賛同が増えたのは、さすがにハト&カメ政権のやっていることに国民が唖然とし始めている結果かもしれない。
 
今回は、郵貯の収益構造は単純に長短の金利イールド(定額預金調達と長期国債運用による金利スプレッド)に依存しているので、国債金利が1%上がる(=国債価格が下がる)だけで債務超過に陥ると、まともな金融系エコノミストならだれでも分かっているALM上のリスクを指摘しただけだ。
 
字数の制約で割愛した論点をこのブログで以下に補足しておこう。
寄せられたコメントに次のようなものがあった。
 
「膨張を続ける国債への将来不安は、すでに一般論として共有されており、郵政をはじめ金融機関がそれに備えた対策を模索し、リスクヘッジ経営を強化するのは当然のあり方である。(中略)郵貯あるいは郵便局の存在そのものの意義、重要性を改めてきちんと認識してからにしてもらいたい。」
 
確かに、郵貯が今抱えているALM上のリスクをヘッジ(回避)する手段は幾通りかある。
 
その1、保有している国債を長期から短期にシフトする。そうすればデフレがインフレに転換した時に不可避の国債価格の下落(=利回りの上昇)の損失を最小限にできる。ただし、短期あるいは期間中期(2,3年)までの国債利回りは現状ではゼロに近いから、リスクは消せるが、運用収益も失わざるを得ない。
 
その2、金利スワップ取引で将来の金利上昇リスクをヘッジする。
この場合は、長期国債ベースの固定金利で利息を支払い(現行1.3~1.4%)、短期金利(現状ゼロに近い)を受け取る金利スワップ取引を、保有する中長期国債の保有金額と同じだけの想定元本で締結すれば、金利上昇リスクはヘッジ(回避)できる。でも、それは「その1」と同様に利鞘収益を全部失うことを意味する。
 
要するに運用をほとんど国債で行ない、民間の金融・投資機関のように信用リスクなどその他の様々なリスクを負わずに、長期と短期の金利スプレッドだけに収益を依存している郵貯は、デフレからインフレに転換し、国債価格が下落(利回りが上昇)すれば必然的に巨額の損失を抱えることになる。
 
それを回避する唯一の手段は、民間の金融・投資機関のようにローンの信用リスクや株式の価格リスクなど様々なリスクを抱えながらも、それを管理する分散された資産ポートフォリオに資産構造を転換するしかない。
 
しかし、永年にわたり官制で国債運用だけでやってきた郵貯にはそうしたノウハウがない。それを急速に身につけて劇的な変貌を遂げるためには、民間の金融・投資機関を大規模に買収でもするしかない。
 
しかし官営のまま民間の金融機関の大規模買収に乗り出すなんて、社会主義を目指すのでない限り、いくらなんでも受け入れられないだろう。だから、行き詰まりは必然だと言うことになる。
 
私は郵便事業の全国一律サービスを維持すべきだという理念まで否定はしない(別に支持もしないがね)。ただしどのような政策理念であっても、それを実現する方策は経済・金融の合理性に基づいたものでなければ破綻するよ、と言っているに過ぎない。ところが、ハト&カメ内閣に一番欠けているものが、そうした知見だと言わざるを得ない。
終わり
 

大学の研究室に飛び込みで外資系生保のアリコジャパンの販売担当者がやってきた。「お客様の引退後の年金・生活費などキャッシュフローの試算をご提供して、何かお役に立つアドバイスをしたい」というので、「それじゃお話だけでも聞きますか」ということになった。
 
私は日系最大手の○○生保(名前は伏す)で20歳代の時から契約していたが、終身700万+定期2300万円の生命保険の定期部分の期限がちょうど6月末に来るので、どういう条件で更改するか考えてきたところだ。
 
50歳を過ぎ、自宅も金融資産もあるので、もう合計で3000万円も死亡保険は不要だと思った。一方、歳もとれば病気になるリスクも高まるから、定期部分を大幅減額し、その代わりに医療特約として入院時1日1万円とかつけようかと思った。
 
そこで契約先の日系○○生保に入院時、1日当たり1万円、最長62日間(総額62万円)の入院特約の保険料を尋ねたところ、月額10,300円だという。「そんなもんかいな」と思ったが、アリコの担当者にも同様の見積もりを頼んだところ次のような提案があった。
 
アリコ:保険料 月額6607円(終身型)
入院時1日1万円、最長62日間、手術給付金20万円、先進医療2000万円までカバー
 
日系○○生保:保険料 月額10,300円(終身型)
入院時1日1万円、最長62日間
 
 
この違いには正直驚いた。\(-o-)/
 
先進治療とは公的健康保険ではカバーされない高度医療であり、提示されたメニューには平均300万円もかかる重粒子線治療(現代のガン治療の最新治療法)から始まり16の高度医療メニューが並んでいた。
 
この種の先進治療は医療技術の進歩でどんどん増えているが、公的医療保険は財政事情が厳しくなる一方ので、カバーしてくれない。このギャップは今後ますます広がるだろう。
 
そうした先進治療費をカバーする付加価値サービスを含めて、それのない○○生保の保険料よりも月額3693円も安いのだ!
 
「なんでこんなに違うの?」と尋ねると「大勢の生保レディーを抱えている日系大手生保さんとは経費率が違いますからね」と言う。
 
「日系大手対比でこんなに競争力のある保険商品持っていれば、契約はがんがん伸びるでしょ?」と尋ねると「そうでもありません。外資系というだけで信用してくれない方もいるし、竹中さまのように説明を気易く聞いてくれる方は多くはありません。そもそもご自身が契約している保険の基礎的な内容を理解していない方も多いですしね」と言う。
 
「へ~、みなさん不況だ、デフレだとこぼして、ケチくさくなっているのに、肝心のポイント外して、無駄金払っている人達が世の中には沢山いるってことだね」と私は笑った。
 
アリコさん、飛び込み営業、ありがとう。私は危ないところで救われました。(^。^)
 
1990年代にはせっかく高い固定利回りで終身保険に入っていたのに、「転換すると有利ですよ」という日系生保レディーのセールストークにだまされて、低い固定利回りに転換した人達が続出した。私の勤務していた銀行の同僚にもそんな人達はいた。「銀行員のくせに金融・保険商品の基礎も理解していないだね」とその話を聞いた時は笑ってしまった。
 
さてこのブログご覧になった皆さんも、ご自身の保険内容、確認して、更新時には他社と比較されてみてはいかがか。
 

既に旧い本で恐縮だが、アーサーCクラークの「3001年終局への旅」(The Final Odyssey)を読んだ。日本語版は2001年の発刊。しかし今まで不覚にも知らなかった。ご存じの方、多いだろうが、「2001年宇宙の旅」(A Space Odyssey)に始まるシリーズの完結編だ。
 
私にとって「事の起こり」は1968年、小学校6年生の時に映画「2001年宇宙の旅」を劇場で見たことだ。スタンリー・キューブリック監督とクラークの共作である。その時は封切りから1年経った再ロードショウだった。
とにかく「がび~ん」と驚いた。「うわ~!すごい映画だ。でもストーリーが途中からチンプンカンプ???」と当時みな思った映画だった。
そのチンプンカンプの謎解きが行なわれたのが、クラークによる小説「2001年宇宙の旅」である。
 
それからど~んと年月が過ぎ、1984年、続編映画「2010年宇宙の旅」が制作された。当時銀行勤務でNYにいた私(まだ独身)は封切り初日に見に行った。原作小説も邦訳が出る前に英語で読んだぞ。
さらにシリーズは「2061年宇宙の旅」と続き、「3001年」で完結した。
 
「3001年」では2001年に宇宙船ディスカバリーで土星に向かう途上、コンピューターハルの反逆で、宇宙空間にど~んと放り出され、宇宙服のエアーパイプも切られて死んでしまい、漂流していたプール(航海士だっけ?)の遺体が、1000年の時を経てなんと土星軌道近くで発見される。しかも、死に方が真空瞬間凍結だったから1000年経っても「鮮度が保たれていた」、ということで3001年の未来医療技術のおかげで蘇る。
 
しかし、なんだね。1960年代にイメージされていた21世紀には、今頃人類は巨大な宇宙ステーションだけでなく、恒久的な月面基地を持ち、有人の土星探査、木星探査までやっているはずだった。コンピューターは人間と会話し、機械の意思を持つまでに進化していた。スペースシャトルにはステュワーデスだって乗っていた。
 
現実はずいぶんと遅れているじゃないか。老朽化したスペースシャトルは今年で打ち切り、アメリカの次世代ロケットの開発は事実上の休止状態。未だにソ連時代と姿の変わらないソユーズだけでスペースステーションに人を送る状態になる。
 
21世紀ってこんなもんだったの?
 
ようやく日本開発のロケットがスペースステーションまで物資を運搬できるまでになった。将来的には有人化も視野に入っているとのこと。だったらここは一番、なけなしの国家予算投入して、一気に有人ロケットまで進化させて、アメリカ無しでも日本が物資と人間のステーションへの移動を引き受けますぜ、というところまでやってみせたら、下がり続けていると言われる「日本の株」もずいぶんと上がると思うのだが・・・。
ばらまき予算よりも、そういう国民を鼓舞するようなプロジェクトが求められているんじゃない?ちがうかな。オールドSFファンのたわ言でしょうか・・・。
 
 
 
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4月5日に打ち上げられたスペースシャトルの航跡

龍馬、再論
私の友人の一人がEメールでこう言っていた。
 
「竜馬はどうしてああいう世界観になったんでしょうね。
世界観=Worldviewは人の行動の基礎になるものだと思うのですが、どうして土佐の
田舎であんなに大きな世界観を持てたのか、不思議です。」
 
「竜馬がゆく」を読まれた方はみな分かっていると思うが、司馬遼太郎は龍馬(ここでは史実の「龍馬」で統一します)の思想的な展開を「幕末・維新の奇跡」と位置付けながら、それが可能になったプロセスに関してひとつの解釈を提示している。
 
その1、龍馬はとにかく船と海が大好きだった。
その結果、江戸が黒船ショックに襲われ、「夷敵」の脅威に庶民は震え、武士は「壌夷」の感情を高ぶらせ始めた時、同じく黒船を見た龍馬は「すげ~、こんな船がこの世にはあったのか!わしもこんな船を操って海の向こうの世界にいってみたいぜよ」と他の多くの武士とは違う情念を抱いた。
異質なものに接すると恐怖を感じるか、好奇心に駆られるか、人間はいつも2つに分かれるね。
しかし、龍馬も人の子、最初は大勢の攘夷思想にのまれていたが、やがてかれの考えは攘夷ではなく、開国、貿易、そして富国強兵へと展開していった。海援隊の設立と活動はその第1歩だった。
ところが幕府は攘夷は事実上放棄するものの、開国、貿易の機会は幕府で独占し、ある意味で当然ながら幕藩体制の維持にこだわり、龍馬は「ならば倒幕するしかない」という点では他の攘夷派と一致していた。
 
その2、龍馬は渡米した勝海舟などと出会い、アメリカのデモクラティックな政治体制に関する知識に接した。このアメリカの民主政体を知って龍馬は驚き、惹かれる。自分の土佐藩、上士(主君山内家の家臣として土佐に移って来た武士)と下士(土着の長宗我部の元家臣)の厳しい身分制度への不満のエネルギーがデモクラシーの理念を知って急開花したわけだ。
その結果、彼の倒幕後の政権構想は、元首に天皇を戴きながらも議会を主とするという民権的な内容になった。これは明治の民権思想の先駆だろう。
 
その3、商家、坂本家の商才と陽気さ
開国、貿易という龍馬の発想の下地に、武士でありながら坂本家は商家でもあったことを司馬遼太郎は強調する。しかも、その家族、家風がえらく陽気だったとも書いている。ああ、陽気さ、なぜか豊かになった今でも日本に足りない雰囲気だな。なんでみんな簡単に悲壮になっちゃうんだろうか。
 
こう書くともっともらしいけど、やはり偶然を通じて展開する時代の転換というのは、その過程自体が奇跡的だなあ、と感じざるを得ない。
 
 

西田文郎という方が雑誌プレジデントの論考、「かもの法則」(以下サイト)で良いことを言っている。心理学的にはある意味で常識的なことだろうが、こういう実践家に言われると深く納得できる。
 
ちょいと引用しよう。
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 「リストラされるかも」「給料が減るかも」……不況の中、そんな不吉な予感が頭をかすめる、という人も多いのではないでしょうか。
 こうした否定的な「かも」に囚われると、人はどんどん悲観的になってしまいます。そして、自分の仕事がうまくいかないことを、自分以外の誰かや環境のせいにしてしまう。「小泉改革のせいだ」「無能な上司のせいだ」などと責任を転嫁して、自分を守ろうとするのです。

 その一方で、「こういうときこそ、自分が活躍できるチャンスかも」と、悪条件を肯定的に捉えようとする人もいます。
 そういう人は、「ダメかも」「うまくいかないかも」ではなく、「成功するかも」「できるかも」という肯定的な「かも」によって自分をコントロールして、幸せをつかむ。 要するに、「かも」の違いで未来は変わるということ。それを私は、「かもの法則」と名付けています。
 人間は、自分の将来について「肯定的な錯覚をしている人」「否定的な錯覚をしている人」に二分されます。肯定的な錯覚をする人は、言うまでもなく、肯定的な「かも」で発想するタイプです。
 
長年にわたって、経営者やビジネスマンの能力開発に携わってきた経験から言うと、一代で上場企業をつくったような成功者は、ほぼ例外なく肯定的な錯覚をしています。 常識的に考えれば無理だと思うようなことも、「俺ならできる」と思い込んで、本当に実現してしまう。失敗を失敗と思わない。
******
 
全くその通りだ。自分自身の経験を振り返っても、上手く行った時には「いけそう!」「上手くいくかも!」とポジティブ・カモに駆られて、あるいは引かれて活動している。
そういう時は少々失敗しても、これでダメだとは感じない。「次回はうまくいくかも」という気持ちで心に張りがある。
ポジティブ・カモにスイッチできるか、ネガティブ・カモに心を支配されるか、これで成功不成功の8割は決まったようなものかもしれない。
どうせこの世は不確実なのだから、成功も失敗も確かなことはない。ならばいつも「うまくいけるかも」とポジティブ・カモでやり続けよう。坂本龍馬も超巨大なポジティブ・カモで走り続けた人物だったということだな。

本件シリーズの最後は早稲田大学の大隈庭園、大隈講堂(時計台)の隣にある小さいが美しい公園。時計台は早稲田大学のみならず町のシンボル的な存在。
 
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神田川川沿いの桜シリーズ2010、これにて終了。
 

椿山荘から神田川沿いに徒歩3分、新江戸川公園、旧細川家の庭園です。桜の数は多くないが、ゆっくりと美しい庭園を楽しめる。池にはカメが生息しているが、やはり外来種のアカミミガメが増えている。
 
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椿山荘の日本庭園、桜はそれほど多くないが、庭園として美しい。夕方に空を見上げるとコウモリが飛んでいるのを見ることもある。都心にもかかわらず、この近辺の森の深さか。6月下旬から7月中旬は庭園で繁殖、自生したホタルが見られる。何年もかけて繁殖と定着に成功したとか。
 
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http://www.chinzanso.com/access/  ←椿山荘のサイト
 

神田川沿いなのになぜか「江戸川公園」、江戸川橋交差点から椿山荘まで川の両岸に桜並木びっちりです。
 
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週末、満開、天気OKとそろった4月3日、お花見宴会でいっぱいでした。地元の人達が多いためでしょうか、鍋や釜そろえて野外本格宴会のグループが目立ちます。
 
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神田川の橋(名前忘れました)からの桜風景、中央に写っているフォーシーズンズ・ホテル椿山荘。ここからの桜景色は一見の価値あり。
川は文京区(左岸)と新宿区(右岸)の境です。江戸川公園については以下サイト参照。
 

4月3日(土曜日)天気も良く、暖かくなり桜満開となりました。
東京の自宅近辺である神田川沿いの桜スポットです。
 
まずは江戸川橋から近い鳩山邸の桜です。鳩山首相が育った邸宅で、今では一般に解放されています。今では観光客がお団体でやってくる「名所」となりました。イメージ 1
 
ただし、邸宅とお庭は有料、大人500円。えっ!それは高いぜ、というわけで中には入りませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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鳩山首相が育ったという邸宅、至る所にハトのデザインがあります。
(続く)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正式には「鳩山会館」と呼ばれています。以下サイトご参照。
 

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