たけなかまさはるブログ

Yahooブログから2019年8月に引っ越しました。

2010年08月

さて、いろいろご質問やコメント頂きました。「なぜデフレなの?その3」に進む前に整理しておこうか。
 
1、通貨とは政府・中央銀行の特殊な債務である。
「日銀券は、調べてみると、たしかに日銀の貸借対照表で負債として計上されていました。しかし、これは複式簿記上の備忘勘定の一つであって、日銀の本来の意味の負債ではありません。昔々の日銀券にはこの券を日銀に持参した者には交換に金を渡す、という文言が書いてありました。この時は間違いなく日銀券発行残高は日銀の負債でした。それに見合う金を準備しておかねばならなかったからです。今の日銀券は、取引先の金融機関が日銀に預けている当座預金を銀行券で引き出したいと言ってきた時に発行していますので、ちゃんと裏付けのある健全なものだと考えますが、私の考え方は間違っているでしょうか?」
 
 野分さんのご質問、書かれている通り、20世紀初めの金本位制までは銀行券(日銀券)はそれを日銀に提示すると金(ゴールド)と交換してくれる日銀の債務証書(兌換紙幣)だった。従って日銀の資産負債表(貸借対照表)の右(負債)の項目にその残高が記載される。この時代にはマネーの発行量は比率の違いはあっても政府・中央銀行が保有する金準備の残高に従っていた。
 
 金本位制をやめて、日銀券は不換紙幣となった。金との交換はもうしない。それでも日銀券が中央銀行(政府の一部)の負債であることに変わりはない。現在の日銀の資産負債表の資産側には日銀券の発行残高にほぼ見合う国債の保有残高が資産として記載されている。
 
 そういう意味で日銀券の資産の裏付けは、政府の発行する国債とも言えるが、赤字国債自体は何度も言うように、見合いとなる資産はない。返済の原資は将来世代が働いて生み出す所得への課税だ。(建設国債の場合は、公共事業のために発行されるので、見合いに建造物が資産として存在する。もっともその資産の価値が問題にされているわけだが。)
 
 従って、政府(昔は君主)が資産の裏付けのない通貨を発行して、民間の財やサービスを消費することは、民間に対する収奪になる。資産の裏付けのない「負債」を発行して商品を購入できるこの政府だけに独占的に認められる権利を、通貨発行権(seigniorage)と呼んでいる。これを大規模に行使すれば基本的にはインフレが起こり、マネー保有者(=民間)からマネー発行者(政府)への富の移転が生じる。
 
  従って、現代の管理通貨制度の下での中央銀行は通貨の発行はインフレを安定化することを目的に運営され、政府の国債を直接引き受けすることは法律で禁止されている。
 
 私も不況対策として赤字国債を発行して財政支出を増やすことは、やむを得ないと考えているが、せめてその使い道は将来の付加価値の生産を増やすことにつながるような、教育への現物補助、技術開発などに使うべきで、そういう成長政策目的・使途のないバラマキは止めてくれ、と考えているわけだ。
 
 インフレは、実物資産や事業への投資を有利にする。物価と資産価格は別物だが、ある程度は相関している。ただしインフレ(インフレ期待)が強くなり過ぎると、商品投機、資産投機がひどくなって富の配分を意図せざる方向に歪めるので、どの国の政府・中央銀行も軽度のインフレ(1%~3%程度)がほどよいと考えている。
 
 野分さんは「デフレの方がましだ」と書いておられるが、デフレは反対に、実物資産や事業への投資を不利にして経済成長の支障となるので、どこの国の政策担当者も避けたいと思っている。
 日本のようなデフレ下では、利子も配当も生まないマネーを保有していても、あるいは金利がゼロに近くまで下がった国債を保有していても、通貨の購買力が低下せず、むしろ上るので(インフレとは通貨の購買力の減少ですからね)、みながマネーや国債の保有をいくらでも増やそうとする。一方、事業や実物資産への投資は減る。これでは実体経済は成長せずに停滞するばかりだ。
 
2、日本の企業って配当を十分払わないでため込んでいる?
「企業が配当やら自社株買いをせず、株主を軽視した結果が今の日本経済なのではないでしょうか?もちろん行き過ぎた株主資本主義も問題があります。資本効率を求めすぎた製造業の空洞化等の弊害もありますね。しかしそれでも今の日本はそれ以上に大きな問題を抱えているように思えます。企業は溜め込んだお金を吐き出さないのだから、資金需要なんて起きないですし、そのような株主軽視のリターンをもたらさない資産はディスカウントされて当然です。」
 
 日本の企業の配当政策については、本日85日の日経新聞「経済教室」に参考になる論考が掲載されている。論者:野間幹晴 一橋大学准教授 
 イメージに依存した通説を洗い流して、本当の問題がどこにあるのか考えさせられる良い論考だと思う。ちょっとだけ引用しよう。
 
 「米国では配当を支払う一部の企業の配当額が多いため、平均配当性向で見ると米国の方が日本より高い。ところが、1985年から2009年において、日本、米国、英国、カナダ、ドイツの5カ国の上場企業のうち、配当を支払っている企業(有配企業)の比率を示している。これを見ると、日本以外の4カ国では、90年代前半から配当を支払う企業の比率が徐々に低下していることがわかる。特に、米国ではこの間、配当を支払う企業の比率が73.2%から30.2%へと下落している。」
 
 「むしろ、先進国の中で、日本は配当を支払っている企業がきわめて多い。海外では、配当よりも投資を優先している。 日本企業が投資より配当を優先するのは、産業の成熟化が進み、企業の新陳代謝が遅れ、有効な投資先を見つけられないからだ、という見方もあるだろう。
  しかし「投資先がないのだから株主に還元せよ」と株主が主張するのはもっともだが、経営者が「投資先がない」というのは、責任放棄であると考える。経営者の最も重要な役割は、競争力を強化するために新たな投資先を見つけ、リスクをとって設備投資やR&D投資を行うことである。」
 
3、「新自由主義が日本を悪くした」って本当? 
「コメント欄に「行き過ぎた株主資本主義」という下りがあり、よく見かける言い方ですが、とても引っかかってしまいました。「行き過ぎた規制緩和」という言い方もよく見かけますが、これも然りです。日本でいつ株主重視や資本主義(株主資本主義って?)、規制緩和が世間並みにすらなったことがあるのでしょうか。また、「企業が資本効率を求めた結果空洞化が進んだ」というのは、空洞化の原因を国内の経営環境(規制、税制、労働慣行やそれに起因する低成長)から株主に転嫁しているだけのような気がするのですが。」
 
 もう疲れたので、粗く「その通りだ」とだけ申し上げておこう。

その2、マクロ実体経済要因
 
 デフレ・インフレをマネタリーな要因で説明し、マネー供給量を外性的変数と理解するマネタリストやインフレターゲット派の議論に対しては批判も多い。ケインズ学派はマネー供給量を内性的な変数と考え、それを中央銀行が単純に操作できると変数だと考えるマネタリストの議論をずっと批判して来た。
 
 もちろん金融政策によって物価動向にかなりの影響を与えることができることを否定する経済学者はいない。もしそれを否定するなら、現代の中央銀行が共通に政策目標に掲げているインフレ(物価)の安定という金融政策の枠組み自体を否定することになるからだ。
 
 しかし、政策金利をゼロまで下げてもデフレがなかなか解消しないという日本の状況は、インフレ・デフレ問題がマネタリーな要因だけでは説明できないことを示唆しているだろう。
 
 政策金利をゼロまで下げても、マネー供給量が増えず、デフレがなかなか解消しない理由は幾つか考えられる。①銀行の不良債権比率が高くなりすぎて、貸出資産を拡大する余力がない、②企業(あるいは家計)の債務が過剰でその圧縮に追われており、新規の借り入れを増やそうとしない。
 
 金融緩和政策で供給されるマネーはあくまでもファイナンス・マネーであるから、銀行が融資を増やそうとしない、あるいは民間の経済主体が借入を増やそうとしない状況にある場合は、金融政策を緩和してもマネー供給量は増えない。
 
 上記の①②の状況は2000年代初めごろまでの日本には当てはまったし、米国や欧州では2007年後半以降の時期に当てはまるだろう。しかし、今の日本はマクロ的に見て①②のような状況にはないと考えられている。ではなぜまたデフレなんだ?
 
 もうひとつの要因として挙げられるのがマクロ的な需給ギャップである。少し前のブログで紹介した今年の経済白書も、デフレを需給ギャップとデフレ期待の2つの要因で説明している。
 
需要が足りない!
 需給ギャップとは完全雇用時に実現できるGDP(潜在GDP)と現実のGDPの乖離である。不況下では潜在GDP>現実のGDPとなり、遊休した設備や雇用が存在している。こうした状態では供給圧力が強いので物価は上昇し難く、下落しやすい。反対に完全雇用下で更に有効需要が増えれば、国内の供給は短期的な限界にあるので、輸入も増えるだろうが、物価も上がる(実質ではGDPは増えない)。
 
 日銀も2006年に量的金融緩和政策を終了した後の論文で、量的金融緩和政策の効果はゼロではなかったものの、デフレの解消には需要不足(供給超過)状態にあった需給ギャップが景気の回復の持続で解消したことの効果が大きかったと総括していた。需給ギャップがデフレ・インフレにかなりの影響を与えていることは、回帰分析をすれば比較的簡単に検証できる。
 
 しかし、それで説明できるインフレ・デフレとは景気変動による循環的な物価変動の部分だけであろう2008年~09年の不況で需要不足の需給ギャップが生じたことは、日本、米国、EUとも共通である。ところがこれまでのところ日本のみがデフレとなった。現時点で消費者物価指数の対前年比は日本が概ねマイナス1%、米国とユーロ圏はプラス1%前後である。これは日本には景気循環的なデフレ要因以外の構造的な要因が働いていると考えざるを得ない。それは一体何なのか?
今回の話の発端にあった池田信夫氏もブログでこう書いている。
 
「日銀がいくら銀行に金を貸しても、銀行が企業に貸す金が増えない原因は簡単である。企業が金を借りないからだ。2008年でも、企業部門はGDP0.5%の貯蓄超過である。これは借金の返済額が、借り入れを上回っているためだ。企業が貯蓄超過になったきっかけは、1990年代のバブル崩壊後に過剰債務を削減したことだが、不良債権の処理が山を越した後も、貯蓄超過が続いている。この原因は、経済に成長の見込みがなく、投資収益率が低いためだ。 企業は家計から借りた資金を投資して収益を上げるので、借り入れ超過になっているのが普通である。企業が全体として貯蓄超過になっている異常な状態では、投資も増えないし成長率も上がらない。これがデフレの根本的な原因である
 
従って池田氏もマクロ実体経済要因派であり、インフレターゲット論者らを批判している。実体経済の低成長がデフレの根本的な要因であるならば、成長率を高めるしかないが、そのためにはどうすれば良いのだろうか? ここで池田氏は「残念ながら、簡単な答えはない。白川総裁は『イノベーション』だと述べているが、どうすればイノベーションを起こせるのかは、現在の経済学では分からない」とさじを投げてしまっている。
 
 この点で独自な議論を展開しているのは東大の吉川洋教授だ。吉川教授はケインズ学派であり、不況とデフレは需要不足が問題と考える。ただし、その特徴はシュンペーターの議論から多くの示唆を引き出している点だと思う。「転換期の日本経済」(岩波書店、1999年)では、経済成長について、供給される商品のイノベーションが起こらなければ、つまり同じものばかり生産・供給していれば、経済は需要が飽和する形で成長が止まる(ひとり当りのGDPは増えなくなる)ことを説いている。
 
 たしかにそうだろう。商品の進化、技術革新が止まったらどうなるか。例えばTVでも自動車でも、その商品が社会に普及する間はひとり当りGDPでも成長するが、普及した(飽和した)以降は老朽化による更新需要しか生じないので、ある種の定常状態になるだろう。
 ところが、TVがなかったところにTVが登場し、しかも白黒TV,カラーTV,薄型大型TV,更には3次元映像TVと商品の革新が起こるので、新規の需要爆発が次々と起こるわけだ。つまり、シュンペーターの創造的破壊(creative destruction)が、経済成長の根底にあるということだ。 「今こそシュンペーターとケインズに学べ」(2009年)もお薦め。
 
 従って、日本のように人口が増えなくなった経済でも、技術革新で次々と新商品が登場すれば相対的に高い経済成長は実現できるということになる。それでは1990年以降の日本は他国に比較して製品の技術革新が弱かった、あるいは衰えたということなのだろうか? ところが、そういう事実は目にしない。
 
 少なくとも工業製品に関していうと、ビデオカメラ、デジカメ、液晶、カーナビ、ハイブリッド・カー、リチウム電池、LED照明などなど続々と日本オリジナルの新製品を世に出して来たではないか。特許の開発・申請件数でも世界のトップクラスを走って来た。
 
 そうすると、日本のデフレの構造的な要因は、単に製品イノベーションの不足では説明がつかないようだ。 う~ん・・・と唸って、次回は経済主体の期待を含む行動様式の要因を考えてみよう。
今晩はここまで。

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